頭から否定する者は自分の価値すらも否定している?



さて、タイトル通りに上手く話が出来て行くのか心配なのですが
一番目として上記の様な事柄をうだうだと言わせて頂きます。

人間の生活の中で否定をしないで生きて行く事は先ず有り得ないと自分でも思っていますが
頭ごなしに何でも否定していくのは自分としてはどうかな?って考えています。

何故その様な意見をわざわざこの様な場で書くのか?
半分は自分の愚痴と思って頂いても構いません。

しかもこの文章は最終的には否定している事を書いている文章になると思っていますので
きっと纏まりの無い文章になることと思います。

「否定はいけない!」

極論で捕らえる方はその一言で片付けてしまうかも知れませんが
決してその様な事ではないのです。

「自分の考え以外の物事を先ず否定して考える」

この様な事が自分としてはどうなのかなと考えるので書かせて頂きます。

否定と言うことはその事柄を認めない事なのですが
自分の考えや経験に則っている事柄にそぐわない物事が起こった場合
普通の人はその事に拒否感を起こすと思います。
自分もその類なので一般ではそうと考えているだけかも知れませんが・・・

その事が起こった時に自分の考えや、経験上にそった物事になぞらえる事が出来るように
意見や、行動で修正を行おうとする時に必然として
否定
と言う物が起こって来ると自分では考えています。

ただ、その際に対して自分の考えや経験上での出来事に固執するあまり
はたまた、相手に上手く伝える手段を持っていなかったりする人間は
得てしてその事柄をすべて否定しようとしたり
それどころか相手の人格自体すべてを否定しようとしたりします。

その他にも、過去に相手が起こした過ちや、普段の行動、
相手の学力等で相手の意見を吟味しなかったり
その行動の大本になる考えを理解しようとしなかったりする時も
人間は意見どころか相手そのものを否定したりしている事に気付かない時が有ります。

例えば・・・

「あんたに何が解るのか!」
「自分はこの事を何年もやっている」
「今更何が言いたいの?」

その様な事を言ったりする場合に特にその様な考えが出ていることが多いような気がします。

たとえ経験が少なかろうが、学歴が無かろうが、その人間が下らなかろうが
その言った事には何かが有るのですから
先ず、少し考えてみて、どうしてもそれにそぐわないのならば
そこで初めて自分の意見を言っても良いのではないのかと、
そうすれば余計な揉め事も少しは減るのでは無いのかと、
自分はそう考えたりします。

人には色々な考え方がありますし、
すべてに優れている訳でも
変わることが無い訳でもありませんから

そんな人でも解る事柄、
そこが相手の優れている物事
この様に代わって行ったんだなって思ってあげる事が
大事になっていくのだと思います。

自分が反感を覚える事柄で良く有るのが先ずこの事で
良く目の当たりにする現状として身に降りかかって来ます。
皆さんはどうなのでしょうかねぇ・・・

何はともあれ、自分の意見を主張することは決して悪い事ではないのですが
自分が正しいと思う事を押し通すって言うのは多くの人に認めて貰える行為ではないと思います。

自分の意見を押し通すために、人の意見を認めなかったり、相手の事を卑下すると言うことは
自分の中で素晴しいといくら思っていても、相手からも反感を受け
其の意見すら聞き入れてもらって居ない事が多々としてあると思います。

相手が何も言って来ないから、相手が言い返せなくなったから自分の意見が通った。
そんな事は決して無いと思います。
相手が自分の主張と、相手の主張を比較し
お互いに納得出来ない限りは話し合いは成功ではないと思います。

言い負かした、相手が言わなくなったという場合、
言っても無駄だと、相手が思って居たのなら、
結局、無理矢理否定した相手と同じ考えが相手にも有る可能性があり、
相手が自分に対して価値を認めてくれない事になってしまうかもしれないですね。
そうなったら結局

「自分の価値すらも否定してしまっている」

それと同じなのかなって思う次第なんですよ。



お互いにゆっくりでも良いから意見を噛み砕いて話し合って行ければ良いのにねぇ・・・


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