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静脈インフラのもう一つ、下水道から見た廃棄物処理

 
 会員の皆様の中には下水道も専門技術としているかたは多いものと推察します。ご案内のことですが、下水道も廃棄物処理も都市の静脈を担うインフラなので、似たところは多いのですが、異なるところも多々あり、比較することにより、お互いの良いところを取り入れ、自分の足りないところを省みることができるのではと考えました。廃棄物に関わるようになって4年、その前、下水道にどっぷり浸かって9年間の小生ですが、以下に比較解説を試みました。

  ■ディスポーザーが事の始まり

 「ディスポーザー排水処理システム」というものが下水道への接続施設として、旧建設省下水道サイドから形式認定を受けました。かなり昔、アメリカ製品輸入への非関税障壁の一例としてディスポーザー規制(自粛要請)の解除を要求された時の「ディスポーザー」とは似て非なるものです。今回のディスポーザー・システムでは、台所にディスポーザーを設置するのはよいが、あわせてその排水を家庭内沈殿槽で処理したうえで、下水道に放流するというものです(処理槽付ディスポーザー)。工場排水の接続で言えば、除害施設のようなものです。受け入れ水質にまでしてやれば、下水道で許容出来るのは当然というところでしょう。

 代わりに家庭内にディスポーザー排水の処理残渣が生じ、それは廃棄物処理の受け持ちとなるので、「生ゴミ問題」の解決をディスポーザーに期待していた答えにはなりませんでした。そうはいってもこのシステムにより、生ゴミ始末の家庭での労働・衛生問題の解決にはなるので、最近の新築マンションなどではそれを売り物にするものがボチボチ現れています。ディスポーザーそのものは北海道歌登町で公共下水道を使い、現在「社会実験中」と聞いています。いずれ社会的に認知され、登場するのではないでしょうか(当面、分流式区域に限りますが)。

 生活から発生する廃棄物のうち水で運ばれるものが下水ということになりますが、ディスポーザーが出現することになれば、ゴミの一部を水で運ぶことになりますから、廃棄物、下水を区別する境界はあやふやなものになると考えました。かつてのし尿も同様でした。くみ取り便所、し尿運搬のバキューム車に代え、水洗トイレから下水管に流せば下水になったのですから。下水道整備の過程において、し尿の下水道へのマンホール投入ということもありました。

 その他、ゴミ・下水両分野の境界には共同事業的な下水汚泥のゴミ焼却場での混焼あるいは汚水処理施設共同整備事業(汚泥と水質検査、MICS)がありますが、両事業を管理する自治体から見れば当たり前の話で、霞ヶ関の対応がやっとできたというところでしょうか。ディスポーザーにより生ゴミを粉砕して下水管で運搬処理しようというのは、廃棄物事業の対象の一部である生ゴミを下水へ変更しようとするものですから、これらに比較すると大変なのかもしれません。

  ■ゴミは無料、下水は有料

 廃棄物も下水も事業系のものの処理費用の負担の考えは、汚染者負担の原則(PPP)によっており、違いはありません。決定的に違うのは生活系のもので、一般廃棄物処理は住民負担が原則なし(一部市町村で採用している袋代等は減量インセンティブのためのもの)なのに対し、下水道では生活排水の(雨水が公費負担であるものの)汚水は受益者負担(私費)を原則としています。

 下水道は行政区域内で順次整備が進められ、整備が完了し処理区域になったところから、水洗化できるとかドブが無くなり清潔な町並みになるとかの、その区域での受益がはっきりすることから、料金を徴収出来る(あるいは、すべきことになる)のかもしれません。水道料金と併せて徴収するシステムも徴収抵抗を少なくしています。

 一方、清潔な都市を維持するために、町中の廃棄物を収集運搬処理するのは行政の責任ですから、ゴミ処理を税金で賄うのは当然です。だから同じ廃棄物で、皆が排出する下水なのに、税金からでなく別途料金を徴収するのは、税金の二重取りのようになり、おかしいことなのかもしれません。しかし税金を高くできないから、別途料金という格好で住民負担を求めることは、有料道路、介護保険など、よくあることです。

  ■ただほど高いものはない

 下水が有料であることについては上述のように若干の疑義を持っています。さらに下水道処理には公共水域の水質改善という、排出者の受益を越えて、きわめて公共的な目的が課せられているので、その費用すべてを住民負担とするには無理があります。しかしここでの議論を進めるため、おおざっぱに言って、下水道料金も税金の一種だと考えられなくもありません。  逆に、ゴミが無料であることで、リサイクル時代のリデュースの促進という観点から見て、減量のインセンティブが働かないことは問題なのではないかと思っています。

 下水は水量に対して料金が付加されますから、なるべく水を使わないようになります。上水道料金もそうですから、なおさらのことです。人々が節水を心がけるのは、主に経済的理由からでしょう。水資源を心配してのことだったら、普段から節水する必要はないはずです。

 一方ゴミの場合は、最終処分減量に資するリサイクルのための努力は市民運動にまで発展しました。それらは発生減量、リデュースへも向かっていますし、更には循環型社会の形成、廃棄物の発生原因を少なくする社会構造への転換、ここで表題に倣って言い換えれば、静脈インフラを考えた動脈活動、すなわちそのような社会を作り上げることが、根本的なゴミの減量につながりますが、現実はどうでしょうか。かなりの部分の(とくに大都会の)市民、あるいはそのなかには日本の習慣になじんでいない在留外国人の方もおり、その人達からまでリサイクル社会への協力が徹底されるかというと疑問で、減量化にはあるところで限界があるものと見た方が現実的です。

 だから人々の協力に100%期待するのでなく、この高度な経済社会では、ゴミについてもかかる費用をすべて(あるいはかなりの程度)排出者負担にすれば、減量に向かう経済的インセンティブはめざましいものになるはずです。

 そうなると不法投棄が増えるからと、危惧する向きがありますが、市民の街をきれいにしようという意識は高いものがあり、そうでなければ、リサイクル運動なんか盛んになるはずもないでしょうし、不法投棄をそうは心配することはないものと思われます。少々のお金をケチって、不法行為に走るほど日本人は貧しくはないが、節約の一環でゴミのリサイクルに、より協力したくなる経済性は持っている、とでも言えましょうか。

 以上、最終的には同じ市民負担になるゴミ処理費用であっても、それを税金から捻出するより、減量インセンチィブを兼ねることができる料金という形で徴収する方が、インフラ規模を小さくできるなど、社会的費用を減ずることができます。下水では図らずもそれを以前から実行しているということかもしれません。もちろん、ゴミ収集料金を何に課すかという徴収の技術的問題は残ります。

  ■不法投棄対策の基本をどう考えるか

 廃棄物の方では現在、(廃車あるいは)廃家電などの粗大ゴミの不法投棄が社会問題となっています。この4月から家電4品目の(有料)リサイクルが義務づけられたところから、不法投棄の拡大が心配されると言われています。だから、始まってしまったリサイクルの仕組みを少し変えたらどうかという議論が盛んです。議論は大いに結構ですが、基本は不法投棄は刑法犯罪であることを忘れてはなりません。

 下水道でも工場排水の接続に際し、下水道法で禁止されている重金属などを含む悪質な水質の排水を地下の見えない管渠の闇の中で排出されてしまうおそれがありました。下水道に接続させなければ、公共水域への違反排水として、水質汚濁防止法により白日のもと取り締まりができるのだから、工場排水は受け入れるべきでないという声もありました。しかし、大部分は善良な下水道使用者であり、一部悪質なものに対しては「犯罪者」として徹底的な取り締まりがされたので、大した問題にはなっていません。排水は流れ去ってしまい、犯罪の痕跡を発見するのが困難なものです。それでも緻密な捜査により、犯行を立証・検挙し、厳罰を科すことにより、他の新たな犯罪を未然に防止することができます。犯罪のおそれがあるから、その誘因となる制度そのものがおかしいというのは、法治国家の前提を忘れた議論だと感じました。

 一方、不法投棄されたゴミはそのまま残るので、証拠は十分で、捜査・取り締まりは、水質犯罪に比較すれば、容易なのではないでしょうか。

  ■ゴミは一般会計、下水は(企業)特別会計

 事業運営に際しても違いがあります。

 下水道事業は大都市などでは企業会計、その他でも特別会計のもと企業的運営が要求されています。企業収支とくに収入となる下水道料金は議会の厳重な審議のもと決められます。事業運営には、特別に会計が分けられ、効率性が厳しく要求されるのです。

 清掃事業はどうでしょうか。自治体の基本事業ということで、また、収入に基づき実施される事業ではないため、一般会計で実施されるのですが、いわゆるドンブリ勘定になりがちではないかと推測しました。支出の範囲は明らかですが、その限度が明確でないため、必要な費用は計上する(せざるを得ない)ことで、果たしてギリギリの効率性で運営されているのか見えにくいのです。例えば、収集車に運転手も含め3人もの体制(東京都清掃局の場合)を組む必要性はあるのか、と問われれば、一般会計事業にある限り、答えを出さなくても良いような状況です。

 前述のディスポーザーによる生ゴミ処理の利点は、台所の利便性だけでなく、ゴミを水で流してパイプ(下水管)輸送できるところにあります。ゴミ収集・運搬をいつまでも人手に頼って、例えばディスポーザーを採用するなどの画期的な合理化策に移行できないのは、一般会計頼りからなのかもしれません。

 収集・運搬に改善の余地が大きいことは、例えば東京都の清掃事業のゴミ処理部門で、全体事業費2000億円強/年のうち実に61%が収集と運搬に費やされている(平成8年度の実績、東京都清掃局事業概要平成10年度版より)ことからも言えます。これらのかなりの部分が人件費でありましょう。

  ■静脈インフラの宿命…動脈からの勝手な押しつけ

 静脈の「インフラ」と銘打つからには、整備・運営の(自主)計画性がなければなりません。しかし、その基本となる廃棄物あるいは下水の量・質はともに動脈側の勝手で決められてしまうので、文字通り尻拭いの計画におとしめられてしまっています。

 下水では何が問題かというと、工場等の産業排水あるいは都市の商業・業務地区などからの業務排水です。下水側としては僭越と感じつつも、産業の将来を推測して、その排水の量・質を見積もり、「インフラ」たる資格である自身の施設規模等を決めることになるわけですが、自分でそれらを左右できないことでもあり、以上の将来推測には当然誤差あるいは景気変動などにより往々にして大きな見誤りが生じます。その結果、大幅な遊休能力を生じたり、逆に施設がパンクしてしまったりする危険が常につきまといます。工場は以前のままだが、生産対象が用水型のものから非用水型のものに変わってしまった例も多いのです。あるいは廃水回収率が飛躍的に改善され、下水道への排水量が激減したものもあります。

 だからそのことで、工場排水は公共下水道に受け入れるべきでないとする理由の一つに加えた人がいましたが、その部分の理屈は通っています。

  ■下水道混合処理の問題点

 工場排水受け入れに関する私の意見は、下水処理の副産物である汚泥を再資源化しようとするときに、とくにコンポスト処理の結果、食用農産物向け肥料として考えた場合、この工場と生活の排水を混合処理することは、処理効率あるいは処理規模のメリットから是認される場合は多いのですが、肥料成分の中に許容値以下と言っても有害成分が拡散し、肥料としての信頼性を落とすことが重大なデメリットになるのではないかと考えました。汚泥を焼却し、残灰を埋め立て等の人の健康に関係しない方面に処分(あるいは利用)する場合は支障がありませんが、それらの方法は下水処理からの最終処分の減量化の観点からは適当ではありません。農業用肥料(プラス土壌改良用)として再利用することが、下水汚泥を持続的にリサイクルする唯一と言ってもよい方法だからです。

 一方、ゴミの方はと言うと、下水道みたいに一つの下水管にすべてを流すという方法でないため、収集・処理の過程で分別の余地があることが違いとなります。しかし、ゴミの発生量を静脈側で左右できないと言う事情は同じです。

  ■PMが技術発展を進める

 下水道整備事業と廃棄物処理施設整備事業とでは進め方に大きな違いがあります。それが廃棄物事業のコンサルタントによるPM的な部分です。

 それは、旧建設省と旧厚生省廃棄物担当部局との違いとも言えます。下水道事業は旧建設省の他の補助事業と同じく、事業に関わる官庁インハウスエンジニアの役割がはっきりしています。まず、事業主体の自治体では他の道路・河川と同様に公共施設として、事業の認可あるいは補助金申請に耐えうる技術資料を自ら作成しようとします。もちろんコンサルタントも関わりますが、あくまで主体はインハウスエンジニアであって、コンサルは手伝いあるいは一部の補助的役割しかありません。受ける建設省の方もそれら審査に必要な技術的な蓄積は各県からとか(旧)土木研究所、あるいは下水道事業団から求めることになります。こちらでもコンサルとかメーカーとかの関与は間接的なものになります。事業主体の自治体と監督官庁の建設省(あるいは県庁下水道部局)とが議論を戦わせて、技術的に高めていくことになります。

 以上は他の公共事業部門でも見られる普通の姿ですが、下水道の場合、弊害(の可能性?)が危惧されます。下水道技術は今なお発展途上で、他の分野(民生部門も)からも要素技術が導入される可能性がありますが、以上のような方式だと、インハウスエンジニアどうしの議論に固まりがちで、他分野からの導入のきっかけとなるべき民間技術を排除しがちになることです。もちろん、建設省で実施している総合技術プロジェクトなどの成果も多々あります。官民共同研究により、それら民間技術を導入できる入り口は開いていますが、不十分なものとなりがちです。

 もうひとつ、自治体事業ということで、技術志向がコンベンショナルなものにどうしてもなることです。ひとつの町には下水道処理場は一つしかない場合が大部分でしょうから、間違いのないもので実施したいとする気持ちは無視できません。だから、処理場技術で言えば、他で実績の十分ある、生物化学的処理の代表である、ばっき槽などによる(浮遊)活性汚泥法が勢揃いすることになってしまいます。

 一方ゴミ処理の方はどうでしょうか。廃棄物処理の官庁技術者は下水道ほどには質・量ともにそろっていません。事業主体の自治体側でそれが顕著です。何年かにいっぺんの整備・改修の時期だけ専門の技術者を雇うことはできないからです。下水道でもそこの事情は同じですが、対応して日本下水道事業団を設立し、市町村の技術支援に当たらせています。廃棄物処理技術の方はダイオキシン処理の要請などから近年とみに高度化したというさらなるハードルもあります。

 そのため、我々コンサルタントが、自治体の本来の仕事の技術的補完をするまでになっています。それが、PM(プロジェクトマネージメント)的な仕事に計らずもなっているのですが、下水道で足りない技術的対応の柔軟性という点から見ると、これは利点としてはっきりしています。プラント関係の技術開発はどうしてもメーカー主体とならざるを得ませんが、コンサルが自治体側の技術審査の役目を担って間に立つことにより、メーカーによる新技術の採択がスムーズになるのではないでしょうか?この事情は廃棄物分野で性能設計発注がなされるようになったこととも関係します。

  ■流総計画での苦心

 流総計画というものが下水道にはあります。正式名は、流域別下水道整備総合計画と言いますが、昭和45年の公害国会で下水道法改正のさい組み込まれたものです。「別」の字が省略されて、同国会で制度化された「流域下水道」のための計画だと誤解もされました。完全な誤解ではありません。ある河川流域に個々の下水道(流域下水道あるいは公共下水道)事業を計画する場合に必要な上位計画だからです。

 この計画のユニークなことは、前述の下水道計画などの僭越さとも関連しますが、河川の流域内の水質汚濁発生負荷を全て見積もり、そのうち下水道ではどこまで分担し浄化するのか、という計画手法にあります。流域下水道などが河川の浄化の切り札となって登場したのですから、そこまで深く追求しないと、計画に値しないと言うことでしょう。

 流総計画を策定する際に、大いに困ることは、下水道で処理困難な種類の負荷量が多く存在することです。例えば、農業関係の負荷量。田畑への施肥のうち、河川にあふれ出てしまう分です。また、畜産関係もやっかいです。大規模畜舎では、水質汚濁防止法上の規制がなされますが、小規模あるいは牛糞など畜舎以外からの負荷量はお手上げです。更にやっかいなのは、面的な負荷です。そのうちの自然汚濁は処理できません。都市のノンポイントソースからの汚濁もそうです。ノンポイントソースとは、発生源が点として特定できないものを言いますが、都会の人間活動に伴うあらゆる発生汚濁で、水使用に伴うものでないものです。それらはたぶん、街路等公共空間での汚れが降雨により河川(あるいは雨水下水管)に流出するものでしょう。現在は下水道での処理の対象としていませんが、都市計画審議会での議論では、将来、合流式下水道の改善の一環で対策を考えるとしています。

  ■再びディスポーザー…街を清潔に

 都市の散乱ゴミもノンポイント汚濁の主要部分であると思われます。だから廃棄物対策が公共水域の水質対策にもなります。

 散乱ゴミがなくなりつつある現在、何が問題かと考えました。それはせっかく集めたゴミのゴミ置き場での鳥獣による散乱です。毎朝、暗いうちには猫等、明るくなってからはカラス等により生ゴミがあさられ、その結果ゴミが袋から散乱する。近所の人により後始末の掃除はされますが、残るものも多く、それが「ノンポイントソース」の主要部分を占めているのではないでしょうか。清掃局の仕事の改革の一環で、カラスよけのための夜間収集を求める声もありました。

 水質汚濁につながるかどうかを別にしても、先進国の一位二位を争うようになった我が国で、路面がゴミ袋からの散乱ゴミでいつも汚れているというのはいかがなものでしょうか。さらには、ゴミを袋のまま路面に出す行為そのものも、都市の美観を損なっているとも言えます。道路が狭いので、ゴミ出し容器の置き場にも事欠くことが原因ではありますが。

 以上の先進国らしからぬ風景・状況を克服するのに格好なのはディスポーザーの採用です。一昔前、バキュームカーが悪臭を振りまきながら町を走るのが嫌だと考えた気持ちと同じで、今、町の道路上から生ゴミを追放するときになっているのではないでしょうか。