第29章「邪心戦争」
E.「愚賢王」
main character:セシル=ハーヴィ
location:バロンの街・正門

 

 

 バロンの街の正門は固く閉じられていた。
 やや遠目の月明かりだけでもそれがはっきりと解るが、構わずにセシル達は門へと向かう。

 やがて、門の前に数人の人影が見えるほどに近づいた頃―――それまで、月明かりしかなかった夜闇の中に炎が灯る。

 炎は門の前に設置されたいくつかの篝火によるものだ。
 その灯火に照らされて人影でしか見えなかった者たちの姿が浮かび上がる。それは数人の近衛兵と―――

「・・・やはり来られましたか。陛下」
「―――ベイガン」

 ベイガン=ウィングバード。
 この国で最も忠節なる男が、セシル達を待ち受けていた―――

 

 

******

 

 

「まるで僕が来ると解っていたような言い方だね」
「はい」

 と、頷いてから「もしかするとお出でになられないとも思いましたが」と付け足す。
 来ない可能性も考えていたが、それでもおそらく来るだろうと予測していたらしい。

 ベイガンはいつも以上に真剣な表情で、真っ向からセシルと向き合う。
 思えば、ベイガンはいつもセシルの側近として傍に控えていた―――こうして真っ正面から相対するのは、実に珍しいことだった。

「月へ行くつもりなのですな?」
「ああ」

 誤魔化すこともせずに、セシルははっきりと頷いた。
 この正門のすぐ外には “魔導船” が着陸している。あまりにも大きいため、城の飛空艇ドッグには入らなかったためだ。

 セシルはその魔導船を使い、再び月へと向かうつもりだった。

「行かせるわけには行きませんな」

 仁王立ちでベイガンはセシルの前に立ちはだかる。

「危険だと解っている場所へ、陛下を向かわせるわけには行きませぬ」
「そこを頼むよ」
「なりませぬ!」

 声を荒らげ、ベイガンは叫んだ。

「何故、陛下が行く必要があるのです? 月にはゴルベーザ殿が向かったはずでしょう。月にいる “黒幕” の事は陛下の兄君に任せたのではなかったのですか!?」

(兄君、っていうのはどうにも慣れないなあ・・・)

 ベイガンの言うとおり、セシルは月にいるゼムスと決着をつけるというゴルベーザをただ見送った。
 確かにあの時はゴルベーザに任せ、自らは地上に留まった(もっとも、月に残ったロック達の事もある。一度は “魔導船” で迎えに行かねばならなかっただろうが)。

 それは―――口に出しては言えないが―――ゴルベーザの事を信じたからだ。
 ゴルベーザはゼムスに操られていたが、それは弟を護れなかった “絶望” が原因だった。

 セシルが生きていると知った今、また “絶望” によって操られることはないだろう。
 だから、セシルはゼムスとの決着をゴルベーザに託した。
 ゴルベーザを失ったゼムスには、他に手駒は残されていないはず―――もしもあるならば、巨人と共に使っていただろう―――そう考えて。

 しかしそれは甘かったと “幻の月” の異変を聞いて思い知った。

 ゼムスはまだ奥の手を残していた―――ならば、他にも切り札があるのかも知れない。
  “月の涙” に対する指示を出しながら、セシルはずっとその懸念が頭から離れなかった。

 ひょっとすると、すでにゴルベーザ達はゼムスを倒してしまったかも知れない―――などと何度か思い込もうともしたが、その楽観的な願望(というより夢想と言うべきか)を信じようとすることは出来なかった。

 だからセシルは指示が一段落して、ようやく休める時になっても眠る気にはなれずに、ずっと玉座で悩んでいた。

  “迷って” いたわけではない。
 行くか行かないか、最初から結論は出ていた。
 けれど、それでも今の今まで腰を上げなかったのは、セシルの身を縛るものがあったからだ。

「ゴルベーザ殿に任せておけぬというのなら、代わりの者を遣わせばよろしいでしょう。陛下御自身が行かねばならぬ事もありますまい!」

 ベイガンの言うとおりだった。
 ゼムスの脅威を感じたとして、ならばそれに対抗出来る者を派遣すれば良いだけだ。
 幸いにも、ここにはカインやバッツのような “最強” がいる。リディアやセリスのように、強力な魔道士も居る。彼らに任せれば、ある程度の障害は蹴散らしてくれるだろう。

 そしてセシルには王として背負っているもの―――王としての “責務” がある。
 先程まで、玉座で悩み続けていた要因。セシルを縛り付けていたものがそれだった。

 セシルには国王としての責任がある。
 平時ならばともかく、もしかすると魔物の大軍が降り注いでくるかも知れないような緊急事態だ。そんな時に、国を飛び出してしまうのなら国王として失格だろう。

「陛下は先々代の王と同じ愚行を繰り返そうというのですか!」

 叱責のようなベイガンの厳しい声。
 先々代の王――― “愚賢王” ヴィリヴェーイは、バロンがエブラーナに攻め落とされようとした時、国や民を見捨てて逃げ出した。
 セシルが今この国を出ることは、その愚かなる王と同じだとベイガンは言っているのだ。

(まったくもってその通りだ)

 セシルは内心で、ベイガンの言葉を全肯定する。
 今、セシルはこの国を出るべきではない。王として、民を護らなければならない。

 それを解った上で、セシルはベイガンに頭を下げる。

「頼む」

 一言。
 他の言葉は―――ただの言い訳は必要無いとばかりに、セシルはそれだけしか言わなかった。

「へ、陛下・・・」

 目の前に頭を垂れるセシルの姿に、厳しかったベイガンの表情が困惑に変わる―――だが、それも一瞬の事だ。
 キッ、と強い視線をセシルへ向け、ベイガンは言い放つ。

「頭を下げられようとも、ここを通すわけには行きませぬ!」
「それでも頼む」

 セシルは頭を上げた。
 篝火に照らされ、赤く映えるその表情にはいつもの苦笑はなく、真面目にベイガンを見返している。

「・・・くっ」

 その視線にベイガンは気圧される―――が、決して反らそうとはしなかった。

 しばしの沈黙。
 セシルとベイガンは元より、周囲の者たちもただ黙って成り行きを見守る。
 辺りにはパチパチと篝火の炎が爆ぜる小さな音だけが鳴り響いていた。

 ―――やがてそのまま一分ほどたっただろうか。

「陛下」

 沈黙を破り、一人の近衛兵がベイガンの隣りに並ぶように前へと進み出る。
 その顔を見て、ベイガンはその者の名を口にした。

「アルフォンス・・・?」
「この剣の事を―――無論、覚えておられますね?」

 そう言ってアルフォンスは懐から一振りの短剣を取り出した―――

 

 

******

 

 

 アルフォンスが取り出したのは立派な装飾の施された短剣だった。
 と、セシルの背後で事の成り行きを見守っていたローザが、その剣を目にして顔色を変える。

「あれって・・・!?」
「どうした?」

 カインが声をかけると、彼女は自信無さそうに答える。

「・・・ “王殺しの短剣” ―――だと思うわ」
「なんだと・・・っ!?」

 カインにしては珍しく、はっきりと狼狽えてアルフォンスの手にした短剣を凝視する。

「なんだよそれ? 凄い剣なのか?」

 きょとんとしてバッツが首を傾げる。

「いわく付きの剣よ―――その名の通りのね」
「・・・そう言えば聞いた憶えがあるぜ」

 ローザの言葉を受けて、エッジが思い出したように呟く。

「二代前―――いや、セシル王を入れれば三代前か。三代前の王は、毒の短剣で暗殺されたらしいな」
「ほう・・・良く知っているな。貴様もまだ生まれる前の話だろうに」

 少し感心したようにカインが呟く。
 エッジは「野郎に褒められても嬉しくねえよ」と唾を吐き捨て、

「当時のバロンの奴らはエブラーナの仕業だとか騒いでたらしいからな」
「じゃあ、アンタ達がやったわけじゃないんだ?」
「当たり前だ。ていうか、やったならそれを隠す必要もねえだろ―――それをバロンの奴らはエブラーナのせいだって決めつけやがって。最後の戦争が起きたのだってそれが原因だったしな」

 非難するように文句を口にするエッジに、ローザは苦笑いを浮かべる。

「当時のバロンだって、大半の人間はエブラーナの仕業じゃないって解っていたと思うわ。けれど、エブラーナのせいだと言わなければならなかった。何故なら―――」

 ローザの言葉を引き継いで、カインが告げる。

「―――王を暗殺したのはエブラーナの忍者ではなく、王子だったからだ」
「証拠は短剣以外にはなにも残されていないけれどね。ただ、当時の王が暗殺されて、けれど城内は混乱することなく速やかに次の王―――ヴィリヴェーイ王が即位したらしいの」
「あまりにも段取りが良すぎる。おそらくは “愚賢王” が父王を暗殺し、前もって自分が王になる為に当時の貴族や騎士に根回しをしていた、と考えるのが自然だ―――まあ、そんなことを口にしただけで処刑されただろうがな」

 フン、とカインが忌々しそうに吐き捨てる。
 普段は傍若無人で唯我独尊を地で行くカインだが、その一方で “騎士は王の為に在り、王は民の為に在る” というポリシーを持っている。己を捨てて万民の為に力を尽くす王―――その王を助く為に騎士は在るべきだと、カインは父より教わった。だからこそセシルを王と認め、その力となることをカインは望んだのだ。

「なんかそれってセシルみたいじゃねえ?」

 不意にバッツが呟いた。

 「「え?」」よカインとローザの怪訝そうな声が重なる。
 そんな二人にバッツは「だから」と前置いて。

「セシルだって先王が暗殺されて、それで王様になったんだろ?」
「「あ・・・」」

 またもやカインとローザの声がハモる。

 確かにバッツの言うとおり、実はオーディン王が暗殺されていたと知れ渡ってから、セシルはあっさりと即位した。
 それはベイガンやウィルが前もって根回ししていたからだが、確かにヴィリヴェーイ王と符合する。

 そして、その上で今、この国を出てしまえば―――

「まあ、そういうことだよ」

 セシルがローザ達を振り返り、苦笑する。
 どうやら今までこちらの話を聞いていたらしい―――彼の王は苦笑したまま続けた。

「ベイガンが頑固に止めたがる理由も解るだろう? ここで国を出てしまえば、僕はかの “愚賢王” と同類だ」
「違う! お前はあのような愚かしい王とは違うだろう!」

 カインが叫ぶ。
 先も上げたようなポリシーを持つカインは、歴代のバロンの王の中でヴィリヴェーイ王を最も嫌悪している。憎んでると言い換えても良い。もしも生まれた時代が同じならば、この手で突き殺しているのに―――と何度も想ったほどだ。

 その憎むべき王と、自らが王と認めたセシルを同類とすることは決して認めるわけにはいかなかった。

 カインの血を吐くような叫びに、セシルは軽く頷いた。

「もちろん違う―――けれど、国民から見ればそれは同じことさ。暗殺された先王が座っていた玉座を掠め取るようにして座り、そして今、 “月の涙” という危機的状況の可能性の中で、国を出ようとしている」
「ぐっ・・・」

 カインは悔しそうに唇を噛んだ。
 再度「違う!」と叫んだところで、セシルはそれを認め、その上で “国民の視点” で否定するだろう。

 と、それまで黙っていたセリスが嘆息する。

「これは・・・国を出るのは止めた方がいいわね」

 ローザが何を言い出すの? とばかりに視線を向けるのを手で制し、セシルへと告げる。

「解っているでしょう? このまま国を出て、そして “月の涙” が起こってしまえば、どんなに被害が軽微でも民は貴方を許さずに、二度と王として認める事はないでしょうね」

 バブイルの巨人の時とは違う。
 あの時、セシルが国を離れたのは事故のようなものだった。しかも “巨人” が襲来する事も予測していなかった。

 けれど今回は違う。
 明らかに何かが起こる予兆があり、そしてその対応策としてセシルは指示を出している。
 この上で国を出れば、国民は “逃げ出した” としか思わないだろう。

 セリスの意見に、カインが殺気じみた視線を向ける。

「セシルを認めぬヤツは俺が許さん! この槍で叩き殺して―――」
「それじゃ本当に愚賢王と同じだよ、僕は」

 苦笑するセシルに、カインは「ぐ」と言葉に詰まり、それ以上は押し黙る。

「で、どーすんだ? やっぱり今回は止めにするのか?」

 エッジが問う。
 話を聞く限り、ここでセシルが国を出るのは有り得ない話だ。
 例えゼムスとの戦いに勝ったとしても、セシルは王たる資格を失う。

 だが、セシルは苦笑したまま迷うことなく答えた。

「いや、行くよ」
「おい・・・?」

 エッジが思わず唖然とし、セリスも眉をひそめる―――だが、他の面々は違った。
 ローザもリディアもバッツも「やっぱり」という解っていたかのような表情だ。カインだけは苦虫を噛みつぶしてしまったような表情をしていたが。

「それがどういう意味か解っているのですか?」

 問いかけたのはアルフォンスだ。
 彼は “王殺しの短剣” を握ったまま、感情を消したような真顔をセシルへ向けていた。

「解っているよ。僕はこの国を見捨て、己の望むことを行おうとしている―――セリスが言ったとおりだ。もしも無事に生きて戻ってきたところで、僕は王ではなくなるだろうね」
「王として失格だとしても、陛下が誰かに王位を譲らねば、貴方は王のままです」
「だから君にその剣を託した」

 その言葉の意味することは一つだ。

 貴族の反乱の後、セシルは「自分を王として認められないならば、どんな手段を用いてでも討て」と騎士達へ告げた。
  “王殺しの短剣” はその “手段” の一つ。

 かつての王を殺した短剣をアルフォンスに与えたのは、つまるところ “王を殺す” 権限を与えたという事。

 セシルは、もしも月から戻ってこれたその時に、 “王” として認められぬなら、その短剣で殺せと言っているのだ。

「おいおいおい! お前、正気かよ!?」

 思わず、とエッジが声を上げる。
 彼もセシルの言わんとすることを察したのだろう。

「正気かどうかはしらねえが、セシルは本気だぜ」

 答えたのはセシルではなくバッツだ。
 彼はにやりと笑って告げる。

「こいつはこういうヤツなんだよ」
「どういうヤツだよ・・・」

 もっともな疑問をエッジが呟くが、それに誰かが応える前にセシルが口を開く。
 それは目の前に立ちはだかる近衛兵長に対してだ。

「さて、ベイガン。そろそろそこを通して門を開けてくれないか?」

 


INDEX

NEXT STORY