第29章「邪心戦争」
AU.「魔獣の王(5)」
main character:エアリィ
location:ファブール
「―――ふうっ」
エアリィは(人間にとっては)狭い通風口を抜け出し、外に飛び出して一息吐いた。
「もー、なによこの城。聞いた話だと、 “風” を奉じる国のはずなのに、建物は密封されてるし、地下なんか空気が淀んでいる感じ!」
周囲に誰もいないというのに、彼女は独りでぷんすかと怒りを喚いている。
ファブールは確かに “風の神” を奉じる宗教国家ではあるが、一年中寒く、自然の厳しい土地でもある。
この頃はまだ暖かい季節で、外に出ても普通に寒い程度だが、寒気に入ると外は吹雪によって閉ざされてしまう。モンク僧にとってはそれも修行だが、ファブールに住んでいるのはモンク達だけではない。そのため、ファブールの先祖達は、厳しい寒さと、吹雪の中でも動けるような強力な魔物の襲撃を防ぐ為、街ごと包み込むような巨大な城塞を、何十年もかけて作り上げたのだ。
エアリィの言うとおり、城の中は密閉状態だが、各所に今し方エアリィが飛び出してきたような通風口がある為、生活している人間は特に息苦しさを感じていない。風の幻獣たる彼女だからこその感想だろう。そのエアリィは、ヤンの妻であるホーリンを含む非戦闘員と共に、以前にゴルベーザ率いるバロン軍が攻めてきた時と同様、地下シェルターに篭もっていたのだが、風のない地下に我慢出来ず飛び出してきてしまったというわけだ。
「さーって、戦況はどうなっているのかなー・・・・・・って、なにあれー!?」
城の上空で周囲を見回していると、否が応でも目に入る存在があった。
エアリィの視力は悪い方ではない。だが、サイズがサイズなので遠くまで見通すことはできない。
極端な話、人間の10分の1程度の体格しか持たないエアリィにとって、100メートル先を見ることは1キロ先を見通すことに等しい。だから城の周囲で魔物の群れと戦っているはずの、ヤン率いるモンク僧達の姿はよく見えてなかったりする。
しかし、その山のような魔獣の姿は、エアリィの目でも見ることができた。
「えーと、なになに? 魔獣の王ベヒーモス? へー」
まるで見えない誰かに囁かれたように、エアリィはふんふんと頷く。
風の幻獣シルフである彼女は、風の声を聞くことが出来る。
それはつまり、風の吹く場所で起きた出来事ならば、彼女らはどんな事でも知ることが出来るということだ。もっとも、そんな便利な特殊能力を持っていても、時に “妖精” とも呼ばれる彼女らは脳天気かつ気まぐれで幼稚であり、どこそこで誰かがコケた、とか、そこにある石が蹴飛ばされた回数は何万回だとか、とか、昨晩の晩ご飯はなんだったかなー、とか、そんなくだらないことを知ることにしか使わないが。
ベヒーモスのことについて風から聞き出したのは、かなりの有効活用と言える。
「へー、あいつのせいでヤンがピンチ―――って、ヤンがピンチ!?」
愛する者の危機を知り、エアリィは驚いた後、心配そうに表情を曇らせる―――などという事はしなかった。
逆に喜色に顔を歪め、「おっしゃあっ」とか嬉しそうにガッツポーズ。「ダーリン(はぁと)の危機! そこに颯爽と飛んでくる可憐なワ・タ・シ! ――― “ヤン、大丈夫!?” “ああ、エアリィ・・・! 君の顔を見たら勇気100倍さ!” ドカーン! “きゃあ、素敵!” “はっはっは、君のお陰さー! もうホーリンなんてどうでも良い。結婚しよう、エアリィ――――――!” “嬉しい! 愛してるわ! ヤーーーーーーン!” 」
などとどこぞの白魔道士と同レベルの暴走妄言を「きゃあきゃあ♪」と喚き散らす。ちなみに途中の “ドカーン” はヤンがあの魔獣を一発KOした擬音らしい。
「ハッ! こうしちゃ居られないわ。早くヤンのところに行かないとッ!」
一人で喚くだけ喚き、エアリィは魔獣の方――― “風” が囁いてくれたヤンの元へと勢いよく飛んでいった。
******
―――エアリィが城を飛び出して数分後。
「・・・あんのバカタレー! どこ行ったああああああっ!」
城の正門脇にある勝手口から恰幅の良い中年女性が飛び出してきた。
どしどしと足音を響かせ、右手にはゴツい出刃包丁を握りしめていた。ヤンの妻であるホーリンだ。
「ったく、外は危ないって言っても聞きやしない!」
勝手に飛び出していったエアリィを追ってやってきたらしい。
かつてはヤンを凌ぐ実力を持っていたモンクだったが、それも十年以上も昔の話だ―――というのに、自身で言っている “危ない外” に出てきたというのに不安に怯む様子もない。だが。
「な・・・なんだいアレは!?」
エアリィ同様、彼女もすぐにベヒーモスの存在に気がついた。
脳天気な妖精とは違い、流石にその威容に恐れおののく。十数秒息を止め、目を見開いて凝視した後―――「―――ハァッ」
自分を奮い立たせるように力強く息を吐き、緊張で汗ばんだ手で包丁を握り直す。
視線は魔獣の姿を見つめたままだ。その魔獣は、何かと戦っているかのように腕を振り回している。(おそらくヤンはあそこで戦ってる・・・だったらあの娘もそこへ行くはずさね・・・!)
そう直感し、ともすれば竦みそうになる足に力を込め、魔獣へと向け、一歩ずつ進んでいく―――