灰色の空

第一章 第四話

神聖エルファト連合帝国 神都セレスト

 ぼやけた陽光が、翳り始める頃、相変わらず神の城は、厳粛な空気を従えて、佇んでいた。人数次第では、付近の集落から到達することすら難しい、この城。どのようにして建設したのか、それは既に伝説と化し、時の闇に消えている。
 …その城の中、SS構成員用の個室前の廊下にて、クローナとリヒャルトは、話していた。
 「それで、私が、皇族の血を引いているとかいう事は、あるんでしょうか?」
 「あり得ないな。お前の身元は、ハッキリしている。」
 「そうですか…。」
少しだけ、残念そうな表情を浮かべるクローナ。
 「…何故、そんな事を聞く?」
 「この間の任務で、王女なんて呼ばれたんです。」
 「誰に?」
 「モンスター。」
 「そんなものに、いちいち取り合うな。寿命が縮むぞ。」
 呆れた口振りで、あっさりとリヒャルトは切り捨てた。そんなものかな、とクローナも思う。でも、ちょっとだけ期待してはいたんだから、もう少し言い方が…、とも思ったが、それを口にするのは諦めた。無意味だ。
 それより、もっと大きな問題がある。自分のことを王女と呼んだ奴は、より重大な事を示唆した。聞いてはいないが、わかる。聞いた瞬間に、わかってしまった。奴は、彼女が人間ではないと言ったのだ。少なくとも連中にとっては、人間と切り分けて考えるべき、別の意味を持つ存在であると。確かに、空を飛び、片手でヴァンガードを振り回すなど、人間業ではないだろう。では、自分は何者? そう思う。
 …それを、リヒャルトに尋ねることは出来ない。答えられる筈が無い。それにも増して、無駄な心配を掛けたくないのだ。
 ふと、自分を観察するようなリヒャルトの視線に、クローナは気付いた。
 「…何ですか?」
 「お前は、考え事が多いな。」
 「あ…、ええ。」
俯きながら、彼女は肯定する。それだけ、色んな事があるのだ。ただ、内容は言えないし、リヒャルトも問わない。
 「まあ、お前なら仕方ない。ただ、気を付けろ。考えるのと、悩むのは別のことだ。」
ふっと、クローナは見た。リヒャルトの顔を、だ。
 「悩んでいても、ものの役には立たん。皺が増えるだけだからな。」
そうして、彼は軽く笑った。軽く、ほんの軽くだ。
 「そうですね。」
 彼女は、まったく納得した。自分が人間であるとかないとか、そんな事を気に掛けて、どうなるだろう。解決する術のない問題など、存在しないのと同義だ。確かにそうだ。それでも、何かが心に引っ掛かる。少しだけ考える仕草をして、彼女は言った。
 「じゃあ、部屋に戻ります。変な話に付き合わせて、失礼しました。」
 「ん。気にするな。」
一礼してすぐに、二人は別れた。

 「シャキシャキシャキシャキだぜ。」
 自室前の廊下で、ヴェムは、そんな事を口走りながら、異常ダンスを舞っていた。
 「…。」
クローナはそれをはっきりと目にしたが、どう反応して良いかわからないので、無視して自室のドアを向いた。
 「あれー、どこ行ってたのん?」
彼女がドアノブに手を掛ける前に、そういう声が投げ掛けられた。見ると、声を掛けた男・ヴェムは、彼女の事を、変なポーズで指差している。
 「まあ、ちょっと…。」
 「大したことじゃない。」
 「ええ。…ところで、何してるんですか?」
 「何って…。」
 「…。」
そこで、会話は止まった。…かに思われた。
 「いや、今ほら、エルエルが俺の部屋、掃除してるから。何だ、入れない。」
 「う〜ん…。」
クローナは、本当に困った顔で、首を傾げた。彼女には、そこから異常ダンスへ至るまで、だいぶ論理の飛躍があったように思えた。ちなみにエルエルとは、ベッドメイキングを担当する人物。
 「一緒に踊る?」
 「嫌ですよ!」
平然と尋ねるヴェムに、クローナは即答した。
 「そっかぁ…。でもなあ、普通であることを演じることを止めれば、相当楽に生きられるんだよ。」
 「そんなこと知りません。私はその動きは嫌です。」
ちょっと深いセリフに驚きながらも、やっぱりクローナは断る。
 「まあな〜。女の子だもんな〜。…で?」
 「で? って言われても…。」
 「知らない?」
 「何ですか。」
どうも、一緒にいると混乱させられる男。クローナは、改めてそう思った。
 「指令が出てる。」
 「はぁ?」
素っ頓狂な声。
 「だから、指令が出てる。仕事。」
 「そんなぁ。さっき総長さんに会ったときは、そんな事一言も言ってませんでしたよ。」
再び自分のことを指差すヴェムに、彼女は大きな声で抗議した。仕事があるのは、実に嬉しくない。
 「でも、文書で来てるよ。ほれ。」
眉間に皺を寄せて、クローナは紙を奪い取った。そう、奪取した。そして、読む前に言った。
 「指を指すの、止めてください。」
 「嫌?」
 「何度もそう言ったじゃないですか!」
 「ふふ〜ん、嫌がるところが可愛い。」
反射的に、クローナは左の拳を構えた。サッと後ずさるヴェム。
 「冗談だってば〜! 命ばかりは〜!」
そのまま土下座に持っていく彼を無視して、クローナは、書類に目を向けた。眉間に皺を寄せたままだ。まったく腹の立つ状況である。
 「…何ですか、職業革命家って。」
一瞥して目に飛び込んだ文字に、一言感想。
 「…もしかして、あの…?」
 肩書きはともかく、その名前を見て、彼女は少し考える。聞き覚えが、ある。現在、アガスタ連盟各国を独立へ向かわせた、ある男。各地で革命を主導し、幾多の戦いに姿を見せた、伝説の男だ。無論、帝国にとっては不倶戴天の敵であろう。
 それに対して、遂にSSが動くという事か。
 「何でも良いんだよ。攻撃目標だ。」
 大きな事であるが、ヴェムはあっさり切り捨てて見せた。書類には色々と始末すべき嫌疑が並び、それから所在その他の情報。恐らく、この情報が揃わないために、SS投入がここまで遅れたのだろう。決行日時は、15日後。
 「ふぁ〜あ。」
緊張を張るクローナの横で、ヴェムはあくびなどする。何とも、腹の立つ行為だ。
 「どうしてそう、落ち着いてるんですか。」
 「だって、仕事のやり方はキッチリ指示されてるんだから、レールに沿って走れば良いだけだろ?」
 「そういう問題ですか?」
書類から完全に目を離して、クローナはヴェムに向き直った。目を、見据える。言葉で戦う気構えを見て取ったヴェムは、一呼吸置いて、答えた。
 「俺はなぁ、この男が、前から気に入らなかったんだよな。革命とか何とか言ってな、まあ理想信念は大いに結構だが、そのために秩序を暴力で破壊して、沢山殺すわけだよ。それを大義とか何とか…、スマートじゃないし、現場を見た人間にとっては、何か違うんだよな。」
 「まあ…。」
確かに、“現場”を見れば、思い当たる節はある。明確な意志を持って、人を殺すという行為の何たるかもそうだが、どのような理論も、親しい者を殺された憤りに抗することは出来ないという事だ。感情は一時的個人的に過ぎず、理論は永久的一般的であるが、その一時一個人において、激情の力は如何なる正論をも粉砕しうる。人はそのように出来ている。従って、ある人物の永久の喪失が意味するところは、その周辺への永久の怨恨である。
 しかし、そう主張するなら、疑問は残る。問うて良いものか、少し考えてから、やっぱりクローナは口にした。
 「じゃあ、どうしてSSに居るんですか…?」
まったくそれである。
 「良い質問だな〜…。」
今度は、ヴェムが考える番だ。
 「まあ、考えあってだよ。入った頃は、そんなところまで思わなかったけどね。詳細は勘弁してね。」
 「う〜ん…、わかりました。」
納得は行かないが、恐らくSSの軍紀に照らして、問題のある解答なのだろう。無理に聞いてはいけない。クローナは、そう考えて、切り上げた。そうすると、なおも色んな思いがある。
 「みんな、色々考えてるんですね…。」
 「まだまだ。具体的じゃないし。」
軽く照れるような動作で、ヴェムは対応した。といったところで、この男が、こんな事で照れる筈もないことは、少し付き合えばわかることだ。

 「終わったよ〜。」
唐突に、明るい声が場の空気を変えた。二人が振り向くと、ホウキを手にした女性が立っていた。赤みがかった髪が、よく似合う。
 「お〜、エルエル〜、お疲れ〜。」
 「おーっす。ヴェムって、見た目と違って部屋は散らかさないから好きだよん。」
 「見た目と違って、とか言うな。」
 三人で、笑う。ちなみに彼女の本名は、ノウェル・ラ・ハヴィブ・ノクラート。元々、リベル大公国北部で船会社を営む一大資産家の令嬢としての地位があった彼女だが、どんな酔狂な心変わりか、今はこんなところで働いている。まあ、お気楽な言動からして、セコイ金勘定が嫌だったんだろう、程度の憶測が大手を振って流れているのだが。
 「で、何話してたの?」
 「え〜と…。」
 「部外秘で〜す、残念。」
腕で大きくバツ印をつくるヴェム。みるみるうちに、エルエルが顔をしかめる。
 「ケチ。少しくらい話してよ。」
 「え、と、流石に今回ばかりは…。」
 「クローナちゃん、いつもそう言うでしょ〜?」
うっ、と詰まってしまうクローナ。まったく図星だ。
 「ま、良いけどね。」
ホウキの柄で頭を掻きながら、エルエルは、少しすねた表情を見せる。
 「そうそう。お前は黙ってお掃除な。」
 「…お前嫌い。」
一瞬止まった後、急にたそがれてしまうエルエルだった。
 「あ〜っ、怒っちゃいましたよ。良いんですか?」
 「ああ、いつものこと。な?」
馴れ馴れしく、肩など叩くヴェムだが、その手は即座に振り払われた。
 「うるさいよ。あーっ、イライラする。クローナちゃん、次は君の部屋だからね。」
 「あ、はい。お願いします〜。」
 軽い苛立ちを肩に浮き立たせて、エルエルはクローナの部屋へと消えた。こうなると、部屋で寝て暇つぶしも出来ない。普通、ベッドメイクなど要らなければ断れば良いわけだが、どことなく悪い気がして、クローナは今のところ一度も断ったことはない。その話を、以前ノールにしたところ、大笑いされて酷く不愉快な思い出になったこともある。
 「さて…。俺の部屋とか?」
 「なんでですか。」
満面の作り笑いで、自室を指差すヴェムだったが、クローナのストレートな拒否反応。
 「はぁ〜…、ノリ悪いな、お前。」
 「何ですか、ノリって。」
 「何ですかって、お前。芸人たるもの、ノリが肝心だろ〜?」
 「いつ私が芸人になりましたか…。」
そう言いながら、この男と話していれば、こっちまで芸人じみて見えるだろうな、などと思ってしまう。
 「ま、それはともかく。俺の部屋とか?」
 「どうして、そんなに誘うんですか?」
 「どうして、そんなに嫌なのかな?」
 「嫌ってわけじゃあ…。」
 「じゃ、行こう。な?」
 「はあ…。」
強引なナンパである。

 「男部屋って、造りが違うんですね。」
 「ま、貫禄だな。」
 意味不明なヴェムの回答は、無視する事にする。何だかんだ言って、来てみれば、物珍しそうに辺りを見回すクローナだった。考えてみれば、男部屋に入るのは、入隊させられて初めてだ。リヒャルトの部屋にも、入ったことはない。近くて遠い世界だ。
 「何か飲むか〜?」
 「何があるんですか?」
 「水。」
 「…え、と。それだけですか?」
 「うん。何か飲むもへったくれも、水しかなかった。」
こんな話ばっかりだ。ごそごそと、隅の物入れから瓶をあさるヴェム。
 「を、ビールが出て来た。…いつのやつかな。飲む?」
 「大丈夫なんですか!?」
 「大丈夫じゃないの〜? ほら、この城寒いし。大丈夫大丈夫、ほら、乾杯いこう。」
 「知らないですよ…。」
とは言いつつも、任務まで15日も時間はある。もし当たっても、楽に治るだろう。本質的にクローナもまた、お酒好きだった。
 「じゃ、遠慮なく〜。」
 「お〜う。」
満面の笑みを浮かべて、乾杯を交わす二人。この後も色々とネタまみれなのだが、最終的には二人とも記憶を飛ばしてしまうので、語る意味はない。

自由ハーヴェイ連邦 港町カールスハーフェン

 さして大きくもない港町の海は、鉛色に揺れ、その波頭は時折白く砕ける。漁船の繋がれた桟橋に人はまばら。今日は、漁もお休みらしい。その向かいにある埠頭には、数隻の貨物船が入港しており、その周囲だけが慌ただしい活気を帯びている。空は、もちろん曇っている。
 「にゃ〜ん、って。」
 「警戒してますね〜。」
その港の一角に、若い男女の姿があった。二人は黒猫を眺めている。一方の猫は、こちらもじーっと様子を窺っていたが、結局どうでもよくなったとばかりに、とことこ行ってしまった。
 「つま〜んね。…行くか。」
二人組の、男の方が、そんな声を発した。

 

 その頃、その男は、机に広げた地図に向かって、何事か作業していた。淡い昼光の差し込む建物は、町の中心からやや外れた場所にある。二階建てほどの高さを持ったその建物は、しかし中は吹き抜けで、真ん中を壁で分けてあるほか、トイレがあるだけだ。不思議な造りである。その、玄関と遠い側の部屋に、彼は居たのだ。扉をノックする音が聞こえる。
 「入ってくれ。」
木の扉が、ゆっくりと開いた。サッと乾いた外の光が射す。男は作業を続けたままで、入ってきた人間が誰か知った。いつもの部下だった。
 「特に何もなし…。が報告です。」
 「それは良かった。」
地図に何事か書き込みながら、男は聞いた。返事も、どことなく上の空である。会話が途切れ、鉛筆が紙上を滑る音だけが、リズミカルに響く。
 「…それで、他に何か?」
しばらくして、彼は部下に尋ねた。わざわざ突っ立って待っていることもないだろうに、と。
 「いえ…。」
 「何だ。煮え切らないのは、体に毒だぞ。」
鉛筆を置いて、彼は向き直り、言った。
 「この一ヶ月、何の動きも見られませんが、それが怪しいと皆案じています。」
 「ああ、それか。確かに、アーヴィッツの大臣がやられたきり、その筋の動きはないな。」
男は頷いて、しばらく考えてから、口を開いた。
 「正直、私もおかしいと思う。」
 「やはり。」
 「SS…、か。」
 ふぅ、と、男は高い天井を見上げた。彼が胸に付ける南十字星の紋章は、自由ハーヴェイ連合の軍人である事を意味する。幾つか皺の刻まれた顔に、夕陽が影を付ける。齢48とは思えないその風貌は、苦労と苦悩の深さを意味しているようだ。エアハルト・ヴィーテ。その名前を知らない者は、少ない。
 天井を見上げたまま、溜息をつく。あの連中が居なければ、死なずに済んだ仲間も多い。
 「まあ、余所の国にちょっかい出すばかりが、連中の仕事とも思えんがな。」
 「それはそうです…、ね。」
とは言いつつも、一昔前までは、この地も帝国領であった。帝国上層部にとっては、あるいは今も、“外国”と認識されるものではないかも知れない。それとも…。
 「クレーター外縁の偵察かな。」
 「それはあり得ます。」
隕石を落とす大量破壊魔法の炸裂した土地。最近、あの地も色々の輩が開拓に渡り、嘘か真か定かではないが、中には独立国家を旗揚げしたというような話もあるらしい。
 「が、あれこれ憶測してみても、解決にはなりますまい。」
 「それもそうだ。…さて、どうするか。」
 そう言い終えて、彼は、何となく異変の気配を感じた。それは、部下の男も同様であった。拳銃に手を掛け、ドアの方を見やれば、果たして突然それは開かれた。
 入ってきたのは二人組の男女。特徴的な漆黒の装束が、男達の表情を厳しいものにせずにはおれない。そして、男女の内どこか怪しい雰囲気のある男が、僅かばかり不機嫌な声で、言った。
 「ちょっと、仕事しに来たぞ。」
エアハルトは、既に銃口を向けていた。いつでも撃てる。それは隣の部下の男も同じだ。
 「噂をすれば、何とやらか。しかし、こう若いとは思わなんだ。」
 「油断は禁物でしょう。相手が相手ですよ。」
がらんどうの広い部屋、この距離で銃口を向けていれば、優位は圧倒的である。だが、それを理解した上であろう、相手の大きな態度。わざわざ真正面のドアから入ってきた意味、だ。実際、油断できない。その、油断ならない男は、随分と大きな態度で言った。
 「わかってらっしゃるか。じゃあ自己紹介は抜きだ。ところで、仕事の前に、少し話したいことがある。」
そして、一人で堂々と、脇に置かれていた椅子に腰掛けて、ふんぞり返って足など組む。
 「…行儀が悪いですよ、ヴェムさん。」
 「…名前をバラすのは止めような。」
 「あ…。」
お互いに、苦笑い。
 「変わった刺客だ。」
自分も腰を下ろしながら、エアハルトは、そう評した。ただし、まだ銃口は向けたまま。
 「それで、話とは。」
 「おお。大きな目標のためには、小さな犠牲はやむを得ないとかいう考え方について、一言頼もうか。」
 「ほう…。」
 アガスタ連盟を独立戦争で勝たせるまでに仕立て上げた首班の一人が、目の前にいるのだ。この20年ほど、幾多の革命の中には、必ずその姿があった。その功績を成し遂げるのが、単に優れた頭脳だけによるものでない事は明らかである。どれだけ凄い言葉を聞けるものか、ヴェムは、純粋に期待している。
 「ヴェム君と言ったか。君が、我々の起こした数多の戦いの中で、多くの命が失われた事について、非難するというのなら、私は…、我々は、それに甘んじなければならない。」
三人が、複雑な表情を見せる。思いは三者三様である。
 「だが一方、あの頃、民の自由を束縛し、それどころか命さえも不当に奪われる不正義が、大手を振ってまかり通り、あまつさえそれを批判する事すらも許されない状況があったことも、また事実だ。」
ふむ、とヴェムは頷く。“あの頃”とは、彼が生まれていたかどうか、という頃の話だ。
 「ひとたび凶作に見舞われれば、そうだな、このハーヴェイの地だけで、10万単位、下手をすれば100万を超える死者が出たものだ。収穫量を人数で割れば、誰一人として飢えないはずなのに、だぞ。」
 「確かに納得は行かないか。しかし、自分が生き残るために、政治を転覆させ、人を殺すまでする権利があるか。」
場は、既に二人だけの雰囲気を醸し出している。
 「その部分を哲学している時間は、無かった。議論している間に人が死ぬ。我々は、軍事的に如何に勝利するか、その後の秩序をどのようにするかという問題だけで、手一杯だった。当時、誰も…、もちろん私も、その辺りを疑わなかったな。何しろ、向こうが不正義を為していることは、明らかだった。」
エアハルトは、淡々と語る。自分を正当化するという雰囲気ではないな、とヴェムは評しながら、言った。
 「他の手段は無かったのか。」
 「だから、時間が無かった。あるいは、あったのかも知れない。軍事力に訴えるのが最善であるか…。」
 「今はどう思う。」
視線が交錯する。
 「あの隕石だ。あれで、暴力の何たるかを思い知らされた。そう思うね。だからといって、非暴力へ180度走る気にもなれんが。」
 「ふむ。俺が思うのは、時の秩序を、いくら可能だからといって、不満があるからといって、反乱だの革命だので、非合法に転覆させて良いのか、ってところだ。」
 「それも、考え始めると難しい問題だ。」
政府を武力で破壊すれば、訪れるのは無秩序である。その中では、時には大変な惨事が生まれることもある。そう、戦時下を上回るほどの大惨事だ。
 「反乱を首謀した側が、ひとたび既成秩序を転覆させたならば、逆に彼等が政治を担うことになる。不思議なことに、その時、今まで以上の苛烈な暴政が敷かれることは、歴史の上で、少なからずあった。」
 「だろ?」
 「だがそれは、後始末まで考えていなかったからに過ぎないと、私は考えるものだ。まあ、とかく目の前の敵を倒すことに目が行きがちだからな。」
私もそうだったと言わんばかりに、エアハルトは目を瞑る。彼が今、政治屋ではなく軍人なのも、その辺と無関係ではないだろう。
 「まあ、我々による後始末は、幸いにして、最悪の結果は免れている…と思うがね。いずれも、状況次第だ。深い部分にはあまり触れていないが、答えになったかね。」
 結果さえ良ければよい。自分がそんな風に言っているように感じるエアハルト。無論、本心はそうではないが、目の前の男は、そこまで察してくれるだろうか。彼は答えを待つ。
 「…それでも…。う〜ん…。最後に、エルファトでも同じことをするつもりか?」
 「この地も、かつては帝国領だったよ。」
 「今、帝国は革命を必要としないんじゃないか。」
 「なるほど。しかし、君はSSだろう。」
官側に偏っているという指摘もあるだろうが、むしろ民が何を思っているか、知らないのではないか、という事だ。ヴェムは、そう理解した。彼は、考え込む。確かに、全ての状況を把握するには、知識も経験も足りていない。それでもなお、素直になる気にはなれない。彼は、口を開いた。
 「…俺は、帝国が好きなんだよ。行った事のない場所もあるけど、確かに上層部は腐ってるけど、それでもだ。その帝国が、内乱に突入するのは我慢ならない。」
 「そう、か。愛国心は、悪いものではない。だが、義を見て為さざるは勇なきなり、とも言う。」
 「勇というより、策がない。なかなか、なあ…。」
 「現状に満足するものではない…、という点では認識を同じくするようだな。」
 「うぅむ…。」
考え込むヴェムに、エアハルトは頷いた。ヴェムは、全てを計算の内に、解決したいと考えている。二人は、考え方が異なるのだ。しばらく、沈黙が支配した。
 「…旅に、出よう。」
 「なるほど。若い内には、それもまた有意義だ。」
 「…ちょっと待ってください。」
そこまで来て、クローナは口を挟んだ。
 「任務はどうなったんですか。」
考えてみれば、何とも本末転倒な状況である。
 「やる気無くなっちゃったよ。」
 「そんな…。私はどうなるんですか。」
 「逃げたって報告しといてくれ。」
 「そんなぁ…!」
困惑と抗議を目一杯体で訴えて、ヴェムを睨むクローナ。確かに、任務を遂行したい…つまり、殺してしまいたいなどとは思えない相手であるが、事はそう単純な話でもないはずだ。
 「じゃあ、会いたくなったら例のS−16に居るよ。多分。」
抗議にもかかわらず、ヴェムは、手を振って出ていく。
 「う、だから…。」
標的である男二人は、既に銃を下ろして、腕組みなどして見物している。何も出来ないと高を括っているらしい。普段なら流石のクローナでも怒るところだが、今はそれどころではない。どうして良いか、うろたえるクローナを。散々迷った挙げ句、彼女は、ヴェムを追うことにした。

 クローナが走れば、ヴェムに追い付くのはわけない。すぐに二人は再会することになる。
 「考え直してくださいよ。困るじゃないですか。」
 「な、泣きつかれてもさぁ…。SSだろ、気にせず任務遂行しろよ。」
 「SSだったら、脱走兵の始末は最優先任務ですよ!?」
 「あ、そうか。」
ポン、と手を打つヴェム。
 「じゃあ、俺を斬るのか。お前に斬られるんだったら、それも悪くないかな〜、とか言って。」
 「う…。出来ません、そんなこと…。」
予想された回答。そのまま、クローナはうずくまってしまった。本来、それでSSが務まるわけがない事は、彼女も知っている。とはいえ、一度情が移ってしまえば…。
 「じゃ、縁があったら、またな。もし任務に失敗したら、俺を言い訳に使って良いから。」
 そのクローナの頭を撫でながら、彼はそう言った。馬鹿にしたようにも聞こえるが、本気のようでもある。どっちにしても、腹が立つ。
 「酷い人ですね、ホントに! わかりました。…さようなら!」
頭を撫でる手を振り払って、彼の顔をキッと睨み付けた後、クローナはくるりと背中を向けた。
 「恩に着るよ。本気で。」
二人は、そうして別れた。さらに、クローナが先程の建物に戻ってみたところ、当たり前ではあるが、エアハルトの姿は無かったのである。彼女は、一人で、落胆した。一方で、これで良かった様な気もする。何にせよ、大変な事になったのは確かだ。

神聖エルファト連合帝国 神都セレスト

 「奴が脱走か。ミイラ取りがミイラというか、思えば何を考えているのかわからん奴だった。」
 穴を空けただけの窓の外へ、葉巻の煙を吹き出しながら、リヒャルトは言った。今日は、雪が降っている。沈痛な表情で、小さくなっているクローナ。
 「済みません…。」
 「お前が謝っても意味はない。それより、どう言い訳するかだな。」
痛恨の極み、というやつだろうか。
 「…お前のせいじゃないんだ。それは解る筈だ。もう少し、気楽にしろ。」
 「はい…。」
目の前の娘は、彼の言葉にも、相変わらず小さくなったままだ。気持ちの切り替えの早さも、武人として大切なところだが、まあ17歳では仕方ないか、などと思うリヒャルト。
 「ま、奴が途中で脱走。お前が追って始末を付けようとする内に、計画破綻…、といったところか。」
 「大丈夫でしょうか…?」
 「俺やお前ならともかく、上の連中には、わからんだろう。あながち嘘でもないしな。」
確かに、端折って説明すればそうなる。
 「じゃあ、後はゆっくり寝て気持ちを落ち着けろ。」
それだけ言い残して、リヒャルトは去っていった。相変わらず、雪だった。
 その寒々しい空気の中で思う事は、SSの枠を超えて、遠くを見ている男に対し、自分たちは何をやってるんだろう、という事だった。彼は、策がないと言った。自分は、考えた事もなかったのではないだろうか。何だかんだと言いつつも、結局SSで居る現実を、自分は当然のものとして受け入れているのだろうか。そんな方へ思いを巡らすと、溜息は、より一層深くなるばかりであった。
 「…嫌いじゃあ、なかったんですよ。」
彼女は、そんな事をつぶやいた。

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