第29章「邪心戦争」
BJ.「風のささやき」
main character:ホーリン=ライデン
location:ファブール

 

 

 

 ―――その瞬間、確かに刻が静止していた。

 遮る巨腕を突破し、ヤンの蹴りが魔獣の額を打撃する。
 その一瞬の光景は、まるで一枚目のようにアスラの目に焼き付いて。

「あ」

 と、声を漏らしたのはホーリンだったかエアリィだったか。それとも自分だったかも知れない。
 それを時間再生の合図とするかのように、ぐらりと魔獣の身体が揺らぎ、力無く伏せるように倒れていく。ヤンも魔獣から剥がれるように仰向けに落ちて―――。

 まずい―――と、直感した。

 確認するまでもなく、ヤンの意識は完全に途絶えている。
 下手すれば既に死んでいるかも知れない―――死んでいても当たり前なほど、ヤンは人間の限界を出し尽くしていた。
 辛うじて生きているにしても、あのまま墜落すれば間違いなく即死だ。そしてもしも死んでしまった場合、今のアスラには蘇生させる力は残されていない。

(間に合いますか―――?)

 僅かに回復した魔力を体中から掻き集め、練りあげる。
 通常の倍以上の時間をかけ、転移魔法でヤンを引き寄せようと集中して―――

「まだ生きてるの!?」

 驚愕の声を上げたのはエアリィだった。
 崩れ落ちようとしていた魔獣の身体が止まり、再び身を起こす。
 そして、ヤンへと己の腕を―――

「え・・・っ?」

 アスラは思わず驚きの声を上げた。その拍子に集めていた魔力もほどけていく。
 身を起こした魔獣は、腕を落ちていくヤンへと差し出していた。
 そして優しく―――少なくともアスラにはそう思えた―――彼の身体を受け止める。

 腕はそのままゆっくりと地面へとヤンを降ろす。砕けていない右足を支えにして立たせて。
  “勝者が倒れることは許されない” ―――そういうかのように、魔獣は意識の無いヤンを自らの腕に寄りかからせたまま、立たせた状態で地面へと降ろした。

 そして、今度こそ魔獣は生命の鼓動を止める―――

 

 

******

 

 

「あんたっ!」

 ヤンに最初に駆け寄ったのはホーリンだった。続いてエアリィがすいーっと飛んでいく。

「・・・っ」

 間近で夫の姿を目にして、ホーリンは言葉を失う。
 遠目で見て人智を越えた動きをしているとは思っていたが、その代償は想像していたよりも大きかった。

 全身打撲で身体全体が青ずんでいるのはまだ序の口だ。

 完全に砕けた右拳と左脚は、原型こそ留めているものの、よくよく見れば気分悪くなるような違和感を感じる。脚は右脚に比べて明らかに長さが異なり、右に重心がかかっている―――つまりは右に身体が傾いているにも拘わらず、地面に腱のあたりがついていた。そこから爪先までは、まるでズボンの裾のように折れ曲がり、地面に垂れている。

 右手の方はちょっと見ただけでは単に力無く “真っ直ぐ” に垂れ下がっているようにしか見えない。
 だが、試してみれば解ることだが、人間の手というのは脱力した状態だと弓なりに指が曲がる。これは骨や筋がある為だが、ヤンの右手は曲がることなく “真っ直ぐ” に地面へ向けて伸びていた。つまり、完全に骨や筋が砕けていると言うことである。

 形を留めているのが奇跡のような状態。むしろ完全にミンチになっていた方がマシだったのではないかと思ってしまうほどだ。

 ただそんな状態の割りには出血は少ない。唇やら身体のあちこちを僅かに切り、血が滲んでいるが、派手な出血はなかった。その分、内部で出血していることは想像するまでもないことだったが。

「・・・・・・・・・」

 不安、心配、嘆き。
 そんな感情が一緒になったような表情で、ホーリンは魔獣の腕に支えられた自分の夫をただ見つめる。

 触れることはできなかった。 
 下手に触れてしまえば、そのまま崩れ落ちてしまいそうで―――或いは “確かめてしまう” のが恐かった。

 生きているのは感じられる。
 意識を失いながらも僅かに呼吸をしているのを彼女は気付いていた。
 ただ、それはあまりにもか細く、すぐにでも消えてしまいそうなほど弱い。

「これは・・・」

 後から追いついてきたアスラがヤンの状態を間近で見て息を呑む。
 それは “すでにどうしようもない状態” という意味だとホーリンは気付きながら、三面六臂の異形の幻獣を振り返る。

「あ、あんたならウチの人を―――」

 助けられるんだろう? と言う言葉は続けられなかった。
 アスラの悲しげな表情を見てしまったから―――ではない。
 すでに理解していたからだ。
 魔獣との闘いで、アスラは殆ど力を失っている。そうでなければホーリンよりも先にヤンの元へと駆けつけて、その傷を癒していただろう。駆け寄る余力すらないから、彼女はホーリン達よりも遅れて歩いてきたのだ。

 どうしようもない。もう、どうしようもない。

 今までに感じたことのない絶望が―――ヤンが地底で “死んだ” という話を聞いた時でさえ感じることの無かった絶望が、ホーリンの心を締め付ける。
 あの時は話を聞いただけだった。もしかしたら生きているかもしれない、という希望を持つことができた。
 けれど今回は駄目だ。
 目の前で死に瀕しているあの人が居る。まだ生きてはいる―――けれどどうする手だてもない。救えない。助けられない。死ぬのを見つめることしかできない。死んでいくのを確認することしかできない。

「――――――」
「ねえねえ、こっちはもう死んでるよねー?」

 不意に頭上から降ってきた声。
 それがなければホーリンはその場に崩れ落ちて、そのまま泣き喚いていたかも知れない。

 声に反応して見上げてみれば、そこには夫の恋人を自称する妖精が脳天気に浮遊しながら魔獣を見上げていた。

「・・・ええ、完全に事切れています。ヤンの最後の一撃によって」

 答えたのはアスラだった。その声音は普段よりも低かった。
 対し、エアリィは普段と変わらぬ調子でケラケラと笑い。

「っへー! こーんなでっかいのを倒しちゃうなんてやっぱヤンってすごいんだあー。やっだもー、ますます惚れちゃうじゃん!」

 キャハハハッ、と甲高く笑う妖精に、ホーリンは耐えきれずに怒りを向ける。

「アンタっ! 何がおかしいのさ!?」
「えー、やだこわーい。なに怒ってんの?」

 わざとらしく怯えてみせるエアリィに、ホーリンは感情を更に昂ぶらせ―――ついには涙まで目端に滲ませる。

「ウチの人が死のうとしてるのに、なんだいその態度! 一応でもアンタは愛人だろうに!」
「あ、認めてくれるんだ」
「うるさいうるさい! 畜生、今すぐぶっ殺してやるっ!」
「だからなに怒ってるんだよー? わっけわかんない」

 あくまでも脳天気なエアリィに、ホーリンは持っていた包丁を振りかぶる。
 手の届かない場所に居る妖精に投げつけようとした時、エアリィは笑いながらも断言した。

「―――ヤンは死なないのに」
「・・・え?」

 思っても見なかった言葉―――けれども心の奥底から望んでいたその一言に、ホーリンの怒りが霧散したように消える。
 呆けたように動きを止める彼女の元に、エアリィはすーっと降下すると、そ肩へちょこんと腰掛けた。

 顔のすぐ間近に居る風の幻獣に、ホーリンはおそるおそる尋ねる。

「それは・・・どういう意味・・・?」
「そのまんま! ヤンは私が助けちゃうんだもーん」
「どうやって!?」

 必死になって問いかける正妻に、愛人はくすりと笑う。

「風はね、色々なものを運ぶのよ? それは誰かの “声” だったり、何かの “香り” だったり、暖かな “熱” だったり―――」

 そして、と妖精は悪戯っぽく微笑んで片目を閉じて。

「――― “生命” だって風は運ぶのよ」

 そう言って、エアリィはホーリンの肩の上に立ち上がると、両手を大きく広げて周囲へ呼びかけるように叫ぶ。

「風よ! 風よ! あたしのお願いを聞いて頂戴! ほんの少しずつでいいから “生命” を運んで頂戴! あたしが―――あたし達が愛する人の元へ “生命” を届けて頂戴!」

 エアリィが叫び終わると、応えるように風が吹いた。
 風は優しげにエアリィとホーリンの身体を撫でた後、一気に勢いを増して周囲を駆けめぐる。

 魔獣との決着が着いた後も、周囲では魔物達との戦いが続いていた。
 最初はモンク僧達が劣勢だったが、SeeDが援軍に来たことにより形勢は変わっている。ほぼ膠着状態でありながらも、僅かにこちら側が優勢のようだった。

 そんな戦場を、モンクとSeeDと魔物達の間を “風” は駆け抜けていく。

 戦闘に集中しているモンク僧達は “風” に気付かない。気付いても気にもしないだろう―――だから風が身体を撫でた際に、少しだけ、ほんの少しだけ “生命” を掠め取っていったことにも気付かない。

 風は戦場を駆けめぐり、モンク僧やSeeDや魔物達から “生命” を少しずつ集めていく。

 ほんの一呼吸するだけの間で風は戦場を一回りする、と再びエアリィ達の元へと戻っていく。
 この場の全てからほんの少しずつ生命を集めてきた “風” は、最後に傷つき死に逝こうとしているヤンへと―――

 

 風のささやき

 

 小さな生命をいくつも掻き集め、大きな生命力を内包した “風” は吸い込まれるようにヤンの中へと吸収されていく。
 同時、傷ついたその身体を暖かな光が満たしていった。

「あんた・・・?」

 すぐに光は収まり、ヤンの見た目に変化は殆ど無い―――が。
 アスラがホーリンの前に出て、仔細にヤンの様子を観察する。砕けた右手左足はそのままだが、全身打撲による腫れが随分とひいている。か細かった呼吸も、段々と強くなっていくのが解った。

「・・・もう、大丈夫です」
「ふにゅう・・・疲れたあ・・・」

 アスラが言った途端、ホーリンの肩の上からエアリィが転げ落ちる。
 ホーリンが慌てて抱き止めると、その手の中で小さな妖精はすぅすぅと可愛げな寝息を立てていた。

「どうやら彼女も精一杯、力を使い果たしたようですね」

 手の中で眠る妖精を覗き込み、アスラが微笑む。
 思えばエアリィもヤンと憑依して気絶したりと、かなり消耗しているはずだった。それなのに最後に力を振り絞り、 “生命” を掻き集めて、ヤンを救い出したのだ。

「・・・ありが、とう・・・!」

 ホーリンは瞳に涙を溜めながら、手の中で満足げに眠る妖精を起こさないように気をつけながら、その胸に抱きしめた―――

 


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