 |
ヒスイ垂飾り 集落の中央広場を囲むように数十基の墓壙が環状に分布していた。この墓壙からは骨などの遺骨は確認されない、八ヶ岳の火山土は酸性が強く溶解して土に早くかえってしまうのだ。通常では殆ど遺物はないがそのうちの4基から1点づつ4点のヒスイが出土した。県内の発掘資料としては最大クラスに相当し、9.9pと大形の垂飾りだった。これを持つ人物とはいったいどんな人物だったのだろうか。この石に当時穴をあける作業を考えると気が遠くなる。これは遠く姫川から加工され運ばれてきたものと推測されます。
|
 |
顔面把手(顔面装飾付土器) このくらいの物は集落規模からして当然出ると思っていたがやっぱり出土した。この辺の縄文中期の特徴的な深鉢の把手で造形も素晴らしい優品でした。
|
 |
顔面把手(顔面装飾付土器) これも上の深鉢の把手部と同様で人面装飾付土器と呼ばれている。
|
 |
有孔鍔付土器 有孔鍔付樽形土器とも呼ばれこの中部高地からはこの類の土器がたくさん出土している。用途に付いては、諸説あり蒸し器、酒造り容器、打楽器・・・何に使ったのか解らないけど尖石考古館に数年前、革を張った有孔鍔付土器があり、叩いてみたら澄んだステキな音が響き渡りました。今でも所々に朱の顔料が残っているこの土器はやはり特殊な使われ方をしたのでしょう。パーカッショニストの土取利行氏は縄文鼓と断言して自ら有孔鍔付土器を作って演奏を行っている。早稲田大学で行われた縄文シンポジュームに参加した時、同氏は客員参加していました。しかし演奏に付いてはプライドとこだわりがあり、納得できる舞台環境でなかったためか最後まで傍らの縄文鼓を叩かなかった。残念!機会があったら是非聞きたいと思います。
|
 |
立像土偶 国宝縄文のビーナスと同じタイプを持つこの土偶は中期中頃の住居跡から出土した。手や頭部は欠損していて、高さは約14p。腰は大きくいわゆるデッチリ(出尻)形は当時の標準的特徴をよく表現している。足の裏は両足がくっつき、平らに作られ、立たせることを意識して作っている立像土偶である。それにしてもこの土偶いったい何に使われたのだろう。最近の報告では人間や女性を意味したので無く、生命を生み出す精霊や神の偶像として女性の特徴を表現したのではないかとも言われています。ですから土偶は前記のようなムラの子孫繁栄、大地の豊穣性を祈るものや、病気(悪霊)と戦う土偶等色々な意味を持つ土偶が数体作られてマツリに使われ、豊穣の神、悪霊払いの神等諸神を土偶に降臨させて壊した。神の宿った破片は近隣のムラの代表者が持ち帰りムラの土に埋葬し、その土地に部族の安泰と豊穣の神が再生して宿り、人々の暮らしが平穏でより豊かになる事を祈念した・・・。という考え方もあります。乳幼児の死亡率も高かったであろう時代です赤ちゃん顔の土偶もありますから健康で再び生まれてくることを祈願したことも考えられます。ですから、これはどの土偶にも役割が共通するというのでなく、色々な役割(個性)を持って作られたのではないかという思いを前提に、私が勝手に連想したものです。そう解釈すれば謎は多いにしてもどの様な土偶でも、どの時代の土偶についてもなんとか説明が付きそうな気もします。私の思うような簡単なことでは片ずけられないことでしょうが、縄文人は現代に謎とロマンを与えてくれました。数千年続いた習慣です、難しく考えなくても両手を合わせる心があれば答えは案外私達の足下にあるような気がします。
|
 |
容器を抱える土偶 ちょっと見ただけではただの土器、しかしよくある壷を持つ土偶とは少し違い、この土偶は容器と一体化していて数ある土偶の中でもこのタイプは希少品である今後の土偶研究に一石を投じるものであろう。壷を抱える土器といえば、私が縄文土器の中で一番気に入っている井戸尻考古館の神像深鉢(当HPの土器土偶参照)である、左の写真の土偶はこの土器と形状は違うものの意味するものは驚くほど酷似している。土偶の背中も神像深鉢と同じ形で、これと同じ背中を持つメジャーな土偶に東京国立博物館所蔵(山梨県上黒駒遺跡出土)の猫顔の土偶がある。(注・・縄文時代猫は確認されていません) 井戸尻考古館の神像深鉢と形態は酷似しているので容器として捕らえることもできるが、腕が独立して付いていた痕跡がはっきりあるのでやはり土偶なのだろう。言葉を変えれば間の子(ハーフ アンド ハーフ)である。 この土偶の背中や壷の内面にはベンガラと思われる顔料が塗布された痕が一部残っています、腕部は破損してますが大切そうに抱えた壷にはいったい何を入れたのでしょうか。 尚、後ろに見える土器は冒頭の顔面把手裏面です。
|
 |
三つ編みのある土偶 一昔前まで縄文人は野性的で粗野なイメージがあった、しかし最近はお洒落でグルメな縄文人と言われる様になってきた。この土偶の髪形を見るとはっきり三つ編みが確認できる、三つ編みの土偶といえば塩尻市の平出考古館にも一体ある、当時の女性も単純な髪型だけでなく色々工夫してヘアーファッションを楽しんでいたことがよく判る。
|
 |
釣手土器 壊れていたのは残念だけどやっぱり出てきた。縄文のランプである。この類の土器は縄文中期に長野県から山梨県にかけた中部高地一帯で突然現れたもので、国内でも出土例は非常に少なくまだ200例程度しかない。しかも中期中葉から後葉という限られた期間に作られ消えていった特殊で不思議な土器なのである。
|