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ロビーには、平山郁夫氏の大作・大仏開眼供養記図がかかっていました。 平山氏は、高遠美術館で6回平山郁夫展を開いておられ、高遠の四季展の審査委員長もやってもらったとかで、
伊那名誉市民にもなっているとか。 |
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下和璞を抱いて泣く・中村不折・第8回文展。 | |
館長さんから、作品の説明をしていただきながら館内を周ります。 第一展示室には不折が40歳で帰国した後の油絵、同じころ高遠出身で活躍した日本画家・池上秀畝、 不折の母方の従弟・小坂芝田の作品が展示されていました。 下和璞を抱いて泣く・不折作は、長い間高遠小学校に飾られていたそうです。 大作のほとんどは国が保有、国立博物館所蔵となっているそうです。 第二展示室には、不折が71歳の時造った書道博物館所蔵の作品で、 36歳で渡仏した間の作品や、中国の書の不折コレクション等が展示されていました。
ギャラリーでは、江戸中期の高遠の石工・守屋貞治の十一面千手観世音菩薩のレプリカや、 石仏の写真が展示されていました。
昼食にはまだ少し時間があるので、隣の高遠城址公園に行ってみました。 |
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公園には廣瀬奇壁・河東碧梧桐の大きな句碑がありました。
彫が薄くてよく見えませんが、題字の嶽色江聲は、中村不折の揮毫によるものだそうです。 坂を下って、白山橋を通り、食事処の桜ホテルへ向かいます。 天気も回復、橋の上からは、高遠ダム湖の向こうに南アルプスの千丈岳もくつきりと見えました。
朝は寒かったですが、温かくなり多少汗ばむような陽気になってきました。 |
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ちょっといっぷく:高遠さくらホテル・レストラン古城 |
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今日の昼食は、高遠ダム湖のほとりにある、高遠さくらホテルのレストラン・古城さんでいただきました。 ダム湖が見渡せる眺めの良いレストランでした。 まずはビールで渇いた喉をうるおします。 レストランは、平日のせいか、一般規約の方も利用できるようで、 幾組かの方も居られましたが、貸し切り状態でゆっくりと食事が出来ました。 レストランの隣では、伊那市観光大使・三沢あけみさんの、
記念の品々が色々と展示されていました。(レストランから覗いただけです。) |
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大寶山建福寺:臨済宗妙心寺派 |
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延命地蔵大菩薩・貞治。 | 願王地蔵尊・貞治。 |
午後からは、守屋貞治の石仏が多数残る、建福寺さんを訪ねます。
正観音菩薩・貞治。 |
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ここ建福寺の開創は平安時代の文覚上人に遡るそうですが、 鎌倉時代に鎌倉建長寺開山の大覚禅師が訪れ鉾持山乾福興国禅寺としたそうです。 1562年武田勝頼が高遠城主となって間もなく、 同行してきた母・諏訪御料人が亡くなり武田家菩提所として母を埋葬したそうです。 1579年には、駿河国清見寺より東谷禅師を招いて臨済宗妙心寺派として中興開山したそうです。
江戸時代になって、高遠藩主・保科氏も菩提寺として、大寶山建福寺と改号したそうです。 |
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守屋貞治旅日記・彫像の心。 |
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中央・保科正直(城主)、左・保科正光(初代藩主)、右・諏訪御料人(由布姫・湖衣姫)の墓。 寺の屋根には保科氏の家紋・並九曜と尻合わせ三つ葵。
三つ葵は、二代藩主・保科正之(後に会津藩主・二代将軍秀忠の子)が、徳川葵の代わりに使っていたものだそうです。 |
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建福寺にも、中村不折の書による碑がありました。 |
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