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作者不明の未完の仁王像。 迫力満点です。 伝説では戸隠の九頭龍権現の作だとか。 平成の梵鐘.。 梵鐘は東近江市の無形文化財保持者の西澤吉太郎氏の作だそうです。 鐘楼は2008年に出来たものだそうです。 彫刻は、昨年(2010年)に完成したものだそうです。 |
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彫刻は、先代住職が立川流を津金寺で復活させたいとの思いから、 愛知県にある立川流彫刻研究所・立川美術館に依頼し、 彫刻師・間瀬恒洋氏が資料を参考に下絵を描いて、二人の弟子が彫りあげたものだそうです。 古い鐘楼はすでに取り壊されていました。 観音橋の向こうにあるのは、江戸時代中期に造られた観音堂・町指定文化財。 観音堂には、山梨の海岸寺の千手観音と同じ木で行基上人が作ったとされる、 聖観音が安置されているそうです。 桜が丁度見頃でした。 お堂の両脇には、九重塔がありました。 手前にあるのは、五輪塔、かなりの数が並んでいます。
池に浮かぶ杉の枝を拾って、さっそく今日の自然観察教室の始まりです。 |
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妙見堂・町指定文化財 |
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妙見堂は、江戸時代後期に立川流二代目・和四郎冨昌と地元の田中円蔵によつて造られたものだそうです。 お堂は、早くから鞘堂に納められたものの様で、とても綺麗に保存されていました。 |
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滋野氏宝塔・県指定文化財 |
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次に、裏山を上り滋野氏の宝塔を見学しました。 塔は鎌倉初期に建てられたものだそうで、長野県最古の記名石造宝塔だそうです。 滋野氏は、朝廷直轄の御牧・信濃十六牧の一つ望月牧の牧官として奈良時代から東信濃で栄えた一族だそうで、 鎌倉時代には信濃鎌倉節の代表格の一族として、又室町時代には滋野三家(海野・祢津・望月)として栄えたそうですが、 戦国時代にはばらばらになつてしまったそうです。 海野氏は後に真田氏とし残った様です。 というわけで、津金寺も最初は滋野氏の披護を受けており、信濃談義所として栄えたが、 武田信玄の川中島の合戦の際に信玄を応援、信玄が比叡山正覚院に帰依するにあたり、 再度天台宗の寺院となったそうです。 その後、寺は織田信長の比叡山の焼き打ちに合わせ、焼かれてしまったそうです。 江戸時代になって、小諸藩主となつた松平家の披護により、現在の建物は復興したのだそうです。 |
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横山先生・自然観察教室 |
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イタヤカエデ。 | |
裏山は植物の宝庫、早速教室の開講です。 黄色いハナノキ(イタヤカエデ)が有りました。 花が落ちていたので、近くを探したらありました。 以前見学した岡谷西堀の八幡社のハナノキも、咲いているでしょうか。 カタクリは終わりに近かった様です。 ムラサキケマン(ウスバシロチョウの好物だとか)。 先生は、ギフチョウを発見。 山を下った所で、アマガエルを発見。 先生に捕まり早速教材となりました。 左の土色の方は、土から出て間も無いカエル。 10日ほど経つと右の様に青くなるそうです。 青いカエルは眼鏡のツルが無いのでシュレーゲルアオガエルにも見えましたが、 隣のアマガエルと顔つきが良く似ており、薄くツルのあとも有るのでやはりアマガエルかもしれません。 ウグイスカグラ(諏訪ではタウエグミとも呼ぶそうです)。
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