第28章「バブイルの巨人」
B.「 “大好き” 」
main character:リディア
location:魔導船・通路

 

 ―――煌々と明かりが灯る無機質な通路。
 リディアは一人、ぼんやりと歩いていた。

 太陽の光の届かない魔導船の内部だ。今が昼間なのか夜なのか、判別はつかない―――が、身体は休眠を求めているのは自覚していた。仮初めの世界でとはいえ、 “最強” という概念を具現化させた代償は、人の身で購えるものではない。エリクサーのお陰で一命を取り留めたとはいえ、心身共に本調子とはいえない。

 しかしリディアは眠る気にはなれなかった。
 生半可に疲れているせいか、逆に目が冴えている。我慢してベッドに横になって、ぎゅっと目を閉じていればいつの間にか眠りにつけるだろうが、何となくそんな気分にはなれなかった。

「―――眠れないのかい?」

 不意に、背後から声をかけられる。
 驚きながら振り返れば、そこに何時の間に目を覚ましたのか、セシルの姿があった。

「随分とお早いお目覚めじゃない」
「ベッドに目覚まし機能がついていたからね。早めにセットしておいたんだ。流石に寝過ごしたりしたらシャレにならない」

 低血圧で朝が苦手な国王様は、いつものように苦笑しながら欠伸を噛み殺す。

「でも、短くてもよく眠れた。最初はちょっと狭苦しそうで戸惑ったけど、実際眠ってみると随分快適だったよ」

 魔導船に設置されているカプセルベッドの感想をにこやかに語るセシルに対し、リディアは少し眉をひそめる。先程のマッシュの言葉を思い返しながら。

「・・・良く、こんな時にぐっすり眠れるわね」
「え?」
「今がどんな状況か解ってるの? 地上に戻ったら、全部破壊されているかもしれないんだよ?」

 かつての大戦で使われた兵器―――バブイルの塔や、この魔導船と同じテクノロジーを使われた兵器だ。現在のフォールスの技術力では太刀打ち出来ないことは想像に難くない。

「それがどうして脳天気にベッドの感想なんか言ってられんだか!」

 口にしながらリディアは段々と苛立っていくのを自覚した。セシルの心の内が解らない。虚勢を張って平然を装っている―――というわけではないと言うことだけは確信出来る。だからこそ解らない。
 自分達の故郷が窮地に陥っているというのに。下手をすれば帰るところが亡くなっているかも知れないというのに。自分はこんなにも―――

「不安かい?」
「・・・っ!」

 不意にセシルがこちらの内心を覗き込んだように言う。
 言われて、気がついた。
 虚勢を張って、平然を装い―――けれど、心の中では不安を押し隠している。それは。

(・・・あたしだ)

 フォールスが巨人によって壊滅させられるかも知れない。そのことを不安に思わないはずはなかった。
 不安を感じていても、今は何も出来ない。魔導船が地上に戻るまで、自分たちにはどうすることもできない。それは解ってる―――解っているからこそ、不安が膨れあがる。自分の手の届かない所で、自分の大事なモノが砕かれてしまうのではないかと。

 だから眠れずに、寝ようとする気にもなれずにこんなところに居る。

 なのに。

「そうよ」

 きっぱり、とリディアは言った。セシルを鋭く睨付けながら。

「不安に決まってるじゃない―――なのにっ、なのになんでセシルは平気なの!?」
「平気ってわけじゃないけど。ここで不安がっていても仕方ないだろう?」
「うっさい! そういうことを聞いてるんじゃないっ!」

 喚くリディアに、セシルは困ったように苦笑する。

「不安になるのも解るけど・・・」
「嘘つき! 不安を感じない人が、どうして私の気持ちを解るって言うの!?」
「ああ、そう言われてみればそうかもしれない」

 激昂するリディアとは対照的に、セシルはあくまでも穏やかだ。そんなセシルにさらに苛つきながら、リディアがさらに何かを怒鳴ろうとする―――のを、セシルは押しとどめようとするかのよう、掌を前に出した。

「なによ!?」
「僕が平気である理由は簡単だよ」
「・・・・・・」

 まるで今にも噛み付かんばかりに口を尖らせていたリディアは、その言葉で憮然としながらも口を閉じた。
 前に出した手を下げて、セシルは続ける。

「知っているからさ」
「なにを?」
「地上には、僕が居なくても何とかしてくれる、頼もしい部下が居るからね」
「それって・・・あのベイガンって人のこと?」
「彼も頼れる側近ではあるけどね」

 「だが違う」と言葉を繋げて、セシルはその名を出した。

「ロイド―――僕の頼もしい副官殿ならば、最悪でも僕が戻るまで保たせてくれるだろうさ」

 リディアはローザの言った言葉を思い出した。

「信じてる、ってこと?」
「いいや?」

 セシルはどこか愉快げに笑いながら肩を竦めた。

「言っただろう ”知っている” って。僕はロイド=フォレスという男を知っている。彼ならば最善を尽くしてくれることを解っている―――ただそれだけだよ」

(・・・それが “信じてる” ってことじゃないのかな)

 思ったが、リディアはそれを口には出さなかった。
 代わりに。

「・・・あたしは?」
「え?」
「あたしの事は “知らなかった” よね?」
「知らなかった・・・って、知ってるよ。だからバハムートと戦った時も、君の言葉を信じて―――」
「違う」

 リディアはセシルの言葉を遮り、首を横に振った。
 意味が通じなかったらしく、セシルはきょとんとしたままだ。
 構わずに続ける。

「あたしにとってはもう、10年以上前の事になる―――砂漠の、カイポの村での話」

 カイナッツォの召喚した魔物の群れに村ごと襲われた時、セシル達は絶体絶命の危機に陥った。もはや村を捨て、逃げ出すしかないという時に、リディアが「なんとかする」と叫んだのだ。どうする気だと問いただしても、リディアは上手く説明出来ず―――けれど、セシルは逡巡しながらも、最終的にはリディアに賭けた。

「あの時、どうしてあたしのことを “信じて” くれたの?」

 幼い頃は無我夢中で気がつかなかったが、今になって思い返せば、あまりにも無謀すぎる。あの時の自分は確実に「なんとかできる」という自信があったわけではない。ただ、なんとかしなければならないと思っただけだ。結果的にも、リディア一人の力ではどうしようもできなかった。

「・・・それは―――」

 リディアの問いに、セシルはちょっとだけ照れたようにはにかむ。

「知っていた、からだよ」
「何を?」
「あの時の君と同じように、ただがむしゃらで、想いの強さだけならば誰にも負けない―――そんな子を、知っていたから」
「それは」

 セシルが誰のことを言っているのか、何故か解った。
 ちくりとした痛みを胸に感じながら、リディアはその名を舌に乗せる。

「・・・ローザの事?」
「あたり。良く解ったね」

 セシルは微笑んで―――その笑みはとても嬉しそうで幸せそうで、リディアには眩しく見えた―――懐かしむように呟く。

「彼女は自分が何が出来て、何が出来ないのか―――そんな事を考えもせずに、ただ望み、そのために願い、思い続けて来た」

 その結果の一つが白魔法でもある。

「僕は、あの時はもう駄目だと思った。村を捨てて逃げるしかないと判断した―――けれど、君は諦めていなかった。ローザと同じ、強い意志を瞳に秘めて。それをみて、賭けて見る気になったんだ」
「・・・・・・やっぱり、ローザなんだ」

 セシルの言葉を聞いて、リディアはぼそりと呟く。
 リディアの呟きが上手く聞き取れなかったのか「え?」と不思議そうなセシルの顔を見て思う。

(セシルの中にはローザが居る。そこにはきっと、誰も割り込めない。ティナも・・・・・・・・・あたしも)

「あたしね、セシルに言わなきゃいけないことがあったの」
「言うって、なにを?」

 リディアは自分がずっと抱いていた想いを、ようやく素直に認めることができた。
 それは絶対に敵わぬ想い―――それを確信できたからこそだった。

「ミストの村で、セシルはあたしを助けてくれたよね? あたしはあまり覚えてないけど、ボムボムやブリットが教えてくれた。セシルがどれだけ必死にあたしやティナを守ろうとしてくれたのかって事を」

 きっかけは多分、そのことだったのだろう。幼い頃はブリット達から話を聞いてもあまりピンと来なかった。けれど成長するにつれて、セシルが身の危険も省みず、自分たちを助けてくれたことが解るようになった。

「海を渡ろうとしてリヴァイアサンに襲われた時も、あたしを助けようとしてくれたんだよね?」
「・・・結局、助けられなかったけれどね」

 セシルは苦笑する。しかしリディアは「ううん」と首を横に振った。

「お兄ちゃんと同じように、セシルはずっとあたしを助けて、守ってくれていた―――バハムートと戦った時だって・・・」

 仮初めの世界の話だ。
 どうせ死んでもそれは本当の死にはならない―――ならば、犠牲が出ることを考えなければ、もうちょっと戦いやすかったかもしれない。けれどセシルは仮初めの世界であっても誰も犠牲にしないように戦い、そして―――

「ちょっと自惚れてもいいかな」

 リディアは小さく冗談めかして笑う。

「あの時、誰も殺されないように戦ったのは、あたしのため、だよね?」
「・・・さてね」

 セシルは苦笑したまま誤魔化すようにして視線を反らした。
 けれどリディアは確信していた。仮初めの世界でありながら、セシルが犠牲を出すことを良しとしなかったのは、リディアの慟哭を―――バッツが “死んだ” 時の哀しみを知っていたからだ。

 そんなセシルの想いに対して、リディアは今までになにも返していなかった。
 だから。

「だからね、セシル―――」

 リディアはそっとセシルに近づくと、彼の肩に手をかけて爪先で立って背を伸ばす。
 顔が近い。
 自分の頬が赤くなるのを自覚しながら、囁くように告げる。

「あたしのこと、助けてくれてありがとう。それから―――」

 そっとセシルの身体を自分の方へと引き寄せて―――そのまま、セシルの頬へとかすめるように浅く口付ける。

「―――ずっと、ずっと、大好きでした・・・っ」

 顔を、いや全身を赤く火照らせながら、必死の想いでそれだけ告げる。
 それからすぐにセシルから離れようと身を引―――

「リディア!」
「えっ!?」

 身を引こうとしたところを、いきなりセシルに抱きすくめられた。
 突然の事に軽く混乱するリディアの耳元に、セシルが甘く囁く。

「ありがとう・・・嬉しいよ」
「えっ・・・えっ・・・!?」

 思っても見なかった反応にリディアの思考はショート寸前だった。
 何も考えることもできず、ただただセシルに抱きしめられている。そんなリディアに追い打ちをかけるように、セシルがさらに囁いた。

「僕も、君のことが大好きだよ」
「――――――」

 混乱しすぎて、一瞬気が遠くなった。
 もしかしたらこれは夢なんじゃないかと思いつつも、あえぐように口を開きながら声を絞り出す。

「ちょっ・・・待ってよ・・・! ローザはどうするの・・・?」

 なんとかそれだけを言う―――が、返ってきた返答はさらに予想外のものだった。

「ローザは関係ないだろう?」
「・・・・・・っ!?」

 意味が解らなかった。
 セシルの心の中にはローザしか居ないと思っていたのに、当の本人がそれを否定した。それも、明らかに照れ隠しとかそう言ったものではない。

(ワケがわかんない・・・でも・・・っ)

 セシルに抱きしめられながら、それを幸福と感じる一方で、なにか胸の奥でざわめく。

(こんなの、なんか、やだ・・・っ)

 セシルの事を好きだというのは紛れもない本心だ。彼に愛されたならどれだけ幸せなのだろうかと思う。
 けれどその一方で、ローザの事を捨てて自分を選ぶセシルなんて見たくなかったと自覚する。

 頭の中がごちゃごちゃして、苦い悔しさのようなものを感じて目の端に涙が溜まる。

 そんなリディアの涙には気づいた様子もなく、セシルはさらに甘い声で囁いてきた。

「ずっと・・・最初に会った時から思っていたんだ」

(やめて・・・!)

「バッツが聞いたら怒ると思うけど。でも、僕はずっと君のことを―――」

(それ以上、何も言わないで・・・・・・っ!)

 泣きながら心の中で絶叫するリディア。
 しかし、そんな彼女の心境などお構いなしに、セシルは―――

「―――妹みたいだなって、ずっと思ってた」

 刹那。
 リディアは二人の身体の間に無理矢理拳をねじ込むと、下から上へと勢いよく振り上げた。
 それは垂直にセシルの顎を下からかち上げる綺麗なアッパーカットとなって、拳が天井に向けて突き上げられる。

「ぐべえっ!?」

 全く予想外だったのだろう。アッパーをまともに受けて、セシルは無様に仰向けになって倒れ込む。

「結局そういうオチかああああああああああああああっ!」
「あ・・・ぐ・・・・・・? お・・・オチって、なんの―――」
「うっさい馬鹿! 死んじゃえ!」

 げしっ、とリディアはセシルの顔面を全力で踏みつける。
 それで完全にノックアウトしてしまったらしい。セシルは白目を剥いたまま、それ以上は何も言わなかった。

「大ッ嫌い!」

 のびたセシルに全力で吐き捨てると、リディアは寝室の方へと戻っていった―――

 

 

******

 

 

 カプセルベッドが並ぶ寝室に戻り、自分にあてがわれたベッドへと潜り込む。
 不安は当の昔に吹き飛んでいた。その代わりに今度は、セシルに対する怒りというか苛立ちのせいで興奮して眠れそうになかったが。

 ベッドに潜り込む前、隣のベッドで眠るローザの姿が目に入った。
 カプセルの中で、彼女は穏やかに眠っている。

(・・・・・・ただ望み、願い、想い続けた―――か)

 セシルとローザは幼馴染らしい。
 けれど聞いた話では、二人が恋人となったのはつい最近の話だという。
 なんとなく二人はずっと昔から恋人同士のような気がしていたので、そうではない二人の関係がイマイチ想像出来なかったが、今になって妙に納得する。

(ローザは苦労したんだろうなー)

 おそらくずっとセシルの事を好きだ好きだ愛してると言い続けてきたに違いない。鈍感なセシルはそれをずーっとスルーしてきたに違いないとリディアは思った(そしてそれは概ね間違いではない)。

(あたしは、どうなんだろう・・・?)

 まだなにもしていない。
 ようやく自分の想いを自覚しただけだ。そしてその結果、伝えた想いはものの見事にスルーされた。

「うん」

 頷く。
 一つの決意を胸に秘めて。
 リディアはセシルが自分を愛することを望まない。勘違いだったが、ローザを捨てて自分を選ばれるのはイヤだとはっきり解った。
 だけど、その代わりに。

「せめてあの馬鹿に思い知らせよう」

 自分がセシルの事を好きなんだということを。
 それは兄妹や友人などの親愛ではなく、ローザと同じ情愛であるということを解らせてやろうと決意した。

「うん」

 もう一つ頷いて、リディアはベッドに身をゆだねる。
 その数秒後、リディアはあっさりと眠りに落ちて、穏やかな寝息を立て始めた―――

 


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