生島足島神社(上田市)  2002.2.2
上田の、上の娘の下宿の近くにある神社です。
「いくしまたるしま神社」と読みます。
前を通るたびに気になって仕方ないので、今日立ち寄ってみました。
好みにもよるでしょうが、朱色が鮮やかですね。
お宮でもお寺でも、この朱色の建物がありますが、これは平安時代ころの特徴なのでしょうか?
本来の日本人の好みとは、ちょっと違うような気がしますが、どうなんでしょう……。
そこに立ってるのはウチの娘ね。
ど真ん中に太鼓橋がありますが、なぜかシメ縄と柵で封印されています。
奥に見える屋根が本殿です。
ちょっと妙な感じがしました。
本殿の前に封印された太鼓橋……う〜ん。
これについては、後で面白い話が聞けました。
まるで諸星大二郎作品みたいなお話です。
そこに立ってるのはウチのカミさんね。
これが本殿です。
分かりにくいですが、お宮参りに来ている人が数組いました。
お払いの真っ最中で、賽銭箱の奥に背中が見えますね。
白い垂れ幕は「愛子さん」誕生のお祝いです。
面白いのはこっちです。
太鼓橋の反対側に神楽殿があり、その向こうにもう一つ神殿が見えます。これがなぜか諏訪神社の神殿なのです。
どういうことなのか、お宮の方に聞いてみたところ、面白い答えが返って来ました。
「諏訪神社の神様が新潟から上陸し、諏訪に向かう途中でこの神社に立ち寄ったのです。そのときにお渡りになったのがあの橋(封印されている太鼓橋ね)なのです。
この神社は古くからあるので、諏訪の神様が挨拶をされて行ったのですね」
という事でした。
私はてっきり、ここは諏訪神社の分家みたいなものかと思ったので意外でした。
しかし、諏訪の神様が新潟から上陸したって、どこから来たのだろう?
もっとも、諏訪神社で聞けば、まったく違う話が出てくるかもしれませんね。
面白い事に、この神社には御柱が1本だけ建てられていました。
諏訪神社と同じ御柱なら、本当は四隅に4本建っているはずですが、お宮の人の話では、
「ここの御柱祭りは、諏訪の神様の代理で氏子の人たちが執り行います。そして、建てた後にすぐに倒します」
という事でした。???氏子の人たちが、諏訪の神様の代理で御柱祭りをするの? そして、
「お祭りが終わったら御柱は片付けられ、建ててはおきません。あの1本は見本で残したものなんですよ」
とのこと。う〜ん、御柱の見本とな!
神話の世界というのは、面白いものですね〜。
戻る
次へ