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第百三十一回自然と歴史探訪[初期中山道を歩く・3] |
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藤島社: |
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今回は、初期中山道ぶらり旅の最終回として、昨年11月のゴールとなった熊野神社から、下諏訪宿までを歩く事になりました。 途中道路整備や家が出来て、道も無くなった所もある様ですが先生の案内におまかせのミステリーツアーの始まりです。 今日は風も穏やかで、歩くにはもってこいのマリオ日和となりました。 まずは、前回のゴールの熊野神社までバスで向かいます。 バスを下りて最初に向かったのは、藤島社です。 熊野神社から、県道14号・岡谷辰野線まで下りた道の向こうに、藤島社はありました。 ここは、建御名方命が諏訪に来て、天竜川対岸の土着の洩矢神と戦った場所だそうで、 洩矢神は鉄輪で、建御名方命は藤の枝で戦って勝利したのだそうです。 話に鉄輪が出てくる所をみると、諏訪の地では縄文時代に製鉄が行われたのではないかという説や、 八坂刀賣命の安曇族説の事を考えると、縄文後期から弥生初期にかけての話かも知れません。 またこの時、建御名方命の使った藤の枝を投げたものが根付いて、このあたりは藤が多数天竜川を覆って茂っていたそうです。
この辺りは、車の往来も結構はげしく、注意して道を横断します。 神社は、以前は藤の大木もあった、結構大きな神社だったそうですが、 道路整備や道の拡幅で小さくなってしまったそうです。 対岸の負将の洩矢神社の方は、のちに藩主から藤の木伐採の祟りを鎮めるべく、 立派なものに改築され現在も残っていますが、こちらはだんだん縮小される一方です。 ここは、後の古墳時代後期に、荒神塚古墳が造られ、神社はその上に造られたのだそうです。 古墳は昭和9年の県道拡幅工事で石室は取り除かれ、 平成15,16年の整備工事でさらに縮小されて現在の様になつたそうです。 出土品は、岡谷市美術・考古館に展示されているそうです。 見学後は再度、熊野神社まで戻ります。 |
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