第29章「邪心戦争」
U.「報い」
main character:リディア
location:月の中心核
その槍の一撃は鱗によって防がれるはずだった。
だからタイダリアサンはあえて無視し、飛び上がったオーディンへカウンターの攻撃を仕掛けようとしていた。それはブリットの初撃と同じ展開―――だが。
(あのゴブリンは “召喚” によって回避出来たが、同じ手は使えまい!)
エッジの中に入っているのは幻獣であるオーディンだが、その身は普通の人間だ。意識は召喚出来ても肉体は召喚出来ない。
宙に居るオーディンはタイダリアサンの反撃を避けることは不可能。しかしタイダリアサンは一つだけ見逃していた。
ブリットの最初の一撃によって、鱗が数枚剥がれていたことを。槍は鱗が剥がれた無防備な場所へと突き刺さり―――貫く!
『グゥッ!? ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――』
凄まじい断末魔の悲鳴。
だがそれは不意に途切れた。頭部に槍を深く突き刺したまま、タイダリアサンは着地したオーディンを悠然と見下ろす。
それを見て、息を切らせたままのリディアが愕然と呟く。「倒せ、なかった・・・・・・?」
「いや―――」ブリットがタイダリアサンを見つめたまま、リディアの言葉を否定する。
よく見れば、タイダリアサンの足下がすうっと薄れていくのが解った。『・・・クックック―――幻獣が降りたとはいえ、たかが人間如きと侮りすぎたか・・・』
その身を薄れさせながら、タイダリアサンはどこか愉快そうに笑う。
『この場は私の負けだ―――神剣の使い手よ。名を聞いておこうか・・・』
「オーディン、だ」消えゆこうとしながらも、威風堂々と見下ろしてくる邪龍に対して気圧されることなく、オーディンも堂々と己を名乗る。
『オーディン・・・その名、しかと覚えた』
すでにタイダリアサンの身体はほぼ消え去り、頭部しか残されていなかった。
対してオーディンは「うむ」と答える。「また相まみえよう―――今度は本来の姿で」
『―――』オーディンの言葉に、タイダリアサンは何事かを呟く―――が、それは声にはならずに姿と共に失われた。
後には龍の頭部を貫いた神槍だけが残り、それも落下しようとして―――光の粒子となって、虚空へ溶け込むように消えた。
******
「倒した・・・の?」
多少は回復したのか、ブリットに支えられながらリディアが立ち上がる。
タイダリアサンが消えた場所を見つめる―――が、再び邪龍が出現する気配はない。だが、倒したにしては消える間際に余裕が在りすぎた。
「倒したことは倒したが、滅んではいないだろうな」
エッジ―――いや、オーディンがそんな事を呟きながら歩み寄ってくる。
「私にもよく解らんが、暫くは出てくることは無いだろう―――少なくとも今、お前達の行く手を阻むことはないはずだ」
「そう―――助かったわ、ありがとう」オーディンに礼を言って、間髪入れずにリディアは言い放つ。
「じゃあさっさと帰って」
「随分と性急だな―――そんなにエドワードの息子が心配かね」
「そ、そんなんじゃないわよ! ただ、あたしのせいで死なれたりしたら目覚めが悪いって言うか・・・」顔を真っ赤にして怒鳴るリディアにオーディンは苦笑。
普段とは違うエッジの仕草に、リディアの胸は少しだけ高鳴った。そんな彼女の胸の内を知ってか知らずか、オーディンは苦笑したまま告げる。「先程も言ったが、人の心はそれほど弱いものではない―――特に、誰かの為に覚悟を決めた者の精神はな」
「だ、誰かの為って、誰のことよ・・・?」
「気づいているのだろう?」
「・・・っ」疑問詞を疑問詞で返されてリディアは押し黙った。
「他人の恋路にあれこれ口を出すのは無粋だが、こいつはこいつなりに本気でお前のことを想っている。応えてやれとは言わんが、多少は報いてやっても良いのではないかね」
「そんなこと・・・っ」リディアは何かを言いかけて、しかしそれ以上は言葉に出さなかった。
そんな彼女を優しく見守るようにオーディンは微笑み「では」と、別れの挨拶として手を挙げた。「そろそろ私は戻るとしよう。お前達が無事に帰還することを待ち望んでいる―――」
それだけを言い残して。
オーディンの意識がエッジの中から消える。それと同時に、意識を失ったことでその身体からは力が抜け、膝を付いて床へと倒れ―――「エッジッ!」
反射的にリディアはエッジに抱きつくように飛び込み、その身体を受け止める。
だが、リディアの方もまだ消耗したままだ。エッジの身体を支えきれず、彼の身体を抱き止めたまま、その場に尻餅をついてしまった。「いっったああ〜」
「大丈夫か、リディア!」尻から響く痛みを堪えながら、心配そうに声をかけてくるブリットに「だ、大丈夫」と応える。
エッジの方はと見てみると、丁度リディアが膝枕するような形になって床に横たわっていた。「うー・・・ん? リディア―――」
「エッジ?」不意に呟く。目を覚ましたのか、と思ったが、その瞳は閉じたままだ。
どうやら寝言らしい。
だが、寝言を漏らしたということは、少なくとも魂は消滅していないということだ。オーディンの言ったとおり、人の精神はそれほどヤワなものでは無いらしい。「・・・・・・っ」
と、そのオーディンの言った言葉を思い出し、リディアは顔を強張らせる。
「・・・そんなこと、解ってるわよ・・・」
先程言えなかった言葉を呟く。
膝枕されたまま眠るエッジを見つめ、リディアは少し躊躇った後、エッジの頭の後ろに腕を回して持ち上げ―――「・・・・・・んっ」
彼と自分の顔を重ね合わせた―――
******
心地よい感覚。
真っ暗闇の中、エッジは優しい温もりを感じていた。それは眠りから覚める直前。夢と現の間で意識が微睡んでいる時の、なんとも言えない幸福な倦怠感そのものだ。
(ああ、目が覚めるのか―――)
なんとなくそんな事が頭に浮かび―――徐々に五感を知覚していく。
やがて、その意識が光を感じた時。唇に柔らかな温もりを感じていることに気づき、目の前―――本当にすぐの眼前に、誰かが居るのを察知する。
「んっ・・・!?」
「―――ん、・・・・・・気がついた?」エッジが目を覚ましたのに気づいて、唇を押しつけていた―――平たく言えばキスしていた相手は顔を上げる。
唇を重ねていた時は近すぎて解らなかったその顔を見て、エッジの思考が停止する。
驚愕に目を見開くエッジに気づき、リディアは気まずげに頬を朱に染めて、誤魔化すように言った。「い、言っておくけど今のに深い意味はなくて、ただ、その、なんていうか――――――んむうっ!?」
リディアが目を反らした隙に、エッジは彼女の頭に手を伸ばし、強引に抱き寄せると、そのまま再び口付けた。
(夢だ夢だ夢だ! これは夢に違いない! あのリディアが俺にキスするなんざ絶対にありえねーーーーーー!)
思考停止の後、エッジが出した結論はそれだった。
どうせ夢であるなら、もっとリディアの唇を堪能しておくべき―――いやそれ以上を・・・! などと考え、リディアが暴れるのも構わずに、片腕で彼女の頭を抱き込んで無理矢理キスした状態のまま、もう片方の手でその身体をまさぐっていく。「んーーーーーーー!」
訳:なにやってのよふざけんなーーーーーー!
口を塞がれてるので怒鳴ることも出来ず、なんとかエッジの身体を引きはがそうとするが、相手は男であり、しかも忍者として鍛えている。女性であり戦士ではないリディアが敵うはずもない。
「リディア!? おい、離れろ!」
ブリットも二人を引きはがそうとするが、鍛冶場の馬鹿力というか、いやむしろ男の助平パワーというか、まるで引きはがすことが出来ない。
そうこうしているうちに、エッジの手はリディアの服にかかり、それを脱がそうと―――(いい加減に―――)
それまでリディアはエッジの顔を引きはがそうとしていたが、逆に自ら押しつけるようにエッジの頭を抱いて少し持ち上げる―――同時に、その頭の下にあった自分の膝と腕を勢いよく引き抜いた!
(―――しろおおおおおおっ!)
結果、リディアと顔を重ねたままの状態でエッジの頭は床へと落下し、強く打ち付けてしまう。
「ぐああああああっ!? 痛えええええええっ!?」
後頭部から鼻の頭へ突き抜けてくるような衝撃にたまらず、エッジはリディアを解放した。
「ぷあっ」とずっと塞がれていて酸欠状態だったリディアは勢いよく新鮮な空気を吸い込んだ。「・・・ぜえはあっ・・・・・・・・・こ、こ、この大馬鹿ぁッ!」
「いきなり何しやがるリディア! 頭が割れるかと―――」
「うっさい馬鹿! そのまま死んじゃえッ!」エッジの頭が床と激突した瞬間、歯と歯をぶつけたのか、口を押さえながらリディアは立ち上がる。
そのせいか、それとも無理矢理にキスされたり身体を触られたりしたのが嫌だったのか、若干涙目になっていた。そんな彼女の様子を見て、ようやくこれが夢でないことにエッジは気づき、もしかしてヤバイかなーっと思った瞬間、頭目掛けてリディアの蹴りが飛んできた。
まごうことなき本気の蹴りだ。女性のとはいえ、まともに受ければどうなるか解ったものではない。床を転がって必死にそれを避け、エッジは戦慄しながら立ち上がる。「おわっ!? ちょっ、今のはシャレにならんだろ! 下手すりゃ死ぬぞ!?」
「ったりまえでしょ! 殺す気でやったんだから―――ブリット!」
「解ってる」すでにブリットは抜いた剣を振り回している。
シャレでもギャグでも冗談でも無いことに気づきながらも、「まさかなあ」と愛想笑いを浮かべてエッジは問いかける。「ほ、本気じゃねえよな?」
「殺す」すでに会話をする気すらないようだった。
純然たる殺意と共に、ブリットはエッジへと飛び掛かる。「待てー! 許してくれー! 夢だと思ったんだあああああああっ!」
「うっさい馬鹿!」ブリットから逃げ回るエッジに吐き捨てるように叫び、リディアはカイナッツォの方へと向き直る。
「ちょっと、水頂戴、水!」
「お、おう・・・」リディアの殺気じみた言葉に気圧され、カイナッツォはいつになく素直に、その手からまるで水道のように水を出す。
程よく冷えているその水を両手で掬い、リディアは何度も何度も口をゆすいだ。「おいこら! そんな水野郎の水を使うほど嫌なのかよ!?」
エッジはブリットに追いかけられながら、カイナッツォの出した水で口をすすぐリディアに気づいて抗議の声を上げる。
「嫌に決まってるでしょーが! アンタの唾液が口に残ってると思うと吐き気がするわ!」
「つーか、最初にキスして来たのはお前だろーが!?」ぶうん、と背中をブリットの剣がかすめるのにヒヤリとしながらエッジは叫んだ。
「・・・というか、冷静に考えてみれば元の原因お前だろ! 俺は悪くねえッ!」
「うっさい! 金輪際、絶っっっっっっっっっっ対に、二度としないからッ!」
「というかさっさと死ね」ブリットが静かに殺意を放ち、エッジが必死で逃げ回る。リディアはひたすらにカイナッツォの水で顔を洗い―――そんな乱痴気騒ぎは、しばらくして少し気分の落ち着いたリディアがブリットを宥めることで、ようやく収束した―――