「シード君、そーゆーわけでっ、探偵事務所を開くことにしたのよッ!」

 

 いや、なんていうかもう慣れたけど。
 とかなんとかミストの奴が言い出したのは、唐突な話だった。

 

「探偵事務所?」

 

 俺とミスト、そしてその父親であるマスター―――ここからちょっと離れた通りにある、レストハウス『スモレアー』の、その店名と同じ名前をした店の主人で、そこで働いている俺は、彼のことをマスターと呼んでいる―――の住んでいるアパートの台所で、俺は朝食の後かたづけをしながら、おうむ返しに尋ね返した。

 ちなみに俺が片づけているのは二人分の食器だ。
 マスターは、もう陽が出るか出ないかのうちにアパートを出て、店に行っている。

 ―――基本的に、このアパートでの家事は殆ど俺がやっている。

 つまりミストとマスターが二人で暮らしていたときは、家事は全部マスターがやっていたが、俺がここへ転がり込んでからは、アパートの家事を俺に任せて、マスターは店のほうに専念していた。

 

「そう!」

「なんで?」

「なんとなく!」

 

 うん、まあ、なんかどっかでそうじゃないかと思っていたけど。

 俺は吐息しながら、食器を台所の隅にある空桶に運ぶと、その隣の水瓶に汲んであった水で食べかすを洗い流す。
 食器の方を井戸に持って行って、そこで流しても良いのだが、そーすると同じアパート住民である奥様方―――つまるところ、 “お隣のおばちゃん” に捕まって、延々と話し相手にさせられてしまうことがあるので、それほど洗い物がないときは井戸から水を汲んできてすませてしまう。

 ・・・・・これがテレスの家―――このアバリチアの権力を事実上握っているルーンクレストの家だ―――がある中央区なら、水道下水道が完備されていて、わざわざ井戸から汲んでくる必要もないんだけど、南区はそこまで整備されていない。

 まー、井戸が一区画に一つあるかないかっていう、東区よりは遙かにマシなんだろうけど(もっとも、港のあるルブール大河に面している東区は、井戸で水を汲むより河で洗い物する人間が多いらしいが。

 

「で、中央通りにターシャの店があるじゃない」

「トルバン亭がどうかしたのか?」

「その二軒隣に、良い物件があったから、買っちゃった」

「は?」

 

 とーとつに言われて、俺は困惑した。
 いや、なんか、ええと・・・買っちゃった?
 俺の耳がおかしくなってなければ、今、ミストはそんな単語をのたまったよーな。

 

「買っちゃった? ・・・って、借りた、じゃなくて?」

「うん。買っちゃった。土地と建物こみで」

「ちょっと待て。推理小説買うのとは話が違うんだぞ? だいたい、いくらすると思ってるんだ? つーか、ウチにはそんな金―――って、まさか!?」

 

 瞬間、嫌な悪寒が俺の背筋を走り抜けた。

 

「まさか、ヤバい所から金を借りたとか!?」

「なに、そのヤバい所って」

「具体的に言うと、頬にゴツい縫い傷とか、背中に入れ墨とか、あまつさえ片腕とか無くなってるよーな連中が居る所だ!」

「やだなあ、シード君。そんなところから借りるわけ無いじゃない」

「・・・そ、そうだよな。いくらミストが馬鹿でも、そこまで馬鹿じゃないよな」

「なんか、もしかして酷いこと言われてる?」

 

 むぅ、と不機嫌そうな顔をしてみせるミスト。

 ちょっと、可愛い。

 ―――なんて、言うとつけあがるから絶対に口には出さないけどな。

 そんなことを俺が思っていると、不意にミストはにぱっと笑って。

 

「あー、でもお金は借りたなあ」

「なに考えてるんだ馬鹿娘ぇえぇぇぇぇぇぇぇえぇぇぇっ!」

 

 俺の絶叫がアパート中に響き渡った。

 

 

 

 

 

 そこはもともとは宿屋だったらしい。
 だが、すぐ近くに古くからの老舗であるトルバン亭もあり、だいたいにしてこの住宅区であるアバリチア南区では宿屋の需要というものが低い。外来の人間は、港があり、街の玄関口でもある南区に宿を取るだろうし、そうでなければ、アバリチアの中心地であり、有名なルーンクレスト学院もある中央区か北区に行くだろう。そして、西区に用事がある連中はそもそも宿など取らない。

 たんなる住宅区である南区に宿を取る人間はそれほど居るわけではない。
 だというのに、トルバン亭があるのは、それでも少しの需要はあるかららしいが。

 ちなみに、トルバン亭は至極真っ当な宿屋であるが・・・・・えーと、その、なんだ・・・つまり、あれ、えーと、ほら、なんというか・・・男が女を・・・・・・ううんと、だからっ、つまり、いわゆる連れ込み宿の類なら、裏通りに行けば結構あったりするらしい。

 

「どしたのシード君。なんか顔赤いよ?」

「・・・なんでもねえよ」

 

 ぶっきらぼうに言って、大きく咳払い何ぞをしてみる。

 中央通りだ。
 まだ昼間で、人通りは結構多い。
 俺の近くを通り過ぎる通行人の幾人かが、怪訝そうに俺の方を見た。が、気にしないことにする。

 改めて、その建物を見上げてみる。
 三階建ての大きな建物だ。大きさだけなら、俺たちが住んでるアパートや、トルバン亭なんかよりも大きい。
 だが、この建物が使われていたのは数年も昔の事で、今では壁のペンキも所々剥げて、風食され、悲惨な佇まいになっている。

 早い話。宿屋を建てたはいいが、需要がないところで、トルバン亭の客を奪うことも出来ず、結局半年経たずで看板を下ろしてしまったらしい。俺はこの街に来て一年くらいだ。この建物自体は何度も目にしたことはあるが―――まあ、この辺りじゃ一番大きな建物で、しかも風体が風体だ、目につかないほうがどうかしてる―――宿屋だったっていうのは、初めて知った。

 ちなみにミストもつい最近、というかこの建物を買おうとしたときに知ったという。
 ほんとーに、相変わらず自分の街に関して疎いヤツだ。

 

「ところでシード様。お店の方はよろしいのですか?」

「いーのいーの。朝のかき入れ時はもう済んだし。今、お客なんて一人も居ないんだから。シード君がいないくらい大丈夫だって」

 

 テレスに、ミストが勝手に答える。
 建物を見上げていた視線を降ろしてみると、テレスが「そうですか」と納得したところだった。

 まあ、ミストの言うことは本当で、だからミストに強引に付き合わされてこんな所に居る訳なんだが。

 ちなみに、なんでテレスがここに居るかと居れば、この建物を購買した代金を支払ったのがテレスの家だからである。
 正確に言えば、ミストに頼まれたテレスが、自分の祖父に借金したと―――借金主がミストで、その保証人がテレスというわけだ。

 借金、と言っても利息無しのあるとき払いで良いらしい。
 まー、俺らにとっては大金でも、ルーンクレストの家からしてみればはした金だろうし。とりあえず、借金に関しては一安心だ。

 

「ほっほっほ。相変わらず、スモレアーの所は閑古鳥みたいじゃのう」

 

 愉しそうに言ったのは、ミストに金を貸したテレスの祖父にして、このアバリチアの実質上最高権力者であるカルファ=ルーンクレストだ。
 かつての暗黒時代に、魔族と戦い、先代の四聖剣の勇者たちとともに四魔王を倒したと言われる、生きながらにして伝説の魔道士。

 ・・・だが、柔和に笑うその雰囲気からは、そんな様子は欠片も想像できない。
 弱った足腰を補佐するための杖にしてはやたら大きくてごつくて宝石なんかもついている杖を手にしている所なんかは魔道士っぽいが。

 

「いやー、そうでもないですよ? 朝は忙しいし、夜だって酒飲みたちが集まってくるし」

 

 とりあえず、店のフォローをしておく。

 

「じゃが、本来ならもっとも忙しいはずの昼間が閑古鳥では、格好がつかんのう」

「まー、確かに。・・・いっそのこと、酒場にしちゃえば良いって思うんですがねー。もう事実上酒場になってるもんだから、夜閉店時間過ぎても酔っぱらい共は騒いでるし、マスターも無理に追い出そうとはしないし・・・だってのに、朝は早いし・・・」

「まー、父さんってそういうところ、頑固ですし。仕方ないですよ」

 

 ミストが苦笑しながら言う。

 ・・・実は、俺はマスターが酒場ではなく「レストハウス」にこだわる理由を知っている。
 あの店は、ミストの母親―――サレナさん(俺は会ったこと無いんだけど)がマスターやミストと一緒に始めた店だ。
 そして、マスターは一時期、店を放り出して街を出ていったことがある。
 だけど、マスターが居なくてもサレナさんは店をたたんだりはしなかった。ミストと一緒に、必死で店をきりもりして―――そして、結局、過労で倒れて・・・・・・

 そのことを、マスターは気に病んでいるんだろう。
 罪滅ぼしのつもりなのかもしれない。実際に聞いたわけじゃないけど、間違いないと思う。
 そして、それはきっと、ミストも気がついているんだろう―――そういうところは、鈍いフリして妙に鋭いからな、こいつ。

 だから、俺もミストも何も言わない。
 ・・・まあ、これでマスターが過労でブッ倒れたりしたら、その時はなんと言われようと店をたたませるつもりだけどな。

 

「ところでミスト。さっそくだが、君に仕事を頼みたい」

「はへ?」

 

 いきなり、カルファ学院長(彼はルーンクレスト学院の学院長でもある)に言われ、妙な声を返す。

 が、すぐに真面目な顔をすると、もっともらしく腕なんか組んでみたりして、

 

「・・・唐突ですね」

 

 お前が言うなよ。

 

「言っておきますが・・・ウチは殺人事件以外はとりあつかいませんよ?」

「仕事選べる立場かよッ!?」

「えー、だってぇー、捜し物とか尋ね人とかー、あるいは不倫の浮気調査とかってなんかつまんなそーじゃない」

「だから、借金してる相手の仕事を選ぶなっちゅーにッ」

「・・・経験者は語る?」

「うるせーよ」

 

 俺は、ミストに借金(強制的に)したことがある。

 いや、いまでも借金してるんだっけ? そーいやあれどーなったんだろ。なんかもうどうでもよくなってるよーな。

 

「ほっほっほ。安心してもよいよ」

 

 と、学院長が柔和に笑う。

 それから、その表情を崩さないまま。

 

「これから頼もうとしたのは、ご所望の “殺人事件” なのだからね」

 

 いや、それを安心しろと言うのもなんか間違ってるよーな。

 

 

 

 

 

 北区に済む、とある金持ちの婦人が殺された。

 自分の家の屋敷の玄関の外で。

 腹部を鋭利な刃物で刺され、血まみれになって倒れていたらしい。

 被害者の名前はミネア=エスト。まだ三十路にようやく手が届いたくらいの女性だ。

 関係者の話だと、彼女は穏和で人当たりの良い女性であり、誰からか恨まれるような人間ではなかったそうだ。

 

 ―――雨の降っていた夜だったという。

 婦人は、主人に行き先も告げずに朝方ふらりと屋敷を出て行って、それから夜になっても帰らない婦人を捜しに行こうと、屋敷を出ようとして玄関のドアを開けると―――

 

「血みどろの死体があった、というらしいです・・・」

 

 歩きながら、暗い表情で話していたテレスは、話し終えて一息つく。
 又聞きで、実際に現場を見たわけでなくとも、嫌な話題には違いない。

 当初は、殺人事件と聞いて勢い込んでいたミストも、テレスの話を聞き終えると、どういうわけだか面白く無さそうな顔をして、つまらなさそうに言った。

 

「それでですね、死因は・・・」

「それよりも、殺人事件はわかったけどさ、それって、どーせ犯人は強盗かなんかでしょ? 自警団かあるいはルーンクレストの私警団に任せる事件じゃないの?」

「え、はい、そうですね・・・・・けど、事件が起きたのが一週間も前の話で、未だに犯人は見つかってませんし」

「それなら、それこそ私達に頼むのは筋違い―――あ、でも学院長直々の依頼か・・・だったら」

 

 不意に、ミストはなにかに気がついたのか、一人でぶつぶつ呟く。

 と、突然テレスの方を振り向くと。

 

「ねえ、テレス。もしかして、そのお金持ちって、けっこー古い家柄だったりする?」

「はい。一応、貴族を名乗っています」

「じゃー、やっぱりアバリチアの中でも結構な権力というか、発言権があったりとか・・・」

「そうですね。とはいえ、役員ではないので頻繁に市政に口を出してくることはありませんが」

 

 ―――ちなみに今のアバリチアには貴族などの階級制は存在しない。

 が、このアバリチアになる前の街―――随分と古い、暗黒時代よりもさらに古い時代には存在していて、その名残なのか、今でも街の権力者や、何百年も続いているような家は、貴族を名乗ることが多い。

 

「あー、そっかそっか。なるほどねー。だとしたら・・・・・・・・・・・あー、どっちにしろ、面倒事には違いないなー」

「なに言ってるのかよくわかんないけどな―――着いたみたいだぞ」

 

 と、俺は歩みを止めて、目の前を指さした。

 立派な門構え。
 その向こうには、先程の元宿屋の建物よりもさらに大きい屋敷が建っていた。

 ・・・・・アバリチアの北区というのは、まだ一、二回しか来たことがないが、つくづく別世界だと思う。
 こんな貴族様のお屋敷が、当たり前のようにぽんぽんと軒を並べているのだ。

 ちなみに、ルーンクレスト学院のある中央区はもう少し普通世界だ。
 確かに建物は大きいが、それは施設レベルの話で、個人の邸宅(うわ、邸宅って言葉初めて使うかも、俺)で庭が公園くらいあって屋敷が博物館くらいあるよーな建物はテレスの家を含めて、3軒もないだろう。

 ・・・一軒あれば十分すぎるとは思うが。

 

「あ、それですね。夫人が亡くなった状況なんですが・・・」

 

 先程の説明の続きをしようとしたテレスに、ミストは軽く手を振って。

 

「いらないわよ。もう、学院長が私達に何を望んでるか解ったし」

「え・・・?」

「やれやれ・・・」

 

 困惑するテレスを放っておいて、目の前の屋敷を眺め、ミストはダルそうに肩を竦めた。

 

「まー、借金主の言う分は聞かないとねー。ね、シード君」

「あ、ああ? そうだな」

 

 よくわからない。
 よくわからないが、ミストの様子を見る限り。

 なんか、あまり面白くなさそうな事件らしいということだけは解った。

 

 

 

 

 

「ゴルバ=ルゥト=エストです」

 

 ソファにゆったりと腰掛け、そう自己紹介したのは良い感じに歳を食った壮年の男だった。

 赤茶の髪と、同色の瞳、それから豊かな髭を口元に蓄えたその表情は穏和であり、金持ち特有の傲慢さは感じられない。もしかしたら、ルーンクレストの使いとして来ている俺たちを相手にしているこそなのかも知れないが。

 ちなみに、このアバリチアでミドルネームを名乗るのは、自称貴族の御方たちだけである。
 ここではミドルネームは貴族が治めていた領地の名を表す。ルゥトと言うのはアバリチア周辺にあった、古い地名であり集落の名前でもあったが、それも暗黒時代に大陸中に妖魔、魔物が現れた際に滅び去っている。

 

 十数年前まで続いていた暗黒時代―――

 この地上の遙か下。
 地の底から現出した四体の魔王が大陸の東西南北を支配し、それが数百年続いていた時代。
 大陸の空は暗雲が支配し、陽が差すことは一月に一度あるかないか。太陽の光を奪われた人間は弱まり、逆に魔物たちは活性化し、フィアルディア大陸が文字通り闇に包まれていた時代。

 しかしそれも、数十年前―――正確に言うなら、20年前だ―――に唐突に終わりを告げていた。
 四聖剣の勇者の出現、そしてフィアルディア大陸と同じように闇に支配されていた隣のファレイス大陸に出現した “剣王” と呼ばれる剣士。

 四聖剣の勇者は東西南北の魔王を、仲間と共に打倒を果たし、剣王はファレイス大陸を守護する天魔四王を結束し、ファレイス大陸の魔王を打ち破った。
 その後、四聖剣の勇者と天魔四王、それから剣王は魔界と地上を繋ぐ穴のある暗黒大陸へと乗り込んで、その穴を封じたと言われる―――

 

 すでに若い人々の記憶からは薄れ、 “聖戦” 後に産まれた俺のような子供たちにとっては、もはや御伽噺でしかない物語だ。

 だが、それでもその傷跡は確かなモノとして存在する。
 20年の時を経て、もう戦いの記憶すら忘れられるほどに復興したようにみえても、暗黒時代以前の人口に比べれば、未だにその半分にも到達していない。技術もいくつかは失われ、かつての機械技術の殆どは、今では魔道にとって変わられた。

 そして、失った集落はそれほど山の数ほどある。俺たちの目の前に座る貴族が持つ、ミドルネームの領地も失われたモノの一つだ。

 今、フィアルディア大陸では、小さな集落、村というモノが殆ど存在しない。
 あるのはアバリチアのような大都市や、戦後に出来上がったいくつかの村であり、暗黒時代以前にあった集落は、もう殆ど存在しない。

 実際、俺は自分の産れ故郷である、テリュートくらいしかそういう村を知らない。

 

 

「ミスト=ラインフィーです」

「あ・・・シード=ラインフィーです」

 

 ゴルバ氏の自己紹介に応じて、ゴルバ氏と向かい合うように隣に座っていたミストが名乗るのを聞いて、反射的に自分の名前を言う。
 ちなみにテレスの姿はここにはない。
 屋敷に入る直前、ミストが帰した。最初はテレスもミストの働きぶりを見たかったのか渋っていたが、なにやらミストが耳打ちをすると素直に帰った。

 ・・・ふと、違和感。

 

「ミスト=ラインフィーって・・・」

「あれ、違ったかしら」

「まだ違うだろ!」

「じゃあ、いつかはそうなんだ」

「え・・・あ」

 

 まだってなんだ俺!?
 それって、いつかは・・・えーと・・・?

 やばい。妙な想像に顔が熱くなる。
 多分、今、俺の顔は真っ赤だ。そんな俺の顔をのぞき込んで、ミストがクスクスと笑う。

 

「間違えました。私はミステリア=ウォーフマンと言います」

 

 最初からそう言え。
 そう言おうとしたが、羞恥に身体が縮こまってる。
 そんな俺の様子に、真っ正面からミストとは違う上品な笑い声が響いた。
 ちらりと顔を上げて、そっちの方を見やると。

 

「あら、ごめんなさい」

 

 妙齢の女性が口元に手を当てて、申し訳なさそうに謝ってくる。
 ―――その表情は、まだ笑っていたが。

 ・・・って、何気なく使ったけど妙齢って何歳くらいって意味なんだろーか。
 まあ、いい。
 その俺の真正面に座っていた女性―――つまりゴルバ氏の隣に並んで座っていたのは、歳で言うなら20歳くらいの女性だ。外見は。

 ・・・女の年齢なんて、化粧でいくらでもごまかせるもんだしなー。
 俺の姉さんなんかは、もう20代の半ばは越えてるはずだが、まだ10代で通る。単に、童顔なだけかもしれんが。

 

「でも、仲がよろしいのね、お二人さん」

「ええ。心が通じ合ってますから」

 

 女性の茶化すような言葉に、ミストがにこりと笑ってさらりと答えた。

 ・・・つーか、真面目に俺とミストの心は通じてる。
 以前、今は隣の大陸に行っている知人―――友達と呼ぶかは微妙だな―――がくれたマジックアイテムのせいというかお陰というかで、俺とミストの心は通じ合ってる。その言葉通りに。
 もっとも、自由に互いの心の中を覘けるというわけじゃない。必要に迫られたとき、俺とミストの考えが合うと心が通じあうだけだ。

 だが、その女性はのろけとでも思ったのだろうか。
 まあ、と大仰に驚いた風を見せて、隣のゴルバ氏にしなだれかかった。

 

「聞きましたか? 若い人は良いわね」

「クレアさんも十分に若いじゃありませんか」

「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいわ」

 

 などといって、女性がゴルバ氏の首筋にちゅっとキスをする。
 ゴルバ氏は困ったような顔を取り繕いながらも、しかし失敗し、その顔はでれっとしてまんざらでもない様子だった。

 

「こほん」

 

 わざとらしくミストが咳をする。

 と、ゴルバ氏は泡を食った表情で女性を押しのけた。
 女性も「あん」とか声を上げながら、それでも素直にゴルバ氏から離れる。

 そんな様子を半眼でみやり、ミストは冷たい声で言った。

 

「さっきから気になっていたんだけど―――そちらの方は?」

 

 女性の方を掌で指し示してミスト。

 ゴルバ氏は、ミストの冷たい視線に気がついたらしく、気まずげに、視線を微妙にそらした。

 

「え、ええと・・・」

「クレア=フォルシーテと言います。ミネアの妹です」

 

 ゴルバ氏が何故か言いよどみ,代わりに女性―――クレアさんが答える。

 その自己紹介にミストは怪訝そうに眉をひそめて。

 

「ミネアって誰?」

「おいっ! テレスから聞いただろがッ、一週間前に―――その・・・亡くなった・・・」

 

 思わず目の前のゴルバ氏に気を使って声が小さくなっていく。

 だが、ミストはそんな俺の気遣いをかき消すかのように、ぽんっと派手な音を立てて手を鳴らすと、わざとらしい大きな声で。

 

「あ。一週間前に殺された被害者か!」

 

 などと言った。

 その言葉に、ゴルバ氏はびくっと身を竦めた。
 被害者の妹のクレアさんも冷たい視線でミストの方を睨んでいた。

 だが、ミストは全く意に介した様子もなく、ソファを立ちあがる。

 

「それじゃ、捜査の手始めに、ちょっと奥さんの部屋を覗かせてもらえますか?」

 

 

 

 

 

「・・・ああいう言い方はないと思うけどな」

「なにが?」

 

 小声で俺が言うと、ミストは部屋の中を物色しながら、やはりわざとよく通る声で尋ね返す。

 ―――ここは殺されたミネアさんの部屋だった。
 広い部屋で、俺たちが住んでるアパートの部屋なんかとは比べものにならないほど広い。
 なにせ、家具類を全部どければちょっとした球技が出来そうな広さだ。これが個人の私室だと思うと目の前がクラクラする。

 だが、部屋の広さに反して、中を飾る調度品は幾らか質素に思えた。
 いや、家具の一つ一つは高級品なんだろうが、飾りっ気がないというか―――少ないというか。なんか、必要最低限のものだけしか無い感じだ。宿場町の簡易宿をそのまま果てしなく豪華にした感じというか・・・とにかく、あるのは豪奢な意匠が凝られた椅子とテーブルとか、天蓋付きのベッドとか、そういう豪華な生活用品だけで、貴族の家にありそーな宝石だとか絵画だとかそう言うのは飾られていない。

 

「だから・・・被害者が亡くなったなかりなんだ。もう少し気を遣った発言をだな・・・」

「シード君。ミネアさんは亡くなった訳じゃないわ。殺されたのよ。表現は正確にするべきでしょ」

「あのなあ・・・」

「それに、身近な人が殺されて、その死を悼んでいるようにも、殺人者に対して憤っているようには全然感じられなかったし」

「おい」

 

 思わず俺は部屋の入り口を振り返った。
 部屋の入り口では、姉の部屋まで案内してくれたクレアさんが、先程から変わらずに冷たい目でこちらを見つめていた。

 と、俺の視線に気がついたクレアさんは掌を軽く振って。

 

「いいのよ、別に。他人には私達の心の内なんて解るはずもないのだろうし」

 

 ・・・かなり怒っていらっしゃる。
 まあ、そりゃそうだろ。初対面で、あんな態度を取られたら俺だっていい気はしない。
 ―――けど、その一方でミストの言い分も少しは解る。ゴルバ氏も、クレアさんも、身内が死んだというのに、そのことに悲しんでいる様子も憤ってる様子も見られない、というのは俺も感じていた。

 人が死んで一週間。
 その期間が長いのか短いのか・・・それは人によってそれぞれだと思うけど、もしもミストやテレス、クレイスでも誰でも、身近な人間が死んだら、俺は一週間で立ち直れるだろうか。

 ・・・ミストなら、俺が死んでも翌日にはけろっとしてそーだけどな。
 内心では泣いてても、表面は平気で偽れる女だし。

 

「あった!」

 

 不意に、ミストが嬉しそうに声を上げた。
 俺がそちらを振り返ると、ミストは机の引き出しから小さな小箱を大げさに掲げていた。
 陶器で出来た、ミストの掌に丁度収まるくらいの小さな小箱だ。

 

「なにかしら、それ」

 

 俺が尋ねるよりも早く、クレアさんが部屋の中に入ってきて尋ねてくる。
 にゅふふふ・・・と、ミストは不気味な笑みを浮かべて、堂々と宣言した。

 

「証拠品。ミネアさんを殺した殺人犯を追いつめる為のね」

「証拠品って・・・だから、それはなに?」

「ちっちっち、それを教えるわけには行きません。だってこれは重要な証拠品ですから」

 

 手を伸ばしてくるクレアさんの手を振り払い、ミストは俺の方に顔を向けて。

 

「じゃあ、シード君。さっさと帰るわ。早く自警団にこれを渡さないと!」

「いい加減にしないと怒るわよ!」

 

 鬼のような形相でクレアさんが怒鳴りつけた。
 思わず、俺も少しビビッてしまったほどの激しい感情。
 だが、ミストは全然気にした風もなく、平然と。

 

「わかりましたよ。はい」

 

 と、小箱を渡す。
 ひったくるようにして小箱を受け取ると、クレアさんは小箱の蓋を開いた。
 俺も横からそれをのぞき込む。

 

「・・・指輪?」

 

 飾り気のない指輪だった。
 ただ、箱の蓋の裏側に数年前の日付と、その横に成婚、と文字が掘られてる。

 これって、もしかすると・・・

 

「結婚指輪ね。これがどうかしたの?」

 

 クレアさんの疑問は俺も同感だった。

 結婚指輪。
 それがミネアさんの部屋にあったということは、これはミネアさんの結婚指輪だろう。
 例えば、これが無いというなら、強盗が奪い去ったのだと考えられる。その場合、その指輪の行方を捜せばよい。

 ただ、指輪はちゃんとある。なら、それがどういう証拠になるというんだろうか。

 

「わかりません? わからないなら良いです」

 

 素っ気なく言って、ミストはクレアさんから箱を奪い返すと、大事そうに服のポケットに入れた。

 

「・・・ちょっとまって。今のが証拠品だって言うのなら、あなたはもしかして犯人の目星がついてるんじゃ・・・」

「犯人の目星なんてついてませんよ」

 

 ミストは肩を竦めて。

 

「ただ確信しているだけです。誰が犯人であるか・・・ね」

「へえ。なら聞かせて貰いましょうか―――聞かせて貰う権利はあるはずよ? 姉を殺した犯人だもの」

「そうですね。なら、先程の客間に戻りましょうか。ゴルバさんにも聞く権利はあるでしょうし」

 

 

 

 

 

 ―――というわけで、俺たちは再び客間へと戻った。

 客間に戻ると、ゴルバ氏が疲れたような表情でソファに座っていた。
 この短時間で、数年は歳をくったように憔悴している。
 やはり、ミストの先程の心ない言葉が聞いたんだろうか。

 そう考えて、俺はミストを軽く睨付けるが、ミストは俺の視線には気がつかなかったようだった。

 

「遅れてすみません」

 

 俺とミストが先程と同じように、ゴルバ氏と向かい合わせになるように腰を掛けて少しして、「ちょっとお手洗いに・・・」と言って、客間に戻る寸前に俺たちと別れたクレアさんが部屋に入ってきた。

 さっきミストを睨付けていたのとは一転して、にこやかな表情で俺の真っ正面のソファに腰を下ろす。

 違和感があった。

 単純に、不機嫌だったのが機嫌が良くなった、という違和感ではなく。
 クレアさんがこちらを笑顔で見つめるその視線に、少し危険な感情―――具体的に言うなら殺気のようなものがあるような気がした。

 ・・・まあ、殺意沸いてもおかしくないのかも知れない。
 あれだけミストの馬鹿が挑発したんだ。かなり良くできた人でもないかぎり、殺意を抱いても・・・・・・・おかしいか、まあ人それぞれかもしれんけど。

 

「それで、ミストさん。犯人がわかったらしいんですが、それは誰ですか?」

「なっ・・・犯人・・・犯人って、強盗ではないのですか!」

 

 クレアさんの台詞に、異常なほど反応したのはゴルバ氏だった。
 うわずった声で、目を見開きミストを見る。

 対し、ミストは落ち着いて小さく頷いて。

 

「はい。残念ながら―――本当に残念ながら、ミネアさんを殺したのは強盗ではありません」

 

 ミストは残念、と二度繰り返した。
 その時、一瞬だけ目を伏せた。ミストなりに顔も知らない貴族の夫人の死を悼んでいるのかも知れない。

 

「ま、待ってください! ミネアは誰かの恨みを買う人間ではありませんでした。強盗以外に彼女を殺そうなどと・・・」

「勿体振るのは好きじゃないんで―――というかぶっちゃけ面倒くさいんで単刀直入に言いますが」

 

 ゴルバ氏の言葉を遮り、ミストは投げやりな態度で言った。

 ゴルバ氏とクレアさんをそれぞれ半眼で見やり、

 

「ミネアさんを殺したのはあんたたちよ」

「・・・!」

 

 ミストのぶっちゃけた言葉にゴルバ氏はびくりと身をすくませた。
 暑くもないのに、表情には汗をだらだらと流していた。ミストの指摘が図星だったという証拠だ。

 ・・・って。

 

「おい、なんだいきなりそりゃあ!?」

「いきなりじゃないわ。そんなの分かり切っていたことなのよ―――この屋敷にくる前からね」

 

 困惑する俺に、ミストは心底くだらなそうに言った。

 

「犯人は貴族だった。だから、街の自警団も手を出せなかった。学院長がルーンクレストの私警団を強引に踏み込ませれば、事は簡単に終わったでしょうけど、学院長は自分の権力をあまり使いたくなかった―――他の “貴族” たちを刺激しかねないからね」

 

 さっきも言ったが、このアバリチアには現在貴族階級などの、階級制は存在しない。
 ・・・が、それは建前の事で、今でも “貴族” と呼ばれる古い家柄の一族は、街の内政に対して特権的な位置にある。

 それは古くから培ってきた財産によるものだったり、或いは積み重ねてきたコネによるものだったり。

 金もコネもないような、力のない貴族はすでに市井に降りて、もはや一般市民と変わらずに暮らしている。
 逆に言えば、今も “貴族” と自称している人間は、金にしろコネにしろ、そう名乗るだけの力があるわけで。

 現在のアバリチアで、実質上の最高権力者はルーンクレストである。
 貴族というわけではないが、暗黒時代の生きた伝説でもあり、大陸最大の学園の長を務めるカルファ=ルーンクレストを初めとし、息子は放蕩者ではあるが、その妻は大貴族の出身で、なおかつアバリチアの商業組合、漁業組合を裏から支配するブラックルーン団の首領。厳密に言えば、市政に携わる人間ではないが、それでもカルファ=ルーンクレストが何かを言えば、それを街の役員は無視することは出来ないほどの力を持っている。

 だから、ルーンクレストはなるべく市政には干渉しないようにしているという。

 だが、今回力押しで、貴族の身柄を殺人犯容疑で拘束してしまえば、貴族たちの反感を買ってしまうだろう。
 ヘタをすれば、アバリチアの貴族連中が手を組んで、ルーンクレストを潰そうと企むかも知れない。

 

「・・・ってことか?」

「おー、よくわかったわね、シード君」

「お前、俺のこと馬鹿だと思ってるだろ・・・」

 

 なんか、ムカつく。

 だが、ミストは笑っただけで何も応えずに、ゴルバ氏の方へ向く。

 

「ま、そんな理由でもなければ、私達にこんなことを依頼するわけないものねー」

「証拠がない。・・・だいたい、どうして私達が妻を殺さなければならないんだ! ミネアは良くできた妻だった。貞淑で、私を心から愛してくれていた! 私だって、彼女のことを愛していた!」

 

 ゴルバ氏が青ざめた顔で叫ぶ。

 証拠も何も、その態度見れば一目瞭然という気もするけどな。
 逆に、クレアさんは平然としている。

 しかし、確かにゴルバ氏―――つかもう呼び捨てで良いか―――ゴルバの言うことにも一理ある。
 いくらなんでも証拠がなければ・・・あ。

 

「そーいやミスト。さっき証拠があるって言ってたけど・・・」

「あ、これね」

 

 と、ミストは結婚指輪の入った箱を見せた。

 

「それはミネアの結婚指輪・・・なんでそれが証拠に・・・」

 

 ゴルバが怪訝そうに、ミストの持った箱を凝視する。

 

「結婚指輪ってさ、結婚したら左の薬指に付けておくものらしいのよね―――めんどくさいって、父さんも母さんもつけてなかったけどさ」

「えっと、それがどう証拠になるんだよ? 別に付けてなくちゃいけないものでもないんだろ」

「貞淑で、夫のことを心から愛していたんでしょ? だったら、ずっと―――少なくとも家を出るときくらいは付けていたはずよ」

 

 言いながら、ミストは指輪を箱から取り出す。

 

「その証拠にリングの内側、少し色あせているわ。これって、何度も指輪をつけたり外したりしたあとでしょ?」

「本当だ・・・」

 

 ミストの言うとおり、リングの内側は少しこすれたような痕があって色あせている。

 と、ゴルバが苛立たしげに怒鳴ってきた。

 

「だ、だからどうしたというんだ! 殺されたときにたまたま指輪をつけていなかっただけだろう!」

「その通りよ」

 

 ゴルバの怒鳴り声に、ミストはにやりと笑ってみせる。

 

「つまり、ミネアさんは指輪をはめていないときに殺されたのよ。―――さて、ここで問題です。指輪って、どういうときに外すでしょう?」

「えーと・・・やっぱ、風呂に入るときとか寝るときとか・・・かな」

「外さない人もいるかも知れないけどね。でも、まあ、そんなとこでしょ。で、寝るにしても風呂にしても家の中よね」

「あー、そっか」

 

 ようやく解った。

 つまり、被害者は指輪をはめて無いときに殺された。イコール、風呂か寝室か・・・ともかく家の中で殺されたというわけだ。

 

「雨の中、ずぶぬれで死んでたっていうから、多分、殺されたのはお風呂に入っているときでしょうね。貴族の家なんだし、さぞかし立派なバスルームがあるんでしょーねー・・・うちにも一つ欲しいなー」

 

 ミストが最後に余計な一言を付け足す。
 が、それに関しては俺も同感だった。

 貴族ではない俺たちのアパートには、当然、風呂場なんて無い。
 だから周に一度共同風呂に入りに行く他は、井戸から水を汲んで髪だけ洗うようにしている。
 面倒だが、一応ミストは女だし、俺もマスターも飲食店をやってるんだから本当は毎日風呂に入って清潔にしたいところなんだが。

 

「ま、状況証拠に過ぎないけどね。でも、自警団が捜査できるきっかけと理由くらいにはなるでしょ?」

 

 そう言って、ミストはソファから立ち上がる。

 俺も立ち上がって―――

 

「ミスト!」

 

 俺は反射的にミストを横に突き飛ばした。
 「きゃっ」と悲鳴を上げてミストが床に転がる。その上を、一本のナイフが一直線に飛んでいき―――カッ、と壁に付き立った。

 

「あら、外しちゃった?」

 

 そう言って、てへ、と舌を出したのはクレアさんだった。

 その手には、三本のナイフがある。

 成程、さっき手洗いに行くと言いながら、こいつを用意していたのか。

 

「まったく、子供だと思って油断したわ。ルーンクレストの使いだというから中に入れたけど・・・これなら、強引に追い返した方が良かったわね。ゴルバ! その子を捕まえるのよ!」

「う、うおおおおっ!」

 

 青ざめたままゴルバは、命令に従ってミストに襲いかかる。

 だが、ミストに飛びかかった状態で動きが止まった。

 

「か、身体が・・・動かない・・・っ!?」

「あーあ、まだ油断してるわよ、オバサン」

 

 そう言いながら、ミストは固まって動かないゴルバを前にして、悠々と立ち上がった。

 

「子供だから、簡単に殺せると思ったんだろうけど―――知らぬ存ぜぬで突っぱねれば、少なくとも時間は稼げたのにねー」

「ちっ!」

 

 舌打ちして、クレアは素早くナイフをミストへと投げつけた。
 だが、そのナイフもミストに届く寸前、空中で止まる。

 

「ありがと、サレナ」

 

 ミストはそう言って、俺たちには見えない何かに向かってほほえみかけた。
 サレナというのはミストの母親の名前であり、それから少し前のとある事件で、ミストが手に入れた風の精霊の名前でもある。

 つまり、今、ゴルバとナイフを空中に固定しているのは、その精霊の風の力だった。

 

「観念しなさい」

「くそ、小娘がああああああっ!」

 

 怒りをあらわにして、クレアはさらにナイフをミストへと投げつけた。

 だが、それも風に固定される―――が、構わずにクレアは背を向けて逃げ出す。

 

「シード君、追って!」

「わかってる!」

 

 俺もそれを追いかける―――って、なんだ? あの女、ドアには向かわずに、部屋の壁に―――

 と、部屋の壁に辿り着くと、クレアは俺に向かって最後のナイフを投げて牽制。
 反射的に、俺は向かってくるナイフを受け止める―――その隙に、クレアは壁にたんっと手をついた。その瞬間、壁の一部分がくるりと回転する。回転扉のような壁に呑み込まれ、クレアの姿が壁の向こうに消えた。

 

「なんだっ!」

 

 俺は慌てて回転した壁につくと、クレアが叩いた場所を同じように叩いてみる―――が何も起こらない。

 

「残念ね! ここは非常用の抜け道で、一回使うと追いかけられないように自動的に鍵が掛かるのよっ!」

 

 壁の向こうから勝ち誇った女の声が聞こえてくる。

 

「今回は私の負けと言うことにしておいてあげる・・・けど、この借りは必ず返す―――」

 

 クレアの口上を聞きながら、俺は無言で壁をナイフでついた。

 ナイフで壁を傷つけた瞬間、意識を放つ。
 それは終焉の意識。あらゆるものにいつかは訪れる、終わりの概念。

 ナイフがつけた壁の傷を伝わって、俺の意識が壁の中へと到達し―――唐突に、壁に ”終わり” が訪れた。
 回転壁が、塵となって崩れ落ちる。そのぽっかり空いた穴の向こう側では、今まさにクレアが背を向けて逃げ出そうとするところだった。

 

「なっ・・・」

 

 呆然と、こちらを見るクレア。
 と、俺の横にミストが並んできた。振り返ると、ゴルバとナイフは未だに固まったままだ。

 

「なんなのよ、あんたたちぃ・・・」

「名乗んなかったっけ? ミスト=ラインフィーと」

「だから違うだろ」

「最強のちょっと特殊な彫刻家であるシード君よ!」

「いつのネタだそれーッ!」

 

 俺が喚くのも無視して、ミストは肩を竦め。

 

「ま、逃げてもいいけどさ。多分捕まるよ? 今頃、屋敷の周りは自警団で囲まれてるはずだし」

「へ?」

 

 と、俺が疑問を呟いた瞬間。

 客間のドアが開かれて、そこから自警団の制服に身を包んだ男たちが五人ほど突入してきた。

 それを振り返らずに、ミストは

 

「ほら」

 

 と、だけ呟く。

 固まったままのゴルバと、呆然と抜け穴の中で立ちつくすクレアを、自警団の連中は手慣れた動きで拘束していく。

 

「お姉様!」

 

 その自警団たちに紛れて、テレスがこちらに駆け寄ってきた。

 

「お姉様の言うとおり、自警団の人たちを呼んできましたー!」

「ん。ありがとテレス」

 

 どうやら、別れ際に耳打ちしていたのはこういうことらしい。

 ちなみにルーンクレストの私警団でないのは、さっきも言ったように貴族連中を刺激しないためだろう。

 

 そんなことを考えながら、俺は自警団に連行されていくゴルバとクレアを眺めながら―――

 

「ともあれ、これで・・・」

「一件落着ね。・・・あー、つまんない事件だったわ」

 

 そう言って、ミストはやれやれと肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 んでもって後日談―――

 自警団に捕縛された二人は、当初、自警団の詰問に無言を通していたが、しばらくしてゴルバが折れて自供をした。

 

 結局の所、クレアは被害者とは姉妹でも何でもなく、ゴルバとの関係は単なる愛人だったらしい。

 

 単純な話だった。
 最初はこっそりと逢い引きを繰り返していたのが、次第にミネアさんの目を気にするのが面倒になったらしい。

 だが、愛人が出来たから離婚する、というのはどうにも体裁が悪い。
 だから、強盗の仕業に見せかけて殺したというのだが。

 

「ばっかよねー」

 

 昼下がり。
 いつものように客の居なくなったレストハウス『スモレアー』でくつろいでいたミストに、テレスが伝えてきた殺人の動機を聞いて、開口一番そうのたまった。

 俺もテーブルを拭く手を休め、テレスの話を聞いていたが・・・
 まあ、ミストに同感だな。
 正直、理解できない。

 ゴルバ自身が言っていたように、ミネアさんは夫のことを愛していたんだろう。ゴルバも妻のことを愛していたに違いない―――そうでなければ、ミストの詰問にあんなに顔を青ざめさせるほど、罪悪感(だと思う、アレは)を感じることもなかったはずだ。
 だというのに、他に好きな人が出来たから殺すなんて、俺には一生理解できそうもない。

 そう、俺が言うと、しかしミストはきょとんとして俺を見る。

 

「そうかな。私は・・・ちょっと解るかも知れない」

「ええ!? じゃあ、お姉様。シード様以外の人を好きになったら、シード様を殺すんですか!?」

「ちょっと待て、テレス! どーしてそこで俺の名前が出てくる!」

「うわ、シード君ひっどーい」

 

 何故かテレスではなくミストが返事してくる。

 

「だって、私がいま一番好きなのはシード君だよ? 知らなかった?」

「そ、それは・・・えーと、知って・・・たかも」

 

 いや、知ってた。というか。えーと・・・

 

「恥ずかしいだろ! そう言うの、他人に言われるの!」

「じゃあ、シード様が言ってください」

「へ?」

「ほら、先程、私が言った台詞です」

 

 テレスが詰め寄ってくる。

 ・・・なんだこの展開。

 

「え、えーと・・・ミ、ミスト・・・その、ミストが俺より好きな人間が出来たら、俺を殺すのか・・・?」

 

 うわ、滅茶苦茶恥ずかしい。
 なんつーかこの台詞の前提って、「ミストが俺のことを好き」ってことだし。いや、知ってるし解ってるつもりなんだけど、改めてそう言うのを人前で言ったり言われたりするのはとてつもなく恥ずかしいわけで。

 だが、ミストは全然そういうデリカシーを感じないらしく、ふむ、と首をかしげて。

 

「どうかしらね。そもそも、私が物理的にシード君を殺せるのかって疑問もあるけど。でも、ゴルバの気持ちは解らなくもないわ」

 

 そう言って、ミストは少し遠くを見るような目つきで、

 

「だって好きな人が出来ても、でもそれまで好きだった人も好きなままでさ。二人とも好きなのに、愛しているのにどちらか一方しか選べないとしたら・・・シード君はどうする?」

「それは・・・やっぱ一番好きな人を選ぶかな・・・」

「そうでしょうね。でも、もう一人の方も好きなわけよ。選びたい訳なの。でも二人同時は駄目。どうしたらいい?」

「どうしたらって・・・一人しか選べないなら―――・・・だから、殺すって?」

「殺したり殺されたりするのって、もしかしたら最高の愛し愛されかたかもね」

 

 なにをいきなり言い出すんだ、こいつは。

 

「だって、愛することは誰にでも何人にでも何度だって出来るわ。愛されることも同じ―――でも、殺すことは殺した人間にしかできない。殺されることは一回しかできない―――そして、殺した人は殺してしまった相手のことを一生忘れないわ。それが、愛した相手なら絶対に忘れられない」

「・・・・・でも、そんなの間違ってるだろ」

「私もそう思う。けどね、ミネアさんは殺されることを望んでいたんじゃないかなって、ふと思ったんだ」

「なんで」

 

 わけがわからない。

 幾ら愛していたとはいえ、殺されることを望む人間が居るだろうか?

 

「きっとね、ミネアさんは気がついてた。夫が愛人と逢い引きしてることを。そして、自分が家を追い出されることを―――或いは殺されることを覚悟していた・・・」

「遺書でもあったんですか?」

 

 と、テレス。
 そーいやミストは被害者の部屋をあさっていた―――いや、実際は漁るほどものがあったわけじゃないんだが―――もしかしたら、指輪と一緒に遺書の一つでも見つけているとか。

 テレスの質問に、ミストは物憂げに首を横に振って、

 

「そう言うものはなかったけどね。でもね、シード君、覚えてる? ミネアさんの部屋。椅子と机とベッド以外に何もなかったでしょ?」

「そーだな。貴族の部屋にしてはなんか物が無くて、お陰で余計に部屋が広く感じたぜ」

「指輪を見つけた机にも、指輪以外何も置かれてなかった―――きっと、他の物は全部ミネアさんが片づけたんだと思う」

「は、なんで片づける必要が―――!」

 

 言いかけて俺は理解する。
 片づけたのは知っていたから―――

 ―――殺されると、解っていたから。

 

「理解できねえよっ!」

 

 俺は思わず叫んでいた。

 理解なんぞしてたまるか! 例え、本当に殺されることを望んでいても、そんな―――

 俺の脳裏に一人の女性の姿が思い浮かぶ。
 俺の古い親友の一人だ。
 かつては彼女も殺されることを望んでいた。

 

「シード君は知ってるはずだよ。殺されたいと願っていた人のこと」

 

 偶然か、それとも俺の考えを読んだのか、ミストがそんなことを言ってくる。

 

「愛するってことはその人を独占したいって事だもの。そして殺されると言うことは、殺した人間の心の一部を独占してしまうこと。・・・殺されたいって言うのは、極論すればそれほど愛してるって事じゃないかな―――だから、ミネアさんは本望だったのかも知れないって、そう思う」

「ミストは・・・俺に、殺されたいのか・・・?」

 

 反射的に俺はそんなことを聞いていた。
 頼むから、首を縦に振らないでくれと願いながら。
 もしも、ミストが肯定してしまったら、俺は、一体どうしてしまうだろう・・・? 自分でも解らない、もしかしたらミストを殺してしまうかも知れない。いつか、感じた―――そうだ、ずっと昔にフロアが殺してと叫んだときにも感じた、ドス黒い感情が胸を満たす。

 天空八命星。

 遙か太古に存在した “終わり” の意志。
 もうミストに “殺された” と思っていたそれが蘇る。

 だが―――

 

「うーん、別に? だってもう殺されたし」

「へ?」

「あれ。シード君、覚えてない? 私を殺したこと」

「忘れるわけ、ねーだろ」

 

 忘れるはずもない。
 ミストを殺した感触は今でも思い出せる。

 渋い顔をする俺に、ミストはにっこりと笑う。

 

「うん。だから殺されるのはもういいや。それをシード君は一生忘れないと思うし―――私だって、一生忘れない」

「えと。もしかしてそれは脅迫・・・」

「えー、脅迫なんてしてないよ? ただ忘れないってだけでー。そういうわけで、殺されたことを覚えてるからシード君、ジュース奢ってー」

「してるだろっ、脅迫!」

「あ、シード様。今の話しっかりと覚えましたので、私はブドウジュースがいいですー」

「テレスまで!?」

 

 ミストに便乗してさりげなく注文してくるテレスに、俺は思わず溜息。
 さっきまで拭いていたテーブルを、大雑把に全体を拭いて仕上げると、ぞうきんを片手に、飲料の置いてあるカウンターへと向かう。

 

「ったく、テレスのやつ、ミストに毒されすぎだ・・・」

 

 ぶつぶつと呟きながら、床下の冷蔵室の戸を持ち上げた。

 水道と同じで、冷蔵庫などというハイテクなものは存在しない。
 なので、内の店では地下を掘って、そこに飲料を貯蔵している。暑い時期は、大きな氷塊を氷屋から買ってきて、ぶち込むこともある。

 ふと。

 胸の中に、さっきまでのドス黒い天空八命星の気配が消えていることに気がついた。
 いつのまにか “殺されて” いたらしい。
 なんとなく、胸の上に手をやってみる。とくん、とくん、と自分の心音が感じられた。

 

「あ、シード君。私はアップルジュースねー」

「わあったよ! 大人しく待ってろ!」

 

 ミストの注文に、俺が返事を返すとカウンターの向こうでミストとテレスが笑い合う声が聞こえた。

 そんな二人の声を聞きながら、俺はひんやりとした冷蔵室の中へ手を伸ばした―――