第29章「邪心戦争」
J.「 “それぞれ” の」
main character:セシル=ハーヴィ
location:魔導船・ホール
セシルは頭を抱えたい気分で一杯だった。
目の前には二人の少女。
一人は黒目黒髪に黒い肌と、黒尽くめの少女―――ファスだった。
リディアの様子から、彼女が密航していたのは見当が付いていたのだが。「・・・まさか、君も一緒にいたなんて」
もう一人の少女を半眼で見下ろす。
そちらはファスとは対照的に白尽くめの少女だった―――といっても、単に白魔道士の白いローブを纏っているというだけだが。「あ、あはは・・・」
ミシディアの双子の片割れ、ポロムは取り繕うように愛想笑いを浮かべていた。
―――魔導船が出立した直後、リディアとエッジが気づいた ”密航者” はこの二人だった。
理由はもちろん “エニシェルを取り返す為” 。
リディアはエニシェルの事を想うファスに共感し、月まで匿うことを決めたのだ。「ファスはともかく、どうしてポロム、君まで居るんだ」
「つ、つきそいです」
「つきそい?」どこか疑わしそうにセシルはファスを見やる。
ファスがエニシェルの為に魔導船に密航したのは解るとして、そのためにポロムまで巻き込んだりするだろうか? と疑問を感じたのだが。案の定と言うべきか、ファスは困ったようにポロムの方に視線を投げかける。それはまるで “正直に言って良い?” とでも問いかけているようだった。
「あの、えと、あの・・・」
セシルとファスからのプレッシャーに挟まれ、ポロムは目に見えて狼狽えた。
そこへローザは「ふっ・・・」と失笑めいた笑い声を立てた。「解ってないわねセシル―――乙女心というものを!」
「そりゃあ男だからね」
「男だからこそ乙女心を解ってあげなきゃいけないの! ポロムがどうしてファスと一緒についてきたかなんて、そんなのセシルのことが心配で―――」
「『サイレス』!」
「―――! ―――!? ―――!?!?」不意にポロムの放った沈黙魔法に、ローザの声が消える。
セシルはそれをみて困ったように苦笑して。「・・・言葉を止めるのに、いきなり魔法を使うのはどうかと思うけど?」
「問題ありませんわ!」
「そ、そうなのか?」言ったもん勝ちである。
きっぱりはっきりと断言され、セシルはそれ以上は続けることができなかった。
代わりにローザが言いかけた言葉を思い返す。「で、ポロムがファスと一緒に密航したのは僕を心配してって事?」
「・・・そ、その通りです」今更否定しても無駄だと悟ったのか、ポロムは肯定して―――さらにまくし立てた。
「王様なのにいつもいっつも危険なことを自ら進んで行っては傷ついたり苦しんだり死にかけたり―――ええもうどうしようもないくらいに死にかけたりする陛下の事が危なっかしくて不安でどうしようもなくて―――」
「ええと・・・」ポロムの流れるような言葉に、“そこまで言われなきゃならないもんかなー” とか思いつつも口に出さないのは、セシル自身ある程度自覚しているからだろうか。
ともあれポロムの言葉はまだ終わらなかった。「―――そしてもしも陛下が失われるようなことがあれば、バロンという国は瓦解してしまうでしょう―――ええ、ええ! つまり私は陛下のことというよりもむしろ国が心配で仕方なくファスさんに着いてきたのですわ! そうです、そうですとも!」
「ていうか君はミシディアの人間だろうに」
「べ、別にミシディアの人間がバロンの事を憂慮しても構わないと思います!」
「まあそうだけど」などと返していると、視界の隅でローザがぶんぶんと首を横に振っていた。
何かなと思ってセシルが見れば、彼女は首を止めてゆっくりと無音の言葉を放つ。やや大げさに唇を動かして言ったのは―――「ええと “好き” かな?」
唇を読んで声に出してみると、ローザは嬉しそうに頷いた。
それを見てセシルも微笑み返す。「うん、僕もローザのこと好きだよ」
少し照れながらも返事をすると、どういうわけかローザはがっくりと肩を落とす。
何か変な事を言ったかな、と思いつつポロムへ視線を戻せば、少女はどこか寂しそうな顔をしていた。だが、セシルの視線に気がつくと表情を引き締める。
そんなポロムに、セシルもまた表情を厳しくして少女を睨み下ろす。「とりあえず理由は解った―――けど、だからといって許せることではないよ」
「あう・・・・・・」
「君が同じ事をするのはこれで二度目だ。本気で怒らなきゃ解らないのかな?」静かではあるが、怒気のこめられた声で叱られ、ポロムは身をすくませる。
セシルが「二度目」と言ったのはもちろんミシディアからバロンへ向かった時のことだ。あの時もセシルはポロムとパロムを置いていくつもりで―――しかし双子は勝手についてきた。「でもよーセシル。今更どうするんだよ? 戻ってる余裕なんかないだろ?」
それまで黙っていたバッツが問う。
セシルは「確かに」とやや苛立ったように呟いて、リディアとエッジを見やる。「・・・出立直後に気づいていれば引き返したんだけどね」
そう言いつつ少女達の密航に気づいていた二人を睨む―――が、リディアは気にも留めない様子で視線を反らし、エッジは「ワリィ、ワリィ」とまるで悪びれる様子もなく形だけ謝る。
二人を責めてもそれこそ “今更” だと嘆息する。さっきも言ったように出立直後ならばまだ引き返せたが、ここで地上に戻る時間的な余裕はない―――そう判断し、セシルはボー艦長へ振り向いた。
「ボー艦長、月に辿り着いたら幻獣神の洞窟へ向かってくれ。そこに二人を預ける」
幻獣神の洞窟ならばある程度は安全だ。
バハムートは “中立” だと言っていたが、それでも頼めば女の子二人くらいは匿ってくれるだろう。と、置いていかれることを察知したのか、焦ったようにファスが叫んだ。
「セシル! 私はエニシェルを助けたくて―――」
「だったら最初から僕に頼みに来るべきだった。少なくともこっそり密航するべきじゃない」
「正直に頼めばセシルは連れて行ってくれた?」ファスの問いかけに、セシルは即座に首を横に振る。
「いや、置いていっただろうね」
「だったら―――」
「置いていく理由を察してくれないか?」
「う・・・」セシルがこれほどまでに怒っている理由をファスは解っていた。
「私達が足手まといだから・・・だよね?」
「それもある―――けど、一番の理由は君達の事を傷つけたくないから、護りたいからだ」
「セシル・・・」セシルの気持ちはファスにはよく解った。
「だけど、それでも私は―――」
「ひっく・・・えっぐ・・・・・・」ファスが尚も言葉を重ねようとした時、不意にすすり泣く声が聞こえた。
振り向けば、ポロムが顔を伏せて、両手で目元を覆うようにして嗚咽を漏らしている。「ひどい・・・ですわ・・・ひっぐ・・・私達は、ただ・・・えぐ・・・・・・陛下のお力になりたかっただけなのに・・・・・・」
泣きながらぶつぶつと呟く。
傍から見ていると、泣いているようにしか見えない―――が、セシルにはそれが “嘘泣き” だと解っていた。「それなに、あし・・・あしでまとい、だなんて・・・・・・ひ、ひどすぎます・・・・・・うわあああああ・・・・・・・・・!」
「あのねえポロム、いい加減に―――」
「酷いわセシル!」いい加減に嘘泣きは止めろ、と言おうとしたセシルをローザの非難の声が遮った。
魔法の効果が切れたのか、それもセリス辺りに解除して貰ったのか、ともかくローザは膝をついてポロムを優しく抱き寄せ、セシルのことを責めるように叫ぶ。「こんな幼い少女が泣いているのに慰めもしないなんて! 見損なったわよ、セシル!」
「うわあああああああん! ローザ様あああああああああっ!」感極まったように(本当に “ように” だ)ローザの胸に顔を押しつけて泣き叫ぶポロム。
「いや、見損なったって・・・それただの嘘泣き―――」
「おいセシル、その言い方はねえだろ」ローザに続いて、今度はこの中で一番騙されやすそうな旅人がセシルへ非難の目を向けた。
「確かに密航したのはマズかったかもしれねーが、女の子を泣かせておいて “嘘泣きだ” って開き直るのはどうかと思うぜ?」
「いやだからあれは本当に―――」
「嘘なんかじゃありませんわ!」叫ぶ声に振り向いて―――セシルは思わず「げ」と呻いた。
見れば、ローザの身体から顔を上げたポロムが顔を真っ赤にして目からぽろぽろと涙を零している。「嘘泣きなんかじゃありません! 私は―――私はセシル陛下にないがしろにされて、それが悔しくて哀しくて、それで、それで・・・・・・」
最後まで言葉を紡がず、ポロムは再び「うわあああああん」と大きな声を上げてローザへとすがりつく。
その一連の仕草を見てセシルは戦慄した。
ポロムを本気で泣かせてしまったと思ったからではない。齢五歳にして、ここまで泣き真似のできるポロムに戦慄したのだ。(というか白魔道士じゃなくて女優でも目指した方が良いんじゃないのか?)
「セシル、これでも嘘泣きだとか言うつもりなの?」
ポロムの将来について考えていると、今度はセリスまでもが非難めいた言葉を向ける。
「いや、冷静に考えてみなよ! 本当に泣いているならもっと支離滅裂になるはずだ! あんなにはっきりと自分の意見を言ったりできないだろ!?」
セシルの言うとおり、泣く―――というか感情を爆発させていれば、まともに言葉を喋ることすら難しいだろう。それが幼い子供なら尚更だ。
しかし、周囲は完全にポロムの “嘘泣き” に呑まれてしまっている。
味方を捜すように見回しても、カインは無視を決め込んであらぬ方向を見て、リディアもバッツや女性陣と同じように厳しい視線をセシルへ向けていた。残るエッジに視線を向ければ、彼はニヤニヤと笑いかえしてきた。
「観念しろよ―――相手が悪すぎる」
忍者だからなのか、流石にポロムの演技に気づいているようだった。ただし、セシルの味方になってくれそうは無かったが。
孤立無援。
普段のセシルならば嘘泣きだと突っぱねるところだが、今は決戦直前だ。
ここで仲間達の心証を悪くして連携に支障が出るのは避けたい。だが、例え仲間達の不興を買ってでも、セシルは二人の少女を最終決戦へ連れて行くつもりはなかった。
―――この時までは。
「セシル、ごめんなさい」
不意にファスがセシルの前まで来ると、ぺこりと頭を下げた。
「ファス・・・?」
「ごめんなさい。私、エニシェルのことばっかりで、セシルの気持ちを考えてなかった」心の底から申し訳なさそうに少女は呟いた。
それから彼女は三度目の「ごめんなさい」と口にして、セシルの手を両手でぎゅっと握る。「セシルの言うとおり、大人しく待ってるから・・・だから、エニシェルのこと、お願いします・・・!」
念を込めるかのようにしばらく握った後、ファスはポロムの方を振り返る。
背中を向けられる寸前、セシルはファスの瞳に光るモノを見たような気がして息を止める。「ファス様、よろしいのですか?」
いつの間にかポロムは泣きやんでいた。彼女はローザから渡されたらしいハンカチで涙を拭き取りながら問うと、ファスはこくりと頷きを返す。
「ポロムにも付き合わせちゃってごめんなさい」
「いえいえ、私こそ無責任に焚きつけてしまったようで申し訳ありませんでした」やっぱり原因は君か―――とセシルはじろりとポロムを睨む。
“密航” なんてファスにしては大胆過ぎる行動だとは思っていた。大胆、というかファスならばセシルが言ったように最初から「連れて行って」と懇願するだろう。
だから “密航” をそそのかした者がいると思ってはいた。と、セシルの視線に気づいたポロムがちろりと小さく舌を出す。
さらにその瞳が訴えかけていた――― “どうするんですか?” と。どうしたものかな―――と少し悩む。
先刻までは絶対にファスとポロムを決戦に連れて行く気はなかった。今も連れて行きたくはない。
けれど。(僕の気持ちを考えていなかった、か)
ファスは心配するセシルの気持ちを慮り身を引いた。
しかし逆に言えば、セシルもファスの気持ちを考えていなかった。いや、解ってはいるつもりだが、それでもファスの気持ちでは無く自分の都合を優先した。それは確かに正しいと断言できるが―――しかしファスの気持ちがセシルに迷いを生み出す。
以前にも似たようなシチュエーションがあったことを思い出す。
ただし、あの時とは違い、今は―――(バッツ=クラウザーが居る、か)
「・・・ファスは、どうしたいんだい?」
いつかは “無意識” で口にした問い。
その時の事を思い返して苦笑しているセシルを、ファスは驚いたように振り返った。そして真剣な表情で望みを口にする。
「エニシェルを助けたい」
それは短く、しかしはっきりとした強い意志が込められていた。
だがすぐに哀しそうに顔を伏せる。「だから、そのために必要だって言うなら私は待ってる・・・」
「そう言うことは考えなくて良いよ」
「え?」負けだなあ、と思いつつセシルは苦笑したまま告げた。
「力が無いとか、足手まといだとか考えなくて良い―――エニシェルを助けたいと君は言った。そのためにどうしたい?」
その問いかけに、ファスは一瞬悩んで―――答えた。
「・・・行きたい」
それはさっきのようなはっきりとした返事ではなかった。
何処か迷いながら―――けれど、込められた力は変わらない。「私に何ができるのか解らない。多分、殆どなにもできないと思う―――けどっ、私もセシル達と一緒にエニシェルを助けに行って、エニシェルの為になにかしてあげたい!」
「そっか」はあ、と嘆息して、セシルはファスの頭を撫でた。
「わかったよ、ファス」
「セシル?」
「連れて行って上げる―――だけど、命の保証は出来ない。それでも良いかい?」
「―――うん」少し脅しの入った文句に対し、しかしファスは怖れることなく頷いた。
同時に、歓声が上がる。「「いえーいっ、大成功☆」」
などとはしゃいだ声を上げたのは、さっきまで泣いていたはずのポロムと、そのポロムを慰めるように抱き寄せていたローザだった。
幼いポロムに目線を合わせるようにローザは膝立ちの状態で、二人はぱちんと手と手を合わせてハイタッチ。「ほらほらセリスもセリスも」
「リディア様も」立ち上がったローザがセリスと、ポロムがリディアとそれぞれ手を合わせる。
セシルはそれを思わず唖然と眺め―――やがて我に返ると感情を投げつけるように叫んだ。「ちょっと待てー!?」
「え、なに、どうしたのセシル?」
「どうしたのじゃない! もしかして君らグルだったのか!?」
「ええ」あっさりと頷く婚約者に、セシルは言葉を失う。
そんなセシルを、流石に気の毒そうに思ったのか、さっきまで非難していたセリスが申し訳なさそうに告げる。「いや、悪いとは思ったけれど、ローザにどうしてもって頼まれて・・・」
「・・・まさか君らもか!?」やや疑心暗鬼になりつつカインとバッツを振り返る。
するとカインは「知らん」と簡潔に答え、バッツも慌てて首を振りつつ「俺も知らなかった!」と返事を返す。「カインに言えばセシルに漏れるかも知れないし、バカ兄貴に演技しろってほうが無茶でしょ」
あはははっ、と愉快げに笑いながら言ったのはリディアだ。
その隣ではエッジがさっきと同じようにニヤニヤと笑いながら繰り返し告げる。「だから言ったろ? “相手が悪い” って」
リディアと一緒にファス達を見つけたエッジも共謀していたのだろう。
おそらくは、セシルが居ない時を見計らって、リディアかポロムがローザに相談したに違いない。「おほほほっ、陛下、私の嘘泣きに気を取られすぎましたね」
「うふふふっ、お父様の言うとおりだったわ! 搦め手で攪乱した後に、直球ぶつけてみれば割と上手くいくって」なにやら楽しげなポロムとローザ。
ていうか娘に何を教えてるんだあの人はー! と心の中で叫んでいると、そんなセシルの腕をくいくいと引っ張る者が居た。「あ、あのセシル・・・」
視線を下げれば、ファスが泣きそうな顔でセシルを見上げていた。
「ご、ごめんなさい。私知らなくて。あの、その・・・」
おそらくファスは聞かされていなかったのだろう―――セシルをハメることを。ベイガンと同じレベルで嘘偽ることが苦手な彼女だ。ローザやポロムの判断は正しいと言えば正しい。
今にも泣き出しそうな―――無論、ポロムのような嘘泣きではなく、本気で―――ファスを、宥めるようにもう一度撫でながら優しく告げる。
「いいよファス、悪いのは全部あそこの―――白いくせに腹黒い白魔道士二人だから」
「えええっ!? セシル、それどういう意味!?」
「酷いですわ、酷いですわ! 腹黒だなんて陛下のお言葉でも酷いですわ!」
「どう考えても君ら二人が首謀者だろーーーーーー!」耐えきれずに絶叫―――するセシルに、不意にエッジが近寄るとトン、とその胸に拳を当てる。
「何もテメエ一人の都合でみんなここにいるわけじゃねえって事だ」
そういうエッジの表情は笑っていたが―――瞳は真剣だった。
「お前がお前の想いでここにいるように、俺や他の奴らだってそれぞれの想いでいる」
「なによカッコつけて。バッカみたい」
「真面目に言ってんだから茶々入れるなよ」リディアにつっこまれ、エッジは舌打ちしながら彼女を振り返る。
と、そのエッジの言葉を今度はバッツが引き継いだ。「ま、そういうこった。ファスやポロムがついてくるのが不安なら、お前が護ってやればいい」
「僕はローザ一人で手一杯だ」
「え、私愛されてる!?」きゃあ、とローザが嬉しそうに頬に手を当てる。
それを見て「確かにあらゆる意味で手一杯みたいだな」とバッツが感想を漏らす。そんなバッツへ「だから」とセシルは告げた。
「最悪の事態になったら、ファスとポロムだけでも良い。二人を連れて逃げてくれ」
「俺は誰も護れねえよ。俺の剣は―――」
「逃げ道を “切り開く” ことは出来るだろう?」
「・・・物は言い様だな」苦笑してからバッツは「善処する」とだけ答える。
「もうすぐ〜・・・到着だよ〜・・・」
ボー艦長が告げる。
見れば、モニター一杯に月が映し出されている。
二つの月が重なった状態の、月。(それぞれにそれぞれの想いがある、か)
「さあ―――」
これはセシルだけの戦いではない。他の誰かのための戦いでもない。
そのことを胸に刻んで、セシルは皆へ告げた。「―――行こう! 僕らの戦いに!」