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橋本政屋:江戸時代茶屋 |
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三の丸の門。 今日最後に訪れたのは、高木にある政屋さんです。 ここにも、立川流のすてきな彫刻があるという事で訪ねました。 坂の途中にある駐車場でバスを降りて、坂を上っていくと石垣の上から乗り出す様に広がる見事な松と、 前回見学した古民家に似た本棟造り風な建物が目に入ります。 屋根には雀踊りも付いています。 さっそく、ご主人の長崎さんが我々を迎えてくださり、案内してくださいました。 この建物は、甲州街道五十二里半の所にあって、江戸時代に料亭として栄えていたものだそうです。 建物の前の道路の下には、大沢川が流れており、諏訪湖で捕れた鯉等を生簀にかって、 それを料理していたのだそうです。 また、新田次郎氏が道のあたりからこの建物を見て、黒牛が横たわっていると表現したそうです。 建物は二階が低く、参勤交代のおりに二階から襲撃しにくい様、低くしたもので町屋造りというそうです。 ガス灯は明治のものだそうです。 建物のはずれに小さな建物がありました。 開運堂だそうで、実はトイレだったそうですが、外を通る旅人はお堂かと思い、 お賽銭を投げてお参りして行ったそうです。 隣に立派ななまこ壁のお蔵がありました。 見事な漆喰の鏝絵。蔵の扉にも、雄・雌があるそうで左が雌だそうです。 高島城から譲り受けた三の丸の門を開けて頂き蔵の入り口を見せていただきました。 この蔵は力蔵と言われ、和田峠を越える駕籠屋さんたちが、ここで無料のあら汁を振舞ってもらって、 蔵の前で御参りして行くと、力が出て無事に峠が越せたそうです。
蔵の扉には、亀と鯉の鏝絵がありました。
亀と竜と拝む手と鯉でカリテコイだそうです。 |
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軒に高原社の看板もありました。 印刷屋もやっていた事があるそうです。 中に入ると、尾掛松とその姿を映した額がありました。 高原社で印刷したものだそうです。 諏訪明神が龍の頭だけで出雲に行った時に聞かれて、尾は(大和)諏訪湖のほとりの 高い木(高木)にかけてあると言ったと言われている松が、尾掛松だそうで、 これは松ではなく柏槇で300年以上前に枯れて芯だけが残っているそうです。 土間は六角の石柱が敷き詰められていました。 客の履物を預かった下駄箱。 諏訪の殿様が、お忍びでやって来た時に使ったという部屋を見せてもらいました。 庭には、高島城主より譲り受けたと言う、松と石灯篭、と老梅が見えました。 |
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立川流得意の鶉。 部屋の欄間には、諏訪湖を泳ぐ龍と富士の欄間がありました。 落款と種清のサインがありました。 立木音四郎種清は、下諏訪・児湯の上の出で、二代冨昌の弟子として活躍したそうで、 前回通った塩尻の永福寺の山門も造ったそうです。 |
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矢羽廊下。 殿様が好んで使われたという二階に案内していただきました。 諏訪の殿様が珍しがって、「これに座りて吾を射る 心の弦に強きをこめて」 と歌った矢羽廊下の向こうに老松がみえます。 ここにも見事な欄間がありました。 左は諏訪湖の波がよせる高島城、右は尾掛松だそうです。 これも種清の作でしょうか。 諏訪湖の向こうに高島城が見えます。 昔は遮るものが無かったので、お城も良く見えた事と思われます。 しばし、殿様の気分を味わって政屋を後にします。 今日の昼食は、マリオさんに戻り横山先生のチベット・ラダックの秘宝展その2を 見せて頂きながらの食事会となりました。 先生のラダックの旅のお土産話や、会員の方が撮って下さった、 NHKのラダックのDVDを見ながら、今も続くインド・パキスタン国境戦争で 行けなくなった秘境の地に思いをはせつつ、美味しい料理をいただきました。 |
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ラダック秘宝展その2 |
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今回は、前回の展示に次いで2回目ですが、今回の目玉は表装のあがって来た、仏画です。 何れも書かれたものではなく、織られたものです。 地方を布教に廻った時に使われたものだそうです。 |
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