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記念写真
記念の写真だ〜!
2001.10.27 長野ビッグハット
当日の曲目リストに載らなかったその曲を、浜田省吾はさりげなくギターを弾きながら歌った。
数年前からコンサートのたびに聴きたいと思っていた曲。フルコーラスではなかったけど、今日の私たちのためにあるような、この曲。
食べることも寝ることもままならなかった、子育て。言葉さえ喋れない小さな二人に振り回されて、髪をとかすこともおしゃれすることも忘れて、今が何時で今日が何日なのかさえ、わからない毎日。それは一生続くようにも思え、出口の見えないことへの焦りと苛立ち。私の人生はこのまま終っていくようにさえ感じていた日々。
その曲のように、今夜は子供達を預けて、初めて二人で出かけてきた。出会って15年、その半分の結婚生活。人生ってこんなに大変なんだ…と思うくらい、私たちの間には色んな事が起きた。
たくさんの人たちに祝福されてスタートした生活が、常に幸せではないことを私達は気づかなかった。
ちょっとした小さな出来事がどんどん積み重なって、気がつくと言葉が出なくなり、ため息が溢れていた。
相手の言葉に耳を傾けることさえ億劫になって、視線を合わさなくなり、たまに言葉が出るとすれば、愚痴や不満だらけ…。
一番大事で、一番かけがえのないはずの存在…それはずっとずっと昔のこと。

20年…浜田省吾という存在を知って、あっという間にそれだけの年月が過ぎた。
長野・松本でコンサートがあるたびに、必死でチケットを取っていた10代。
恋愛も大事だけど、やっぱり省吾…そんな20代前半に出会った私たち。
彼は浜田省吾を知らなかった。無理矢理私に誘われるままについてきたのは、長野でのコンサート、J・BOYの頃。
15年前のあの日演奏された同じ曲が始まった。『…皆も大きくなって…』やや親父系のギャグに続いて始まった曲。
あの日彼はこの曲で涙した。そして何年後かの約束の日、この曲は彼の車のカセットから繰り返し流れていた。
以来、私たちのメモリアルテーマともいえる存在になった。
昔の若かった頃のちょっと甘酸っぱい思い出が蘇って来て、改めて流れた年月の長さを感じた。

つないだ手が離れることは一生ないと思っていた。でもあっさり手はほどけてしまった。
その代わり小さな手が二人分、私たちの間に入ってきた。初めは握ったらそのまま潰れてしまいそうな位弱々しかったその手。
何かにすがるように私たちの手を離さなかった小さな手。
だんだんと大きくなってしっかりしてきてその手は、私たちの手がなくても自分の足で立ち、自分で考え行動するようにまでなった。
完璧に小さな手は、私たちから離れたわけではない。でも離していても大丈夫な時間が少しずつ増えてきた。
『たまには二人だけで出かけてもいいんじゃない?』思い切って彼に話した。
二人ではじめた生活は必ずしも理想どおりではなかった。小さなすれ違いがいっぱいあった。固かった絆がほころび始めていた。
そんな現状を打開したかった…。

Showは3時間半にも及ぶものだった。様々な曲が時に現実を突きつけ、時に懐かしい感情を揺さぶったりもした。
そしてアンコールの中で、その曲は思いがけず歌われた。MCの合間にさりげなく。
小さな悲鳴とともに涙と汗で顔がぐしゃぐしゃになってしまった。
その曲に対し彼は『そのとおり』と叫んだ。本心なのかはたまた単なる気まぐれなのか…?真意はわからない。でも、そうであって欲しかったし、私自身がそうありたかった。
ステージの上で浜田省吾は微笑んでくれた。

紅葉が盛りの季節の夜は、予想以上に風が冷たかった。時々手をつないでいても何故かやっぱりほどけてしまう。
昔みたいに歩調も合わない。
時々もう100年くらい結婚しているような錯覚に陥る。そのくらいめまぐるしく日々はうつろっていく。
忙しさにまぎれて、思いやりが何処かへ行ってしまう。伝えたいはずの言葉が置き去りになってしまう。
後悔と葛藤を繰りかえしながら、それでも多分これからもずっと二人で歩いていく。
今夜みたいにどっちかが遅れたり先に行ってしまったりしながら。時々は手を携えながら。
一番大事で一番かけがえのない存在…は、だからこそ余計にわがままになってぶつかって時々思いっきり嫌いになる存在になってしまう。
お互いにお互いが『帰る場所』になれるように、そのために私たちのこれからはある…。
あと何年かかるか判らないけど、いつか今日までを振り返った時にちゃんと笑って話せるように。
またいつか二人で浜田省吾に逢いに来られるように。