自由の観点で何でも肯定しても良いのだろうか?

さて、其の一では何でも頭から否定するのは良くないとしながらも
個人や色んな部分で自由を謳いながら肯定ばかりしても良いのかと言う所も考えて見たいと思います。

ま、じゃあ人を殺したり、物を盗んだりするのも自由と言えば自由でしょう。
でも、それらを肯定してしまうのはいかがな物かと?
個人主義の下に何でもやらせてしまっても良いのだろうか?

当然の事ながら多くの人がこれを否定するでしょう。

「頭から否定するのはどうなんだ?前に言ってる事と矛盾しているじゃ無いか!?」

そう言われると確かにそうかも知れませんが
人間と言う生き物が集団生活を形成し、それらの中で生きていく限り
個人の自由が何でも通じることなど不可能だと思います。

さらに、ひねくれて変な言い方をさせて頂くと、

「そう言う部分を題材にして頭から否定してしまうことも行けないのでは?」

そう、ちょっとおかしい感じですが
そう言う穿った見方も出来るんですよね。
所謂、言葉の意味合いを捉えて一つに意見を通す材料は幾らでも有る訳ですので
出来る限りお互いの尊重できる部分を拾い上げ妥協点を見出すのが
自分は良いのでは無いかと考えます。

全てを肯定することは出来ないんですよ。
何故なら

肯定することは否定することを否定しているわけですから。

また

否定することは否定することを肯定している訳でして

どちらもそれだけでは成り立たない理論でないのでしょうか?

この記事だって肯定だけではなく最終的に否定で結びを作っているんですよね。

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