4. マロコ − 1 |
出典 |
父 |
生母 |
事項 |
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安 閑 |
継体紀 |
継 体 |
目子媛 |
勾大兄皇子 |
椀子皇子 |
継体紀 |
継 体 |
「三尾君堅楲女曰、倭媛」(継体紀) |
生母の長男 |
上殖葉皇子 |
宣化紀に「上殖葉皇子、亦名椀子」 |
宣 化 |
橘仲皇女 |
宣化紀では生母の長男 |
椀子皇子 |
欽明紀 |
欽 明 |
堅塩媛 |
堅塩媛の三男 |
橘麻呂皇子 |
欽明紀 |
欽 明 |
「春日日抓臣女曰糠子」(欽明紀) |
生母の長男。姉春日山田皇女 |
押坂彦人大兄 |
敏達紀に「押坂彦人大兄皇子〈更名、麻呂古皇子〉」 |
敏 達 |
広 姫 |
生母の長男(姉なし) |
麻呂子皇子 |
用明紀 |
用 明 |
「葛城直磐村女広子」(用明紀) |
当摩皇子(推古11年の「征新羅将軍」) |
麻呂古王 |
帝説に「麻呂古王」 |
廐 戸 |
「膳部加多夫古臣女子名菩岐ゝ美郎女」(帝説) |
雑勘文所引上宮記に「兄伊等斯古王」「弟麻里古王」「次馬屋女王」、3人の総称が「三枝王」ともとれる記載が |
難波麻呂古王 |
帝説のみに「難波麻呂古王」 |
山背大兄 |
「舂米王」(帝説) |
雑勘文所引上宮記では「難波王」のみ |
麻呂古王 |
帝説に「麻呂古王」 |
山背大兄 |
「舂米王」(帝説、雑勘文所引上宮記とも) |
雑勘文所引上宮記では「難波王」のすぐ下 |
武光誠さんの『聖徳太子』の図に示されている廐戸と菩岐岐美郎女の子の「麻呂古王」や、山背大兄と舂米女王の子の「難波麻呂古王」「麻呂古王」などは記紀には見えない名です。繰り返しになるかもしれませんが、記紀は即位しなかった廐戸の后妃やその所生子を掲載しません。膳氏出身の菩岐岐美郎女や蘇我馬子の娘の刀自古郎女の名は記紀でなく『上宮聖徳法王帝説』や『聖徳太子平氏伝雑勘文』所引の『上宮記』逸文などに見えています。敏達と推古の長女の菟道貝鮹皇女(うぢのかひだこのひめみこ)が廐戸の配偶者だったことは敏達紀の菟道貝鮹皇女の説明に見えているのですが、いっぽう廐戸と貝鮹の間には子がなかったらしく『上宮聖徳法王帝説』や『上宮記』逸文には貝鮹の名は見えません。こういった事実から逆に「帝紀」といったものの性格も推測できるのかもしれませんが、それはとりあえず置いて、『上宮聖徳法王帝説』・『上宮記』逸文に見えるマロコについても見ておきたく思います(以下は日本思想大系『聖徳太子集』所収「上宮聖徳法王帝説」の家永三郎さんの補注等によりました)。 |