2002.1.10 AT 武道館 |
『浜田省吾20年ぶりの武道館ライブ』…翌日の新聞にはそんな記事が載っていた。 20年前、私は何処にでもいる女子高校生だった。自分に自信がなくて引っ込み思案で、ゴクゴク少数の気の合った友人とだけ仲良くしている…そんな女の子だった。そんな私が偶然浜田省吾を知った。大げさかもしれないけれど、そこから人生が大きく変わった気がする。 雪の二月、初めて友人と浜田省吾のコンサートへ行った。 松本社会文化会館。浅間温泉のそばで固定の椅子がなくパイプ椅子がずらっと並んでいた。サングラスの男はそこのステージに立っていた。ロックスターにありがちな、わがままで勘違い野郎なのかと内心思っていた。でも違う、彼は一曲一曲歌い終わるたびに深々と頭を下げ、とても謙虚な人だった。おまけに真摯な態度は、最初から最後までずっと貫かれていた。 こんな人っているんだ…かっこいいと思った。こんな風に自分も生きてみたいって思った。 その後私は女子短大生になった。浜田省吾を知って、何故かちょっとだけ自分に自身がもてた。今まで面倒とかダサいと思っていたことが、実はそうではなくてとっても大事なことなんだと素直に思えるようになっていた。 その頃の私はよく文章を書いていた。エッセイと呼ぶにはあまりに稚拙な物だが、それらしい物をかなり書いていた。タイトルには、よく浜田省吾の楽曲のそれを使わせてもらっていた。 今考えると笑っちゃうくらい、生意気だったと思う。時々自分が浜田省吾になったかのような勘違いも、大いにあった気がする。 そんな生意気な私は当時いくつも恋をした。でもそれはとても表面的で肉体的な付き合いでしかない、そんな儚い恋…。 社会人になって仕事を始めてからの様々な挫折…それを乗り越えるきっかけも浜田省吾だった。辛い時苦しい時、いつも浜田省吾の歌を聴いた。 とにかく何をおいても、県内での浜田省吾のコンサートには出かけた。 そしてそこで出逢った短い恋…。彼はツアースタッフ。生意気で自分勝手だった私には、遠距離恋愛は想像以上にきつかったっけ。自分の未熟さと若さを嫌というほど思い知った恋。きっとこの経験があったから、今の私がいる。心の傷の一つや二つ、『勲章』だよね。この当時の私のテーマ曲は『Sweet Little Darlin'』 失った物を忘れる手立てを知らないままの私を、そうとは知らなかった友人があるサークルに誘ってくれた。そしてそこで知り合ったのが今の旦那。もう15年も前なんだ…。浜田省吾を知ってからの20年のうちの4分の3を私は彼と一緒に過ごしてきたんだね。そして20年前何処にでもいる女子高校生だった私は、結婚していつのまにか双子の母になって…20年ってそんな月日なんだ。 東京へ向かう電車の中で、うつらうつらしながらそんなことを考えていた。 特別な場所だから大事にしたかった…というようなことをこの武道館公演を前にして、浜田省吾は言っていた。思い出とかそういったことをとても大事にする人なのだと感じた。20年前、全国に飛び出していく『ON THE ROAD』のきっかけになった武道館。浜田省吾はどんな想いでいるんだろう。 スタンド席はちょうど上からステージを見下ろすような感じだった。オープニング曲はなんだろう…と思っているうちに、アリーナツアーと全く同じ曲が流れてきた。『ショーほど素敵なショーはない』…という事は…『青空』か…と思った瞬間、目に飛び込んできたのは余りにも物凄い勢いで焚かれたスモーク…これでは出てこられないぞ!私の周辺は笑いの渦と化していた。 真っ白い煙の中から浜田省吾が出てきた。多分本人はとっても苦しかったんじゃないかなあ〜などと変な心配をしてしまって、ちょっと曲に身が入らない状態。しかし、浜田省吾は落ち着いていた。何事もなかったかのように、普通に歌い始めた。切々と歌い上げている。 曲順はなんと『SAVE OUR SHIP』の曲順そのままだった。こんなことって今までなかった気がする。途中何曲か目で気がついて、鳥肌が立った。 この日のステージは見ている私たちにとっては涙無しではいられないものだった。『もう33年も一緒にやってきている…』そう言ったまま浜田省吾が黙り込んだ。差し出した手と目線の先には、ちょっと照れたように自分の事?と指を指している町支さんがいる。『彼がいてくれたからこそ、ここまでやってこれた…』少し浜田省吾の声が上ずったように聞こえたのは、私の勘違いだった? 『日はまた昇る』…今までこの曲を聴いて泣いたことはなかったんだけど、今日は違った。いつも浜田省吾が言う『生きて逢える』ということの意味を、20年間を振り返りながらずっと考えていた。 この20年間私も本当に多くの人と出逢った。そして残念なことに多くの人と永いお別れをした。その中でも、若くしてまさに道半ばで倒れていった3人のことが、不意に思い出された。 幼い子供を二人残して、子宮ガンであっという間に逝ってしまった彼女。 莫大な仕事を抱え込んで東奔西走の挙句、奥さんと子供を残して真夜中息を引き取った彼。 突然の病とずっと闘いながら、若いお嫁さんを残して送り盆の日に逝ってしまった彼。 3人とも私にとってとても大事な友人だった。今こうして生きている自分と、もう逢えない笑顔の3人。生きていくことは時にとってもしんどくて切なくて、悔いのない人生なんてありえないけど、大切な者を残したまま逝ってしまった3人の無念さを思うと、なんだか自分の悩みや辛さはとってもちっぽけなことに思えて、そして今こうやってコンサートを楽しむことが出来る幸せを考えたら、涙がどんどん出てきた。ぬぐってもぬぐっても、止まらなかった…。 『短い休憩を…』その間に流れたのは、20年前の武道館から始まった『ON THE ROAD』の貴重な映像。このステージも見た、これもあれも。若い頃の浜田省吾がいる。(勿論今も若い!!)ロン毛でピチピチスパッツの町支さんがいる。懐かしいメンバーもたくさんいる。みんな笑ったり拍手したりながら、楽しんでいる。 そして第2部。ここからが本当の祝勝会って感じ。『今日は隙だらけ〜』なんて言いながら本当に浜田省吾はステージを楽しんでいる。懐かしい曲がいっぱい。10月の長野の時に文さんが聴きたかった〜って言ってた曲は全部聴けそ〜。本当は二人で来たかったな〜。 思い出の曲をいっぱい聴きながら、泣いたり笑ったり、浜田省吾がそうであったように、私自身もとてもリラックスしてステージを見ていた。 それにしても20年間どうしてずっと浜田省吾が好きだったんだろう。浜田省吾から離れるチャンス?はいくらでもあったはず。 だけど、ずっとずっと好きでいてよかった。応援してきてよかったって今日思った。これからもきっと変わらないよ。 そんなことを思ってまた涙…今日は最初っから涙が止まらない。脱水症状になりそうなくらい。 何回目かのアンコールで、懐かしいイントロが…『キャ〜〜〜〜』思わず叫んでしまった。 『ON THE ROAD』これが聴きたかった!!これを聴かなかったら、今日来た意味がない。 高校生の冬、ヘッドホンつけて真夜中にこの曲を何度も何度も繰り返し聴いたっけ。 ♪この道の彼方 約束された場所があると信じて…♪ この曲には色んな想い出がある。私が自分ときちんと向き合うきっかけになった曲でもある。 そして今回は、「こんな閉塞的な今の時代、聞こえてくる話はどれも元気がなくって厳しい毎日だけど、私はこの歌を口づさみながら、しっかり自分の足で立っていくぞ」って心に決めた。(ちょっとかっこつけすぎ?) そしてきらきら光るミラーボールがとっても素敵な『ラストダンス』。 『ミッドナイトブルートレイン』…客席を見回しながら、大きく首を振りうなづく浜田省吾。彼のための祝勝会というよりも、私たちオーディエンスのための『祝省会』。あっという間の4時間。終ってしまうのが残念で残念で、また涙が出た。 通路に出たところで、なんとR&Sの高橋社長を見かけた。その前には評論家の田家秀樹さんも見かけた。今日ずっと一緒にいてくれたmiwaさんとどうしようと迷ったが、思い切って社長に話し掛けた。 今までに何回も色んな会場でお見かけはしていたけれど、お髭がなんとなく怖い感じで話し掛けることが出来なかった。でも今日はmiwaさんのお陰で初めてお話が出来た。 ステージでの浜田省吾のコメントを持ち出して、『省吾さんに早くお部屋を片付けて下さいって伝えてください』というと、社長はニッコリ笑って『伝えておきます』…本当に伝わるとは思わないけど、でも、なんだかそれだけでとっても幸せな私。 『素敵なステージをありがとうございました』というと『こちらの方こそありがとうございました』といって深々と頭を下げる社長。こんなに素敵な人が浜田省吾を支える人間の代表なんだ…浜田省吾がいつまでもかっこいいわけがよく判った。 今日の武道館でもまた多くの人と出逢えた。浜田省吾を通じてたくさんの曲と人と出逢って、たくさんのエネルギーを貰って、これからも私は生きていこうと思う。 どんなに辛くても、浜田省吾の曲を聴きながら、そして浜田省吾を通じて出逢った沢山の人の笑顔を想い出しながら。 そうそうしつこいようですが、浜田さん、早くお部屋片付けてくださいね!!待ってますよ。 |