差別の無い世界って可能なのかな?

ちょっと、偉そうな記事のタイトルですが

すいません、先に謝ります。
それらの為に努力している方々に腹立たしい意見なのかも知れませんが
あえて頑張って見たいと思います。

差別の無い世界なんて不可能だと自分は思います。

なぜなら
この世界にはさまざまな「個」と言う存在があり
自分達人間から見てもさまざまな「種」を作り分けて確認をしています。

花や草木にしてもそう、動物にしてもそう
自分達が有って、其の自分が生きていく為に必要な物や存在、
自分の生きる場所、餌、社会、
何を取って見ても「自己」が有って存在している物として考えられるかも知れないように捉えられます。

元来、生きているものは自己中心的なんです。

誰だって他の「個」より優れて居たいし、
間違いやミスを指摘されれば少しは思うところが出来るもんです。

では、何故皆が一緒に生きて行く事が出来ているのか?

自分は相手を認めている事こそが全ての共生に繋がっているのだと思っています。
たとえ敵対しているものであろうとも、相手が存在している事を認めているから敵対できる事だし、
物事は相手が有って初めて成り立っていることが多いと思います。

そう、「個」が有ってこそ「相手」が出来る
元来自己中心的でも、相手は常に認めている、仮に相手を否定しているとしても
既に認めていると言う訳です。

だからこそ自己以外の事を別ける事は常にあり続ける

差別は無くならない

そう思うのです。


しかしながら、これではあまりにも希望が無い
ひねくれ過ぎていると思いますので、
しっかりとした意見だけは言いたいと思います。

差別はなくなりませんが

お互いが認め合い尊敬し合える世界なら作れます

大変難しいことですが、相手の事や考え方、習慣など良く見聞きしてお互いに認め合う努力をする
そう言う考えも有るんだ、そう言う生き方も有るんだ、そう言う中で妥協を探りあい
お互いにバランス良く生きていくそう言うことが出来ていけたなら、
きっと、素晴しい事になりはしないかと
大風呂敷を広げてこのテーマの結びにしたいと思います。



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