第29章「邪心戦争」
AT.「魔獣の王(4)」
main character:アスラ
location:ファブール

 

 それはいままでに感じたことのない手応えだった。

(なんだ、これは!?)

 その蹴りは確実に魔獣の横面へとクリーンヒットしていた。
 相手は小山ほどもある巨獣だ。外すことなどまずありえない。

 だからヤンの蹴りも、違うことなく魔獣を捉えていた―――にも関わらず。

(なんだ―――!?)

 繰り返し胸中で絶叫する。
 足の先から返ってきた手応えは、今までに感じたことのないものだった。

 風の加護を得た、ヤンの必殺の蹴りである “風神脚” 。
 これが最強の一撃だと自惚れたことはないが、それでも並大抵ではないという自負はあった。

 幾多の強敵を蹴り飛ばし、岩を砕きて地を割り込み、鉄鋼であろうともこの一撃を受けて原型を留めることは敵わない。
 名の通りに風神の如き一撃は、ヤンが誇る得意にして必殺の蹴撃だった。

 だが、この魔獣は違う。

 まるで揺るがず、ビクともしない。ベヒーモスにしてみれば、ヤンの渾身の蹴りも蚊に刺されたほどにも感じない様子だった。
 倒せるとは思っていなかったが、まるで通用しないとも思わなかった。

 ギョロリ、と魔獣の巨大な―――人間よりも大きな目玉がヤンの方を見る。どうやら蚊に刺された程度には感じたらしい。アスラへと振り上げた腕を止め、頬のヤンを払い落とそうとする。

(あ・・・)

 視線が自分を捉えるのを見て、ヤンは魔獣の顔を蹴って跳躍していた―――それは頭で考えてのことではなく、恐慌に駆られての事だった。

(あ、あああああああああああ、ああああああああ―――)

 恐怖に頭の中が真っ白になり、胸中で意味もなく絶叫する。
 と、ヤンが跳んだ直後、彼が居た場所を魔獣の手が払う。すでに跳躍してたヤンは、辛うじてその直撃を避けることはできたが、払った腕が生む風圧までは避けきれない。
 疾風がヤンを捉え、その身体を翻弄する。

「―――ああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 胸の内の絶叫はついに口に出て、恥も外聞もなくヤンは泣き喚いた。
 今までにも恐ろしい敵には何度も遭遇した。ゴルベーザには動きを封じられて戦うことすら出来ず、ダークエルフのアストスに対しては、セシルが聖剣の力を使わなければ、為す術もなく全滅していただろう。

 だが、それらに対してもヤンは今ほどの恐怖は感じなかった。
 それはゴルベーザやアストスの持つ “力の質” がヤンとは違ったために、その恐ろしさを上手く認識出来なかったせいだろう。

 しかしこの魔獣は違う。
 ベヒーモスが振るう力は、ヤンと同じ “力” ―――強靱な肉体より生み出される純粋な物理力だ。
 ダークフォースや魔力と言った、ヤンには使えぬ力ではない。

  “次元が違う” と解っていたつもりだったが、全然解っていなかった。
 解っていたなら、アスラを助けるためだとしても蹴ろうなどと血迷っても考えなかったはずだ。
 蹴ってみて―――実際に触れてみて、ヤンはようやく理解することができた。

 真の、恐怖というモノを。

「いけないっ!」

 恐怖に我を忘れたヤンは、風圧に翻弄され、受け身を取ろうともせずに頭から地面へと落下していく。
 それを見たアスラが地面を蹴り、泣き喚くヤンを抱きかかえて着地する。

「あああああああああああ・・・・・・」
「しっかりしなさいっ!」

 完全に理性を失い、ただひたすらに喚くことしかできないヤンをアスラは叱咤する―――が、その程度で心底に刻まれた恐怖を拭い去ることはできないようだった。

「だから退きなさいと・・・!」

 言いかけるが、今はそんなことを言っている場合ではないし、言っても今のヤンには無意味だろう。
 アスラは魔獣の殺気を感じ、ヤンを遠くへ投げ飛ばしつつ、自身も跳躍して魔獣が振り下ろしてきた腕を回避する。視界の隅で、投げ飛ばされたヤンが頭から落ちて、そのままごろごろと転がっていくのが見えたが、気にしている余裕はない。

 魔獣の腕は大地を容易く割り、爆風がアスラの身体を押す。
 爆風と共に全身を覆ってくる砂埃を振り払いつつ、アスラはこちらを見下ろしてくる魔獣を見上げ返した。

(勝ち目は殆どありませんが―――)

 一瞬、逃げるという選択肢が脳裏に浮かぶ。
 だが、そんな考えは一瞬で消え去った。

 勝ち目は殆ど無い―――が、言い換えれば全く無いというわけでもない。
 かつて、人間だった時には倒すことが出来なかった―――同じ個体ではないはずだが―――相手だ。
 幻獣となり、人越の力を手にした今、それを試してみたいという想いもある。

 何よりも―――

(ここで逃げたら、彼女に笑われてしまうでしょうね)

 思い浮かぶのはガストラの女将軍。
 人間の身でありながら、幻獣である自分を “倒した” 娘。
 絶対的な力の差がありながらも、己の全てを出し尽くして活路を見いだした。

「彼女に出来て、私に出来ないはずがないでしょう!」

 己に言い聞かせるように吼え、三面六臂の幻獣は魔獣の王へと立ち向かう―――

 


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