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聖天堂。 |
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今日は、38代・岩崎住職の案内で見学です。 最初に境内の建物について説明していただきました。 水屋は元禄11年に造られたそうで戦前は鐘楼だったそうです。 市天然記念物の大銀杏、手前は雌、奥は樹齢210年以上の雄木だそうです。
諏訪市内では最大だとか。 聖天堂・江戸中期に四代藩主忠虎公が、遠くて大変という事で、 城内祈願所であった聖天堂を移築したものだそうで、諏訪の大隅流の建物としては2番目に古いものだそうです。
本尊は秘仏・大聖歓喜天(藩主守護仏)、前立本尊・聖観音(藩主念持仏)だそうです。 成田堂・明治13年成田山新勝寺分尊の時の建物で、大隅流・石田房吉の作。 本尊・成田不動三尊像。 智映堂・江戸中期に飢餓を鎮めるために入定した智映上人を祀る為、
平成元年に大隅流・小松金治によって造られたそうです。 |
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本堂・大正9年の火災後、大正11年から再建に着手したものだそうです。 大隅流・石田房吉・房茂の作だそうです。
素敵な紅葉を眺めながら、本題の普賢堂へ向かいます。 |
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普賢堂・江戸時代初期に高野山真言宗江戸番所(東京別院)の本堂として造られた建物を 昭和53年に移築したものだそうで、東京高輪にあったので、 明治には近くに住んでいた伊藤博文公が施主となって大改修が行われた記録もあるそうです。
建物は諏訪大社上社と向き合う様に建てられ、旧来あった普賢神変山神宮密寺の名称を引き継いでいるそうです。 堂内に上げていただき、普賢堂の話、今回修復の完了した普賢菩薩騎象像、
その他堂内に祀られた仏像の説明をしていただきました。 |
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今回修復なった、諏訪大明神本地仏普賢菩薩騎象像。 象座はヒノキの寄木造りの6本牙の雄象で、 鎌倉時代に伊那の豪族・が知久氏普賢堂を建てた頃のものだそうです。 敷布や牙先等修理。 象座には3体の体内仏。 普賢菩薩坐像は1593年京都の大仏師・民部法眼康俊によるものだそうです。 1582年の織田信長の甲州征伐のおりに、諏訪大社上神殿、伽藍は焼失したそうで、 その時本地仏の普賢菩薩像も焼かれたという記録もあるそうです。 神宮寺は1588年に諏訪頼忠によって再興されているそうで、 本地仏の修復にはもう少し時間がかかった様です。 諏訪での廃仏毀釈の動きは早かった様で、普賢堂にあったこの普賢菩薩像と、 脇侍の文殊菩薩が仏法寺に移されたのか、明治に年号が変わる前の慶応4年6月だったとか。 それ以前に破壊され破棄されたものが、一時神宮寺の檀家の方に避難していた事もあるそうで、 仏法寺に来た時は両菩薩像とも、眼抜き(魂を抜き、神ではなくする。) された状態だったそうです。 菩薩坐像は、両眼、頭部髪等がなかったそうです。 胎内仏として、高さ3cmの木造普賢菩薩騎象像が収められていたそうです。 神宮寺の建物は、仏法寺等が移築保存の申請をしたそうですが、 結局認められず、明治2年ごろには取り壊しとなったそうです。
普賢堂・五重塔は真志野村(諏訪市)が50両で落札、再建出来る様丁寧に解体されたそうです。 |
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文殊菩薩騎獅像。 | 中央・如法院本尊・普賢菩薩騎象像。 |
普賢堂で、普賢菩薩騎象像の脇仏で、普賢菩薩像と一緒に仏法寺に移されたそうです。 本地仏の普賢菩薩坐像の再造像された頃の、作られた物ではないかとの事です。 弘法大師の御作との文書もあるそうで、本地仏が焼かれた際に、
普賢堂にあった文殊菩薩像も焼かれてしまったのかもしれません。 中央逗子には3体の仏像が祀られていました。
江戸時代のものだそうで、前回訪問時には本堂に置かれていました。
普賢秘密山如法院(上の坊)は、神宮寺の塔頭で御神体の鉄塔(温泉寺保有)に写経を奉納する役をになっていたそうです。 明治2年廃仏毀釈で如法院が取り壊されるにあたり、滝沢住職が、本尊普賢菩薩像と経典を持って、 大町の盛蓮寺に避難、後に還俗したそうで 、盛蓮寺観音堂に残されていたものを、昭和15年仏法寺で引き取ったものだそうです。 本尊の普賢菩薩騎象像は鎌倉時代の院派の作品だそうで、
県宝にも指定されているそうです。 前回は、宝物殿で拝観しました。
毘沙門天像。 十一面観世音菩薩像。 毘沙門天像は、廃仏毀釈のおり胴体だけの状態で下社の門前に捨てられていたものだそうです、
江戸時代より古いものだそうで、天台宗の仏師によって修復されたものだそうです。 |
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宝物殿前の明治・大正時代の庭。
続いて宝物殿を案内して頂きました。 宝物殿は、江戸時代の蔵を改築したものだそうです。 古地図で神宮寺の様子を説明して頂きました。 今回の普賢菩薩坐像の胎内仏・普賢菩薩騎象像。 3Dプリンターで作成したものだそうで、右が実物大、左の大きいのは拡大品。
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次に庫裏の裏にある安土桃山時代の庭園を見せて頂きました。 庭は桃山技法で造られた池泉鑑賞式庭園で、諏訪市名勝に指定されているそうです。 左は枯滝石組、右は二段の滝の間に橋があるのが特徴だとか。
中央には左鶴石、右亀石があります。 山頂には宝篋印塔。 本堂・庫裏ともに大正の火災で焼失したそうで、 本堂再建は大正12年から大隅流・石田房吉・房茂によってはじめられたそうです。 屋根の寺紋は中央・梶・高島藩祈願寺紋、竜胆紋は旧本山・真言宗醍醐派無量寺院から賜ったものだそうです。
本堂も見せて頂きました。 |
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本尊・薬師如来像、左右は日光・月光菩薩。 | 本堂近くの部屋に有った像。 |
天像か神将かわかりませんが、これも廃仏毀釈の影響か、腕が有りません。
眼は無事の様でした。 |
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