|
|
3/3 | |
上田電鉄:別所線 |
|
![]() |
|
ローカル線の廃線が進む中、春のローカル列車の旅を楽しむ事になりました。 電車の発車にはまだ時間があったので、待合室でお弁当をいただく事になりました。 昼食は、別所にある「こじま商店」さんの用意して下さったにぎり寿司、なかなかのお味でした。 駅長さんの看板だけが、ちょっと古い様です。 電車も、30分に1本ぐらいと思ったより数が動いている様でした。 和服の駅長の堀江さんにお願いして記念撮影をさせていただきました。 駅長さんは、別所温泉観光協会の職員さんだそうです。 別所線は、湯治客輸送の為大正10年に開業されたそうです。 一時は、丸子、青木村等鉄路が張り巡らされたそうですが、現在は別所線・11.6Kmのみが残ったそうです。 別所線も一時は、廃線の方針が出された事もあったそうですが、 地元の運動、軌道整備補助金の交付が決まり廃止をまぬがれたそうです。 駅には、昭和2年に3両製造された丸窓電車・モハ5250が展示されていました。
|
|
![]() |
|
上田駅長の春原さんのハーモニカ演奏が、車中で聴けるという事でお願いし演奏していただきました。 演奏がすばらしかったので、皆さんお土産のハーモニカをしきりと購入しておられました。
|
|
信濃国分寺資料館: |
|
![]() |
|
平城京跡から出土した国分寺瓦。 前回・35回にここを訪れた時は、ちょうど先生が風邪でお休みで、 当館学芸員の方が説明して下さいましたが、今回は学芸員の方がおられないとかで、 先生の説明で館内を見学します。 金銅三尊仏・上田市殿城・法楽寺遺跡・平安後期。
資料館には、国分寺関連資料の他に上田・小県地方の原始から平安にいたる資料も展示されています。 天神遺跡・弥生後期。 弥生式土器は土も赤く、縄目模様もないそうです。 |
|
![]() |
|
各地で発行される蘇民将来のお守り。
礫石経・一字一石経。 銅製御正体・真田町三島神社・十一面観音・平安後期。 今回は企画展として、経塚と埋蔵銭資料が展示されていました。 信濃国分寺は昭和38〜46年にかけて大調査が行われたそうで、 左図の尼寺跡と右図の僧寺跡がほとんど同じ大きさの建物で、両者が近くに有ったのが特徴だそうです。 現在は信濃国分寺史跡公園になっていました。 |
|
浄瑠璃山真言院国分寺・八日堂:天台宗 |
|
国道をまたいだ向かい側に現在の国分寺があります。 国道に面した仁王門を通って、坂を上り国分寺へと向かいます。 仁王門は昭和になってからのものだそうですが、仁王様は江戸時代のものだそうです。
境内に入ると立派な石灯籠が、三つ葉葵の刻まれている所わ見ると、上田藩主松平氏が寄贈したものかもしれません。 |
|
![]() |
|
奈良時代に、全国六十六ケ国と二島に置かれた国分寺の一つ信濃国分寺は、 平安末期になり平将門の乱で焼失してしまったそうです。 律令制度の崩壊で国家保護の失われた寺は、鎌倉時代になって、 現在の地に天台宗の寺として、復興が始まったのだそうです。 戦国時代になって、三重塔以外は兵火によつて焼失し本堂は江戸末期になって完成したものだそうです。 善光本堂の様に母屋の周りに一間の庇の付いた建物で、近世の堂としては東信地方最大のものだそうです。 大工棟梁は小諸の田島喜平、彫工は地元の竹内八十吉によるものだそうです。 毎月8日に和尚さんがお経をあげるので、八日堂とも言われているそうです。 堂内は、内陣、外陣に分かれ内陣には、本尊・薬師如来、日光月光菩薩、十二神将が祀られているそうです。 灯篭に彫られた、左三つ巴、五三の桐、菊の御紋。 |
|
![]() |
|
鐘楼の天井絵。
鐘楼は江戸末期に上田藩主・松平伊賀守の寄進により棟上げされたものだそうです。 三重塔・国指定重要文化財。 室町時代中期になって建造されたものだそうで、内部唐様の他は和様式の建物だそうです。 中には、金剛界大日如来の木造が安置されているそうです。 菊の御紋は16弁なので、皇室のものだそうです。 イチイの大木の下に、古い多宝塔がありました。 常楽寺に次ぐ鎌倉時代の多宝塔で、コンポータの跡が多く保存状態が良くないせいか、 重文ではなく市指定文化財になっているそうです。 今回の旅も見どころ満載の旅となりました。 最後は、上田だと「うさぎや」さんのお菓子が美味しいと、 来たみちをちょっと戻ってのお土産の調達も済ませ予定時刻には、無事に帰宅する事が出来ました。 感謝、感謝。 |
|
目次へ・・・・次ページ・・・・戻る | |
|