ネズミ (P84)

 これ以外にまだネズミがいる。“トンネルのネズミ”ではなくて、本物のネズミである。トンネルは彼らにとって天国みたいなもので、そこに棲みついた連中は猛烈な勢いで繁殖している。米兵は負傷したり死亡した戦友をけっしてトンネル内に放置しないが、その点はベトコンも同じで、死者を放置して米軍に発見され、“ベトナム兵戦死者”数を増やさせるような愚は犯さない。ベトコンは戦友の遺体を必ずトンネル内に持ち込み、壁に掘った穴のなかに胎児のような格好で埋め、水で練った粘土で封じ込める。

 しかし、粘土の薄い壁などネズミにとって障害でも何でもない。かくして彼らは無限に餌を提供されることになり、みな猫くらいに肥え太っている。こうした劣悪な環境にもかかわらず、ベトコンはトンネル内で何週間も、長いときは数か月もすごし、アメリカ人が降りてきたら、それを見つけて、命のやりとりをする。

 そうやって生き残った者は、そこに棲むさまざまの醜悪な生き物だけでなく、内部に満ちみちている悪臭にも慣れてしまう。狭いトンネル内はいつも高温多湿で、闇に閉ざされている。おまけに鼻が曲がるほど臭い。彼らは仲間の遺体を素焼きの壺に順次詰め込み、壺が一杯になると床に埋めて、粘土で覆う。が、ネズミはそれを苦もなく開けてしまう。

 また“ネズミ”が拳銃や懐中電灯を使うのは、前方の闇のなかにひそんで待っているかもしれない敵に、わたしはここにいますよと教えるようなものである。そういう意味では、ベトコンは常に有利な立場にいることになる。彼らは這い進んでくる敵をただじっと待つていればよいのだ。

バンブー・ヴァイパー (P84)

 しかし、コウモリもフシアリも生命の危険をもたらすようなことはない。その危険があるのはバンブー・ヴァイパーという毒蛇で、こいつに噛まれると、三十分以内に確実に死亡する。この仕掛けのミソは一定の角度で天井に植え込まれた長さ一メートルくらいの竹竿で、天井の表面には先端の数センチだけが突き出している。

 この竿のなかに毒蛇が頭を下にして詰め込まれている。先端に栓がしてあるので蛇は出るに出られず、怒り狂っている。この栓には釣り糸がつながれていて、それが片方の壁につけた鉤を通して反対側の壁のそれにトンネルを横断する形で張られている。腹ばいで前進する米兵がその釣り糸に触れると、それにつながれた栓が外れて、中にいる毒蛇が兵士のうなじに落下して瞬時に毒牙をふるう。

隠し戸 (P86)

 最も神経を使い、最も死ぬ確率の高いのは、隠し戸を抜けるときである。通常、ベトコンが用意する隠し戸は、一つのトンネルから下にある別のトンネルへ移動する際に使われる。

 たまたま侵入したトンネルが行き止まりになっている場合がよくある。しかし、ほんとうに行き止まりなのか? もしもそうなら、どうしてそんなトンネルをわざわざ掘ったのだ? “ネズミ”は真っ暗闇のなか指先の感触で紅土の壁を探りながら前へ進む。左あるいは右へ枝分かれしている様子がどうしても感じ取れない場合は、懐中電灯を使わざるをえない。ふつう光で照らせば、左右の壁や床、天井に設けられた隠し戸が見つかるものだが、どれもみな巧妙にカムフラージュされていて、うっかりすると見逃してしまう。行き止まりのトンネルでどうしても隠し戸が見つからないときは、任務を放棄するしかないし、見つかった場合は、危険を承知で開けざるをえない。

 しかし向こう側で待っている者がいたらどうなる? ベトコンが待ちかまえているところへ頭から先に降りていったら、喉を横に掻き切られるか細い鉄線で首を絞められるかして、たちまち命を奪われてしまう。足から先に降りたら、竹槍で腹を貫かれて一巻の終わりだ。その死にざまは、上半身はまだ上のトンネルにあるのに、下半身は下のトンネル内で無残に竹槍に貫かれて、という異様なものとなる。

A v e n g e r (2)

対策-手榴弾 (P87)

 デクスターは兵器係に頼んで、大きさは一握りサイズで火薬の量を通常のものより少なくし、そのぶんボールベアリングの量を増やした手榴弾を特別に作ってもらった。“ネズミ”になって最初の六か月で二回、彼は隠し戸を開けて三秒ヒューズの手榴弾を投げ込み、さっとまた戸を閉めた。爆発のあと改めて戸を開け、懐中電灯をつけて中に入ると、あたり一面に千切れた肉や骨が散らばっていた。

 トンネル網は要所要所に水溜まりを造ることによって、ガスによる攻撃を防いでいる。トンネル内を這い進む“ネズミ”は突如として、悪臭を放つ水溜まりにぶっかることがある。たいてい、水溜まりの向こう側にトンネルがつづいている。これを渡るには、仰向けになって水のなかに入り、天井を手で掻いて身体を前へ進めるしかない。肺の空気がなくなるまでに向こう側に着けるよう祈るしかない。さもないと、地下二十メートル近い闇のなかで仰向けになって溺死してしまう。生き延びられるかどうかは相棒の動き如何にかかっている。

 先に渡るほうは足首に紐を結びつけ、その後端を相棒に渡す。水に入って九十秒以内に紐がぐいと引っ張られたら、それは渡りきって向こう側に着いたという合図で、九十秒以内にその合図がない場合、後ろに残った相棒はすばやく紐を手繰って先へいった者を引き戻さなければならない。それが遅れたら向こうは確実に溺死する。

写真: M41タンク残骸

たまにある成功P87

 こうしたさまざまの恐怖や死の危険を冒しながらも、“トンネルのネズミ”たちはときたま、黄金の鉱脈にいきあたることがあって、あるときは、それが広めの空間だったりする。ごく最近慌ただしく撤収した様子で、重要な指揮所だった形跡が歴然と残っていたりする。文書、地図、暗号解読書といった貴重なブッの詰まった箱が、基地で待機しているか謀第二部の諜報担当官のもとへ届けられる。

 “アナグマ”と“モグラ”は、こうしたアラジンの洞穴に二度、出くわした。師団司令部のお偉方は、彼らのごとき奇妙な若者の扱い方がわからないまま、勲章を授与し、温かい言葉を贈った。しかし、いつも戦況が順調に推移していると世界に宣伝したがる公報部には、こうした情報はいっさい伝えられなかった。関係者はみな黙して語らなかった。一度だけ公報部の連中を招いて前線視察なる行事を催したことがあったが、広告屋さんたちは“安全”なトンネルに潜って二十メートルもいかないうちに、恐怖のあまり悲鳴をあげてしまった。以降、トンネル関係については完全に沈黙が守られた。



引用は以上。

 地下にひそんでいる恐怖はベトコンだけではない。ネクター・コウモリや黒髭(くろひげ)墓場コウモリは、もともと洞窟や洞穴に棲息している夜行性の動物で、むろんこの人工のトンネルにも棲みついていて、日中はもっぱら眠っているが、侵入者があると起き出してバタバタと闇のなかを飛びまわる。巨大なカニグモもトンネルの住人の一種で、壁一面にびっしり張りついていて、壁自体が波打っているようにうごめいている。もっと数の多いのが、噛まれると焼けるように痛いフシアリである。

 最も安全な方法は、初めは慎重にゆっくり、そして最後のニメートルほどは迅速に降下し、横穴内に少しでも動きがあれば即座に発砲するというやり方である。ただし、縦穴の底には、植え込んだ竹串を小枝や枯れ葉で覆い隠してあるかもしれない。竹串の先端には毒が塗ってあり、こいつは軍靴の底を突き破って足に食い込んだり甲まで突き抜けたりする。しかも先端が釣針の返し状に作られているために、容易に抜き取れない。この竹串に刺されて生命をとりとめた者はほとんどいない。

 縦穴に降りて無事トンネルに入り、腹ばいになって進み出すと、こんどは前途に別の危険がひそんでいる可能性がある。角を曲がるとベトコンが待ち構えているかもしれないし、落とし穴が設けられている場合も多い。落とし穴といってもさまざまであるが、みな極めて巧妙に作られていて、前へ進むには、これらを一つずつ処理していかなければならない。

トンネルに仕掛けられた罠P82

 入口の穴はすべて垂直に掘られていて、まずもってそこに危険があった。足から降りていこうとすると、途中に幾つかある横のトンネルで待ち受けているベトコンに、下半身をさらしてしまう。これ幸いとベトコンは鋭く尖らせた竹槍を腰や下腹部に突き刺し、すばやくトンネルの闇のなかに退いてしまう。瀕死の米兵が地上に引き揚げられても、途中で竹槍の柄が縦穴の壁にあたったり、こすれたりして、毒を塗った槍の先端が臓器や筋肉組織を掻()きまわし、傷つけるため、生き延びる見込みは、まず、ないといってよかった。

 かといって頭から先に降りていくと、こんどは喉元が、竹槍や銃剣や銃弾に貫かれることになる。

写真:穴に入ると鉄串で串刺しにされるリスク

敵司令部の所在P82

 その敵司令部は当時、サイゴン、ティティソ両川の合流する地点すなわち鉄の三角地帯の南端と、カンボジア国境に接するボイロイのジャングルとのあいだのどこかに存在すると信じられていた。敵司令部を捜し出してその首脳部を一掃し、そこに在るに違いない敵の機密情報をつかむこと――それが“トンネルのネズミ”たちに課せられた任務であり、それが達成されればまさに御の字だった。

 敵の司令部は、実際には、サイゴン川上流、ホーボー地区のジャングルの地下にあり、結局最後まで発見されなかった。しかし、作戦ごとにタンクドーザーすなわち“ローマの鋤(すき)“が新しくまたトンネルの入口を掘り当て、″ネズミ″たちがそこから地下の地獄へ侵入して、司令部の所在を捜しまわった。

写真:ベトコンが不発弾を分解して作ったベトコン手榴弾(右)

写真:復元された鍛冶場

写真:当時の武器

写真:ベンディン地下トンネル・エリアの地下道の一部、現在は僅かな照明が施されている。

画像:The Documentary Album of Cu Chi, 1960 – 1975, album No.2,
Nha Xuat Ban Mui Ca Mau, P29

女性砲兵隊

画像:The Documentary Album of Cu Chi, 1960 – 1975, album No.2, Nha Xuat Ban Mui Ca Mau, P40
クチ戦場で解放軍によって破壊された敵軍のタンクM-41 (1968)