「というわけで大掃除を始めるわよー!」

 などと。

 俺たちを例の元ホテルの前に集め、やったら元気の良いミストの宣言を、俺は陰鬱な気分で耳にしていた。

 

 ―――なにが『というわけ』なのかは『貴族夫人殺人事件』を参照してもらうとして。

 ぶっちゃけていえば、ミストがルーンクレストの学園長に借金して購入したこの廃ホテル。

 これを探偵事務所として改装するために、俺たちはミストに集められたわけだ。

 時刻は昼。太陽は天頂をやや過ぎた頃。

 ちなみに集められたのは俺とミストを含めて五人。

 俺、ミスト、テレス、トレン、カリスト。

 たった、五人だけ。

 

「―――なあ、ミスト?」

 

 俺は五人だけしか場にいないということの意味を苦々しく噛み締めつつ、意気揚々と腰に手を当てて胸を張っているミストに呼びかける。

 

「本当に俺たちだけで掃除するのか?」

「もちろん」

 

 うわ、即答だよオイ。

 重かった気分がさらに重くなるが、それでもくじけずに事前に聞いていた情報を思い返しながら、

 

「確かテレスの話じゃ、このホテルって3階建てで、客室が16室、事務所やら厨房やら食料庫を含めた倉庫やらが合わせて6つ、さらには大食堂が1つあって、ついでにトイレが3つ。さらに加えて、建物と同じくらいの面積がある大きな庭が1つ!」

「いやー、とってもいい物件よね!」

「ああ、とってもいい物件だな。・・・・・・それが、持ち主が夜逃げして、もう何年も放置されっぱなしじゃなければ!」

 

 砂埃で薄汚れ、ところどころ苔の緑が映えるような外観を見れば、中がどうなってるか想像するのは難しくない。

 それをこのミストはたった5人で掃除しようって言うんだから。

 

「お前アホだろ!?」

「ええっ、どうしてそんな飛躍した結論に!?」

「飛躍してねえよッ! 当たり前に思ったことを当たり前に指摘してやっただけだ! こんなん、5人でやってたら一年かかっても終わんねえよッ!」

「いや、流石に一年掛ければ終わると思うけど」

 

 と、俺とミストの隣でカリストが冷静にツッコミをいれる。

 俺はにっこりと微笑むと、カリストの方に顔を向け、

 

「絶対、終わる前にミストが飽きる」

「ああ、成程。ミストさんってもの凄く飽きっぽいから―――」

「ミステリア・ブラストッ!」

 

 いきなりミストが技の名前(らしい)を叫び、カリストを指さすと、いきなり突風が巻き起こり、やや太目の身体を吹っ飛ばした。

 

「ひあーっ!?」

 

 悲鳴を上げて、通りの向こうの方へと転がっていくカリストを見送り、ミストが誇らしげに胸を張る。

 

「ふっ、どうよ! 私が今開発した必殺技!」

「つか、サレナの力だろ」

「サレナは私の分身とも言える存在だからイコール私の必殺技なのよ! ―――ほら、サレナもそう言ってるわ!」

 

 と、ミストは自分の肩の辺りを指さして言う。

 サレナ、というのはミストの精霊であり、ミスト自身にしか見えていないし、その言葉も聞こえない。

 だから本当のところ、サレナがなんと言っているかは解らないが―――まあ、ミストの言うとおり、サレナというのはミストの分身・・・というかそのもののようなモノらしいので、嘘ではないのかもしれない。

 ・・・どっちにしろ、どうでもよいことだが。

 

「ううっ、酷い目にあった・・・」

 

 半べそをかきながらカリストが戻ってくる。

 地面を転がったせいか、体中砂埃まみれだった。

 

「まあ、シード君の言いたいことも解るわ」

 

 と、カリストを吹っ飛ばして気が晴れたのか、突然ミストが解ったような事を言う、

 

「私の推理によると、長年放置されていたせいで建物の中は埃まみれ。庭だって草ぼうぼうで、片づけるのに1年はともかく一ヶ月くらいは掛かってしまうかも知れないわね」

「推理以前の問題だろが」

「でもね、シード君。何事も始めなければ終わらないのよ!」

「雨が降りそうだねー」

 

 ミストの立派な演説に、トレンがのんびりとそんなことを言う。

 反射的に空を見上げるが、雲一つ無い天気だ。雨雲のカケラも見えない。

 だが、カリストのやつはなにかピンと来たようで、

 

「ああ、珍しくミストさんがマトモなことを言ったから―――」

「『ビル・ガル・バル・ゴウ』!」

 

 ごわんっ。

 と、さっきミストがやったのとはまた違った突風が、再びカリストを吹っ飛ばす。

 それをやったのは。

 

「お姉様、素敵ですっ!」

 

 カリストに向けて魔法を放った杖を地面に落とし、テレスが感極まったようにミストに抱きつく。

 ちなみに二度も通りの方に転がっていったカリストは、今度はさらに馬に蹴られてさらに向こうへと吹っ飛んでいた。

 ・・・つーか、死んだんじゃないか? あいつ。

 

「いやー、カリストって結構、しぶといから大丈夫ですよ。よくクレイス様やミストさんに殴られてましたから」

 

 にこやかに―――にこやかに言う事じゃないとは思うが―――トレンがそんなことを言ってくる。

 つか、あいつ結構、不幸なヤツだったんだなー・・・

 

「感動しました! そうですよね、どんな困難も始めなければ終わりませんよねっ!」

「わかってくれて嬉しいわッ」

 

 ひしっ、と抱き合うミストとテレス。

 2人はひとしきり抱き合うと、揃って俺の方を向いて、

 

「じゃ、そう言うわけだから頑張ってね、シード君」

「応援してます、シード様」

「・・・・・・」

 

 なんとなく予想はしていたような気がする。

 ゆっくりと振り向いてみれば、カリストの姿はすでに見えない。

 なんとなく予想はしていた。

 ゆっくりと振り向いてみれば、カリストもまた俺に向かって親指をグッと立てて「頑張ってください」と一言。

 俺はうん、と頷いて。

 

「まあ、予想通りだな」

 

 呟いてから、俺はゆっくりと後ろを振り返ると、そのまま全力で駆け出し―――た、その瞬間、圧倒的な突風が、俺をホテルの中に押し流した。

 

 

******

 

 

 俺の身体は風に押し流されて、ドアを押し破ってホテルの中へと転がり込む。

 

「ぐおおおおお・・・・・・」

 

 全身を打った痛みを堪え、呻いていると上から声。

 

「あら?」

 

 のんびりしたその声は女性のものだった。

 ・・・ミストやテレスの声じゃない。

 

「・・・誰だ?」

 

 誰何の声と一緒に、転がったままなんとか顔を上に向ければ、そこには一人の女性。

 茶色と白を基調とした、色気のない簡素なドレスに身を包んだ、20代半ばくらいの人だ。・・・・・・人?

 

「あんた、人間・・・か?」

 

 どっからどう見ても人間だ。

 別に角が生えていたり、耳が尖っていたり、牙が延びてるわけでもない。

 ただ、なんとなく違和感のようなものを感じる。

 

「いえ、違います」

 

 そう言いながら彼女はこちらに手を差し伸べる。

 人間でないと肯定した存在の手を取るのはどんなもんかと思ったが、とりあえず敵意はないようだと判断すると、俺は素直にその手を取って立たせて貰う。

 

「よいしょっと」

 

 殆ど彼女の力だけで立たせて貰う―――なるほど、華奢な人間の女性に見えるが、確かに普通の女性よりも力は強いようだ。

 

「ありがと。・・・んで、アンタは何者だ?」

 

 俺の問いに、彼女は「はい」と笑ってぺこりとお辞儀をする。お辞儀をした時に茶色いウェーブしている髪の毛が柔らかく揺れた。

 

「私の名前はアイス。このホテルの妖精です」

「・・・妖精?」

「はい。それで貴方は・・・お客様、ですか?」

「お客様・・・って、ちょっと待てこのホテルって・・・」

 

 もう潰れたはずじゃ、と言おうとして不意に気がつく。

 建物の中が、外とは違ってとても綺麗に整えられている事に。

 

「・・・意外に中は綺麗なんだな」

「ええ、それはもう! お客様のために、毎日心を込めて掃除していますから!」

「お客様・・・ねえ・・・」

 

 んー、なんか話が食い違ってるとゆーか。

 ここって、もう廃棄されたホテルなんだよな。とはなんとなく聞きづらい。

 

「シード君ー? 大丈夫ー・・・?」

 

 どーしたもんかと俺が悩んでいると、おそるおそるという感じでミストがホテルに入ってくる。

 それを見たアイスが「まあ!」と歓喜の声を上げた。

 

「今日はなんて日でしょう! お客様が二人も!」

「・・・シード君、誰その人?」

 

 ミストが不審そうにアイスを見、俺を見る。

 ンなこと問われてもこっちだってわかんねえ。だいたい、ここは無人だったんじゃないのか?

 俺とミストが困惑していると、続けてテレス達も入ってきた。カリストも居るところを見ると、どうやら連れ戻されたらしい。

 それをみてさらにさらに狂喜乱舞するアイス。

 

「ああ・・・ついに初めてのお客様が! しかも沢山! ―――さあ、どうぞこちらへ! まずはカウンターでチェックインを・・・・・・」

「ちょ・・・ちょっとちょっと! 私達は客じゃないわよ!」

 

 玄関の真っ正面にあるカウンターに誘おうとするアイスを、ミストが慌てて制止する。

 その言葉を聞き、アイスの微笑んでいた表情が固まる。

 あ、なんかヤな予感。

 

「お客様ではない・・・と?」

「そうそう。ここは私が買い取ったの。これからここは私の探偵事務所になるのよ!」

「探偵事務所・・・・・・」

 

 すっ―――と、アイスの目が細められる。

 彼女(いや妖精とやらに性別があるのか、いまいち解らんが)から、なにやら危険な気配が感じられる。

 が、そんな気配に気づいていないのか、ミストはペラペラとしゃべり続けた。

 

「まあでも、私も鬼じゃないし、働きたいって言うなら探偵事務所の所員として―――」

「・・・させません」

 

 ぽつり呟いたアイスの一言を、ミストが「は?」と尋ね返した瞬間。

 こおっ!

 と、いきなりアイスの身体からもの凄いプレッシャーが放たれる。

 目に見えない力がのしかかってくるようだ。

 

「きゃあああっ!?」

「おわあああっ!?」

「どひいいいっ!?」

 

 テレス達三人は、あっさりと倒されて床に押さえつけられたようだった。

 ミストだけはなんとか踏ん張って耐えている―――多分、風の精霊が守っているのだろうが。

 

「ちいい・・・っ!」

 

 俺は舌打ちすると、アイスから襲いかかってくる見えざる力に意識を込めた。

 その力に、俺の力を注ぎ込む!

 

「・・・なっ!?」

 

 虚空殺によって周囲の力は霧散し、圧力が消える。

 自分の力が無効化されたことに気がついたのだろう。アイスは一瞬だけ驚愕する。

 

「私の力を・・・」

「悪いけど、俺には通用しない―――」

「ですが無駄です」

「なにっ!?」

 

 俺が声を上げた瞬間、再び放たれる圧力。

 それをさらに再び霧散させるが、一息つく間もなく、続けて力が放たれる。

 

「面白い能力ですが、ここは私の領域。ホテル内に居る限り、どんなことをしようと無意味です。

 

 何度も虚空殺で “力” を消すが、その度に新しく力が放たれる。

 やべえ、キリがねえっ!

 俺やミストは耐えられても、テレス達がもたねえっ!

 

「ミストッ! テレス達を連れて一旦引くぞ! 分が悪い!」

「待って!」

 

 制止の声に視線を向けると、ミストは真っ直ぐアイスに視線を向けていた。

 

「貴女の気持ちは解ったわ! だから話を聞いて!」

「話・・・?」

 

 アイスは敵意を隠そうともせずにミストを睨む。

 が、風の精霊に守られているミストには自分の力が通じにくいと解ったのか、とりあえず力の放出は止まる。

 

「う・・・うう・・・」

「お、終わりました・・・?」

「・・・・・・」

 

 と、俺の後ろで床にだらしなく倒れているテレス以下三人。

 大丈夫か、と声をかけて、テレスを助け起こしてやる。トレンとカリストは―――まあ男なんだし、自力で頑張れ。

 

「ひどいー」

「男女差別だ!」

 

 などとやりとりしている一方で、ミストはアイスと、宣言通りに話をしていた。

 

「つまり、貴女はこのホテルを無くしたくないわけでしょう?」

「そうです。このホテルを潰すというのなら、私は―――」

「はいはい、そう殺気立たないで。もうちょっと平和的に行きましょうよ」

「平和的・・・?」

 

 アイスは訝しげに呟いたが、首を傾げながらも続ける。

 

「・・・私も争いは好みません。平和的に話が付くのなら、それに越したことはないでしょうが―――けれど、私は絶対にこのホテルを渡す気はありません!」

 

 断固とした強い決意が、アイスの言葉からは伺えた。

 対して、ミストはへらへらと笑いながら。

 

「まあまあ。じゃ、私から平和的な提案―――勝負しましょう」

「って、それのどこが平和的なんだよ!」

 

 思わず俺はツッコんだ。

 しかしミストは片足を軸にして、くるりとキレイにまわって俺の方を振り返る。

 

「シード君シード君。勝負って言っても、なにも殴り合おうってんじゃないよ?」

「ゲームかなにかで決着付けようって言うのか」

「ちっちっちー。何言ってるのシード君。ここはホテルだよ? そして彼女はこのホテルの妖精さん♪」

 

 あ、ミストのヤツ、アイスが妖精って気づいてるのか。

 まぁ多分、サレナから教えて貰ったんだろうけど。妖精と精霊ってなんとなく似たようなモンだと思うし。

 ・・・いやどうなんだそこらへん。ていうか、妖精と精霊の違いってなんなんだ?

 

 などと、俺が悩んでいると、ミストは再びくるんと回転。アイスにまた向き直る。

 

「勝負は簡単。一晩、私達は客として泊めて貰うわ」

「あの・・・それのどこが勝負なんですか?」

 

 うん、俺もよく解らない。

 

「だから、私達がこのホテルに満足したら貴女の勝ち。しなかったら貴女の負け」

「ちょっと待って下さい。そんなの、貴女が “満足しなかった” って言えばそれまでじゃないですか!」

「あら自信ない?」

「自信あるとかないとか、そういう話じゃありません! アンフェアだって言いたいんです!」

 

 確かにアイスの言葉ももっともだ。

 だが、ミストは特に反論もせず、首を巡らせてホテル内部を見回す。

 

「見たところ、掃除は行き届いているようだけど―――どうやら客は全然入ってないみたいね。さっき “初めての客” とかゆってたし」

「う・・・」

 

 ぎくり、とアイスが身を強ばらせる。

 まあ、もともと需要のないホテルだったし、しかも潰れているとあれば、近所の悪ガキが秘密基地にしようと寄ってくるくらいだろう。

 まともな客なんか来るはずがない。

 

「客が全然入っていないのに、それはホテルと呼べるのかなー?」

「そ、それは・・・・・・」

 

 ・・・なんか珍しくミストが正論言ってる。

 いつもだったら「私の推理によると・・・ここはホテルじゃないわ!」とか、理由になってない理由で相手を押し切るんだが。

 

「しつれえね! 私だってたまにはマトモなこと言うわよ!」

 

 ああ、いつもはマトモじゃないって自覚しているのか。

 

「まあとにかく。そんなお客も入らないホテルが、まともに客を満足させられるとは思えないわ!」

「そ、そんなことはありません! お客さんが来れば、誠心誠意、まごころを込めてサービスさせていただきます!」

「それよ!」

「えっ!?」

「つまり、貴女は自分のサービスに自信を持ってるのよね?」

「当然です!」

「客が私達でも満足させられる」

「当たり前です!」

「はいじゃあ決まり―――勝負ね!」

「わかりました!」

 

 と、答えてから―――

 アイスはハッと気がついたように、顔を青ざめさせる。

 

「ちょっ・・・ちょっと待って下さい」

「なに? やっぱり、お客様を満足させる自信ない?」

「そんなことはありませんが―――」

「じゃあ、他になにか質問でもあるの?」

「いえ・・・」

「ならとりあえず部屋に案内して貰おうかしら?」

「わ・・・解りました。こちらです―――」

 

 言いくるめられ、アイスはいつの間にか勝負を受けることに決まってしまった。

 ・・・ちょっと哀れ。

 

 

******

 

 

 案内された部屋は、割と―――いや、かなり上等な部屋だった。

 と言って、高そうな絵とかツボとか、豪華な調度品が置かれていたり、足首まで埋もれそうなふかふかな絨毯が敷かれているわけではない。

 ただ、きちんと清潔に掃除されている。なんでも無いことのようだが、意外とこれができていない宿は割と多い。

 しかもここは部屋数もかなりある。

 見たところ、このホテルに居るのはアイスただ一人のようだが、たった一人でこの清潔度を維持するのはどれだけ大変か、想像するだけでも溜息がでる。

 

「さてどーすっかな」

 

 部屋の中で俺は呟く。

 泊まることになったはいいが、まだ昼だ。特にやることもない。

 一旦、 “スモレアー”(俺が働いているレストハウスだ)に戻るかなー、と思っていると、ドアをノックする音が響いた。

 

 

******

 

 

「なかなか良い庭じゃない」

「ええ、それはもう。バッチリ手入れしておりますから!」

 

 ミストが感心すると、アイスが胸を張って言う。

 今、俺達はホテルの庭に来ていた。

 広い庭には色とりどりの花が植えられ飾られ、辺りにはくどくない程度に花の香りが漂っている。

 庭木も整えられ、鮮やかな色の中に濃い緑が良く映えていた。花や木々に囲まれていると、街中だというのにちょっとしたピクニックに来た気分になれる。

 洒落たデザインのティーテーブルが設置され、お茶を飲みながらそれらの景色を楽しむことができた。

 四人がけのティーテーブルに座り、ミストは香り立つ紅茶を飲み、満喫しているようだった。

 

「庭はキレイだし、お茶は美味しいし、言うこと無しね、シード君」

「はい。とっても美味しいお茶ですよ、シード様」

「流石はシードさん。お湯の音頭、蒸らし加減、個々の好みにあった砂糖の配分・・・どれをとっても完璧ですね」

「今度、妹にも飲ませてあげたいなあ・・・あ、お代わりお願いします」

 

 ・・・・・・。

 俺はカリストから空になったティーカップを受け取ると、ポットからお茶を注ぐ。

 そう。給仕をしているのはアイスではなく俺だった。

 しかもこのお茶は、ミストに言われて “スモレアー” にあったものをわざわざ俺が取りに行ったものだ。

 考えてみれば当たり前の話だが、このホテルの食料庫はカラ。元の持ち主が全て処分してしまったらしい。

 まあ、処分しておかなくとも、廃棄されて随分立つようだし、あっても腐って使い物にならなかっただろうが。

 しかし、無いモノは無いで仕方ないとは思うのだが。

 

「・・・お茶ぐらい煎れられないのかよ」

 

 皮肉のつもりはないが、呆れた思いは隠さずに、傍らに立つアイスに言う。

 すると彼女はしょぼーんと、表情を落として、

 

「その・・・入れたことがなくて。入れる必要もありませんでしたし」

「確かに客がこなけりゃな」

「はい、それに私自身、飲み食いの必要がありませんし、なによりも茶葉もありませんでしたから」

 

 と、そこで俺はあることに気がついた。

 

「・・・ちょっと待て。なら、晩飯は? お前、俺達のメシを作れるのか?」

 

 俺が尋ねると、アイスは無言で小首を傾げて、えへ♪ となにかを誤魔化すように笑って見せた。

 

 

******

 

「客に買い出しに行かせるホテルって、どうなんだろうなあ」

 

 などと言いながら俺の前を歩くのはカリストだった。

 アイスが愛想笑いを浮かべた後、その表情を一転させて、泣きついてきた。

 思った通り、食料庫はスッカラカン。しかも買い出しに行こうにも、アイスはホテルの敷地内から外に出られないらしい。

 そういうわけで、仕方なく俺とトレンの二人が買い出しに来たというわけだ。

 ちなみに料理人(本職じゃないが)の俺の他に、カリストが同行しているのは、こいつが一番料理に詳しいからである。

 時々 “スモレアー” が暇な昼食時(レストハウスが昼に暇ってのも・・・まあ、いまさらだが)に来ては、飯を食わせてやってるんだが、その度に、大絶賛しながら「こ、この火の通し方は完璧だッ!?」だの「そうか!? 低温と高温、二種類の油でフライにしたのか!?」とか「この酸味は・・・蜜柑!? 蜜柑を隠し味に加えたというのか!」などなど、喚きながら俺がちょいと工夫した調理法や、隠し味をぴたりと当てて見せやがった。

 当てられてばかりも悔しいので、俺も名前すら知らない食材を使って一品仕立てた事もあったが、その名前も簡単に答えたし。いや名前知らなかったんで、それがあってるかどうか解らなかったが。

 そんなわけで、丁度居るし暇そうだしと、カリストに食材を見立てて貰おうと思ったワケなんだが。

 

「・・・てゆーか、なんでわざわざ北区まで来たんだよ。市場だったら南区だってあるし、良い物揃えたければ東区に行けばいい」

 

 良い食材があるからと、トレンに案内されてきたのはアバリチア北区。

 俺達が普段住んでいる南区からは実際の距離はともかく、魔道列車を使えば30分と掛らずに辿り着く。

 が、俺達とは生活ランクが一桁も二桁も違うような金持ち―――いわゆる上流階級が澄んでいる区画であり、だから俺はあまり足を踏み入れたことのない。

 だからといって、気後れするほど繊細な神経は持ったつもりはないが、なんとなく落ち着かない。

 

 ちなみに大河と交わっている東区は、アバリチアでの流通の玄関口だ。

 何かものが欲しければ、東区に行けば大抵のものが揃っている。逆に、東区になければアバリチアには無いということだ。

 だからわざわざ、北区まで来る必要もないはずなのだが。

 

「まあまあ。食材を買うって言っても、お金ないんでしょ」

「う。まあな」

 

 痛いところを突かれる。

 少しばかりの小遣いはあるが、さすがに5人分のちゃんとした食料を買う金はない。

 でもまあそこは腕の見せ所。市場でタダ同然のクズ野菜とか掻き集めて、貧乏シチューにでもすればいいかなー、とか考えていたんだが。

 

「どうせ、市場でタダ同然のクズ野菜とか掻き集めて、貧乏くさいシチューにでもすればいいかなー、とか考えていたでしょ」

「なんで解るんだよッ!?」

「いやあ、お金無くて皆のお腹を満たそうとしたら、そんなところかなと。後は森とか言って、動物や果実狩ったりとか」

「確かにそっちも考えたんだが、流石に時間がなあ・・・」

 

 天空八命星を駆使すれば、動物の一匹や二匹を狩るのは造作もない。

 が、狩った動物を運んだり、解体するのは骨が折れる。

 さらに、森を縄張りにしている狩人にでも見つかったら、面倒なことになりかねない。

 

「けど、だからってなんで北区なんだよ? ・・・あ、もしかして金を貸してくれるとか」

 

 トレンやカリストの家は、この北区にある。

 スられるのを怖れてか、南区に来る時はそれほど金を持ち歩いては居ないようだが、家に帰れば唸るほど金があるに違いない。

 だが、カリストはにこりと笑って。

 

「返せるアテ、あるんですか?」

「・・・ない」

「じゃあ却下ですね。・・・おっと、ここだ」

 

 と、カリストが足を止めたのは一件のレストラン。いや “高級” レストラン。

 ずがーん! とした門構え。びしーっ! とした風格。どどーん! と来る高級感。

 うん、ゴメン。俺の庶民感覚じゃ伝えきれないこのなんていうか・・・・・・社会的格差?

 

「・・・シードさん? どうしたんですか、いきなりうずくまって」

「いや・・・なんていうか、一応、同業者として打ちのめされたというかなんというか・・・」

「よく解りませんが、別に大した店じゃないですよ」

「そりゃお前みたいなセレブからすりゃあ普通だろうがよ!」

 

 あー、なんかとってもやさぐれ気分。

 この世の金持ちは全員貧乏になれば良いと思う。マジで。

 

「いやいや。味はシードさんの料理の方が上ですし」

「ンなわきゃあるか! こんな本格っぽい店と、俺のまかない料理じゃ比べるまでもねーだろが!」

 

 お世辞にも程があるっつーの!

 気遣いは嬉しいが、逆に惨めになるっつーの!

 

「本当なんだけどなあ・・・それはともかく、入りますよ」

「なんで!?」

「なんでって・・・そのために来たんですから」

「意味がワカリマセン!」

「入ってみればわかりますよ」

「やだー、やだー! 金持ちに札束ではり倒されるぅーーーーーー!」

 

 駄々をこねて嫌がる俺を、カリストは無理矢理店の中に引き摺っていった―――

 

 

******

 

 

 十分後。

 

「・・・・・・」

 

 俺は重い紙袋を両手に提げて、ぼーぜんとなって店を出た。

 店の中も外観から想像できる以上に立派で、 “スモレアー” の丸太小屋と比べ―――いや比べちゃいけない。ていうかもう忘れよう。

 世の中には違う世界というものがあるということを、俺は今日初めて知った。いや忘れた。

 ・・・が、決して忘れられない事が一つ。

 

「どうしたんですか、ぼーっとして」

「お前は一体何なんだ!?」

 

 カリストに向かって俺は詰め寄る。両手が塞がっていなかったら、やや余分に肉の付いたほっぺたを指で連打していたかも知れない。

 今まではクレイスやテレスの付き人Aくらいな存在だと思っていたのに!

 

「なんだと言われても、僕はクレイス親衛隊右将軍・・・あれ左将軍だったかな? とにかく、カリスト=マッケンシー!」

「それはどうでもいい」

 

 俺は半目でカリストを睨み、両手に提げた手提げ袋を持ち上げる。重い。

 中にはそれぞれ袋一杯の肉や魚や野菜が入っている。

 それも見たことはあるが、食ったことも触ったことすらない高級品!

 これらは全部、カリストがこの高級レストランのコック長から貰ってきたものだ。

 

「なんでこんなモンがフツーに貰えるんだよ!?」

「そんなこと言っても、それ全部、使い残しの捨てる部分ですよ?」

「高級レストランじゃそーかもしれんが、ウチにとっちゃ超立派な食材だッ! だいたい、あの対応はなんだよ!?」

 

 カリストが店内に入った瞬間、店の空気が一変した。

 営業時間内だというのに、店内のスタッフ―――ウェイターからコック長、果ては店の支配人らしき男まで―――が勢揃いし、整列してカリストに一礼。

 しかも店内の客は、多少驚きはしたものの、不審がることはなく「あ、あれはカリスト様!」「まあ、あれが噂の・・・」「初めて見たわ・・・」などと囁く声が聞こえてきたり。

 

「お前は一体何様だ!? 食神様かー!?」

「なんですか、その食神様って」

「レストランの降臨なされる神様だ! 今作った!」

「・・・ただ単に、ちょっとこの辺りのレストランに顔がきくってだけですよ。大した事じゃありません」

 

 と、カリストは苦笑して、

 

「僕としてはゆっくりと料理を楽しみたいんですが、勝手に騒ぎ立てるから落ち着かないんですよね。そこ行くと “スモレアー” ならのんびりと」

 

 俺は全力でカリストを殴り倒した。

 

「いきなり何するんですか!?」

 

 オチ付けてやったんだよ!

 

 

******

 

 

「美味しかったー♪」

「はい、とても美味でした♪」

 

 ミストとテレスが心底満足したように、笑顔で言う。

 トレンとカリストにも好評だったようで、二人してどこそこのレストランより肉の旨味がどうの、魚介類の生かし方がどうのと小うるさく言い合っていた。

 その会話の中で、食材を貰ったレストランの名前がでたような気がするが、聞こえなかったことにしておく。

 

 ちなみに、今、俺達が居るのはホテルの食堂。

 6人くらいは楽に座れる丸テーブルが幾つもあり、テーブルを片づければダンスパーティが開けそうな広さがある。

 床は清潔な赤い絨毯が敷き詰められ、埃一つ落ちていない。このホテルの妖精は、食事の支度はできなくても、掃除洗濯は完璧だった。

 

「そんなに美味しかったんですか?」

 

 その掃除完璧妖精のおずおずとアイスが尋ねてくる。

 問いかけられたミスト達は、迷うことなく頷いて、賞賛の言葉を並べ立てた。

 

「いやほんと、すっごく良かった! シード君の料理はいつも美味しいけど、今日のは格別だったね!」

 

 そりゃ食材が上等だったからなー。

 

「ええ。わたくし、こんなに素晴らしい料理を食べたのは初めてですわ!」

 

 はいはい、お世辞でも嬉しいよ。

 

「いやあ、妹にも食べさせてあげたかったなあ」

 

 トレン、お前はいつもそればっかりだな。

 

「料理とは例えるなら楽器を演奏するようなものなのです奏者によって楽器の音色が違うように食材も料理人によってクズにもなればまばゆく輝きもするあのレストランのコックはこれらの食材を生かし切ることはできませんでしたがシード=ラインフィーという名料理人の手にかかれば楽器が美しくその音色を響かせるが如くに」

 

 カリスト、お前はキャラ変わりすぎだ。

 

 ・・・つーか、喜んでくれるのは嬉しいが、褒めすぎだ。

 今回は食材が良すぎただけだっつーの。俺を褒め殺して何が楽しいんだか。

 

「はあ、凄いんですねえ・・・」

 

 皆の勢いに気圧されるように、アイスは感嘆の息を漏らす。

 ・・・うん?

 なんかアイス、元気ないというか・・・少し哀しそうな・・・?

 

「さーて、ご飯も食べたし、後はなにしよっか」

「あ。遊戯室がありましたよ」

 

 そう言ったのはトレンだった。

 なんでも、ビリヤードとかダーツなどがあり、代わり種としてはポーカー台やルーレットなど、カジノのようなものもあるらしい。

 

「よし! じゃあポーカーで勝負よ!」

「遠慮しておきます」

「ならルーレット!」

「できれば別のがいいです・・・」

「なんでよー!」

 

 周囲から反対され、ミストは口を尖らせる。

 まあ気持ちは解る。

 推理だか勘だかラックだか知らんが、そう言った “駆け引き” や “運” の要素があるゲームに関して、ミストは異常に強い。

 以前、神経衰弱を最初の1回で全てめくり当てた事があるが、それは他のゲームでも似たようなモノで、例えばババ抜きなんかでも、俺はミストがババを引いたところを見たことがない。

 

「じゃあビリヤードで―――トレン、手加減しなさいよ!」

 

 何故か偉そうに命令するミスト。

 っていうか・・・

 

「トレン、ビリヤード上手いのか?」

「そこそこできるってだけですよ。多分、シードさんよりは弱いです」

「ま、私らが弱すぎるだけなんだけどね。だってまともに球が真っ直ぐ転がらないもん」

 

 あっはっは、と笑うミスト。が、不意にその笑みを止めて俺を見る。

 

「あ。シード君はやたら強そうね」

「いや、やったこと無いけど」

「でもやればきっと強いわ。伝説のハスラーも裸足で逃げ出すくらい」

 

 どんなハスラーだ。

 

「じゃあ、とりあえず最初のペアは私とシード君、テレスとアイス、トレンとカリストで!」

「って、ずるいですよミストさん!」

「え・・・私もやるんですか? 私もやったことないんですが・・・」

 

 驚いたようにアイスが言う。

 ミストは「にひ」と笑って頷いた。

 

「とーぜん。こういうのは、人数が多い方が盛り上がるモンよ!

「あ。俺は最初パスな。後かたづけしねえと」

 

 俺はテーブルの上の食器を見やる。

 

「そんなっ! それは私の仕事ですっ」

 

 皿を片づけようとした俺を、アイスが押しとどめる。

 ・・・つってもなあ。自分で料理作って、食べて、後かたづけだけ他人に任せるってのも、なんとなく気分が悪い。

 俺がそう思っていると、

 

「ならシード君とアイスはお片づけね。あたしたちは遊んでるから」

「いや、お前は片づけようって気、ねえの?」

「あ。私も手伝いますっ」

 

 そう言ったのは勿論ミストではなくてテレスだった。

 ちょっとした皮肉のつもりだったが、純心な―――意外に計算高い時もあるが―――テレスが反応したようだ。

 俺は苦笑して手を振った。

 

「冗談だって、ここは良いから遊んでこいよ」

「でも・・・」

「察しなさいよ、テレス」

「お姉様・・・?」

 

 くすっ、とミストは笑って俺とアイスを見やる。

 

「シード君はね、女の子と二人っきりで嬉し恥ずかしな甘酸っぱいことしたいのよっ♪」

「違うわああああああああああっ!」

「そ、そんな! シード様、お姉様というものがありながらっ!」

「信じるなよ! いつものミストの戯言だろ!?」

「あ、あのっ、私は妖精なんですが、宜しいんですか・・・?」

「アンタも真に受けるなよ!?」

 

 広い食堂に、俺の絶叫が響き渡った―――

 

 

******

 

 

 とりあえず、攻撃魔法とか使ってきそうな勢いのテレスをなんとか宥め、落ち着かせて遊戯室へ送った後、俺とアイスは後かたづけをはじめた。

 と言っても、実際のところ、俺は殆ど何もできなかった。

 アイスの手際が良すぎて、俺が皿を数枚洗っているうちに、他はあらかたアイスが終わらせてしまったのだ。

 

「すげえなー。流石はホテルの妖精」

 

 最後に、濡れ雑巾でテーブルの上を拭き取り、片づけを完了させたアイスを見て、俺は思わず感心する。

 ・・・未だに妖精ってのがなんなのかよく解らないが。

 しかしアイスは哀しそうに―――ついさっきも見た表情だ―――顔を曇らせる。

 

「全然、駄目です」

「なにが」

「ホテルの妖精だなんて言って、私はお客様を満足にもてなすこともできません」

「いや、そんなことは・・・ないとおもうけど」

 

 思わず歯切れ悪くなったのは、買い出しに行かされたことを思いだしたからだったりする。

 

「私にできるのは掃除してお客様を迎えることだけ―――でも、実際にシード様のように持て成すことはできません」

「・・・・・・」

 

 確かに。

 掃除は完璧だったが、それ以外の事は全然だった。

 というか、客に対しての何もすることができない。

 けれど、それも当然かも知れない。このホテルは今まで客が一人も来なかった。

 しかも彼女自身は人間じゃあない。

 なら、人間相手にどうすればいいかなんて、解るはずがない。

 

「シード様は凄いですね。お茶を振る舞い、料理を作ることで皆さんをとても喜ばせて」

「それはちょっと違うな」

「え?」

「確かにミスト達は喜んでくれたようだが、そいつは俺だけの手柄じゃない」

 

 昼間入れた紅茶の茶葉はマスターが仕入れたもんだし、食材だってカリストが居なけりゃあれだけのものは揃えられなかった。

 確かに直接茶を入れたり、料理を作ったのは俺だが、それができたのも他の協力があったからだ。

 それに。

 

「大体、ミストが紅茶を飲みたいって言い出したのはなんでだよ」

「え? それは―――ミスト様が庭園を見つけて、そしたら “お茶を飲みたーい” と言い出してシード様の部屋へ・・・」

「だろ? アンタが手入れした庭園があったから、ゆっくりお茶したいって思ったんだ。花を見て綺麗だって、喜んでなかったか?」

「それは・・・でも、花が綺麗なのは私の手柄ではありません。誰だって、きちんと世話をしていれば、お花は綺麗に咲いてくれます」

「それを言ったら、ちゃんとした食材で、ちゃんとした手順でやれば、あれくらいの料理は誰だって作れるさ」

「・・・私でも」

「うん?」

「私でも、できるでしょうか・・・?」

「当然」

 

 俺は迷わず即答した。

 というのも理由がある。

 それは俺が使った食器や調理器具が丁寧に手入れされていたからだ。

 調理した様子は無かったが、定期的に磨いたり、研がれていたことはなんとなく解る。

 あれだけ器具を大事にしているのなら、料理だって覚えようとすれば、すぐに覚えられるはずだ。・・・多分。

 

「わ、私、頑張ります! だからその・・・お料理、教えて頂けないでしょうか・・・?」

 

 おそるおそる、伺うようにアイスが尋ねてくる。

 俺は勿論、頷いた。

 

「暇な時なら教えてやるよ」

「本当ですか!?」

 

 アイスが嬉しそうに飛びついてくる。

 一瞬、反射的に避けかけたが、それも失礼だと思って受け止める。

 妖精だからだろうか。アイスの身体はかなり軽かった。

 

「あ、す、すいません・・・!」

 

 我に返ったアイスがすぐさま後ろに下がる。

 その顔は真っ赤だった。

 ・・・んー。見た感じは、完全に普通の人間だよなー。などと思いつつ、

 

「さて、と。じゃあそろそろミスト達のところに行こうか」

「え・・・? で、でも私まで遊んでも良いのでしょうか?」

 

 不安そうなアイスに、俺は笑って言った。

 

「ミストも言ってたろ? 大勢の方が楽しいって。それに・・・」

「それに?」

「客の相手をするのも、従業員の務めってね」

 

 

******

 

 

 次の日。

 朝市で買ってきたパンに、昨晩の残りの材料で、肉や魚を挟んだサンドイッチを作って、それを朝食にする。

 その後、チェックアウト(まあ形式的なものだけど)をするために、玄関に俺達は集まった。

 

「あー、楽しかった♪」

 

 心底言葉通りの様子でミストは大きく伸びをした。

 ちなみに昨日のビリヤードはかなり白熱した。

 最初は普通にやっていたが、どうしても俺とトレンの一騎打ち―――俺は初めてやったが、すぐにコツはつかめた―――のようになってしまうため、途中からは俺とトレンはゲームから外れ、他の四人のバトルロイヤルという形になった。

 それで、1ゲームにつき1回ずつ、俺とトレンを “切り札” として使うことができる―――という妙なルールで行われた。

 序盤は “切り札” の使いどころが上手いミストが有利だったが、バトルロイヤルなので、トップはすぐに叩き潰される。

 中盤は完全に混戦状態で、終盤は―――なんかもうぐだぐだで、何がなんだか解らない状態。結局、誰が勝ったのかもわかりゃしない。

 でもまあミストの言うとおり、楽しかったことは確かだ。

 

「あ、あの・・・それで “勝負” は・・・?」

 

 ミストとは対照的に、アイスが暗い表情で尋ねる。

 まるでもう結果はわかってます、とでも言うようなどんよりとした表情。

 まあ、昨晩もアイス自身が言ってたとおり、まともに持て成すことができなかったし、結果は見えていると言っても良い。

 だが―――

 

「うん? 勝負?」

「って、忘れてるんですか!? そもそもミスト様達が泊まったのは―――」

「勝負の結果なら今言ったでしょ」

「え・・・?」

 

 きょとんとするアイスに、ミストはウィンク一つして、

 

「 “楽しかった” そう言ったじゃん」

「え・・・え・・・?」

「ハッキリ言わなきゃ解らない? このホテルに泊まって楽しかった。満足したわよ。だから貴女の勝ち」

「で・・・でもっ! 私はなにもできなくて・・・殆どシード様が・・・」

「あらあら。アイスこそ忘れてるようね」

「え?」

「私は “このホテルに泊まって満足するか” 勝負したのよ? 貴女のホテルに泊まって、シード君の手料理食べて、みんなで遊んで、私は大満足。それ以上、何か必要?」

 

 にっ、とミストは笑う。

 

「貴女は満足しなかった? 楽しくなかった?」

「私は・・・いえ、私も・・・楽しかった、です」

 

 困惑していたアイスは、ミストの問いに小さく笑みを浮かべる。

 それを見て、ミストは頷いて、アイスの肩を叩く。

 

「なら解るでしょ? 私も貴女と同じ気持ちよ」

 

 ・・・てゆーか、こいつまたなに企んでるんだか。

 言いたいことは良く解るが、やりたいことが解らん。このホテルは要らないってことなのか?

 俺がそう思っていると、ミストはアイスに背を向ける。

 

「そーゆーわけで、私はここを諦める」

「え・・・っ!?」

「安心して。もう二度と貴女からこの場所を奪おうとしない―――二度と来ないから」

 

 そう言って。

 そのままミストは外へと歩き出し―――

 

「ま・・・待ってください!」

 

 

******

 

 

 それから一週間ほど経って―――

 

 こん、かん、こん、かん・・・

 釘を金槌で叩く音が辺りに響き渡る。

 

「・・・しっかし、サギだよなあ」

 

 看板に釘を打ち付けながら、俺はぶつぶつと呟いた。

 

「なにが?」

 

 俺の隣で作業を眺めていたミストが尋ね返してくる。

 ・・・このやろ。解ってるくせに。

 

 あの後―――アイスがミストを呼び止めた後、アイスは一つの提案をした。

 ホテルの一室を、探偵事務所として使いませんか、と。

 

「全部、計算してたのか?」

「ぜーんぜん。まあ、最後はあーすればあー言ってくるだろうなって、計算したけど」

 

 苦笑。

 いつも浮かべる笑顔とは違い、その表情は笑みの形ではあったが、笑ってはいなかった。

 

「アイスの事も、あのホテルの事も良く知らなかったからね。一晩泊まってみれば、アイスがどんな想いで独りであそこにいるか解るかなって、そう思っただけ」

「それで?」

「アイスはね、何もなかったの。ただ、ホテルの妖精として縛られていただけ。多分、彼女が “発生” したのは誰もいなくなってから―――もしも誰か人間が一人でも居る時に生まれたのなら、また違ったんでしょうけど」

 

 客の居ないホテルがすることは、いずれ来る客を待つことだけ。

 だからアイスはホテルの内部を最高の状態にして、ただ客を待ち続けた。

 

「だから、嬉しいって事―――どうすれば嬉しくなれるか。どうすればお客を満足させることができるかっていうことを教えて上げたかったの」

 

 と、そこでミストは「にひ」と笑って。

 

「まあ、その殆どはシード君が教えて上げたみたいだけど。手取り足取りね」

「ヘンな言い方するなよ」

「なんにせよ上手く行って良かった。下手をすれば、あの子は “狂って” いたかも知れないから」

 

 良くは解らんが、ミストの説明によれば、精霊が人の心から生み出されるのに対して、妖精とは植物や建物など、人以外のモノから “発生” するものらしい。

 そして妖精の多くは、発生元に関する “役割” を持って生まれてくる。

 代表的な例が森の妖精エルフであり、彼らは森が自身を守るために生み出した妖精なのだという。

 そしてその役割を果たせない妖精はやがて段々と歪んでいき、最終的には “狂い” 、人を襲う魔物と化してしまうそうだ。

 

「物騒な話だ―――と、はい終了」

 

 最後の釘を打ち付けて、俺は額の汗を拭う。

 ホテル前の門に打ち付けられた看板を見て、ミストが「おおー」と歓声を上げた。

 このホテルの名前が書かれた看板の、すぐ隣りに掲げられた新しい看板には―――

 

「 “ウォーフマン探偵事務所” ・・・うん、なかなか良いじゃない!」

「自分の名前を自画自賛してるだけじゃねーか」

「いーのっ」

 

 と、ホテルの方から俺達を呼ぶ声が聞こえたきた。

 

「シード様、ミスト様ー、お茶が入りましたよー!」

 

 アイスの声だ。

 初めて会った時は、お茶の一つも煎れられなかったが、今では無難に料理もこなせるようになってきた。

 俺が暇を見ては教えてやっているのもあるが、テレスの実家から料理の本を借りたりして、必死で勉強している。

 

「はーい。今行くー! ・・・さ、いくわよシード君」

「ちょっと待てよ。工具をかたづけてから―――」

「お茶が冷めちゃうわよ! じゃ、私は先に行くから!」

 

 そう言って、ミストは俺を置いてサッサとホテルの中に駆け込む。

 それを見送り、俺も手早く工具をかたづけると、ホテルの中へと向かった―――

 

 

 


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