第29章「邪心戦争」
C.「月の涙」
main character:セシル=ハーヴィ
location:バロン城・謁見の間

 

 ――― “バブイルの巨人” との戦いが終わり、丸一日が過ぎた。

「・・・とりあえずは一段落かな」

 玉座に座り込んだセシルは溜息を吐く。
 今まで、 “巨人” との戦闘後の処理のために配下の兵達に指示を出し、報告を聞いてはさらに指示を出して―――を繰り返していた。

 昨日から殆ど寝ていない。
 ゴルベーザ達が去った後、ほんの三時間ほど眠った―――意識を失っていただけだ。それからはずっと、この玉座に座り通しで食事もリサからの差し入れである焼き菓子を少しつまんだだけだった。

「はい。城内とバロンの街に関することは落ち着いたと見て良いでしょう」

 傍らでアルフォンスが頷く。セシルがずっと玉座に座っていたように、彼もずっと立ちっぱなしだった。
 「疲れたら他の者と交代しなよ」とセシルが言うと「解りました、疲れたら交代します」―――と、素直に返事を返したまま一度も交代しようとしていない。
 座り続けているのも苦痛ではあるが、立ち続けているのはもっと辛いはずだ。なのにアルフォンスはそれを表情に出すことすらしなかった。

「よくもまあ一日中立ってられるもんだ」

 思わずセシルが感心すると、彼は「いいえ」と首を横に振る。

「ベイガン様ならば一日どころか一週間でも立っているでしょう―――陛下の為ならば」
「・・・確かに」

 有り得ないとは思う反面、下手すれば一ヶ月以上も立ち続けられるんじゃないかとさえ思う。

 ちなみにそのベイガンは、今は休養しているはずだ―――素直にセシルの命令に従っていれば。

 ルビカンテの炎に癒されたとはいえ、ベイガンの消耗は激しかった。
 身体的なダメージはもちろんの事、それ以上に精神的に消耗している。

 セシルが不在の間、バロン軍の指揮を取っていたのはロイドだ―――が、バロンという国全体の責を背負っていたのはベイガンに他ならない。
 その上で、巨人の “防衛システム” と戦い、それを破壊する為に両椀を自爆までさせて、普通の人間ならば確実に死んでいるようなダメージを負ったのだ。身体の傷は癒えても、心が壊れてしまってもおかしくない。

 だというのに彼は気力を振り絞り、心身共に完全には癒えてない状態でセシルの傍らに立とうとした。
 セシルが目を覚ましてからの最初の仕事は、そのベイガンを休ませる為に説得することだった。結局言葉では聞かずに、いつもの「王命だ」で無理矢理に黙らせたが。

「ともあれ、とりあえず今日はこれで休めそうだ」

 セシルは玉座から立ち上がると、軽く背伸びをしつつ身体をほぐすように間接を回す。

「お休みになりますか?」

 アルフォンスが問いかけてくる。
 すでに城の外は陽が完全に落ちているだろう―――が、眠るにはまだ早い時間のはずだ。
 しかしセシルは苦笑して頷いた。

「休める時に休んでおかないとね」

 戦後処理が一段落した―――とは言っても、それはこの城や城下の街だけの話だ。
 バロン国内で見れば、まだまだやらなければならないことはいくらでもある。巨人の進撃によって、潰された村などの集落は決して少なくはないはずだ。ロイドの指示で事前に避難勧告が出されていたので、人的被害は殆ど無いのが不幸中の幸いだが、住む場所や財産―――作物やら田畑を耕す道具やら家畜やら―――を無くしてしまった民達は、これからどうすればいいか途方に暮れているに違いない。

 一応、各地の被害状況を把握する為、調査団を派遣した。明日には最初の調査結果が届くはずだ。
 それに各領地の使いやら、或いは領民が直に城へ押しかけて来るはずだ。明日から暫くはその対応で、それこそ寝る間もない程に忙しくなるだろう。

「ただ、寝る前にベイガンの顔を見に行っておこうか。どうせ街の屋敷には戻らずに、城内の仮眠室かどこかにいるんだろうし」
「いえ、それには及ばないかと」

 アルフォンスが即座に否定する。
 彼は以前にも貴族の反乱に手を貸したように、セシル王の事をあまり快く思ってはいない。そのため、ベイガンからは酷く疎まれているのだが、反面アルフォンスの方はベイガンの事を近衛兵の鑑であると、尊敬しているような所がある。

 つまり、ベイガンの見舞いに行くと言って、普段の彼ならば否定などしないということだ。

「なるほど・・・ “居る” のか」

 嘆息して、謁見の間の入り口を見る。
 セシルは今日、この謁見の間から一歩も外に出ていない―――謁見の間のすぐ外には、警備のために兵士が配属されている。おそらくはベイガンはそこに居るのだろう。

「・・・ええ、まあ」

 セシル相手に誤魔化しても無駄だと察したのだろう。アルフォンスは歯切れ悪くも肯定の頷きを返す―――と、まるでそれを合図としたかのように扉が開かれた。

「陛下、失礼致します!」

 などと実に朗らかな表情で現れたのは、今話に上がっていたベイガンだった。
 その彼の後から、バッツとリディア、エッジの三人に加え、見知らぬ白衣の青年が続く。

「お客様をお連れ致しました」

 ベイガンは恭しく頭を下げてそう言った。
 今日は “巨人” に関する案件以外は取り次がないように兵に命令してあった。それをベイガンが己の権限で押し通し、バッツ達を連れてきたのだろう。

 そのバッツ達のことは置いて、セシルは半眼でベイガンを段上から見下ろした。

「・・・僕は “休んでいろ” と命じたはずだけど」
「や、休みましたぞ! 十二分に! というか、陛下は “いつまで” とは仰ってはいなかったはずですが」

 動揺したように目を泳がせながら弁解するベイガンに「子供の言い訳か」とセシルは嘆息する。

 ベイガンのダメージは、普通ならば一日休んだ程度で回復出来るはずがない。
 いくら魔物の力を秘めていたとしても、精神的な疲労は普通の人間とは変わらないはずだ。

(でもまあ、ベイガンにとっては休んでいろと言う方が拷問か)

 苦笑して、セシルはベイガンの後ろのバッツ達に視線を移す。

「それで、一体なんの用かな―――知らない人も居るみたいだけど?」

 セシルが問いかけると、バッツは「ああ」と頷いて、後ろの白衣の青年を指し示す。

「こいつはコリオ。アガルトの村の天文学者だ」
「天文・・・もしかして、フォールスに唯一あると言う天文台の?」

 セシルが問いかければ、コリオはどこか緊張した様子で「はい」と頷いた。それを見て、バッツが不思議そうに首を傾げる。

「なに緊張してるんだよ?」
「仕方ないじゃろ、王様に会うなど始めてなのじゃぞ!」

 ひそひそと小声で返事をするコリオ。
 それが聞こえたのか聞こえなかったのか、セシルはまるで気にせずに呟く。

「へえ・・・一度見たいと思ってたんだよなあ。天文台」

 天体望遠鏡くらいならバロンにもあるが、 “天文台” といった大がかりな施設はセシルはまだ目にしたことはなかった。
 興味をそそられた様子のセシルを見て、リディアが呆れた様子で呟いた。

「魔導船の時も思ったけど、セシルって割と子供っぽい所あるよね」

 魔導船が出現した時も、興味深そうに目をキラキラとさせていたように思う。今も同じだ。

「いや、別にこれくらいは普通の反応だよ」

 流石にいい歳して “子供っぽい” などと呼ばれるのは心外なのか反論する。

「なあ、バッツ?」
「へ? いや俺は良くわかんねえけど」

 意外な反応(少なくともセシルにとっては)に、セシルは「な!?」と驚愕する。

「この中で一番少年の心を持っているのは君だと思ったのに!?」
「少年、ってやっぱり子供っぽいってことじゃない」
「ぐ・・・」

 リディアのつっこみに、反論出来ずにセシルは押し黙る。

「んー、未知の世界とか行ってみたいとか思ったりするけどさ、別に建物とか見てもなあ―――ていうか、天文台って一応見たけど、あんまし面白そうじゃなかったし」
「まあ、興味ないヤツには無用の長物じゃしな」

 バッツの言葉に、コリオも苦笑しながら頷く。

「はいはい解りましたよ。僕は子供っぽいですよーだ」

 それこそ子供っぽい口調で拗ねたように言って、セシルはどかっと無造作に玉座へ腰を落とした。

「それで? 子供みたいな王様にどんな御用ですかー」
「陛下ッ! いくら子供っぽいと指摘されたとはいえ―――いえ、それならばこそ王の威厳と言うものを示して頂きませんと!」
「その通りです。例え本質がお子様であるとしても、民草の前では王らしくして頂かなければ示しというものがつきません」

 ベイガンが苦言を漏らせばアルフォンスも追随する。というかなに気にアルフォンスの言い様が一番酷い。

(せ、説教が二倍に―――というかアルフォンスの蔑みようがどこかのメイドを連想させるんだけど)

 思いつつ嘆息する。
 確かに見知った連中相手ならともかく、今はコリオという初対面の人間が居る。あまり巫山戯るのも良くはないと、居住まいを正して改めて問いかける。

「 “天文学者” が来たと言うことは “月” に何か異変でも起きたのかな?」

 その問いに、コリオは驚いたように目を見開く。

「流石は王様、月の異変をすでに気づかれていましたか!」

 感嘆するコリオに、セシルは「いいや」と首を横に振る。

「アガルトの村からわざわざバロンまでやってきたんだ。それなりに重大な何かが起こっていると言うことだろう? ―――巨大な隕石でも落ちてくるという話でもなかったら、あとは月に何かが起きたとしか僕は思いつかない」

 空に浮かぶ二つの月。
 赤き “真の月” は魔物の巣窟となっていて、青き “幻の月” は今までに何も解明されていなかった―――が、そこには強大な “悪意” が潜んでいたことを、セシルはつい先日知ったばかりだ。

「ご慧眼恐れ入ります。陛下のご明察どおり、十日ほど前から “幻の月” に妙な動きが・・・」
「十日前・・・?」

 というとゴルベーザ達がクリスタルを集め終え “バブイルの塔” を起動した後だ。
 ゼムスの封印が解かれてしまった頃と言い換えても良い。

「はい。どうやら “幻の月” が “真の月” へ徐々に近づいている様子なのですじゃ」
「二つの月が近づいている?」

 そうだったかな? とセシルは二つの月を頭に思い浮かべるが、接近しているかどうかなど感じた憶えはない。

「最初は肉眼では解らないほどにゆっくりと―――ですが、船でミシディアに渡る途中、目測で確認したところ、明らかに “幻の月” が接近する速度が速まってきています」

 コリオは “幻の月” の異変に気がついた時、すぐにミシディアに行くことを決めた。
 実はアガルトの村は何処の国にも属していない―――強いて言うなら、地底にあるドワーフの国に属しているとも言えるが、ともあれ辺境故に地上の国の支配を受けては居なかった。

 しかしミシディアとは古くから交流があり、コリオも何度かミシディアの長老とは顔を合わせたことがある。魔導国家の長として、深い知識もあり、月の異変について相談する相手を他に思いつかなかった。

 それでミシディアへと数日間船に揺られて辿り着き―――長老に相談したところ、これはバロンのセシル陛下に報告するべきだと言われ、デビルロードを通ってバロンまでやってきたというわけだ。

「このままでは、早ければ明日にでも二つの月は衝突するでしょう――― “幻の月” に実体があれば、ですが」

  “真の月” とは違い “幻の月” はまるで地上には影響を及ぼさず、それどころか太陽光線に関係なく月の満ち欠けをすることから、天文学では “幻の月” はその名の通りに幻であり、実体は無いという説が通説となっている。

 コリオは「詳しくはこれを」と肩から提げていた鞄の中から、よれよれになった一冊のノートをベイガンへと差し出した。

「最後の方に “幻の月” の異常に気がついた時からのデータを書き込んでおります。・・・あ、ただそれ以外のページは他の研究に関するものなので、出来ればあとでノートは返してほしいですじゃ・・・」

 申し訳なさそうにいうコリオに、セシルは「わかった」と頷く。

「ベイガン、どう思う?」
「 “月の異変” と聞いて思い浮かぶのは一つしかございません」
「・・・ “月の涙” か」

 ベイガンの言葉に続いてバッツが口にする。

 月の涙―――

 数十年に一度、 “真の月” に巣くう魔物が地上へと降下してくる現象。
 その原因は不明―――そもそも、どうして月が魔物達の巣窟となっているのかすら解っていない。

「前回起きたのはほんの十年前。次が起きるにはまだ早い時期だ―――けど」

  “幻の月” の接近。
 それは間違いなく、ゼムスの仕業だろう。
 フースーヤの話によれば “幻の月” はかつて月の民が作り出したものだ。ならば、同じ月の民であるゼムスならば動かす方法も知っているのかも知れない。

「ゼムスは “月の涙” を引き起こそうとしている・・・?」
「もしそうだとして、ゴルベーザ・・・殿はそれに気づくでしょうか?」

 ゴルベーザに敬称を付けるのは少し抵抗があるのか、やや口ごもってベイガンが問う。

「解らない―――ゼムスが何かを仕掛ける前に、ゴルベーザがゼムスを倒してくれればいいんだけど・・・」

 神妙な面持ちでセシルは呟く。
 だが、それを楽観的に肯定出来る者はその場には居なかった。
 普段は飄々としているバッツでさえも何も言わない―――或いは十年前に起きた “月の涙” の脅威を思い返しているのだろうか。

 重苦しい沈黙が場を満たして―――やがて、セシルがコリオに目を向け、口を開いた。

「貴重な報告を有り難う―――部屋を用意させるから、今日はゆっくりと休んでくれ」
「も、もったいないお言葉ですじゃ!」

 ははーっ、とコリオはその場に膝をついて、床に頭をこすりつけるように下げる。

「いや、平伏する必要はないから・・・」

 セシルは困ったように苦笑を漏らし、それまで黙り込んでいた他の面々も、緊張が解きほぐれたように、和やかな笑い声を上げた―――

 


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