第29章「邪心戦争」
AR.「魔獣の王(2)」
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character:ヤン=ファン=ライデン
location:ファブール
轟音が響き渡った。
ベヒーモスが振り下ろした巨木の如き腕がアスラを叩き潰す。
音は耳ではなく、物理的な衝撃力すら伴い、ヤンの全身を打ちのめした。「く・・・!」
周囲の手助けに行こうとしていたヤンは、その一撃で動きを止めた。
小山ほどもある巨体。人間風情が刃向かおうなどと、考えることすら無謀だと言うかのような魔獣の王。「化物め・・・」
身体が竦む。
恐怖が全身を貫き、目が離せぬと同時に足が震え、その場に立ちつくすのが精一杯の状態だ。
もしも今、ヤンが動けたとして―――それで背中を見せて無様に逃げ出したとしても、誰も彼を責めることは無いだろう。何故なら、ヤンよりも離れた場所で戦闘していたモンク僧や魔物達も同様に―――いや、ヤン以上に恐怖に縛られて身動き出来ず、辛うじて動ける者は這ってでもその場を逃げ出そうともがいていた。
それほどまでに今の一撃は次元が違う一撃だった。
どんな人間や魔物であっても、直撃されれば身体が消し飛ぶ。小さな家屋ならば跡形も無くなるだろうし、堅牢な城壁すらそれを食い止めることはできないだろう。―――だが、それほどまでの一撃だというのに、地面が砕けた様子は無い。
「化物共め・・・」
震える声でヤンはもう一度、魔獣 “達” に向けて繰り返し呟く。
見開いた目で見つめ続けるのは、もうもうと立ちゆらめく砂埃の中に見える、一つとなった二つの影だ。
“豪腕” と呼ぶだけでは言葉が足りぬような巨腕を振り下ろしたベヒーモスと、それを片膝を地に着けて受け止めた三面六臂の異形の人影。「あれがアスラ殿の真の姿か・・・!」
話には聞いていたが、それを初めて目にするヤンは目を離せぬまま息を呑む。
人の姿であった時のアスラは流麗な女性であったが、幻獣としての姿はまるで違う。筋骨隆々と身体が膨れあがり、その体躯はヤンやマッシュの倍以上はある。およそ女性らしいシルエットでは無くなってしまっている―――にも関わらず、妖艶な色気が滲み出ているように感じるのは、人外たる所以だろうか。アスラはベヒーモスの一撃を、六腕の内の四本で受け止めていた。残る二本は、身体を支えるかのように地面についている。
文字通り、山のような巨大な魔物の一撃だ。幻獣でなければ間違いなく叩き潰され、地面の染みとなっていただろう。(・・・力だけではない―――)
戦慄に身を震わせながら、しかしヤンは見切っていた。
巨獣の一撃を受け止めるには、それこそ人外の力が必要だろうが、それだけでは完全に受け止めきれるものではない。
仮に、アスラがベヒーモスよりも強い力を持っていたとしても、ただ攻撃を受けるだけでは地面の方が耐えきれない。ハンマーで杭を打ち込むように、アスラ自身は無事でも地面が砕け、その体は埋没していただろう。しかし、アスラが膝をついた地面は、多少沈んだだけで砕けてはいない。
ベヒーモスの一撃を受けた瞬間に膝を、さらには双腕を地面に着けることにより、力を分散させて受け流したのだ。
・・・と、述べるだけならば簡単だが、受け流す力の質量が強大すぎる。それがどれ程の至難の業か、ヤンは理解していたからこそ戦慄したのだ。力を受け流すことが出来なければ、杭のように身体は地面に打ち込まれる。かといって、受け流すことに集中して、振り下ろされた一撃を受けることが出来なければ、力を分散させる以前に潰されてしまうだろう。
攻撃を受け止める “力” と、受け止めた力を受け流す “技” 。
力と技が共に揃ったアスラだからこそ、魔獣の一撃を受け止めきることができたのだ。「・・・!」
二つの “化物” に、ヤンが身動き出来ずただ見つめる前で、ベヒーモスは次なる動きを見せる。
受け止められた腕を振り上げ―――再度、振り下ろす!しかし今度は受け止めようとはせずに、アスラは遠目で見て尚霞むような高速の動きで魔獣の側面へと回り込むように大きく回避。
(・・・なんだ・・・?)
ヤンは一瞬、懸念を感じた。
今の動きからして、最初の一撃も回避することは出来たはずだった。
なんとか受け止められたとはいえ、下手をすればそのまま潰されるか、地面に打ち込まれてしまったかもしれない。危険を冒してまでわざわざ受け止めたのは何故か―――と、その疑問は直後答えが飛んできた。天から山の破片が振ってきたような一撃が地面を割ると、その衝撃で割れた地面がめくり上がり。
「―――!」
その破片は周囲に向かって飛び散った!
「ちいっ!」
周囲に吹き飛んだ地面の破片、その一片がヤンへ向かって飛来してきた。
“破片” と言っても、小さいものでもアスラの巨体を上回る大きさだ。
ヤンの方へ飛んできたそれも、少なく見積もったとしてもヤンの倍以上はある岩盤だった。「ぬおああああっ!」
裂帛の気合いをもって身体の強張りを消し飛ばし、ヤンは飛んできた “破片” へ蹴りを放つ。
地面の破片は蹴りを中心として見事に真っ二つへと割られ、しかし勢いそのままにヤンの両脇をかすめて背後へと抜けていく。「はあっ、はあっ、はあっ・・・」
何とか飛んできた岩をやり過ごし、ヤンは荒く息をついた。
それと同時に理解する。何故、先程アスラがわざわざ攻撃を受け止めたのか。(私を庇ってのことか・・・!)
もしも先程アスラが攻撃を避け、今と同じように地面を割られて破片が飛んできたとしたら、魔獣の一撃に身を竦ませていたヤンは蹴りを放つことも出来ず、潰されていたかも知れない。
「この私が・・・足手まといか・・・」
愕然とヤンは呟いた。
目の前では、回避したアスラを追うように、ベヒーモスが執拗に腕を振り回す。
山のような巨体のくせに、その動きは敏捷で、腕を振るうたびに風が唸り、振り下ろすたびに地面が砕ける。それらを眺めつつ、ヤンはかつてないほどの無力感を感じていた。ヤン=ファン=ライデンは、ファブールのモンク僧長だ。
当然、それに見合うだけの実力があるという自負を持っている。
その一方で、己の力を過信せず、世の中には上というものがあるとも理解しているつもりだった。特に “最強” という名を冠する者たち。
セフィロスは偽物をちらりと見ただけなのでよく解らないが、レオ=クリストフやカイン=ハイウィンド、それらと対等以上に渡り合ったバッツ=クラウザーには力が及ばないと認めている。しかし力が “及ばない” だけだ。及ばないだけの力を足すことが出来れば―――例えば、バハムートと戦った時のように “クラスチェンジ” できれば、今述べた “最強” とも対等に戦えるだろう。
だが、目の前にある二つの存在は、すでに “次元が違う” 何かだった。力が足りぬ、及ばぬという話ではない。どれだけの力を得ようとも “人” というカテゴリーに類する限り、決して到達出来ないモノであると―――それらと対等になる為には、人を捨て、人ではない何か成るしかないと、ヤンは思い知った。(私は・・・ “それ” を望むのか・・・!?)
人外―――言葉そのまま、 “人の及ばぬ領域” の存在を目の当たりにし、ヤンは自分へと問いただす―――
******
(不味い・・・ですね・・・っ)
ベヒーモスの攻撃をかいくぐりながら、アスラは胸中で呟いていた。
“魔大戦” の記憶と、魔獣の王の力は寸分の違いも無い。
ただの人間では立ち向かうことすら無意味と呼べる存在。かつての大戦では “神” や “王” と称されるクラスの幻獣を使役、もしくは “降ろす” ことでようやく対抗出来た存在。先も述べたように、 “竜” のような特殊な力を持たない反面、まるで “獣” という属性を極限まで突き詰めたような桁外れの体躯と身体能力を持ち合わせた、まさに最強の魔獣。
アスラがまだ人であった頃、同じ種と三度ほど戦ったことがある。
一度目は脇目も振らず、仲間達を犠牲にして恐慌に駆られながら逃げるはめになった。
二度目は身体の半分以上を削られながら、奇跡的―――というよりはむしろ “運悪く” 生き延びてしまった。
三度目は “神” の力をその身に降ろしつつ、暗黒剣の使い手の協力と犠牲を得て、なんとか撃退することができた―――それでも倒すことは出来なかった。三度戦って思ったのは、アレは人が戦うべき存在では無いと言うこと。
噂話では “聖騎士” や “魔女” と言った、人のカタチをしながら人ではない力を使う者たちが何匹か倒したと聞いたが、さもありなんと当時の彼女は思ったものだ。時を経て、今や人ではなくなったアスラは、当時は次元の違う存在だった魔獣と同じ次元に立っていることを自覚する。
今の彼女の力なら、この魔獣の王にもまともに対抗出来るはずだった。―――完全な状態で在るならば、だが。
(幻界と違って現界では “非ず存在” である私は、召喚士の橋渡しがなければ力を発揮しにくいとは解っていたけど・・・)
この世界では、人は死した後、その魂は星へと還り、ライフストリームと呼ばれる流れの中で分解され、別の魂へと再構築される。
しかしアスラはかつて人でありながらも、その理(ことわり)を無視し、幻獣へと昇華した存在だ。
この現界の法則に反する存在である―――即ち “非ず存在” であるアスラは、この現界では “世界” によって力(存在)を抑え込まれてしまう(それでも並の人間よりは遙かに強い力を持つが)。現界で完全に力を発揮するには召喚士に召喚され、一時的にこの世界で力を振るう “権利” を許される必要があるのだ。
さらに加え、アスラは大分力を消費してしまっている。
傷ついたモンク僧達を癒やし、必要ならば蘇生まで試みている。完調時でさえ、五分と言ったところだろう。
力を抑え込まれ、なおかつ消耗した状態では、アスラの勝ち目は薄い。
今も、空を薙ぎ大地を割るほどのベヒーモスの攻撃を次々と回避してはいるが、それは回避に専念しているからだ。下手な攻撃は逆にこちらの隙を生む。だからアスラは逃げ回ることしかできないが、逃げ回るだけではただ消耗するだけだ。いずれは捕まってしまう。(・・・一か八か―――)
巨木を薙ぎ払われたような巨大な腕の一撃を跳んで回避し、空中で身動き取れなくなった所を、返す刀で振り上げられた腕を絶妙なタイミングで蹴って地面へと着地する。一瞬でも遅いか速いかしていれば、アスラの身体はまるで羽虫のように吹き飛んで、地面に叩き落とされていただろう。
(―――速攻で決めるしかありませんね・・・!)
覚悟を決め、アスラは “闘気” を六本の腕へ集中させる。
「・・・・・・っ!」
アスラが何か仕掛けようとしているのを感じ取ったのか、一瞬だけ魔獣の動きが止まった。
だが即座に、やらせはすまいと再び腕を振り上げる―――その次の瞬間には、アスラが立っていた地面に拳が振り下ろされ、割り、砕き、周囲をも震わせている。―――だが、アスラはその一撃を上回る速度で魔獣の懐へと飛び込んでいた。
「―――ッ!」
すぐ眼下に居るアスラの存在に、魔獣は迎撃しようとアクションする―――ことを許さず、アスラは六つの拳を三対組み合わせ、それを魔獣に向かって突き上げる。三つの合わせ拳は金色の闘気に光り輝き―――
「神の御心を得よッ!」
修羅魔破拳
三対の拳から放たれた金色の光が、小山ほどもある魔獣の身体を天へと打ち上げた―――