第29章「邪心戦争」
F.王の出陣」
main character:セシル=ハーヴィ
location:バロンの街・正門
「通してくれ」
にこにこと上機嫌のような微笑みを浮かべながらセシルは要求を繰り返す―――決して通すことの出来ない要求を。
決死の覚悟をしているにしては場違いな笑顔。からかっているようにしか見えないが―――しかしそれこそがセシル=ハーヴィの “本気” なのだとベイガンは理解していた。「・・・・・・・・・通せませぬ」
セシルの要請に対し、ベイガンは絞り出すような声で否定した。
すでにベイガンからは気力が失われていた。こうしてセシルと相対するだけで気力が削られていく。(陛下はどうしようもなく “本気” なのですな)
笑顔の下に秘められた強い意志を、ベイガンははっきりと感じていた。
セシルはかつての “愚賢王” と同じ―――或いはそれ以下に見られたとしても、月へ向かおうとするのだろう。
そしてその後、王としての資格を失い、殺されることすら覚悟して。人は死ぬと言うことを知らなければならない―――セシルは軽々しく命を捨てようとしているのではない。ただ、命を懸けてでも行かねばならぬのだと決意している。
相対すればその “本気” が伝わってくる。どれだけの意志、どれだけの想いを持ってこの場にいるのか―――ずっと側近としてセシル王の傍にいたベイガンには感じ取れる。その信念がベイガンの気力を削っていく。近衛兵長として、王が命を失うような事をむざむざ見逃すわけにはいかない―――だが、王の側近として、王の本気で願う望みを阻むのは心苦しく想う。
葛藤がベイガンの胸の内を巡り、それは悲痛となって顔に出た。「―――なら、待とうか」
そんな側近の様子を、セシルは張り付いたような笑顔のまま告げた。
「何を・・・」
「君がそこを通してくれるまで、僕は待つよ」セシルの言葉はさらにベイガンを追いつめる。
「朝まで待つ―――朝まで待っても通してくれないのなら、僕は月へ行くことを諦める」
「・・・・・・・・・っ」―――セシル=ハーヴィは “卑怯者” であると、ベイガンはこの時ほど思ったことはなかった。
セシルはベイガンの心の葛藤を見抜いているのだろう――― “待つ” だの “諦める” だの口にしておきながら、こちらがセシルの行く手を阻むことは出来ぬと理解している。少なくとも、ベイガンはそう確信していた。
「・・・何故、ですか」
ベイガンは震えた声で問いかける。
「行かねばならないと思ったからだよ」
セシルはなんでもない事の様に答えた―――が、その言葉にどれだけの想いが込められているのか、ベイガンは僅かなりとも察することができた。
巨人内部で聞いた事を思い返す。
今まで天涯孤独だと思っていたセシルに、ゴルベーザという兄が居たこと。さらには、あのエニシェルが母親であったということ。そもそもの黒幕であるゼムスが “月の民” ―――つまりはセシルにとって同胞だったということ。ゴルベーザが月へ向かった時、セシルも共に行きたかったのかも知れない。
王としてではなく、 “弟” として “息子” として “月の民” として、自身で決着を着けたかったに違いない。けれど一旦はバロンの “王” として地上へ留まってくれた。
(それが今、こうして月へ向かおうとしているのは――)
そこまで考えて、ベイガンは首を横に振った。
「・・・そういうことを聞いているのではありませぬ」
行かねばならぬ―――そんなセシルの想いは、最初から痛いほどよく解っている。
ベイガンが疑問を感じたのは別のことだった。「何故、強行にまかり通ろうとしないのですか? いつものように “王命だ” と言われれば、私は退かざるを得ません」
或いは、セシルならばベイガンがここに立ちはだかる事など予測していたはずだ。
ならば、西門など他のルートを使って脱出することもできただろう。それなのにセシルは正門へ来た挙句、さらにはベイガンが通す気になるまで待つと言っている。
まるで、国を出る事をベイガンに許可を取ろうと言うかのように。ベイガンの問いにセシルは「なんだそんな事か」と苦笑して。
「さっきから話に出てるだろう? 僕のこの行為は王としては失格だと―――僕が月へ行こうとするのは、 “王” としてではなく “セシル=ハーヴィ” 個人としての勝手な望みだ。だから王として命令することはできない」
この国を出るならば “王” であることを捨てていかねばならないとセシルは言っているのだ。
言い換えればベイガンはセシルを “王” として国に留まらせるか、それとも “個人” として月へ行かせるか選択しろという事。「そして」とセシルは更に言葉を繋げる。
「僕が月へ行っている間、この国を任せられるのはベイガン、君しかいない―――だから、僕が行くことを少なくとも君にだけは納得して貰わなければならない」
「陛下―――解りました」セシルの最後の言葉を聞いて、ベイガンは決心する。
葛藤により消沈していた意気を取り戻し、強い眼差しでセシルを見返して言った。「この場をお通ししましょう」
「良いのですか?」問いかけたのはアルフォンスだ。
対して、ベイガンは迷い無く頷いて―――セシルへ告げる。「ただし、一つだけ条件があります」
「条件?」
「お命じください。 “門を開け、この場を通せ” ―――そう “王” として御命令ください」ベイガンの出した “条件” に、セシルは困惑した。
「いや、だから僕は王としてではなく―――」
「 “王” として月へとお行きください―――そう、申しているのです」
「しかし、僕の行為は王としては失格だと言っただろう?」困惑したまま拒絶するセシルに、ベイガンは真面目な調子で「それならば」と言い返す。
「陛下は何故、私にこの国を任せようとしたのですか?」
「だから、この国を任せられるのは君しかいないから・・・」
「そうではなく! 陛下が王として失格であるというのなら、国の事など無責任に放り出してに行けばよろしいでしょう! それなのに陛下はこの私に国を任せるためにこの場に居られる。それはこの国を案じたからではないですか!?」
「それは・・・そうだけど・・・」
「でしょう? 陛下は国を見捨てるわけでも、ましてや王の資格が無いわけでもありませぬ! 己が正しいと望むことを貫こうとしながらも、国を、民を案ずる―――立派な王ではございませんか!」
「え、いや、その・・・・・・」真っ向から “立派な王” などと言われたセシルは、引きつったような苦笑を浮かべ、気恥ずかしげにベイガンから視線を反らした。
「立派な王はよく城を抜け出したり、街の食堂でツケを溜め込んだりしないよなあ」
セシルの後ろでバッツが軽口を叩く。
その通りだよなあ、とか心の中でバッツに同意しながら、セシルはなんとかベイガンへ言い返す。「だ、だけど実際に僕は国の緊急事態に無責任にも人任せにして行くわけで―――」
「国の為、民の為に力を尽くすのが “王” であります! その “王” の為に力を尽くすのが、配下である我らが主命! 陛下が我らを頼りにするというならば、それはこの上ない喜びでもあります!」
「あー・・・うー・・・」ベイガンの熱い叫びに、セシルは完全に言葉を失っていた。
と、そこへさらに追い打ちをかけるように背後から含み笑いが聞こえてくる。「クックック―――観念しろ、セシル。お前の負けだ」
「カイン?」
「ベイガンの言うとおりだ。かの “愚賢王” 如きとは違い、やはりお前は俺が認めた “王” だった! 言われたとおりに王として命じ、王として行け―――そして王として堂々と凱旋すればいい」
「・・・・・・・・・はあ」カインにまで言われ、セシルは嘆息する。
「どうしてそこまで僕を王様にしたがるかな」
セシルのぼやきに、ベイガンは真面目な顔で答えた。
「以前、陛下がこの国には私が必要だと言われたのと同じ―――いや、それ以上に、この国はセシル陛下が必要なのです」
「そうは思えないんだけど」
「少なくともこの私はそう望んでおります―――それだけでは不服でしょうか?」言われ、セシルは苦笑する―――するしか無かった。
「いや、十分だよ―――やれやれ」
もう一度嘆息し、セシルは真面目な顔を作り、近衛兵長へと命じる。
「私はこれより ”幻の月” へと赴き、このフォールスで起こった争乱の元凶を討ちに行く―――ベイガン=ウィングバード」
「ハッ!」ベイガンはその場に片膝を着き、王の御前に頭を垂れる。
セシル王は腰の聖剣を抜き放つと、それをベイガンの肩へそっと乗せて告げる。「王が不在の間、その全権を汝に委任する」
「拝命致します」淀みなくベイガンは受け答え、セシルは聖剣を持ち上げ、腰に差し戻す。
キン、と剣が鞘に収まる音を合図として、ベイガンは立ち上がると、そのまま背後を振り返り―――叫ぶ。「門を開けよ! 王の御出陣である!」
『ハッ!』ベイガンの命令に応え、近衛兵達が了承の意を返す。
そして、街の門がゆっくりと開かれていき―――「・・・えっ?」
不意に、セシルは “光” を感じて怪訝そうな声を上げる。
それは背後からだ。
なんだ? と思って振り返ってみれば、そこには―――「街が・・・!?」
ついさっきまで闇の中に静まりかえっていた街が一変していた。
次々と光が広がっていく―――それは通りに面した家屋の中から漏れ出る灯火だ。―――否、それは見える範囲にある建物だけではなかった。
周囲を見回せば、まるで夜明けのようにぼんやりと明るくなっているのが解る。それは街全体に光が満ちているからなのだろう。建物という建物に明かりが灯り、今が深夜だと言うことを忘れてしまったかのように街が目覚めていく。
変化はそれだけではなかった。
先程までの静寂が嘘であったかのように、人々のざわめきが響きだし、建物の中から、通りの向こうから、この街の住民達が現れ出でる。
大きな通りを埋めつくすほどの―――まるでこの街の全住民が集結したとしか思えないほどの人々の群れが、セシル達へと目掛けて迫ってくる。ただ向かってくるだけではない。彼らは口々に何かを叫んでいた。
それは「セシル王、万歳!」であったり「バロンに栄光を!」だったり「王様、頑張って!」だったりと、およそ統一性のない叫びで、その殆どは聞き取ることが出来なかったが、とにかく王や国を称える歓声であることには違いなかった。
思いも寄らぬ自体にセシルは最初あっけに取られていたが、やがて苦笑いを浮かべる。
「・・・誰だ、こんな演出を考えたのは」
真っ先に思い浮かんだのはロイドとウィルの二人の顔だった―――が、その二人はこの場にはいない。
では誰なのだろうと考えていると、ローザが悪戯っぽく笑って言ってきた。「いいの? そんな言い方して」
「え?」
「また怒られちゃうわよ?」
「まさか―――」ローザに言われて思い浮かんだのは、セシルがもっとも愛する人の母親にして、もっとも苦手とする女性だった―――
******
眼下に見える街並みが、光に満ちていく。
夜闇を砕いていくような灯火の洪水を、ディアナ=ファレルは屋敷の屋根の上から眺めていた。「―――仮にも貴族の妻が屋根の上になど昇るものでは無いだろうに」
背後から声。
しかしディアナは振り返らない。「変わらぬな―――結婚して子を成しても、お前は・・・」
「あら」と、そこでディアナは振り返る。そこにいたのは、やや年老いた姿のこの国の先王だった。
死んだはずのオーディン王がその場にいることにも驚かずに彼女は微笑み、告げる。「変わったわよ、色々とね―――ただ私は私で在るまま変わってきただけ。それが変わらないと言うことなら、貴方の言うとおり “変わっていない” のでしょうね」
「・・・そうやって解りにくいようで解るような気がする言い回しをするのも昔通りだ」言いつつ、オーディンはディアナの隣りに並び「隣り、良いかね?」と尋ねる。
ディアナが無言で頷いたので、彼は彼女の隣へと腰掛けた。「驚かないのだな」
「何の話?」
「死んだはずの私が現れたことにだ」
「貴方が私の知っている人でなければ驚くけれど」
「・・・死んだ事は無視かね。それともローザから話を聞いているのか?」
「何も聞いていないわ。そもそもローザは―――ウィルですら、私と貴方達の関係なんて知らないもの」ディアナは悪戯っぽく微笑んで、オーディンへと告げる。
「貴方が “オーディン” である限り、いついかなる時に、どんな姿で貴方が現れても私は驚かないわ。きっと “彼女” も同じはずよ」
「・・・・・・!」ディアナの言葉にオーディンは絶句する。
(私と “彼女” の “呪い” のことは知らないはずなのだがな・・・)
オーディン自身、その呪いを思い出したのは死んだ後だった。
ディアナが知る由もないはずだった。
驚く反面、妙に納得もする。初めて思えば出会った時から、不意に無意識に物事の本質つくような娘であったと。(しかし・・・貴方 “達” か・・・)
ディアナが自分と “彼女” をひとくくりにしてくれたことを嬉しく思う反面、寂しくも感じる。
そんな感情を誤魔化すように、オーディンは街の方へ視線を向け、問う。「行かなくて良いのかね?」
「行く必要はないでしょう?」即答。
してから、ディアナはオーディンと同じように光に満たされた深夜の街―――その正門の方を見つめた。
そこには大勢の人々の姿が見える。遠すぎてはっきりとは見えないが、今、この国の王が、己の国民達と相対しているはずだ。「私の言いたいことは伝えたつもりだもの―――もし他に何か言ってやりたいことを思いついたら、 “帰ってきてから” 伝えればいいだけだしね」
「・・・信じているのだな。生きて帰ってくると」ふ・・・、とオーディンは笑う。
しかしディアナは「別に」と言い捨てて、屋根の上に立ち上がる。「あれは私の “息子” になるらしいわよ? けれど、私の伝えたいことも理解出来ずに勝手に死ぬようなら、娘との結婚なんて認めない―――ただそれだけよ」
「死んでしまったら、そもそも結婚などできないだろうに」苦笑と共に吐き出された呟きは、しかしディアナには届かない―――或いはあえて無視したのだろうか。
ディアナは屋根の上に立ったまま、セシルが居るはずの正門の方をじっと見つめて不敵に笑う。
「思い知りなさいセシル=ハーヴィ。貴方のことを望む人間は、貴方が思うよりもずっと多いのだと」
******
正門前。
セシル達を取り囲むように、大勢の住民が詰めかけていた。と、それらの中から特に見知った顔が前に出る。
「リディア」
リディアと良く似た緑の髪の女性―――ミストが愛娘に憂いをおびた微笑で娘の名を呼んだ。
「お母さん!」
「ごめんなさいね、リディア。本当なら私もついていきたいところだけど・・・」ミストは自分の実力を良く理解している。
すでに召喚術士としても、黒魔道士としても、娘には遠く及ばないという事を自覚している―――それはG.Fとなった夫の力を加味したところで変わらない。そんな母の憂いを拭い去ろうとするかのように、リディアは微笑んだ。
「大丈夫、私は強いから! きっとゼムスとかいうヤツを倒して、戻ってくるから!」
「ええ、貴女が強いことは誰よりも私が解っているわ」ミストはリディアを抱きしめる。
そんな風に母娘が抱き合う隣では、竜騎士が竜騎士に跪いていた。「カイン隊長。我ら竜騎士団一同、貴方のお帰りをお待ち申しております」
「フッ・・・地上のことは任せたぞ」
「ハッ!」それこそ王と騎士のようなやりとりを見て、エッジが苦笑する。
「なんか、セシルよりもあっちの方が王様らしいよなー」
「―――それなら、貴方も見習ったらどうですか?」
「げっ! キャシー!?」エッジが目を向けると、元エブラーナ忍者の使用人はスカートはあからさまに嫌な顔をした。
「人の顔を見て “げっ!” とは相変わらず失礼な人種ですね」
「人種て」
「ローザお嬢様。どうかお気を付けて」エッジのことは早々に眼中からアウトオブしてローザへと向き直る。
「本当ならば、私もついて参りたいところですが・・・」
「私の方は大丈夫よ! セシルもセリスも居るから!」
「そうですね。陛下はともかくセリス様が居るなら安心ですね」
「・・・・・・」いつものキャシーの言いぐさははっきりとセシルにも聞こえたが(というか聞こえるように言ったのだろう)、とりあえずなにも言わないで置く。
ちなみにセリスはと言えば “セリス=シェールFC” を名乗る連中に花束を贈呈されている。
好意であると解っている為か、迷惑そうにしながらも無理矢理に笑顔を作り「アリガトウ」と硬い声音で返事をしていた。と、キャシーはセシルへと向き直る。
「陛下も御達者で」
「それ、普通に別れの挨拶だよね?」
「ちなみに奥様から伝言を預かっていますが―――聞きますか?」
「いいよ別に。・・・言いたいことは、痛いほどに伝わったから」セシルが言うと、キャシーは「ちっ」とあからさまに舌打ちする。
「残念です。 “言わなければ言いたいことが伝わらないようなヤツに娘はやれない” と奥様が」
「それでなんで舌打ちなんだよ。ていうかそれ、本当にディアナさんが言ったのか?」
「いえ、私の想像ですがなにか?」
「・・・とりあえず君の言いたいことも嫌になるほど伝わったからもういいよ」左様ですか、とキャシーは一礼して―――今度はエッジの方へと振り返る。
「エッジ様も御達者で」
「同じネタを繰り返すなよ」
「まあぶっちゃけ、貴方が死ぬとジュエル様やユフィ様が哀しむと思うので、一応生きて帰ってきてください」
「一応ってなんだよ!? ていうか、お前は!?」エッジが思わず叫ぶ―――と、キャシーは少しだけ小首を傾げて。
「そう・・・ですね、ちょっとは哀しむかもしれません―――ですから私を哀しませたかったら死んで来てもよいですよ?」
「なんでそうなるんだよ!?」喚くエッジ―――と、キャシーの背後からローザがいきなり抱きつく。
「お嬢様?」
「駄目じゃない、キャシー。照れくさいのは解るけれど、こう言う時は素直に言うべきよ?」
「お、お嬢様!?」珍しく狼狽えた様子のキャシーにエッジがきょとんとする。
「へ? キャシー、お前・・・」
「あ・・・」エッジと目が合う―――瞬間、キャシーの顔が篝火の灯りでもよく解るほどに朱に染まる。逃げようとするが、背後からローザがしっかりと捕まえている為に逃げられない―――キャシーの技量なら、ローザから逃れることなど容易いだろうが、使用人として使えるべきお嬢様を振り払うことなどできはしなかった。
次第にエッジを見つめる瞳が潤み、口は何かを言いたげに半開きになったまま―――しかし声は出ない。
「キャシー、お前・・・?」
「わ、私は、別に・・・」小さな声でそれだけ言ってキャシーは俯いてしまう。
そんな彼女の肩に手をかけ、エッジはいつになく真面目な表情になる。「キャシー―――・・・悪い、俺にはリディアが居るからお前の気持ちにばぶげええええっ!?」
掌底。
ローザを振り払うことなく、渾身の一撃をエッジの腹部にゼロ距離で叩き込む。
冗談みたいに吹っ飛んでいくエッジを睨付け、一言。「死んッでしまえッッッ!」
瞳に滲んだ涙を振り払うように、キャシーはフンッとそっぽを向く。
吹っ飛んだエッジを見て、ローザは「あーあ」と苦笑。
周囲の人々からも失笑が漏れ出た。「何やってんだ、あいつ」
「ていうかキャシーがあんな風に感情を顕わにするの、あたし初めて見たよ」談笑していたバッツとリサが、倒れたまま動かないエッジの方を見つめて肩をすくめる。
それから「あ」とリサは何かを思い出したかのように群衆を振り返り―――名前を叫ぶ。「ルディくーん! 何してるのー! セシル国王陛下様に伝えたいことがあるんでしょー!」
「お前、それ逆に馬鹿にしてないか?」
「いや、今更セシルのことを “陛下” と言うのも呼びづらくて」
「まあ、解る気はする」バッツは苦笑―――していると、群衆の中から一人の少年が姿を現わした。
まだ幼いと言える容姿でありながらも、その立ち居振る舞いはすでに立派に一人前だった。ルディ=フォレス―――今この場には居ない、セシル=ハーヴィの “副官” たるロイド=フォレスの実弟。
少年は、やや緊張した面持ちでセシルの前に出ると、まずは一礼する。
すると、それまでざわついていた民衆が、一斉に静まりかえった。「陛下・・・私は、貴方に救われました」
本来ならルディは、死んでいてもおかしくないはずだった。
実の父に背後から斬られた時に―――或いは、その後で貴族の反乱の責任を負い処刑されて。けれど、どちらもセシルのお陰でルディは死なずに済んだ。
「私は直接命を救われました―――が、この場にいるのは直接間接に拘わらず、陛下に救われた事を自覚する者たちです」
ルディの背後で、何人かの人間が無言で頷く。
もしも―――
―――セシルが、ゴルベーザの暗躍に気づかずに、バロンを偽物の王から奪い返さなければ。
―――貴族の反乱時に、その策略が成功しまっていれば。
―――バブイルの巨人を食い止められなければ。それらの “もしも” がどれか一つでも成ってしまっていたら、どれだけの被害が、どれだけの命が失われたか解らない。
「僕はそんな―――」
「黙って聞いて!」何か言いかけたセシルをリサが黙らせる。
彼女はルディの肩に手を置いて、はにかんだ。「私の可愛い義弟の言葉だよ? 最後まで聞いて上げてよ」
「あのリサさん、その “義弟” はともかく “可愛い” というのはちょっと恥ずかし―――」
「もう “お義姉さん” と呼べって言ってるのに・・・いいから続けて続けて」リサに話を促され、ルディはこほんと咳払いをして。
「私達は貴方が “王” であることを望みます。これからもずっと―――だから」
ルディは幼い声音に必死で力を込め―――セシルに己の想いを伝えようとするかのように、意志を込める。
「御武運を! それから、討つべき敵を討ち果たし、無事にこの国へ戻られることを心より願っております!」
それでルディは言いたいことを言い終えたのか、ふっと緊張を解く。
対してセシルは先程と言おうとした事を言いかけて―――やめた。代わりに、彼は優しくルディの頭に手を置く。
それから空いた手を自分の胸に当てる。「解った―――その言葉、確かにこの胸に刻もう」
歓声。
夜を打ち砕こうとするかのような歓声が、周囲からわき起こる。「セシルっ!」
耳をつんざくような大歓声の中、リサがセシルに叫ぶように囁いた。
「絶対に帰ってきてよね! ウチ(金の車輪亭)のツケ、一年は皿洗いしてくれなきゃなんないくらい溜まってるんだから!」
「ちょっと待て! そんなに溜めた憶えはないぞ!」
「利息がついたんだよっ!」にひひ、と笑ってリサは付け足す。
「無事に帰ってきたらチャラにしてあげる!」
「ツケを?」
「利息分だけだよっ!」言い返され、セシルは苦笑。
「しょうがないな」と呟きつつ―――リサやルディなど民衆へ背を向ける。途端、歓声が止んで、一気に静まりかえった。
セシルは軽く息を捨てて、短く―――はっきりと告げる。
「行ってくるよ」
「ハッ」礼をするベイガンの隣をすり抜け、セシルが、その後をローザやバッツ達が続く。
そしてセシルが門をくぐろうとする頃―――『いってらっしゃいませ、陛下!』
まるでいつのまに練習していたのかと疑いたくなるほど揃った声に押されるように、セシル達はバロンの街を出立した―――
******
セシルが門を出た十数分後。
バロンの民に見送られ、魔導船は一条の光となって “幻の月” 目掛けて天昇した―――