第29章「邪心戦争」
BG.「魔獣の王(16)」
main character:ヤン=ファン=ライデン
location:ファブール

 

 アスラ目掛けて吹っ飛んできたヤンはしかし、彼女と激突する寸前に体勢を立て直す。
 そのまま彼女の目の前―――深く抉られた地面の中へと着地する。

「ヤン!」
「心配ない」

 返事は即答として穴の中から昇ってきた。
 力の入らない身体を無理矢理に前に倒して覗き込もうとした矢先、ヤンがふわりと穴の中から飛び出してくる。

 違和感。

 その身のこなしに何か違和感を覚え―――しかし、その正体を考えるよりも彼の状態の方が気になった。

「無事なの・・・!?」

 アスラにはベヒーモスの直撃を受けたように見えた。実際、だからこそここまで吹き飛ばされてきたのだろう、が。

 その割にはヤンに傷を負った様子はない。先程と変わらず、力も気配も感じられないが、今の身のこなしを見る限り無事なようだった。

「今のでダメージを受けていない・・・?」

 遠目だが、アスラの目ならば数百メートル先まで余裕で確認出来る。
 確かに、ヤンはベヒーモスの一撃をまともに受けた。何か特殊な力を使って防いだとか、そう言った様子はない。アスラがやったように直撃の瞬間に自ら跳んだようにも見えたが、僅かに衝撃を減らしただけでは、人間のヤンでは吹っ飛ぶ前に完全破砕しているはずだ。

 疑問を浮かべている間に、再びヤンは魔獣の王へ向かって歩み向かって行く。
 そのことに気付いたアスラは、彼を止めようとその名を叫ぼうとして、背後から近寄ってくる存在に気がついた。

「―――大丈夫さね」

 彼女はそうアスラへと声をかけた。
 側面の瞳で背後を見れば、未だ気絶したままのエアリィを抱えたホーリンが立っていた。

「何故、逃げなかったのです!?」

 非難めいた―――悲鳴じみたアスラの言葉に、ホーリンは穏やかに微笑んだ。

「言っただろう? ウチのダンナは “諦めが悪い” って」
「え・・・?」
「自慢じゃないが、これでもアタシは昔はそれなりに強くってね」

 その話はアスラもファブール滞在中に小耳に挟んで知っていた。
 なんでもホーリンも若い頃はモンク僧として修行していて、そこらの男共にも引けを取らなかったらしい。
 さらに美人であり、ずっと求婚が絶えず、彼女は「自分より強い男となら結婚しても良い」と宣言していたそうだ。

 投げや関節技が得意な彼女は、毎日のように向い来る男共を投げたり折ったり投げたり折ったりを繰り返していたという。

 ヤンもその中の一人だった。

「当時のあの人はとても弱くってねえ。アタシに求婚してくる連中の中じゃ、一番弱かったんじゃないかね」
「モンク僧長である彼が、ですか?」

 少し驚いて思わず聞き返すと、ホーリンは笑ったまま頷く。

「だけど、最後まで諦めなかったのはあの人だけだった」

 何度投げられても、何度折られても。
 怪我が完治すれば―――いや、しなくても彼はホーリンへ向かってきた。
 そして最終的にはその蹴りがホーリンを捉え、彼女は求婚を受け入れた。

「あの人はいつもそうだ――― “諦めが悪い” のさ」

  “決して諦めない” などと格好良い話ではない。
 一旦、諦めたとしても、彼の心の中ではずっと燻り続けるというだけの事だ。

 ヤン=ファン=ライデンと言う男は自分が “強い” と思ったことは殆ど無いだろう。
 ただ “強くなりたい” と常に思い続けている。
 妻となった後、ホーリンは彼のことを一番近くで見守り続けてきた。
 彼はずっと己を磨き続け、修練を重ねてついに “僧長” にまで登り詰めた。

 しかしそれでも届かぬ領域は存在する。
  “最強” と呼ばれる者たち―――それには敵わぬと、ヤンは思い知っている。

 それにも関わらず、彼は今以上に強くなることを諦めきれていない。

  “最強” には届かないと理解している反面で、 “最強” に至ることを諦められていないのだ。

(今も、そうさね)

 散々戦い、あの魔獣の王には敵わないと思い知っているはずだ。
 それなのに彼はまだ立ち向かおうとしている。
 だから、とホーリンは心の中に置いて、残りは言葉として吐き出した。

「まだ、あの人が諦め悪く足掻いているのさ。それを見守るのが妻の役目さね」

 

 

******

 

 

 ヤンは無造作に歩を進め、魔獣へと歩み寄る。
 魔獣の手の届く範囲に踏み込んだ瞬間、即座に魔獣の腕が伸びてくる。今までのような様子見ではない。
 本気の一撃でなければ、今のヤンを捉えることは出来ないと本能的に理解しているのだ。

 だがヤンの頭上へと振り下ろされる豪腕は、地面を砕くだけだ。

(身体が、動く)

 ヤンはすでに満身創痍だった。
 ベヒーモスから受けたダメージもあるが、それよりもエアリィとの “幻獣憑依” の影響の方が大きい。人を超えた、幻獣の力を得た代償はヤンの体力を根こそぎ奪っていた。

 傷と疲労で全身が軋む。半ば麻痺しかけている痛みが脳を揺さぶる。
 身体は重く、息は切れている。
 正直、今すぐにでも倒れて眠ってしまいたい―――いや、そもそも本来ならまともに動ける状態ではない。

 だが、それでも―――

(身体は、動く)

 それも普段よりも滑らかな動きだ。踏み出す足も、地や空を滑るように前に出る。
 むしろ完調時ですら不可能な身のこなし。前に駆けた次の瞬間には後ろへ跳んで、右へサイドステップして着地した瞬間には左へと跳んでいる。慣性や重力というものをまるで感じさせない。

 己の身体を “中” からではなく “外” から―――操り人形のように糸か何かで動かしているかのように、動きが無差別だ。
 その無差別な動きで、ヤンは魔獣の攻撃をかいくぐる。

 身体能力は何も変わっていない。
 パワーもスピードも、むしろエアリィが憑依していた時に比べて格段に落ちているのを自覚する。
 小山ほどの魔獣とはいえ、そのスピードはヤンを凌駕している。単純に、遅いモノはより速いモノに追いつかれ、逃れることはできない―――それなのに、ヤンは迫り来る破壊の一撃に対し、紙一重で回避し続ける。目の前を通り過ぎていく豪腕に伴う衝撃破も受け流し、ヤンを捉える事は適わない。

 最初の一撃はまだ上手く感覚がついていかず、まともに喰らってしまった。

 だがその一撃を受けた時に理解出来た。
  “これ” は己の身を動かす技法なのではない。

(感じる・・・)

 自分だけではなく、自分の周囲にあるモノをヤンは感じ取っていた。
 目の前の魔獣は元より、地面の土や大気を流れる風、あらゆるものが発する熱、天から降り注ぐ光―――

 世界を感じ、その中にある自分を感じる。
 自分自身だけを動かすだけでは駄目なのだ。周囲のことを無視して己だけを動かせば無理が出る、無駄が出る。
 全周囲を感じ取り、世界と共に己を動かす―――そうすれば、何も無理も無駄もなくして動くことが出来る。

 それは考えて動くものではない。ただ感じて、反応し、望むままに。それこそが―――

「―――ハァッ!」

 横薙ぎに振るわれた豪腕をヤンは飛び越えて回避―――したところを、足下を通り過ぎようとした腕がピタリと止まり、空中のヤンへと目掛けて振り上げられる。エアリィが憑依していたときに喰らった一撃だ。

(二度は喰らわんッ!)

 ―――しかしヤンの跳躍は先程よりも高くはない。腕をギリギリ飛び越えられるかどうかと言うところだった。
 だから魔獣の腕が止まった瞬間、ヤンの足の爪先が腕へ触れる。

 それはほんの一瞬の事だ。次の瞬間には魔獣の腕は天へと跳ね上げられていた。
 だがヤンはその一瞬だけで、爪先が触れただけの腕を足場にして蹴り跳んで回避する。

(これが―――)

 魔獣の腕が背後で天へ向けられるのを感じながら心を振るわせ、そして理解する。

(―――これこそが、バッツ=クラウザーの領域か・・・!)

 

 

******

 

 

「まさか・・・ “無拍子” ・・・!?」

 遠目でヤンの動きを眺め、アスラは呟く。
 それは体術の極み。モンク僧などの格闘家が目指す頂の一つ。

 一度だけ彼女の師が使った所を見たことがあるが、その師匠でさえそれを極めたとは言い難い様子だった。

 幻獣へと昇華した彼女でさえ―――むしろ、人間を捨てたからこそ――― “無拍子” を使うことは出来ない。
 何故ならば “無拍子” とはあくまで人間が扱う体技を極めたものであるからだ。

(私は “人を超えた力” を望みました―――けれど彼は “人を極めた力” を望んだのですね・・・?)

「逃げ回ってるだけじゃだめなんじゃないかね?」

 ホーリンが不安そうに呟く。
 「見守る」と言ったが、心配で無いはずが無い。むしろ心配だからこそ見守ることを望むのだろう。

「確かに・・・」

 アスラも神妙に呟く。
  “無拍子” は厳密には “技” ではない。言うなれば動作の最適化――― “無駄” を極限まで省いた動作の事を言う。
 無駄がないということはそれだけ身体に余計な負担が掛らないということ。だから満身創痍のヤンがああも動けるのだ。

 だが “無拍子” は無駄を無くしただけで、それで通常以上の力を得られるわけではない。

 100%の力で、100%の効率的な打撃を与えることは出来るが、120%の攻撃が打てるわけではないのだ。

(無拍子では凌ぎ続けることはできますが、魔獣の王を倒すことは出来ません・・・)

 まさかまた、時間稼ぎを? とそう思った時だ。

 

 ―――その拳は疾風の拳・・・

 

 アスラの鋭敏な耳に、ヤンの呟く声がかすかに聞こえた―――

 

 

******

 

 

「―――その拳は疾風の拳!」

 ベヒーモスの攻撃をかいくぐりながら、ヤンは呟いた。
 それは斬鉄剣を放つ為の文言に似ている。
 バッツが使う、あらゆる全てを “速さ” で斬り裂く必殺剣。

 だが、ヤンは刃は持たず、ただ拳を握るだけだ。

(私が望むのは全てを断ち切る斬撃にあらず!)

「その一撃は空を走る風の如くに―――」

 幾度目かの攻撃をやり過ごした後、ヤンは魔獣に対して半身になって構える。

「―――あらゆる全てへ到達する!」
「GAAAAAAAッ!」

 魔獣が腕をヤンへ向けて打ち出す。
 対し、ヤンは構えを崩さないまま、弓を絞るように右腕を後方へと引いた。

「それこそが私が望む最強拳―――!」

 

 疾風拳

 

 魔獣の振るった腕に対し、ヤンは引き絞った拳をカウンター気味に突き出す。
 直後、拳と腕が激突する―――

 


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