灰色の空

第二章 第七話
艦隊

 「おかーさーん。ただいま〜。」
 「あら、クローナ。おかえりなさい。早かったわね〜。」
 真っ白い世界から、声だけが聞こえてくる。身体が、泡の中に浮かんでいる様だ。上が、下が、わからない。ぐるぐる回っている様な、妙な感覚がある。意識が遠く、朧気で、消え入りそうに不安なのに、不思議な安心感がある。
 「うん。今日ね〜、みんなでお掃除してきたの。」
 「お掃除? あ、そっか。明日から冬休みだったっけ。」
 「早いな。もうそんな時期か。」
やがて、白く朧気な心に、一つの意識が生まれた。ここはどこだろう、と。
 「ふう、掃除はサボったりしなかったな?」
 「え〜とね。みんなでクジ引きしてね、私は当たりを引いたから、しなくてよかったの。」
 「な〜にそれ? そんなの悪い子悪い子じゃない。」
笑い声が聞こえる。
 「あなた、笑い事じゃないでしょう?」
 「なに、大丈夫だ。今日は我が家も大掃除だからな。休んだ分、頑張ってもらう。良いな、クローナ。」
 「えぇ〜!」
 ああ、と思い出す。あの時、随分と嫌な思い出になったものだったか。今となっては…、やっぱりいい気はしないが、笑い話みたいな、楽しい気もする。そうして気付く。過去を見ているのだと。

 「おかえり〜。」
 「…え? ちょっと、外から帰ったら“ただいま”でしょ、クローナ。」
 「え、あ…。どうして間違えたのかな。」
…どうして、こんな事ばかり思い出すのだろう。わからない。夢なのだろうか。それもわからない。変な気分だ。
 「あれ、誰か来てるんですか?」
 「ちょっと…ね。」
そうだった、この日は―――。

 「いくら皇室の権限とはいえ…、もう少し何とか。」
 「不満でも?」

 「私は嫌です。」
 「決定した事だ。」

 「俺はリヒャルト・ミュンヘベルク、だ。これからお前に命令を下す立場になる。」
 「そう、ですか…。」
 「経歴は聞いた。…裁量の範囲内で、計らおう。無理はするな。」

 

 

 

 目を開けると、ぼんやりと見えてきた。屋内の様だ。色んな事を思い出していた。降って湧いた、天災の様な出来事だった。あれさえなければ、何も問題は無かったのだろう。
 「帰るべきところがあるって、良い事ですよね…。」
 はっきりと戻った視野には、殺風景な鉄骨造りの天井が見える。やはり、軍艦の中なのだろう。決して、記憶の中の我が家ではないし、長い時を過ごした城の一室でもない。もう一度、目を閉じる。どこで、ボタンを掛け違えたのだろうか。
 「おはよう。いや、目を覚ますと思わなかった…。気分はどうかな。」
 「え…?」
声が、聞こえた。上体を起こすクローナ。人影ははっきりしていた。夢ではない。見慣れない白衣の男が、そこに居た。医者だろうか。
 「え〜と、あの…。どちら様、ですか?」
 「ああ、失礼。私は、この艦で船医をやっている、エドガー・ハルトマン。よろしくお願いするよ。」
 「あ、はい。クローナです。どうも。」
かなり緊張した様子で一礼した後、落ち着きなく辺りを見回すクローナ。
 「えっと…。どうなってるんでしょう?」
 「ああ、そうか。君は寝てたから何も知らないんだね。」
 「ええ、まあ。」
 「SOSを出したね?」
 「はい。」
 「運良く、我々の艦隊が近くを航行中でね。すぐに見つかったよ。ただ、少しばかり交戦したが。」
 「というと?」
 「飛行モンスターの襲撃があった…。覚えていない?」
 「ああ…、ええ。そういえば、戦ってて…。あれ?」
 「君は、それの攻撃を受けて、意識不明の重体に陥ったそうだ。記憶が無いのは当然だよ。」
ああ、と思い出す。至近距離から光弾を撃ち込まれて、確かにそれ以来記憶が吹っ飛んでいる。
 「よく助かったものだ。我々が敵を撃破して、君を発見したときは…。到底生きているとは思えなかったが。」
 船医が目を伏せる。相当に酷い容態だったのだろう。複雑な気分である。
 そういえば、着ている服が違っている。ぼろ布になってしまったわけだろうか。…となると、恥ずかしい格好を見られたかも知れない。複雑な表情で目を閉じるクローナ。
 「どうしたね?」
 「いや…。まあ、その、ありがとうございます。ところで、この服は誰のでしょう?」
敢えて、少し逸れた質問の形を取る。
 「ああ、艦長の作業服だよ。」
 「そうですか…。というと、私の着てたのは…。」
 「既に服とは言えない状態だったよ。本当に、よく生きていたものだ。」
面と向かって言われると、反応に困るところだ。
 「それが翌日にはこの通りなのも驚きだが…。ま、それは奇跡的な回復として、置いておこう。」
頷くクローナ。案外落ち着いた、淡泊な反応だが、自分以外にもそういう回復の早い亜人か何か居るのだろう、と納得する。
 「敵だが、艦隊の対空射撃により撃墜、さらに砲撃及び爆雷制圧を加えて、撃破を確実なものとした。」
 「…徹底的ですね。」
 「放っておいて、本土に跳梁したら一大事だからね。…まあ、それは建前で、願ってもない実弾射撃演習のチャンス、の様な気分もあっただろうね。」
 確かに、と頷く。そして苦笑い。少々気に掛かるところもあるが、襲ってくる相手ならこんな風に扱っても不適当とは言えないだろう。まして、軍隊なら。
 「その後、君たちを収容して、曳航作業に掛かった。あれだよ。」
 船医エドガーは、円い窓を指差した。外を覗くと、向かいの艦から幾本かロープが伸び、確かにクローナ達の見つけた艦に繋がっている。
 「自力で動かした方が、早くないですか?」
 「うん。君は知らなくて当然だが、ケーニギン号は漂流して五年以上になる。ドックでかなりの整備が必要で、動かせる状態じゃないんだ。」
 「ああ…。」
勝手にエンジンに手を付けなくて良かった、と思うクローナ。
 『通常配置甲種! 総員通常配置甲種に付け!』
 突然、そんな放送が鳴り響く。通常配置というからには、普通の態勢なのだろうが、甲種とはどういうことだろう。クローナには知る由もない。エドガーが無反応なので、聞かない事にした。
 「それにしても…。戦艦は貴重だからね。変な表現だが、連合海軍としては感謝してるよ。」
彼は続けて、遭難してきた相手に掛けるには不適当な言葉だが、と付け加えた。
 「連合海軍というと、ハーヴェイの軍艦なんですね。」
 「ああ、そうだよ。そうか、まだ言ってなかったね。」
船医が苦笑いを浮かべている。
 「え、と。大体わかりました。私達の事は、え〜と、他の三人から聞いてますよね?」
 「聞いている。SSだそうだね。」
ドキリ、と胸が高鳴るのを覚える。そこで知る。つい数週間も前は、間違いなく敵同士だったのだ。
 「元…、です。今は違いますよ。」
 「そうだね。そう聞いているよ。」
 意味ありげに、船医エドガーは頷いた。それが本当の事かどうか、自分を試したのだろうか。クローナは、そんな風に感じた。まあ、疑われるのも無理はない。
 とにかく、話を整理してみる。自分たちが見つけたのは、ハーヴェイ海軍の戦艦ケーニギンで、この艦は五年、恐らくは大戦中から漂流していた。そこへ例の飛龍が襲撃してきて、自分はその攻撃を受けて、意識不明。その前に発したSOSを聞きつけて、この艦隊が現れ、飛龍を撃退。そして…。
 「どこへ向かうんですか?」
 「アイゼンブルクの泊地へ戻る。」
 「そうなんですか…。良かった。遭難しちゃう前の船で、そこへ向かう予定だったんですよ。」
 「そうか。さて、起きたところでもう一度検診しておこう。」
 「あー…。お願いします。」
 もう大丈夫とは思ったが、いや、そもそも怪我をしたという自覚も無いが、従う事にするクローナだった。結局何も問題は無く、すぐに彼女は自由行動を許可された。

 「あら、もう元気になったの? 良かったわねえ。私、もう駄目かと思ったわ。」
 「いやあ、俺も。やっぱSSは違うな。」
 「SSだからってわけじゃ…。というか、もうSSの話は止めてください。」
 「あ、失礼。」
見晴らしの良い二番主砲塔の上で、四人は再会を果たしていた。
 「ま、それはともかく、この通り無事に全快です。」
う〜ん、とそこで言葉を切るクローナ。
 「私、そんなに酷かったですか?」
 「覚えてないのか。」
 「何も。」
少年の声に対して、肩をすくめてクローナは答えた。
 「そうだな。左腹部が抉られるようになくなってて、こう、血塗れの肋骨が見えてて、内臓、多分腸が…。」
 「止めて頂戴! よくそんな事が本人の前で言えるものね。」
大袈裟な身振り手振りを交え、ペラペラと喋るカールに、マリーが悲鳴の様な声で抗議する。
 「ん〜…。とにかく、酷かったんですね。」
眉間に縦皺を浮かべて、クローナはそう言った。
 「クローナちゃんも。駄目よ、こういう事を見過ごしちゃ。」
 「そ…うですか?」
 「そうよ。女の子に言う事じゃないわ。」
非難の目でカールを見ながら、捲し立てるマリー。
 「わ、わかったよ。俺が無謀だったってば。ゴメン。」
 「ま、良いでしょう。次から気を付けてくださいね。」
 「おう。…はぁ。そうだよなあ。」
どっかりと腰を下ろし、雲を見上げるカール。そして、言った。
 「あんな事言ったら、誰でも嫌がるよなぁ。いつもだ。変な事して、後で後悔するんだよな。」
 「何かする前に、考えないからよ。じゃないと、みんな不幸な目に遭うわ。」
 「ああ、納得。わかっちゃいるんだけどなあ…。」
 黄昏れた様な目。これが最初でもないのだろう。実際、その性格が災いして、里を抜け出す羽目になったという一面も、無いわけではないのである。そう、性格だ。性格になってしまっているから、そう易々と改善されるものではない。
 カールの声が午後の空に消えて、会話は途絶えた。今日の海は、若干波は出ているが、まあ穏やかな方だろう。灰色の空気と、鉛色の海には、何隻も軍艦が浮かんでいる。その速度が低いのは、もちろん戦艦ケーニギンを曳航しているからだ。どれが何という艦かまでは、さすがにクローナにもわからない。皆一様にクロガネ色に身を固め、空を睨む無数の砲が、アンテナが、いかにもいかつい。しかしその中にさえ、一種独特の造形美を見出す事が出来る。
 「…荷物、どうなっちゃうんでしょう。」
思い出した様に、クローナが口を開いた。
 「ハリファックス号に置いてきた分ね?」
 「ええ。」
 「心配御無用だぜ。」
視線が、一斉にカールに集まる。
 「港湾局の方で預かってもらう様、頼んどいたから。」
 「あら、本当? 見直したわ。」
顔をほころばせるマリー。いや、クローナも。
 「一週間は大丈夫だってよ。」
 「じゃあ、降りたらすぐに行かないと。」
一同、頷く。
 「…しかし、何だか変な展開になったよなあ。なんでこんな所に居るんだっけ。なあ、婆さん?」
 「な、何よ。好きで落ちたんじゃないわ!」
 ムキになって言い返すマリーだが、立場は弱い。笑みを浮かべているらしき、カールの顔。なにせ狼の顔だ。人生経験の豊富なマリーとは言え、微妙な表情は読み取れない。
 「ひょっとして、さっき私が叱った事の仕返し?」
 「さあ?」
 「酷い人ね。良いわ、どうせ私が落ちたのが悪いのよ。ふん。」
気を悪くしてそっぽを向いてしまったマリーだった。
 「ま、まあ、そうつんつんせずに…。誰だって、わざと船から落ちたりはしないんですから。」
それに、と付け加えるクローナ。
 「みんな無事ですから。」
 「ありがとう、クローナちゃん。迷惑掛けっぱなしなのに…。この獣人さんもね、助けに来てくれた時は、本当に感謝したのよ。」
 「あ、そうなんだ。助け上げたとき、俺の顔見てキャー、なんて叫ぶから、一瞬なんか悪い事したかなー、とか。」
 「あ、あれは! ちょっと、驚いただけ…よ。」
 まあ、顔に驚いたと言ったところだろう。失礼だとは思いながら、クローナはそこで吹き出してしまう。マリーも笑い出し、最初は抗議していたカールも、馬鹿馬鹿しくなって、一緒に笑ってしまった。

 「え〜と、艦長さ〜ん…?」
 「誰だ? シャキッと話せ!」
 「いや、その…。助けてもらった者ですが…。」
 「ああ、そう、失礼。どうぞ。」
 扉越しの会話はそこまで。明らかに他のとは違う扉を無造作に開けると、その先には木目調の美しい、しかし相変わらず小狭い部屋が広がっていた。帽子の陰に白髪の目立つ男は、その部屋の主である。
 「ああ、君ね。一等巡洋艦ノルトハイゼンへようこそ。ヘルベルト・シュペーテだ。…その、何というか。お早い回復だね?」
 「ええ、お陰様で。まずお礼を言わせてください。助けてくださってありがとうございました。」
 「いやいや。それはまあ、船乗りの義務だよ。」
艦長は帽子を取り、頭を撫でる。
 「それから、この服、艦長さんのだとか…。」
 「確かに私の物だよ。ふむ、サイズは合っている様だ。良かった。」
そんな事を口にして、笑顔を浮かべる艦長。クローナも、つられて笑う。
 「替えは持ってないのだろう。返さなくて良いよ。」
 「え、良いんですか? ありがとうございます。」
 「いやいや。まあ実際、こんな年寄りの作業服を若い婦人に送るなど、実に無粋な行為だがね。」
 そう言って、艦長はまた笑う。笑わないべきなんだろうなと思いつつも、やっぱり一緒に笑うクローナ。この艦長も…、そう、この雰囲気は、相当な“曲者”のそれだ。そう、彼女は思った。
 「それに引き替え、貴女のプレゼントは、戦艦だ。ふむ、まったく釣り合わないものだ。」
 「いや、見つけただけですから…。おまけに、勝手に大砲撃ったりしましたし。」
 「なに、構わんよ。誰だってそうするとも。いずれにせよ、高角砲弾の百発程度、安いものだ。」
 「だと良いです。…ところで、私達、百発も撃ってましたか?」
 「ん? 正確にはわからんよ。報告は読んだが、忘れたからな。」
またしても、艦長は笑いを見せる。
 「え、と…。それで…。」
反応に窮する。
 「ま、そうだね。お茶でも淹れようか。」
 「え、いや、お気遣い無く。」
まあまあ、と言いつつ、艦長シュペーテは、席を立った。言うまでもなく、お茶でも用意しに。
 「客人だ。茶菓子を頼む。」
用意といっても、伝声管に向かって、そう言っただけだ。肩すかしを食らった様な、複雑な気分を覚えるクローナ。
 「ま、すぐに来るさ。」
席に直る艦長。まあ、戦闘艦とあっては、お茶を温める様な器材は、迂闊な場所には置けない。こうならざるを得ないわけだ。
 「さて、まあ、あまり礼に則ったとは言えない話だけど、君の身の上に興味があるんだ。」
 「…というと?」
 「いや、君の様な若いご婦人が、SSの様な組織に居たとは、俄には信じがたくてね。」
 先ほど船医にも同じ事を聞かれた様な気がする。複雑な表情を浮かべるクローナ。誰が、こう、ほいほいと喋ったのだろうか。カールか、少年か。マリーさんなら、そんな事は言わないだろう。などと思いを巡らす。
 「本当のことですよ。ただし、守秘義務があるので、多くは語れません。」
 「律儀なのだね。辞めてきたと聞いたが。」
そんな事まで喋った奴が居るのか。さすがに呆れる。
 「まあ、仕事が嫌だから辞めたってだけで、別に帝国を見捨てて、アガスタに荷担しようとか、そういうつもりはありませんから。」
 「なるほど。過酷な仕事だったのか。…いや、こちらに居るとね、SSは残虐非道、非人間的な集団と聞かされるものでな。君とはあまりにも似付かないと思って。いや、辞めてきたとなると、やはりそういうところなのかな?」
 「そんな事ないですよ。」
う〜ん、と少し考えてから、クローナは続けた。
 「…でもそれって、誘導尋問ですよね。」
 「いや…。そうだな、この話は止めようか。」
 「だと嬉しいです。」

 その後、とりとめのない雑談などを交わして、30分ほど過ぎてから、クローナは部屋を出た。しかし、艦長の、元SSである自分へ向ける目は、やはりどこか、疑いの念があった様に思われた。いや、或いは思い込みであって、そうでなかったかも知れない。が、そうであったとしても、仕方のないことだろうとは思う。
 今後、そんな事が多くなるのだろうか。脱走してこの方、考えたことも無かったが、それはそうだろう。帝国では追われ、アガスタに来てもまた、そんな事があると思えば、気分は鬱だ。
 「覆水盆に返らず…?」
 灰色の空に向けて、呟いた。友や家族と共に、平穏に暮らすということが、これほどまでに困難な事だとは、思いもよらない。国家権力という巨大な力が、それを否定しようとしている。そうなったのは、己が秘めた、同じく巨大な力による。そうすると、生まれたときから叶わぬ願いだったのかも知れない。
 「いや、それでも…。」
 それでもなお、未来は定まっていない。ただ最善を尽くす他は無いだろう。それ以外の選択は、ろくでもない結果に繋がるだろうし、最善を以てすれば確実に望みが叶うなどと、信じられるほどの楽観主義者でもない。あのボートの様に、頼りない気分だ。堅城を打ち破る力を持っても、峻岳を越える翼を持っても、それでもなお、個人に出来ることは小さいのだな、と思う。
 「はぁ…。つらいなぁ。」
 上を見上げて、溜息をつく。灰色の空は、もちろん何も答えてはくれない。全ては、自分で越えるより他ないのだ。そう悟ってもなお、普通の女の子に生まれていればな、と思わずにはおれなかった。

 

 「これでお別れね。」
 「ええ、お元気で。色々片付いたら、伺います。」
やがて艦隊はアイゼンブルクの港に帰還し、クローナ達は今、荷物の回収も終わって、ゲートの前に居る。
 「また海に落ちたりすんなよ。」
 「失礼ね。あんな事、二度とあるもんですか。」
ふくれてみせるマリー。
 「…でも、忘れられない思い出になったわ。冥土の土産にぴったりの、ね。」
 「おいおい、あっさり旅立つなよ。」
 「そんな意味じゃないですよ。…きっと。」
 「ええ。心配してるって意味で受け取っておくわ。じゃあ、ほんとに。さよなら。」
 「おお。元気で。」
手を振って、マリーが背を向ける。沢山の荷物によろよろと悪戦苦闘しつつ、その背中が遠ざかっていく。
 「大丈夫かな〜…。」
 「大丈夫ですよ。何だかんだ言って、86年の経験があるんですから。」
 「そうか。…そうだよな。」
最初は役所にでも行くのだろうか。そんな事を思う。
 「さて、私達も、行きますか。」
 「あれ、行く当てがあんの?」
さあ、と一歩踏み出したクローナに、カールが声を掛けた。
 「言ったじゃないですか。知り合いが居るって…。」
出鼻を挫かれ、顔をしかめて答えるクローナ。
 「あ、そう? お前聞いた?」
カールが少年に話を振る。
 「聞いた。」
 「ほら。」
思い知ったかとでも言わんばかりに言うクローナ。
 「むぐぅ…、そうか。で、どこに居るの?」
 「ゲーブルセイム。」
 「ふ〜ん。…それ、どこにあんの?」
 「ああ、もう! 何聞いてたんですか! 大陸の真ん中くらいにある街です!」
 「ご、ごめんってば。わかったから怒るなよ…。」
謝罪を無言で容れ、歩き出すクローナ。しかし、何を怒ることがあっただろうか。
 「…。その…。」
 「え、今度は何だ?」
 「…ごめんなさい。」
 「いや、まあ…。」
 何となく気まずい雰囲気を残して、三人もまた、その場を去る。目指すはゲーブルセイム。全部成功させて戻ると言った手前、クローナの気持ちは、暗かった。

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