直径 (π) 高さ (H) 重さ (W) 容量 (CC)
 碗 93π 60mm 66g 160cc
 皿 132π 22mm 71g 120cc


オールドニッポン
伊万里焼 田代1856年頃

松村九助が起業した「田代商店」は
1900年パリ万博に出品
1904年セントルイス万博で銀賞
1910年日英博覧会で金賞
日本に関する催しでは20世紀初頭ヨーロッパ最大の催しだった日英万博で最高栄誉を手にします。



1902年が日英同盟ですから古いですよねえ。田代は有田港輸出物の田代と名古屋港・横浜港輸出の田代商店があるそうです。絵付けの薔薇は濃淡が素晴らしく一流の陶工が作ったものとすぐに判ります。

カップ裏の陶印


カップ底あたりは普段は見えない所です、どっぷりと金彩があります。「田代」のみの裏印は見かけますが、四角に赤バック田代はそんなに見かけませんねえ。有田なのか、名古屋なのかもう少々お時間を頂きたいと思います。

ソーサー裏の陶印


家にあったものなので有田の「田代」かも知れません。名古屋田代はもう少し派手で一珍、多色柄の作風で、これは古典的有田の作風に近いようです。バックを全て金で塗り潰し豪華で大胆、薔薇の絵付け、花びらの繊細表現に感嘆してしまいます。


1841年 久富与次兵衛 「蔵春亭」
1856年 田代紋左衛門 「肥碟山信甫」。アメリカ総領事ハリスが来日し「日米通商条約」が結ばれた頃。この時期の作品と思われます。その後、鍋島家家臣であった「田代家」による貿易独占は1868年深川家などにも許可されて、日本の輸出高に貢献していきます。弟の田代慶右衛門が長崎、横浜支店を任されます。

この時期の輸出用カップが日本における最古のCUPでしょうか。当然国内にはあまり無く、珈琲も紅茶も一般的ではない時期です。

1400年頃のエジプトの珈琲器具が最古ですが、イギリスのロイヤルウースター釜の設立が1751年、1650年にイギリス・オックスフォードで喫茶店が開業するので、1650~1751年の間の飲用CUPは、ヨーロッパでは作れませんね。

ドイツ・マイセン窯の設立が1709年ですが珈琲の伝播はイギリスよりも遅く、CUP製造は1770年代と思われます。

丁度、中国が輸出禁止をしていた時期と重なりますので中国製でもなさそうです。1650~1751年の間の飲用CUPは日本製だったのでしょうか。