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嶋崎家住宅:国重要文化財 |
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次に向かったのが、嶋崎家です。 五千石街道を松本方面に向かってしばらく行って右に曲がり、 山麓線に向かって細い道を上った所に島崎家はありました。 入り口近くには、生まれながらにして病を持つた昭和の詩人、嶋崎光正の歌碑がありました。 父の郷里が、ここ片丘だったそうですが、ここ嶋崎家がそうだったのでしょうか。 嶋崎家では、奥さんが我々を迎えて下さり、案内してくださいました。 嶋崎家は、長野県の中信地方に多い民家の形式である本棟造の建物としては、 整った形のものとては最も古く、元禄時代のものだそうです。 切妻造りで、石置き板葺の屋根で、勾配が2寸6分と(普通は3寸だとか。)かなり緩いものだそうです。 古いためか、本棟造に良くある雀踊りと呼ばれる棟飾りは付いて居ませんでした。 ほぼ正方形の間取りですが、上座敷が前に突き出しているのも古い本棟造の例でもあるそうです。 |
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二の間。 大黒柱は無く、梁を格子状に組んでいく造りだそうです。 オエ(囲炉裏のある部屋)の前の二本の柱も古い形だそうです。 オエに有った仏壇と囲炉裏。上座敷。 嶋崎家は旧熊井村(片丘)の名主だった家柄だったそうで、座敷もなかなか洒落たものでした。 二の間までは濡れ縁で、そこから奥は後につくられたのか縁側として囲われていました。 |
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小松家住宅:国重要文化財 | |
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次に訪れたのは、小松家です。 ここでは、小松家二十代目当主のご主人が迎えてくださいました。 小松家は、戦国時代に山梨からこの地に移って来た時のものだそうで、東日本の民家では特に古いものだそうです。 建物は土台がなく、敷き詰めた石の上に乗る様な形で、置かれていました。 固定されていないので、地震にも強いそうです。 又、壁には、竹が入っており揺れても動く事で耐えてきたのだそうです。 最近の固定する、耐震構造とはだいぶ違う様で、みごとな生活の知恵が感じられます。 |
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入り口を入ると馬屋があります。 入り口は、開け方によって人間用と、馬用に変わります。 屋根も固定されておらず、支えの棒があるだけて、1mぐらいの積雪でもしなって耐えられるそうです。 土間に囲炉裏があり、ござがしかれていました。 作業着のまま、くつろげる場としてはしごく良さそうです。 土間の窓も、明かり取りというよりは、煙抜きという感じでした。 「オエ」。 囲炉裏は手前の土間にあります。 下座敷。上座敷。 小松家は、かっては村役も勤めていたそうで、この二部屋は、武田の家臣が泊る為に、増築されたものだそうです。 入り口には、古くからのお札がありました。 これによって、年代も推定された様です。 建物は、昭和53年に解体修理されたとか、材料を集めるのも大変な様で、維持のための苦労もうかがえます。
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