第29章「邪心戦争」
AY.「魔獣の王(9)」
main character:ヤン=ファン=ライデン
location:ファブール

 

 

(―――何故、戦えるのですか・・・!?)

 己の “気” を高め、自身を活性化させて力を取り戻そうとする一方で、アスラは疑念を覚えていた。
 それは目の前で魔獣と戦うヤンに対しての疑問だ。

 一時的に幻獣の力を借りたとはいえ、彼は人間だ。
 人間を凌駕する存在と相対し、どうして恐怖しないのか―――いや、そもそも一度は恐怖に屈したはずではなかったのか。それなのに、力を得たとは言え、どうしてあのように戦うことが出来るのか。

(・・・彼女と同じですね)

 セリス=シェール。
 ガストラ帝国の将軍にして、幻獣達の仇の一人とも言える存在。
 だが彼女は、その幻獣達の “仲間” であるリディアの為に、命を賭けて立ち向かってきた。
 人間にしてみれば、超越存在である幻獣の自分へ。

 力の差は歴然であり、今ここで逃げたとしても誰も責めはしないだろう。
 なのにどうして―――

「・・・貴方は戦えるのですか?」

 思わず言葉が出た。
 誰も応えるはずのないその問いかけは、しかし。

「―――単に諦めが悪いだけさね」
「!?」

 アスラは思わず身を震わせた。
 自身の回復と、ヤンの戦いに気を取られていたとはいえ、第三者の接近に気付かなかったのは、彼女にとって大きな不覚だ。

「・・・ホーリン、ですか?」

 集中が途切れ、霧散しかけた “気” を練り直しながら、アスラは振り返らずに声で判別する。
 彼女の問いかけ通り、アスラの傍らにはエアリィを追ってきたホーリンが立っていた。

「あの馬鹿娘を追ってきてみりゃなんだいあれは? ウチの亭主、いつからあんなケバい髪の毛生やすようになったのかね?」

 ケバい髪というのには同感ですと思いつつ、アスラは事情を説明しようとする―――のを察し、ホーリンが苦笑する。

「なんとなく解るよ。エアリィがなんかしたんだろ? だから亭主はあんなデッカイ獣と渡り合えていると」
「そうです―――ホーリン、ここは危険です。早く城へ戻りなさい」

 一瞬、失念していたがここは戦場だ。
 かつてはホーリンもモンク僧として修行を積んでいたが、引退して随分経つ。すでにもう戦えるような身体ではない。

「・・・・・・」

 帰れ、という言葉に、しかしホーリンは応えない。
 黙って、ただヤンの戦いを見つめている。

「ホーリン―――」

 再度、城に戻るよう促そうとして、アスラは震えを感じた。
 それは傍らの彼女の身の震え―――恐怖から来るものだ。

 先も行ったように、彼女は既に一線から退いている。
 戦える身ではない彼女が魔獣の王を前にして平気でいられるはずがない。まともな戦士ですら怯え竦み、ヤンですら放心してしまったほどなのだ。ただの主婦である彼女が、恐怖に震えながらでもこの場に立っていることが驚くべきだと気付く。

 震える足で、ともすればすぐにでも崩れ落ちてしまいそうな怯えた身体で、それでも彼女はヤンの戦いを見つめ続ける。

 夫の戦いを見守り続けること―――それが妻としての役目とでも言うかのように。

(貴方達は・・・)

 ヤンとホーリン。
 人の身でありながら、どちらも人を超越した存在に立ち向かおうとしている。

(・・・そう、でしたね)

 その姿に、アスラはかつての自分自身を重ね合わせる。
 かつて人間だった自分も、同じように抗おうとしていたのだと。

 そのことを思い出して、アスラはホーリンに対して何も言わず、ヤンに対しての疑問を消した。

 自分よりも力の無い人間がこうまで戦おうとしているのだ。
 ならば、アスラも自分のやるべき事、やれる事に集中するべきだと決め―――

「・・・え?」

 ふと、上空に何かを感じ、アスラは思わず背後を振り返り、空を見上げる。
 視線の先、人の視力では視認出来ないほどの遠方に、アスラは “赤い機影” を見つけた―――

 

 

******

 

 

 ヤンは横から薙ぎ払われ、上から振り下ろされる豪腕の一撃をかいくぐる。
  “憑依” してアスラ並に身体能力が向上したとはいえ、その一撃をまともに受ければただでは済まない。良くて全身粉砕、悪ければ肉片すら残らず地面の染みとなってしまうだろう。

 そして、腕を避けるだけでは終わらない。
 凄まじい勢いで振るわれる腕は、轟と鳴る風圧も生む。ただ避けただけでは、轟風の追撃に吹き飛ばされてしまう―――ヤンはそれを気合いか、もしくはエアリィの “風” で相殺し、凌いでいる。

 なによりも恐ろしいのは、魔獣の王はなにも特別な攻撃はしていないという事だ。
 単に獣の俊敏さをもって腕を振り回しているだけだ。そこに強大な質量が加わるだけで、防御することも無意味な絶対必殺の一撃となる。

 つまり、こちらが必死に回避し、一つの攻撃を避けるだけで消耗していくのに対し、向こうは殆ど消耗していない。先程までアスラと戦っていたというのに、まるで動きに鈍った様子はない。

 並の人間ならば、その時点で絶望を感じて心折れてしまっているだろう。
 現に、ヤンも一度は心を壊した。

 しかし。

「フ・・・」

 振り下ろされた腕を横に大きく飛んで回避し、続いて腕が砕いた地面の欠片が爆風とともに襲いかかるのを、風の護りで受け流しながら、ヤンの口からは笑みを含んだ呼気が漏れていた。
 その表情は戦闘の緊張に引き締まっていたが、口元だけが僅かに緩んでいる。

 ―――ヤン? なんで笑ってるの? なにが可笑しいの?

 ヤンの中で、彼の “愉悦” を感じ取ったエアリィが疑問を発する。

 ―――もしかして、私とラブラブ合体しちゃったから、こんなヤツ楽勝だって思っちゃってる?

(いや、このままでは確実に勝てんだろうな)

 ヤンが冷静に返答すると、エアリィは “えー?” と不満そうな声を上げる。 

 ―――折角、合体したのに。

 正確には “合体” ではなく “憑依” だ。
 しかしエアリィはそれならばと、さらに疑問した。

 ―――じゃあ何が可笑しいの? 勝てないのに。もしかしてヤンってマゾ?

 勝てない、という事実をヤンが伝えても、エアリィにはまるで危機感というものが無かった。
 恐怖や不安と言った感情がないわけではない。
 ただ、目の前の “興味” に気を取られやすいのだ。妖精という存在は。

 そのことを愛おしく思いつつ、ヤンは応える。

(単純に嬉しいからだ。先程まで私は何も出来なかった―――役立たずですらなかった)

 薙いでくる魔獣の腕を、まるで飛翔するかのように風と共に飛び越えながらヤンは胸中で呟く。
 飛び上がった勢いのまま、ヤンの身体は蹴りの形へと変化して。

 

 風神脚

 

 風の幻獣の力を借りた得意の技は、いつもとは比べようもないほど強烈な必殺技となっていた。
 魔獣の王に確かな打撃を与え、その身を大きく震わせる。

 だが、それをダメージと呼ぶにはほど遠い。

 この一撃をどれだけ与えても、致命傷にはならないだろう。
  “蚊に刺される以前の打撃” が、 “五歳児が大人を叩く程度の打撃” へと変わった、とでも言えば解りやすいか。
 先よりも遙かに強い打撃だが、それでも魔獣の王を倒すには遠すぎる。

 ヤンでは倒すことは出来ない。
 しかし―――

(戦うことは出来る!)

 振り下ろされた豪腕を、風の力で飛翔して回避する。
 続いてくる風圧がヤンを翻弄するが、吹き飛ばされながらも体勢を立て直し、むしろその風を利用して間合いを取り、地面へと着地した。

 ヤンが魔獣の王に立ち向かっても、それは時間稼ぎにしかならない。
 こちらの攻撃が通じず、逆に相手の一撃をまともに受ければ終わってしまうこの状況、そう長くは続かない。
 だがそれでもヤンは絶望を感じなかった。
 むしろ時間稼ぎでも、それが出来ることを有り難いと思う。

 自分が時間を稼げばそれだけ、アスラの力が回復する。そうすれば彼女がどうにかしてくれるかもしれない。
 そうでなくとも、自分が戦えば戦うほど、他の者達が生き延びる時間が長くなる。もしかしたらその間に、なにか打開策を得るかも知れない。

 まるで妄想じみた、あやふやすぎる奇跡。
 そんなちっぽけな希望が起ころうと起こるまいと、ヤンは戦えることに意味を感じていた。

(私にも出来ることがある―――いや、出来るようにしてくれたお前には感謝している)

 それが心からの真意であると、彼に憑依しているエアリィには解った。
 同時に理解する。
 先程まで、ヤンが呆けていたのはベヒーモスの力に恐怖したからではない。

 自分の力が通じない―――自分に出来ることが何もないことに絶望し、放心していたのだ。

 だからこそ、彼は素直で率直な気持ちを恋人へと告げる。

(愛している、エアリィ―――そして、すまない)

  “すまない” の理由は単純だ。
 おそらくヤンはここで死ぬだろう―――いや、正確には、死ぬまで魔獣に立ち向かうことを止めないだろう。
 エアリィの力を得た今、逃げようと思えば逃げることはできる。だが、彼はそれを決してしない。

 自分が離脱すれば、他の者たちは確実に全滅するからだ―――などという理由ではない。

 ここで逃げてしまえば、エアリィに力を借りた意味がないからだ。
 戦う為、立ち向かう為に力を与えられたのに、それを逃げることに使ってしまえば意味がない。

 ―――ヤンって、馬鹿よねー。

 楽しそうに彼女は呟いた。
 ヤンを見捨てて逃げれば彼女は生き延びることが出来るだろう。
 けれど、それをしなかった。

 理由は単純だ。

 ―――でも大好き!

  “こんな馬鹿な人と一緒に死ぬのも楽しいかもー”
 と、そう思ったからだ。

「―――うむ!」

 エアリィの言葉に応えるようにして声に出して頷く。
 直後、左から魔獣の豪腕が飛んでくる。
 ヤンはそれをいつものように飛翔して回避して―――

「む!?」

 飛び上がったヤンの下を通りすぎようとした腕が、ヤンを追いかけるようにいきなり跳ね上がる。
 突然の軌道の変化に反応出来ず。

(・・・いかんな)

 腕が、ヤンの身体へ直撃する!

 

 

******

 

 

「あんたあっ!」

 ―――妻の声にヤンは覚醒した。
 体感で気絶していたのは一瞬だったと判断する。そうでなければ目覚めることなく魔獣にトドメさされていただろう。

(・・・ここは、魔獣の腕の上か)

 知覚した瞬間、全身がバラバラになるかと思うほどの激痛を感じた。
 かなり深刻なダメージだが、まだなんとか動くことは出来るようだった。それというのも。

(二つの幸運が重なったからか)

 まず一つは、ヤンが飛翔中であったこと。
 そこへの下からの追撃だった為、何割か衝撃を逃がすことが出来た。

 もう一つは、軌道の変化だ。
 横へと薙がれる動きを、無理矢理に軌道を変えた為に勢いが削がれ、威力も減衰した。それでも魔獣の膂力は凄まじく、減じた威力であっても、幻獣憑依したヤンが気絶するほどの衝撃を受けたのだが。

 それも、愛妻の声が聞こえねば目覚めることは出来なかっただろう。

(ふむ、風が城から届けてくれたか)

 エアリィと同様に “風の囁き” をヤンを聞くことができた。
 しかしホーリンがファブール城に居ると思っているヤンは、それが城からのものだと勘違いする。

(エアリィは―――)

 ―――ふにゃあ・・・?

 ヤンに “憑依” しているエアリィは、ヤンと感覚を共有している。
 つまり、ヤンの受けたダメージ、衝撃はエアリィにも通じる。
 そのショックで、エアリィの意識は朦朧としているようだった。意識を失わなかっただけでも僥倖かも知れない。もしも意識が完全に途切れてしまえば、 “憑依” は解けてしまったかもしれない。

 ただ一撃だ。
 それも、無理矢理軌道を変化させた、威力減衰した一撃。
 ただそれだけでヤンは戦闘不能寸前まで追い込まれた―――にも関わらず、その心が挫ける事は無かった。

 むしろ、僥倖だとの感想を得る。

(なにしろもう一撃くらいは行けそうだからな!)

 笑う。
 それを人が見たならば、狂気と思うだろうか。
 ほぼ死に体の状態であっても、笑える人間はそうは居ない―――いや、気が触れたならまだしも、 “正気” で狂っている人間などそうはいないだろう。

「行くぞ・・・」

 ヤンが見据えるのは腕の先だ。
 腕の先には肩が在り、肩の先には―――

「一矢報いるのも悪くはない・・・!」

 呟き、そしてヤン=ファン=ライデンはスタートする。最後の、身に残る全ての力を振り絞り。
 全身に響く、痛みを、ダメージを無視して加速する。
 直後、その声を聞き咎めたのか、ベヒーモスは自分の腕の上にあるモノがまだ生きていることに気がついた。

「・・・・・・!」

 まるで腕に張り付いた虫を払おうとするかのように、獣は腕を振るう―――が、すでに疾走開始したヤンは気にも留めない。
 自分を振り落とそうと激しく揺れる足場を、しかし張り付くように踏みしめて魔獣の腕上を疾走。そのまま肩へ至り―――

(これが最後の―――)

 

 風神脚

 

 こちらを見据える瞳と瞳の間、一般的に生物の基本的な急所とも呼べる “眉間” へヤンの必殺の一撃が激突する。
 その一撃に魔獣の頭部が激しく揺れ、脳震盪のようなものでも起こしたのか、その身体がぐらりと揺れる。

 直後。

「逃げなさい―――ッ!」

 アスラの悲鳴がヤンの耳に届いた気がして。

 そして。

 

 波動砲

 

 破滅の光が、魔獣の身体を包み込む―――

 

 

 


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