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すずらんの里駅。 駅を出た所にある駐車場の上に、石の大鳥居が立っていました。 上社御射山神社の鳥居だそうで、ここから参道が始まるのだそうです。 ここ御射山神戸は、諏訪明神の御狩場を守り、 御狩神事をつかさどって来た人達によつて作られた集落だそうで、 ここが参道入り口だった事もうなずけます。 向こうのこんもり茂る森が神戸八幡社の社叢。 |
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国道からつながる、神戸八幡社の参道。 境内には立派な欅・杉の大木が神社の古さを表しています。 ゴツゴツしたのは、北の入口に有った道祖神・金山彦命は鉱山の神だそうです。 芭蕉の句碑もありました。 |
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南の入口に有った道祖神。 境内にはいろんな祠や塔が、集められていました。 部落では、各講の人達がそれぞれの神々を守っているそうです。 拝殿脇の避雷針付きの大欅・推定樹齢は400年以上だとか。 町天然記念物に指定されているそうです。 |
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境内には、今日案内いただける下平さんが到着しておられました。 ここ神戸八幡社へは、第67回のマリオ倶楽部でも一度訪れた事があり、 横山先生お気に入りの道祖神を見学した事があります。 |
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金桜神社・昇仙峡にある御嶽信仰の神社。 秋葉神社・秋葉大権現・火伏せの神だそうです。 拝殿向かって右には、墨縄神社・大工の神がありました。 左にも一つ社が有りますが名前はわかりませんでした。 |
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神戸八幡社は古く、鎌倉時代には鍬形八幡社と呼ばれていたそうです。 本殿は神明造りの覆屋におさめられており、 江戸中期に沢底村棟梁・加藤吉左衛門によつて造られたものだそうで、 彫刻には彩色もほどこされており一間社流れ造りの立派なお社でした。 祭神は、八幡宮・応神天皇と諏訪明神だそうで、正面唐破風の兎毛通には、 八幡神の使いとされる鳩の彫刻と諏訪梶が彫られていました。 向かって左の扉には、諏訪梶が半分と、蛙股には鹿が彫られ、 右の扉の紋は消えてわかりませんが、上の蛙股には、鳩が彫られており、 左が諏訪明神、右が八幡宮と言う事がわかります。 町指定の有形文化財になっているそうです。
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御射山神戸一里塚:町史蹟 |
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御射山神戸新町は江戸時代になつて、甲州街道の宿場町・蔦木・金沢宿の間にある間宿として出来た町だそうです。 ここには、江戸時代・大久保長安によって造られた立派な一里塚が残っています。 日本橋からは48里目の一里塚だそうです。 西塚は江戸初期からの欅が残っており、樹齢の380年ほどになるそうです。 東塚は、榎が植えられており、現在の木は明治になって植えられた二代目だそうです。 ここも、マリオ倶楽部で一度訪れた事があります。 しばし昔を偲んだ後に、次の訪問先・瑞雲禅寺へと向かいます。 途中ヒツジ牧場がありました。 遊休農地を解消しようと、地域の有志で取り組んでいるそうです。
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神澤山瑞雲禅寺:曹洞宗 |
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瑞雲寺・薬師堂。 神戸にある、瑞雲寺でちょうど仏画展をやっているということで、よらせていただきました。 瑞雲寺の開創は、室町時代末期に近くの牛首山に、僧・祖峰がお堂を建てて薬師如来を祀ったのが始まりだそうです。 江戸中期になつて、高島藩家老・二之丸家が開基・頼岳寺13世・見全和尚の開山により曹洞宗の寺となったものだそうです。 大隅流・柴宮長左衛門作の本堂があつたそうですが、幕末になって焼失してしまったそうです。 翌年に本堂・三年後に薬師堂が造られ薬師如来は薬師堂に、釈迦如来を本尊として本堂に祀ったのだそうです。 現在の本堂は、昨年改修工事が終わった所だそうです。 |
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御住職が迎えて下さり、本堂でお寺の説明・心の化粧の話等をしていただきました。 さらにお忙しい所、仏画展の会場も案内して下さいました。 |
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祈祷殿。 厨子の中は俱利加羅竜王・不動明王の知恵の利剣。 本尊・釈迦如来。前立観音・十一面観音(平成13年) 安達原玄仏画美術館(北杜市)館長・安達原千雪先生の指導による瑞雲寺仏画教室の会員さんの作品(3年生)。 本堂には、牛の水墨画が沢山かざられていました。 普明禅師の十牛図だそうで、牛は心を表しているのだそうです。 山梨県出身の仏画家・安達原玄氏の作で、本堂改修に合わせて奉納されたものだそうです。 |
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安達原玄氏作品。 入口に顔の三っある大きな大黒様がありました。 三面出世大黒天だそうで、毘沙門天・弁財天が一体になつたものだそうです。 注連縄が貼られていましたが、天は神なので神として祀ってあるのだそうです。 ただし、注連縄に下がったものは、幣では無く人形にしてあるそうです。 数も神道では偶数だそうですが、仏教では割れない奇数を使うそうです。 入口には、諏訪三十三ケ所観音霊場第二番とありました。 ここ瑞雲寺は、明治6年には御射山学校として使われたそうで、 政治家・小川平吉氏もここで学んだのだそうです。 |
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