第26章「竜の口より生まれしもの」
N.「記憶」
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character:ヤン=ファン=ライデン
location:ファブール城
セシルが玉座に座って項垂れている頃―――
「ここが、ファブールか・・・」
ヤンは飛空艇に乗ってファブール―――忘れてしまった己の故国へとやってきていた。
あと数分と立たずに辿り着くという距離だ。
ヤンは、空を進む飛空艇の舳先から、前方に見える無骨な造りの城を見つめていた。堅牢な城壁に囲まれた巨大な城。
その大きさは、バロン城とは比較にならないほど巨大である。
それもそのはずで、ファブールは城の中に街があり、人々が生活している。夜を外で過ごせば、そのまま凍り付いてしまうような自然環境。
さらには魔物も多く、ファブールの民は巨大で頑強な城を造り、その中で生活することで外の危険を防いでいた。―――ただ、他に村や街が無いわけではない。
海辺に行けば小さいながらも港町があり、森の近くには幾つかの集落もある。
流石に城の中だけでは生産力がまかなえないため、そう言った場所を中継点として、食料などを城へと流通させている。
もちろん、港町や各集落には護衛のモンク僧兵が常駐し、最低限自分の身を守れる者だけしか城の外には出していない。ただ、最近になってバロン主導で大々的に魔物を掃討したため、魔物の数は激減し、危険は少なくなっている。
「ねえ、ヤン。なにか思い出せそう?」
当然のようについてきたエアリィがヤンの耳元で尋ねてくる。
ヤンはしばらく城を見つめ―――だが、残念そうに頭を振った。「思い出せぬ。知っているような気もするが・・・頭の中にもやがかかっているかのようで・・・」
「そっかあ・・・」ヤンと同じように、エアリィも残念そうに肩を落とした。
「ここが、ファブール?」
と、肩を落とす二人の隣で、先程のヤンと同じような言葉を疑問系で誰かが呟いた。
振り向いてみれば、そこには一人の女性が、ヤンと同じようにファブール城を見下ろしている。「アスラ殿」
と、ヤンは彼女の名を呼ぶ。
リディアの連れの一人であるアスラは、ヤンに同行してファブールに来ていた。
というのも、彼女がそれを望んだからだ。「アスラ殿は、以前にこの国に居たという話ですが・・・」
懐かしいですか? と、ヤンが尋ねれば、しかしアスラは苦笑する。
「貴方と同じです。あまりにも記憶がおぼろげで、知らない場所に来たのと同じ・・・私がいた頃は、あんな城は “まだ” ありませんでしたし」
そう言って、アスラは「ただ」と言葉を繋げ、別の方を向いた。
ヤンも釣られてそちらを見れば、遥か遠方に巨大な山が見える。「ホブス山―――あれだけははっきりと覚えています・・・そう、 “懐かしい” と思えるほどに」
目を細め、飛空艇の進行方向から左に見える山を見つめる。
と、飛空艇の速度が次第にゆるまっていき―――やがて止まった。「着陸します!」
飛空艇の操舵手が声を上げる。
それと同時、飛空艇はゆっくりと地上に向かって降下していった―――
******
『おかえりなさいませ! ヤン僧兵長!』
飛空艇から降りると、ヤン達を出迎えるモンク僧兵達の姿があった。
眼前に並ぶモンク僧達に、ヤンは気まずげな表情を見せる。
モンク僧達が自分の帰参を喜んでいるのははっきりと解る―――が、それらの姿を見てもヤンは何も思い出せない。そのことを心苦しく思っていると、モンク僧達の中から一人の男が現れ進み出た。その男だけ、モンク僧の格好をして居らず、立派な防寒用のローブに身を包んでいる。
彼は、ヤンの表情を察して、残念そうに肩を落とす。「その様子では、我々のことも思い出せないようじゃな」
ヤンが生きていた―――が、記憶喪失だということは一足先に “デビルロード” を使ってファブールに伝えられていた。
ちなみにヤンたちがわざわざ飛空艇を使ったのは、バロン―ミシディア間以外のデビルロードはまだ設置したばかりで、実用試験を満足に行われていない。それを記憶喪失のヤンに使わせるのは不安だと言うことで、ベイガンは飛空艇で送り届けるようにロイドに依頼したのだ。「貴方は・・・?」
「このファブールの王を務めているラモン―――王と言っても正式な王ではないがな」本来ならばヤンに向けて改めていうことでもない事を告げ、ラモンは城の方へヤンを促す。
「とりあえず中に入りなさい。ホーリンも―――お前の妻も待っている・・・」
「妻!?」その単語に反応したのは、もちろんエアリィだった。
彼女は風のようにラモンの目の前に詰め寄ると、その眼前でまくし立てる。「やっぱりホントにヤンって結婚してるの!? 奥さん居るの!? ねえこれって浮気!? 不倫!? 痴情のもつれー!?」
「な、なんだこれは!?」いきなり眼前に飛び込んできたシルフの姿に、ラモンは目を白黒させる。
対し、エアリィは小さな身体で精一杯に胸を張る。「ヤンの恋人のエアリィよ!」
いきなりの宣言にラモンは唖然としてエアリィを見つめ―――ややあって、ヤンの方へと視線を向ける。
「こ、恋人・・・?」
「あ、ああ、うむ、一応・・・」ラモンの問いに、ヤンはなんとなく気まずい思いを感じて、視線を反らしながら頷く。
唖然とするラモンの後ろでは、モンク僧達がひそひそと囁きを交し出す。「あのヤン僧長が不倫・・・!?」
「いやいや問題点はそこじゃない。見ろよあの娘」
「小さいよな・・・」
「人間じゃあないんだろうけど・・・まさかヤン僧長、実はそんな趣味が・・・?」などと。
モンク僧達の中でロリ疑惑が立ち上がっていく中、ようやく我に返ったラモンが難しい顔をして唸る。「むううう・・・あの恐妻家のヤンが、ホーリンの他に恋人を作るとは・・・」
「いや、そもそも私は妻が居たことも忘れているので!」
「・・・ああ、そうか。記憶喪失だったな。それならば仕方ない―――」
「でも “記憶喪失” って便利な言い訳ですよね?」ラモンが納得しかけたところに、アスラが余計な一言を付け加える。
「アスラ殿!? なにを言う!?」
「あら、一般論ですけれど?」
「どこの一般論ですか! ―――ハッ!?」アスラに向かって怒鳴っていたヤンは、ぎくりとして振り返る。
見れば、ラモンやモンク僧兵達が疑惑の視線でヤンを見つめていた。「まさかヤン、お前・・・」
「ち、違ッ、私は本当に記憶喪失で―――」ヤンが必死に否定するが、それを見たモンク僧たちはさらに疑惑を強める。
「ムキになって慌てるところがなお怪しい」
「まあ、ヤン僧長も人の子だったという事か」
「大丈夫ですよ、ヤン僧長! 私達は・・・味方ですから!」ぐっ、と親指を立てるモンク僧兵達。
「だから違う! ていうか一つ聞くが、私はそんな風に自分の過ちを嘘で誤魔化すような男だったのか!?」
それは一種の賭けだった。
記憶を失う前の自分がどんな人物だったかは知らないが、伝え聞くところによれば真面目な人間だったように思う―――し、今の自分もそれなりに真面目な性格だという自覚はある。
ならば、嘘などあまりつかない誠実な人間―――だったらいいなと願いつつ、叫んでみれば。「確かに、ヤン僧長は嘘を吐くような人ではありませんね」
モンク僧兵の一人が言う。
それを聞いて、ヤンはほっと胸を撫で下ろす―――のもつかの間。「でも奥さんが絡むと、普通に嘘ついて誤魔化そうとしますよね? 前も結婚記念日忘れて、奥さんとの約束すっぽかしたとき、緊急で重要な用事が出来て仕方なかったんだと口裏合わせてくれって頼まれたし」
「あ、それ私も。しかもそのあと結局ばれて、半殺しの目にあったって」
「それが今度は奥さんの知らないところで愛人か・・・それは、ヤン僧長だって記憶喪失になりたくなるよなあ」あっさりと翻っていく意見。
ていうか私の奥さんどれだけ怖い人なんだとヤンは戦々恐々。
今すぐ回れ右して逃げ出したい気分だったが、どういうわけか足は逃げようとはしてくれなかった。ここで逃げ出せば、あとでさらに酷い目に会うと失われた記憶―――というか本能が理解しているためかもしれない。逃げることも出来ず、脂汗をダラダラ流し始めたヤンに、モンク僧兵の一人が元気づけるように声をかける。
「大丈夫ですよ、僧長! 俺達も気持ちは解りますから! ―――まあ多分、奥さんにはそんな嘘は通じないと思いますが」
励ましているのか、絶望の淵へ突き落とそうとしているのか判別のつかない物言いに、ヤンはもはや「嘘じゃない」という気力もなかった―――
******
結論から言うと、通じませんでした。
「こンの宿六がッ!」
黒金のフライパンが唸りを上げ、ヤンの脳天に振り下ろされる。
避けられない一撃ではない―――が、何故かヤンの身体が硬直し、その容赦のない一撃を甘んじて受ける。「ぬぐおっ!?」
ごかーん☆ と、とても小気味よい音がファブール城の調理場に鳴り響いた。
フライパンの一撃―――しかも平たい底ではなく角だ―――をまともに受けて、ヤンはその場に倒れ伏す。「ヤ、ヤンーーーーー!?」
慌ててエアリィが倒れたヤンに飛びつく。
「う、ううう・・・」
ぎりぎり気絶はしなかったらしく、ヤンは倒れたまま呻き声を上げる。
「大丈夫?」とエアリィが声をかけるが、それに応える余力もないようだった。そんなヤンを見下ろし、ホーリンはフライパンを握りしめたまま怒りの声で言い放つ。
「全く! 今までずっと心配させておいて、その言い訳が “記憶喪失” かい! ナメてんじゃないよッ!」
まさにド迫力。
周囲の人間が声も出さない中、ただ一人エアリィがホーリンをにらみ返す。「ヤンをいじめないでよ!」
「・・・なんだい、アンタ?」
「ヤンの恋人のエアリィ様よ! も、文句あるかー!」啖呵を切る―――が、やっぱりちょっと怖いのか、その声は震えていた。
そんなエアリィに対して、ホーリンは「ほー」と無感動に呟き。「私というものがありながら・・・ “恋人” ねぇ・・・・・・?」
「ち、ちちちちちちち、違うんだホーリン!」がばっ、とヤンは起きあがると、膝をついた状態で自分の妻を見上げる。
「エアリィとは記憶喪失の時に世話になって・・・決してお前のことを忘れてたわけじゃ―――じゃない、お前のことを忘れてたから恋人になっただけで!」
「まだ記憶喪失とか言ってんのかい! そんな与太話、あたしが信じると思ってんの!?」こちらを見下ろしてくる冷たい視線を前に、ヤンは反射的に「すいませんでしたごめんなさい許してください」と平身低頭で謝りそうになるのをなんとか堪え、妻の顔を見返して口を開く。
「本当に記憶喪失なんだ! 嘘じゃない! というか普通はこんな嘘つかないだろう!? ・・・そりゃあ、お前に対して今まで何度か、その、ほんの些細な嘘というか誤魔化した時があったことは認める。この間の結婚記念日の事は本気ですまなかったと思っている! だがな、今度ばかりは本当なんだ! なんだよくわからない黒い穴に吸い込まれ、よく解らない空間に出て死ぬような目にあってそのショックで記憶喪失になってしまったんだ!」
必死で―――下手すれば、本当に死に直結する―――ヤンはまくし立てる。
最後にじっ、と力強くホーリンを見つめて。「私の目を見ろ! これが嘘を吐いている目だと思うのなら、そのフライパンで容赦なく殴るがいい!」
ヤンが言うと、ホーリンはにっこりと―――まるで天女の如く優しく微笑んだ。
今まで思い返しても、こんな笑顔は見たことはない―――そう思ったヤンの背筋が、妙に寒くなる。「一つ聞いて良い?」
「あ、ああ・・・」
「アンタがすっぽかした結婚記念日、いつだったっけ?」ホーリンの問いに、思わず身構えていたヤンは緊張を解く。
「はは、そんな大事なことを何度も忘れるわけないだろう」
そう言って、結婚記念日を告げる。
するとどうやら正解だったようで、ホーリンは「うん」と満足そうに頷いた。「どうやらちゃんと覚えてるみたいだね―――で? 誰が記憶喪失だって?」
「私・・・・・・かな?」微笑みを浮かべたままのホーリンを前にして、ヤンの全身から嫌な汗が勢いよく噴き出していた。
エアリィがヤンを振り返る。「もしかして、記憶が戻ったの?」
「ど、どうやらそうらしいな―――まて、ホーリン! 待ってくれ!」笑顔のままフライパンを振り上げるホーリンに、ヤンはまたも必死で叫ぶ。
「さっきまでは記憶喪失だったんだ! 本当だ! 信じてくれ! きっと、さっきのフライパンの一撃で記憶が蘇って―――!」
「そんな都合の良い記憶喪失があるかあああああああああああああああああっ!」勢いよくフライパンは振り下ろされ―――直後、落雷にも似た衝撃音が、ファブールの城内に響き渡った―――