以前の「ひとこと」 : 2002年3月前半
3月1日(金) 乾燥に強い植物の研究
理化学研究所のプレスリリースを見ていたら、“植物の乾燥ストレス耐性が向上する新しい技術を開発”という発表が載っていました。
植物の種子というのは、大変長い時間に渡って休眠することができるものがあります。以前も例えば数百年前の種子を発芽させて花を咲かせることに成功した、などというニュースがありました。 この研究は、種子が乾燥する時にできる物質を調べて、その物質を作り出す遺伝子をたくさん増やすことによって、乾燥に強い植物を作り出した、というものです。
実に夢のある、すばらしい研究だと思います。発表を見る限りでは、危険性は極めて低いように思えます。 とりあえず直接・間接の食料生産用の農作物としてはともかく、沙漠の緑化等に使われる技術として、今後に期待したいです。
余談ですが、さばくというのは、“砂漠”という字と“沙漠”という字があります。 「さばく」というと、風によって作られる三日月型の砂の丘の連なる風景を連想しますが、本当は「水の少ない荒地」という意味なので、水を表すさんずいに少ないという字を用いる沙漠がより正確なんだそうですね。で、沙漠にもいろいろあって、「砂沙漠(すなさばく)」とか「岩石沙漠(がんせきさばく)」とかいう分類がされるんだそうです。「砂漠」という表記はそのあたりがあいまいでよろしくない、と地理の先生に言われたことがあります。
<おまけのひとこと>
久しぶりに糖類の6員環の構造式を見て、CGで分子模型とか作ってみたくなりました。
3月2日(土) K.SAITO's official website
K.SATOH's official websiteというページをみつけました。有機化学美術館とか、折り紙のページとか、余談の森とか、大変面白い内容がたくさんあります。
折り紙のページの中で紹介されていた5つの正四面体が組み合わさった立体については、こちらのFive Intersecting Tetrahedraというページに作り方が紹介されているという情報が載っていました。これ、とても作ってみたいですね。
有機化学美術館にも、面白い話や美しい分子モデルの画像がたくさん載っています。大変お勧めです。
<おまけのひとこと>
だいぶ暖かくなってきました。年度末は仕事が忙しくて大変です。いろいろな仕事の期限が繰り上がることがわかって、この週末は仕事です。
3月3日(日) 18世紀の組曲(3重奏)
18世紀の作者不詳の組曲を見つけたので、先週末にmidiデータにしてみました。 1曲目、 2曲目、 3曲目、 4曲目 の4つの小曲が集まって1つの組曲になっています。いずれも演奏時間が1分にも満たない小さな曲で、ファイルサイズもそれぞれ2kbyteにもなりません。(楽譜化する都合上、別ファイルにしています。) 同じような組曲がまだ3つほどあって、それも楽譜化したいと思っていますが、いつになることやら…。
<おまけのひとこと>
今日は忙しいのでこれだけしか更新できません。
3月4日(月) クロッカス
今年は暖かいです。例年だとこの時期には庭には福寿草くらいしか咲いていないのに、今年は2月下旬からクロッカスが咲き始めました。 さっそくミツバチが10匹くらいやってきていました。
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庭のクロッカス今朝は晴れていますが、またちょっと温度が下がっていて、マイナス5度くらいでした。クロッカスはみんなしっかりつぼみを閉じていました。 これで凍ってしまわないところが偉いところです。
<おまけのひとこと>
昨夜、家族がちょうど1週間だけ飾っておいた雛人形を片付けました。(私は雛壇だけを担当)
3月5日(火) メタル風たのしいおんがく
エレキギターの面白いサイトを2つほど見つけました。
1つめはメタル風たのしいおんがくというページです。「ドナドナ」「峠の我が家」「大きな古時計」など、小中学生のころの音楽の教科書などに載っていた曲をヘビーメタル風ギターサウンドで演奏しているというところです。(演奏は、リアルプレーヤをインストールしないと聴けません。)
NHKに、「ハッチポッチステーション」という子供向けの番組があります。グッチ裕三さんというタレントの番組なのですが、そのなかでグッチ氏が、往年のエルビス・プレスリーのような扮装でエレキギターで童謡を演奏するコーナーがあります。 子供たちにもその面白おかしさは通じるようです。 「メタル風たのしいおんがく」の曲も、このグッチ裕三氏の演奏を彷彿とさせる雰囲気で、とても楽しいです。
音楽や美術の世界では、昔からよそのジャンルの手法やアイディアを導入することによって表現の幅を広げるということが盛んに行われています。 例えば私の好きなバッハにしても、フランスやイタリアの音楽を学んで取り入れていますし、まるごとそっくり自分で編曲してみたりもしています。 私はエレキギターは弾いたことがありませんが、きっとこういうのを演奏すると楽しいんだろうな、とは思います。
もう1つのサイトは、・・・時間がないのでまた明日ご紹介します。
<おまけのひとこと>
下の子から、「とっくのむかしに」という慣用句について質問されました。 絵本を読んでいたら「きかんし(機関士)はとっくのむかしにとびおりていました」と書いてあった、ついさっきまで乗っていて昔じゃないのに、なんで「とっくのむかし」と言うんだ、と尋ねるのです。 説明したらこのフレーズが気に入ったらしく、何かと言うと「とっくのむかしに」と言っています。
3月6日(水) the速弾き
昨日に引き続いて、エレキギターの面白いサイトのご紹介です。
罪つくりなほど妖艶に…というなんだかすごいタイトルのページがあって、その中にthe速弾き ─ play speedy ─ というコーナーがあります。 バッハのインベンションや無伴奏チェロ組曲の曲をエレキギターで演奏されていて、非常に楽しく聴かせていただきました。
無伴奏チェロ組曲は、例えば5番をバッハ自身がリュート組曲(3番)という別の演奏形態に編曲したりしています。チェロとリュートというのは同じ弦楽器の仲間ではありますが、かたや弓で弦を「こすって」音を鳴らすのに対して、もう一方は指で弦を「はじいて」音を鳴らします。 この2つの違いは極めて大きくて、チェロならば1つの音符の中でクレッシェンドをかけたり、微妙なビブラートをかけたりすることができますが、ギターの祖先であるリュートでは、1回弦をはじいたらあとは音は自然に減衰して行くか、あるタイミングで手で押さえて振動を止めるくらいしか基本的には制御できません。
この辺の事情はピアノも一緒です。ピアノも、例えば両手で和音をがーんと鳴らしたら、その和音を押さえている手にいくら力を加えても、鳴り始めた音の音量を大きくする事はできません。確かベートーベンのソナタだったかのピアノ曲に、和音にクレッシェンドが指示されている楽譜があったような気がするのですが、これは心情的にはともかく、物理的には楽器の原理上不可能な指定です。
そのかわりリュートやギターは、同時に弦の数だけ(というか、はじく方の手の指の数だけ)の音を鳴らすことができます。例えばバッハのリュート組曲1番のプレリュードの後半は大変見事な4声のフーガなのですが、ほとんど常に3つ以上の音が同時に鳴っています。 ギター用に編曲された楽譜を何種類か持っているのですが、例えば私のような練習不足の素人が弾くと単に和音が並んでいるだけのように聞こえてしまうのに、まっとうな演奏だとちゃんと各声部の音量やタッチが違っていて、複数の声部がからみあうフーガとして聞こえるのです。 曲自身がまずすばらしいのですが、これを一人で、1本のギターで弾けるのか、ととても感動します。
話が横道にそれましたが、バッハはこんな風に全然原理の違う楽器でおなじ音楽を演奏してみているのです。エレキギターを弾かれる方が、この音楽に感動し、自分の楽器で演奏して公開されているということにとても共感を覚えます。
上記のページには、ほかにもクラシックというところで、飾らない言葉でクラシック音楽を勧めていたり、いろいろ楽しい話がたくさん載っていました。
<おまけのひとこと>
模型屋さんのイマイが業務停止なのですね。昔、帆船のプラモデルとかをいくつも作っていたことを思い出します。ついつい糸を強く張りすぎてマストがゆがんでしまったり、何日もかけてやっと出来あがったものを喜んでテレビの上に飾ったら翌日落として壊してしまったり、イマイの模型にはいろいろお世話になりました。
最近はオモチャ屋さんとかに行ってもプラモデルのコーナーはとても狭くなっています。プラモデルの製作には金型が必要です。オモチャ用といっても金型は高いですから(例えばこんなページにあるようにどんなに安くても数百万円のオーダーでしょう)、金型代だけでも償却するためには、千円のプラモデルが一万個売れないと元がとれないわけです。
今でも実家に帰ると、自転車のプラモデルと帆船のプラモデルを1つずつ、手付かずのパッケージのまま作らないでとってあります。(確か帆船のほうはイマイだったと思う。)
3月7日(木) 緩降機
昨日、避難訓練で屋上から降りる機械を体験しました。緩降機(かんこうき)というのだそうです。滑車にロープが掛かっており、そのロープの両端に胴体が抜けないように締付ける器具がついています。そのままだと自由落下してしまうので、滑車の部分にブレーキがついていて、ある速度以上ではロープが動かないようになっています。両端に胴体固定器具がついているのは、もちろん同時に二人が降りられるわけではなくて、交互に使うことによってロープを巻き上げる時間を節約するためです。
ぜひ見学してくださいという呼びかけに応じて、職場で5人くらいで見に行きました。誰かやってみたいひとはぜひこの機会に体験してみてくださいと言われたので、やってみたかった私は名乗り出てやらせてもらいました。私は5人目くらいだったようです。
最初に胴体を固定するときには当然ロープは緩んでいますから、最初に飛び降りた直後だけは自由落下になります。万一器具に不備があったら、とかつい考えてしまって、正直言ってさすがに飛び降りる瞬間はちょっと恐怖感を感じました。 しかし、いざ下り始めると不安な事は何もありませんでした。実際の避難のときには一刻を争うわけですから、むしろもう少し下降速度が速くてもよいのではないかと思いました。
下降しながら職場の人達が見ていてくれるかな、と見上げてみると、知っている顔が見当たりません。下降が終わって緩降機のところに戻ってみたら、誰もいませんでした。緩降機の上で指導していた安全管理の人に聞いてみたら、「あなたが降り始めるを見た途端、みんな職場に逃げ帰ってしまった」そうです。みんな冷たいです。
<おまけのひとこと>
実は、必要以上に手に力が入っていたようで、職場に戻ったら手が震えていました。 その上、訓練を見学に行く直前まで一生懸命考えていた事が、全部頭から抜けてしまいました。
3月8日(金) 「デザイナーベビー」問題
HotWiredを見ていたら、“クローン人間以上に切迫した「デザイナーベビー」の問題” という記事がありました。 この記事によると、デザイナーベビーというのは、受精卵の段階で遺伝子を調べて望ましい遺伝特性を持った子供を選択的に産むことのようです。この記事で主張している問題というのは、ひとことで言うと
「貧乏人は恐ろしい遺伝子病を持った子どもを産むかもしれないのに、金持ちだけはそれを回避できるなんて不公平だ」ということだと思いました。それはもちろんそうなんですが、ではコストの問題さえ解決されたら、こういった「遺伝的な特性のデザイン」ということをしても何の問題もないのでしょうか?
自分の産まれた家の職業や階級を受け継ぐ事が当然で、それ以外の選択肢はあり得ない時代がありました。そんな時代と比べれば、今は職業は流動的になっています。 とはいえ誰でも本当になりたいものなれるわけではなくて、経済状況や家庭環境やそれに起因する教育などによって、「恵まれた人ほど選択肢が広い」し、特殊な職業ほど二世が多いように思います。
遺伝特性に関しても、選別できるのが当たり前、ただし恵まれた人ほど選択肢が広い、という時代が来るのでしょうか。
<おまけのひとこと>
自分の子供が遺伝的疾患を持っていたらとても悲しい、というところまでは共感できますが、では選別してよいかというと返答に困ります。
3月9日(土) 王冠
先日ご紹介したK.SATOH's official webpageの「余談の森」のコーナーに、ビールの王冠のぎざぎざの数が決まっているという話が出ていました。たまたま夕べは仕事の〆切のいくつかをクリアしたので、つい嬉しくなってビールを2本飲んだため王冠が2個ありました。そこで、子供たちに1つずつ王冠を渡して、ぎざぎざがいくつあるか数えてごらんと言ってみました。
上の子が24個、下の子が20個と答えました。どっちも違うけど、20個の方が近いから20個の勝ち、と言ったら上の子がむくれてしまいました。もう1回数えてごらんと言っても、「何回数えても24だ」と言い張ります。仕方がないので一緒に数えて納得させました。王冠を裏返しに固定しておいて、数え始めの場所をマークしておきます。王冠の中に鉛筆の先のような細い棒を入れて、ぎざぎざのふちをなぞりながら「がくん・がくん」とぎざぎざ1つずつを数えて行きました。
こういう数え方は、ガリレオ・ガリレイが「ちいさなはかり」という論文の中で記述している方法です。ガリレオは、天秤ばかりのさおの錘(おもり)の位置を変えることによって、精密な測定をしようとしました。そのため、さおに針金をきっちり巻き付けて、針金の幅で何本分のところに錘が下がっているかを数える事によって、錘の位置を正確に測ろうとしたのです。
さて、ぎっちり巻いた針金のコイルの途中までの巻き数をどうやって正確に数えたらいいでしょう? ガリレオは、とがったペン先をコイルに当てて、それを滑らせながら、かたん・かたんという音と手応えを感じながら数えれば間違えなく数えられると説明しています。
たとえば、使用前のホッチキスの針がコの字型に繋がっているものがありますが、あれをばらばらにせずに針の数を数えてみるような場合、この手法が極めて有効です。
ちなみにこのガリレオの「ちいさなはかり」という論文は、アルキメデスが純金の王冠の内部に銀が使われいるかどうかを王冠を壊さずに調べる方法を発見した話を元に書かれているものです。ガリレオのはかりは、すりかえられた金の比率を正確に見積もるもので、そのための目盛の部分がこの針金コイルなのです。
…王冠の話に戻りました。
<おまけのひとこと>
アルキメデスの原理に関しては、こんなページがありました。
3月10日(日) 五重奏
久々にリコーダーアンサンブルで五重奏をしてきました。下の楽譜のようなほんの数小節のこんな曲(MIDI:1kbyte)を何曲か小手調べに持っていったのですが、そんな心配も無く、後半はかなり難易度の高い曲を初見で合わせて面白かったです。
ミサ曲ロ短調冒頭(を転調したもの)<おまけのひとこと>
楽器にもよりますが、アンサンブルは3本か4本までが一番好きです。
3月11日(月) 本
最近読んだ若い人向けの本から。どちらも図書館で借りたものです。
『─カフェ・かもめ亭─ささやかな魔法の物語』 村山早紀・作 ポプラ社 1,200円 2001年12月初版(ISBN4-591-06893-5)。妻が借りてきたのですが、「陸奥A子のような話を期待したら、花郁悠紀子みたいだった」というものです。私は気に入りました。 (このたとえで判る方は少ないでしょうかね。)
『ネコのグリシーをさがしたら…』 メアリー・フランシス・シューラ 作 徳間書店 1,300円 1994年初版(ISBN4-19-860141-0)。 小学校という環境のよいところ、わるいところを思い出させる話でした。ここに出てくる先生がとてもすばらしいです。
<おまけのひとこと>
週末は忙しくて更新できませんでした。今週もまた仕事の〆切が2つほどあって、とても忙しいです。
3月12日(火) スズメ
スズメを殺してしまいました。
昨夜家に帰ってきたら、台所の換気扇のところでがさがさ音がする、と家族が言っています。うちの台所は2階にあるので、庭から懐中電灯で照らしてみても、よくわかりません。室内側のカバーを外そうと思ったのですが、大変だし、ほこりなどで汚れるし、何か(鳥とか)が飛び出してきてもこわいから、明日にしてほしいと言われました。
今朝はやく、家族が寝ている間にさっそく調べてみました。かすかに生き物の気配がします。台所のカウンターの窓から半身を乗り出すと、かろうじて外の換気扇のフードに届きます。(2階のカウンターの高さの窓なので、はるか下の地面まではとても高さがあります。)換気扇の外側のシャッターが下りていて、それで外へ逃げ出せないらしいので、割り箸を折ってつっかえ棒を作って出口を作りました。
これで出口は確保したので、あとは外へ追い出すだけです。内側から様子を探っているうちに、間違って換気扇をちょっとまわしてしまいました。すると、「がたっ、ぱさぱさぱさ」という音がして、静かになりました。なんと鳥は換気扇のファンの室内側まで入りこんでしまっていたのでした。
内側のカバーを外すと、スズメが死んでいました。外傷はありませんでした。最初からこのカバーを外していたら助けてやれた可能性が高かったと思うと、自分の戦略のまずさに強い自責の念にかられています。
<おまけのひとこと>
まあよかったことは、自分が2階から落ちなかったことと、子供たちが寝ている間に全て終わっていたことです。
3月13日(水) NASAの天文写真
NSSDC Photo Galleryというページをみつけました。このページの左側のところに、Planetary(惑星) というリストがあって、地球や月(月は衛星ですが)を含む太陽系の惑星の写真のページへのリンクが並んでいます。 この中では火星(Mars)のページが気に入りました。
NSSDCというのは、アメリカの National Space Science Data Center(国立宇宙科学データセンター)の略なのだそうです。ちなみに、日本の国立天文台のページはこちらです。月の写真に関しては、日本の国立天文台のページ(こちら)のギャラリーの方が充実していました。
<おまけのひとこと>
天文写真も気に入ったものは印刷して飾りたくなります。
3月14日(木) アジアの新聞
最近、中国や韓国の新聞社の日本語のページを見るようになりました(人民日報とか、中央日報とかです)。 記事としてとりあげる内容や視点が日本のマスコミとは違っているものがあって、興味深いです。
面白い記事では、たとえば早すぎる恋愛に注意とか、メタルフレームの眼鏡をかけた人は携帯電話に注意なんていうものがありました。前者はアメリカ、後者はイギリスの研究成果をレポートした記事です。 研究の結論の信頼性は元の論文にあたってみないとわかりませんけれども、少なくとも日本のマスコミでは絶対取り上げないだろうな、という内容です。
韓国の中央日報にも面白いものがあります。例えば最近の再び傲慢になった韓国人というコラムでは「日本危機説を加速化する張本人は日本のメディアだ。」などと断定しています。
インターネットの世界というのは、画一的でない面白い意見がいろいろ読めて楽しいです。最近読んだもので面白かったのは、作家の宮崎学氏のこことかここ、坂田靖子さんのSpyTheDesk 2002.3.12(ここは多分すぐ過去のページに移動すると思いますが)などです。いずれも最近話題の鈴木宗男氏に関する報道に対する意見を書かれているのですが、新聞等の論調とは違った視点を感じます。
<おまけのひとこと>
朝日新聞に温暖化対策できます? テレビ我慢、家族は同じ部屋…という記事がありました。こんな記事を見るとなんだかんだ言って日本は豊かなんだなあと思います。
3月15日(金) 耳は目にだまされる
朝日新聞のサイトに、耳は目にだまされる 都立大グループが英誌に論文という記事が紹介されていました。 だんだん大きくなる図形を見た直後に聞いた一定の音量の音が、だんだん大きくなるように聞こえてしまうという実験です。「ネイチャー」に掲載されるということなので、評価された研究なのだろうと思います。(失礼ながら新聞記事を読んだ範囲では、こんな実験がまだ新規性があったのかと驚きました。もうちょっとすごいことをやっているんじゃないでしょうか?)
こういった「目と耳に矛盾した情報を与えるとどうなるか」という実験は他にも有名なものがいくつかあります。今回の例では音量による距離の問題でしたが、「音がどちらから聞こえるか」という方向知覚においても、視覚の優位性が示されています。
例えば、自分をぐるっと取り巻くようにスピーカーをぎっしり並べておいて、そのうちのどれか1つだけから音を出すのと同時にそれぞれのスピーカーの上に取りつけられたランプを1つ点灯させます。音を出すスピーカーとランプを点けるスピーカーをずらすと、ランプが点いたスピーカーから音が出ているような錯覚が生ずるのだそうです。
もちろん、全然違う方向で音が鳴ったらダメです。個人差もありますが、差が約30度以内であれば目からの情報が勝ってしまうそうです。
もう少し複雑な例が「マガーク効果」と呼ばれるものです。これは、耳から聞こえる人間の発音の聞こえが、目から入ってくる唇の動きの情報によって変わってしまうというものです。例えば、下の表のように、[ba]という音を聞かせながら、[ga]と発音している口元の動きの動画像を見せると、被験者のほとんどが[da]と聞こえたと回答するというのです。
実際の音 見せる動画像 聞こえ [ba] [ga] [da] [na] [pa] [ta] これは単に目からの情報が勝ったということではなく、新しい認識結果が導かれるという点でとても面白いです。ただ、日本語の場合は相手の口の動きを注視することが比較的少なく、耳からの情報に頼りやすいため、この効果は弱いという研究もあるようです。
<おまけのひとこと>
読売新聞のサイトに、尖閣諸島・北小島に第3のアホウドリ繁殖地見つかるという記事が載っていました。鳥の好きな私は、この記事の、アホウドリの研究で有名な長谷川博先生を個人的に応援しています。