第29章「邪心戦争」
BE.「魔獣の王(14)」
main character:アスラ
location:ファブール
「―――全てを破壊する “力” です」
アスラは即答した。
いや “答えた” というよりは “望んだ” という方が正しいかも知れない。あの魔獣を破壊出来る “力” ―――それが今最も渇望しているモノだ。
それを聞き、目の前の男は「ふむ」と一つ首肯する。アスラが最も尊敬し、良く知っているはずの―――見知らぬ “初対面の男” だ。
目の前の男は、彼女の知っている名前で言うのなら “シド=ファブール” という名前だった。
ホブス山で心身を鍛練していた修行僧達を束ね、数年前に “ファブール” という国を築き上げた王であり―――そして彼女の拳の師匠でもある男だ。だが、今目の前に居るのはシドではない。
(師匠は去年の暮れに亡くなられた・・・)
その時の事は半年を過ぎた今でも鮮明に覚えている。
死ぬ直前まで寝たきりだったというのに、その日の早朝は他のモンク僧に混じって修練に励んでいた。
もちろん、アスラや他の側近は止めようとしたが、彼は聞かずにその日の修行を最後までやりとげた。肉体には張りがあり、歳は100を越えていたはずだが60代と思うほどに若返っていた。まるで死の淵に居るとは思えぬ様子に、皆は奇跡が起きたのだと喜んだ、が。「後は頼む」
最後に彼はアスラ達へ向けて拳を突きだし笑い、そうとだけ告げてそのまま息を引き取った。
偉大なるファブールの初代国王の身体は拳を突き出したままの姿で石膏で固められ “聖体” と称して城の奥へ安置している。
王には家族があり、後継者たる息子もいたがモンク僧にはならず、王位を辞退して国を去っていった。今現在国を治めているのは王の側近―――アスラを含めた彼の弟子達だ。だがシド=ファブールが偉大すぎた為か、誰もが王になることを望まずに、王位が空白のまま半年が過ぎている。
そして、やや混乱したままの国に突如として強大な魔獣ヘビーモスが襲来した。
それはかつてアスラと因縁がある個体であり、そして一度はシド=ファブールの手によって撃退された魔獣だ。そのことを恨みに思い、復讐に来たのだとはすぐに知れた。王が亡くなった今、この国を護るのは我らだと、アスラは兄弟子達とともに出撃して立ち向かった。
妻が身重だと言って、たまたまファブールに逗留していた暗黒騎士も手を貸すと言ってくれた。―――だが、敵は強大すぎた。
アスラを始めとするモンク僧の攻撃はまるで通じず、暗黒騎士の一撃のみが魔獣を削っていった。
その暗黒騎士の手助けをしようと、アスラは果敢に魔獣へ食らいついて、けれど反撃をを受けてしまい―――気がつくと、この場に居た。光に満ちた、けれどまるで眩しくない場所だ。そしてそれ以外に形容しようがない―――光しか無い場所。
そんな光だけの場所に、かつての師はいた。
ただ、その場にいた男はとても若い。アスラが出会った時よりもさらに若く、さらには感じる “気配” も若干異なる気がする。無理に言うならば “シド=ファブール” という男に別の “何か” が混ざっているような気配をアスラは感じていた。アスラが良く知る男のようであり―――しかしてまるで知らない男。
彼が言うにはここは “仮初めの空間” だという。
すでに彼はアスラの師ではなく異なる別の存在であり、本来ならばこうして話すことはできない―――だから彼は交じることの出来ない者同士が交えられることができる空間を作り上げ、そこへアスラを呼んだのだという。正直なところ、アスラはにはいまいちよく話が飲み込めなかったが、自分の状況は飲み込めた。
どうやら自分は今精神だけの存在であり、本来の身体は魔獣の一撃を受けたまま意識を失っているのだという。そんな風に最低限の状況把握をした後、男はアスラへと問いかけたのだ――― “最強の拳とはなにか?” と。
「あれは人の力では砕くことは敵わぬ存在―――それを求めるならば、人を超越せねばならぬ」
そう言って男はアスラへ向けて掌を向けた。
大きな、それでいて暖かみのある掌だ。
そんな事は無いはずだが、アスラは彼の掌というものを初めて見たような錯覚にとらわれる。
彼の手は常に “拳” として握られていて、雄々しく強く、あらゆる困難を打破してきた―――そんな印象があるからだ。「お前が力を望むのならば、その手助けをしてやっても良い」
その言葉を聞き、アスラは一つの言葉を返事とした。
「まさか・・・ “クラスチェンジ” を?」
それは竜王バハムートに認められた勇者のみが与えられる力。
かつて “クリスタルの戦士” と呼ばれた勇者達も、その力を得たという。だが、男は首を横に振る。
「かの竜王のように心身を強化する・・・どころか、今の私にはお前の肉体へ干渉することすらできぬ」
「では・・・?」
「私ができるのは “シフトアップ” ―――お前の精神に干渉・・・一時的に “増幅” させ、一段階上へ押し上げてやることだけだ」
「シフトアップ・・・」
「 “身体と精神” ―――私の教えは覚えているな?」問いかけてくる師に、彼女は頷いて答える。
「精神は身体に宿り、身体は精神と共にあってこそ “生命” となる。故に身体を鍛える事は精神を鍛えることに繋がり、精神を磨くことは身体を磨くことに繋がる」
要は “健全な精神は健全な肉体に宿る” という意味だ。
彼女の返事に男は満足そうに頷いてから、表情を厳しく引き締める。「精神のランクを一段階上げることで、お前の身体能力も “強引” に引き上げる―――だが、それは “クラスチェンジ” のようにまともな方法ではない。下手をすれば精神の増幅に肉体がついていかず、崩壊してしまう可能性もある。もし上手く行ったとしても、お前は人間ではない何かに変容してしまうかもしれない」
アスラは “人をも越えた力” を望んだ。
それは即ち、人を捨てることを望むということでもある。「それでもお前は―――」
「―――力を望みます」最初の問いと同じように、アスラは即答した。
「それで力を得られるのなら、国を守れるのであれば、私は人であることに未練を感じません」
「・・・そうか」男の表情は変わらない。
だが、なんとなくアスラには悲しみを感じているように思えた。「では、お前の精神を “シフトアップ” する―――」
そう言って、男は掌でアスラの額に触れた―――
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その後、現実に戻ったアスラは五感が今まで以上に冴え渡るのを感じていた。
身体も普段以上に軽く、それでいて強く、圧倒的な力を持つ魔獣に対しても威というものを感じなかった。だが、彼女が目覚めた時にはすでに、一人で戦い続けていた暗黒騎士は死に体であった。
魔獣も深く傷ついていて、アスラが新しく力を得たのを察すると、忌々しそうに咆哮を上げながらも逃げ去ってしまった。
それを追いかけようにもアスラは自身の力が上手くコントロールできず、その上、傷つき倒れてしまった者たちを放っておくことも出来ず、断念せざるを得なかった。結局、暗黒騎士はそのまま死亡し、その後、無事に出産したその妻は夫の形見である暗黒剣と赤子を背負って旅立っていた―――風の便りに、逃げ去った魔獣をその手で屠ったとも聞いたが、真偽は定かではない。
ただ、アスラはその時の魔獣とも暗黒騎士の妻とも二度と会うことは無かった。何故ならば “シフトアップ” の影響でアスラは幻獣へと昇華し、その大きすぎる力が現界にあることを懸念した月の民フースーヤの誘いによってリヴァイアサン達と共に幻界へと移り住んだからである―――