第29章「邪心戦争」
B.「夕暮れの街」
main character:コリオ
location:バロンの街
「うう、無事について良かった・・・」
“デビルロード” を通り抜け、彼は心の底から安堵した。
やや背が低い、眼鏡を掛け、白衣を身に纏った学者然とした男だ。
髪は全て真白いが、別に老人ということはない。歳は20代の後半に差し掛かった頃―――だが、背が低いこととやや童顔であることから、白髪であること気にしなければもう少し幼く見える。
ショルダーバックを肩にかけ、その上で鞄本体を大事そうに片手で抱えていた。彼の名はコリオ。
バロンより遙か南、海を越えた先にある島のアガルトの村から来た天文学者だった。「城へは、すぐそこの通りを真っ直ぐ進めば大通りに出ます。あとは真っ直ぐ城の方へ進めばよろしいでしょう」
“デビルロード” を管理する兵士の説明にコリオは「ありがとう」と礼を言って歩き出す。
言われたとおりに通りを進み、大通りに出て―――彼は思わず立ち止まった。すでに陽は沈みかけている―――思えば、太陽の位置はミシディアでも変わっていない。丸一日経ったのでなければ、本当に一瞬でバロンまで移動することができたらしい。
コリオの目の前には、赤い夕焼けが街並みを照らして “夕暮れの街” とでも題名がついていそうな絵であるかのように、幻想的な情景が目の前に広がっていた。その赤く彩られた街の中を、コリオの故郷の村の全人口を足しても足りない程の人々が行き交っていた。その殆どは日々の仕事を終え、家路につく者たちか、或いは友人知人と飲みに行こうとする者たちなのだろう。どこか気怠げで、解放されたような印象を受ける。
ミシディアで聞いた話では、昨日はバロンに “巨人” とやらが攻め込んできたらしいが、バロンの街自体には被害がなかったせいか、街にも人々にもとてもそんな雰囲気は感じさせなかった。
「はあ・・・」
感嘆。
今まで辺境の村で暮していた彼にとって、バロンの街は都会そのものだった。
建ち並ぶ建物、行き交う人々の群れ―――その量に圧倒される。「ここがバロンか・・・」
お上りさんのように人の多さに呑まれていると、そんな彼へかける声があった。
「あれ? アンタ・・・?」
「?」自分にかけられたらしい声にコリオは振り返る。
すると、何処かで見たような気がする茶髪の青年が親しげに歩み寄ってくるところだった。その後ろには緑の髪の女性や、明らかにバロンの人間ではない装束を身に着けた青年の姿もある。「あん? 忘れちまったのか? 俺だよ、俺、俺」
などと自分を指さして言う青年にコリオは戦慄して顔を強張らせる。
「ま、まさかこれが噂のオレオレ詐欺というヤツか!? ひいいいっ、やっぱり都会は怖いところじゃあああっ!」
叫びつつ後ずさるコリオに、青年は「なんだそりゃ」と呆れたように呟いて、改めて口を開く。
「なんだよ、本気で忘れたのか? バッツだよ。バッツ=クラウザー。アガルトの村で会ったろ?」
「クラウザー・・・ああ! ドルガンさんの息子か!」青年―――バッツのことを思い出し、コリオはほっとしたように表情を緩ませる。
「やっと思い出したか」と苦笑するバッツに、彼の連れらしい女性が声をかける―――こちらも見覚えはあったが、名前までは思い出せなかった。「ねえ、知り合いなの?」
「おう―――って、リディアは会わなかったっけ? 地底でお前と再会した後、地底を出た後で村に泊まったじゃんか」
「こんなの居たっけ?」コリオを “こんなの” 扱いしつつ、リディアと呼ばれた女性は首を傾げる。
そう言えば、とコリオは思い出す。地底からバッツ達が帰還した時、彼らは仲間を失ったとかで酷く消沈していた。誰が居たかなんて気にする余裕など無かったのかも知れない。
「俺は絶対に初対面だよな? 結局、誰なんだよコイツ?」
「なんで俺がてめえなんかに紹介してやんなきゃいけないんだよ」もう一人の連れの問いに、バッツは明らかに不機嫌そうになった。
「良いじゃないかよお義兄様」
「てめえに義兄と呼ばれる義理はねえ! ていうか、俺とリディアのデートを邪魔しやがって! とっととエブラーナに帰れよ!」
「・・・デートじゃないっつーの。城に居てもやること無いから街に出てきただけでしょ」などと三人が喚き合うのを見て―――コリオははっとなって、バロンに来た理由を思い出す。
「すまんが、ちょっと城まで案内してくれんか? この国の王に火急の用件があるのじゃ」
「おういいぜ―――って、火急の用件たあ穏やかじゃねえな。なにかあったのか?」そう言えば遠く離れたアガルトの村に居るはずのコリオがこんなところに居るのも不思議だった。
まさかまた巨人みたいなのが出現したのか―――などと思っていると、コリオは「いや」と首を横に振る。「火急の、というのは少し言い過ぎかもしれん―――ただ、このままでは何か良くないことが起こる・・・そんな気がするんじゃ」
「結局何の話よ?」リディアが口を挟めば、コリオは頷き一つ返して空を見上げる。
赤みがかった夕空には、かすかに二つの月が浮かび上がっていた。それを見上げたまま、天文学者は告げる。「二つの月が・・・徐々に近づいておる―――」