長峯風景

遥かなる縄文の時代、千数百年に亘りこの台地に人々の暮らしがあった。2001年 ここは5m程掘り下げ田畑ができる。人間の歴史は創造と破壊の歴史と人は言うけれど・・・・・。


       やがて平らに

この斜面下より縄文後期の遺跡が確認された。ここも5m程掘り下げられ、やがて平らに整地される。

       破壊を待つ遺跡

開発(破壊)の爪あとは痛々しい。ここからは火砕流、泥炭層、ローム層等確認された、直上の破壊を待つ遺跡は、現代社会の危うさを2重写ししているかのようでもある。

   せめて

     この炉だけでも

            この地に生活の証を

2001年1月13日緊急発掘調査は全て終了した。発掘された穴は風雪寒暖の繰り返しにより脆くなり人間の生活の痕跡は悉く風化していく。
せめてこの炉だけでもこの地の傍らに生活の証として未来に残したい、しかしその目途は今だ立っていない。炉一つ残せない程人間はこの土地を有効利用しているとは思い難いのだが・・・・。
   (黒土を剥がし炉石を抜き去った住居址)

       消えた聖石遺跡

長峯遺跡とほぼ接するように地続きでこの台地の延長上に、ほぼ同じ時代の聖石遺跡があった。しかし今ではその姿を想像する痕跡すらない。美しく整地された耕地は黙ったまま何も語らない。

      大規模な土木工事跡

今は既に無い聖石(ひじりいし)遺跡縄文後期の石囲い住居跡。ここは台地の南斜面で、この住居は斜面中腹に9回建替えられた跡が確認されました。驚いたことに県内最大級と言える大規模な土木工事跡が見つかりそれは斜面の高い方を削り、その土を低い方に盛り土して斜面を平らにし、そこへ沢から石を大量に運び上げ、敷き石住居や石囲い住居が建てられていました。この様な工事は県内でも数例確認されているだけで大変重要な発見だったのです。未来に絶対残したい遺跡でした。


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