第26章「竜の口より生まれしもの」
E.「悔恨」
main character:リディア
location:バロン城・客室
「・・・今は誰も、死んではいない、よ。それは、ホント」
しばらく泣き続けて。
ようやくリディアはローザから身体を離して呟いた。前を見れば、ローザの着ているドレスがぐっしょりと濡れている。もちろんリディアの涙のせいだ。
「あ・・・ごめん、なさい」
反射的に謝るリディアの視線に気がついて、ローザは微笑んでただリディアの頭を撫でる。
「誰も死んでいない―――けれど、誰かが死んでしまいそうなことはあった?」
ローザが問うと、リディアはこくりと頷く。
それから、ぽつりぽつりと説明を始める。ロックが殺された事、幻界からアスラを連れてきて、けれどそれでもロックが生き返らず、そのためにバッツが自ら命を断った事。
それを黙って聞き終えて、ローザは「辛かったわね」とまたリディアの頭を優しく撫でる。
普段だったら「子供扱いしないで!」とはね除けるところだが、リディアはそれを甘んじて受けた。代わりに。
「・・・ごめんね」
謝る。
何が? と問い返すローザに、リディアはバツが悪そうな顔をして。「本当は、ローザだって辛いのに。ここに来たのだって、それで・・・」
今は少しマシになったが、部屋を訪れた時のローザの顔色は死人と見まごうほどだった。
きっとローザは、セシルの事を相談したくて来てくれたはずなのに。「これじゃ、立場が逆じゃない」
「そうね」と、ローザは弱々しくも微笑んで。
「けれど、ありがとう」
「えっ・・・?」きょとんとするリディアに、ローザは微笑んだまま。
「きっとね、セシルは貴女と同じように “悔しさ” を感じたのよ」
「あたしと、同じ・・・?」エニシェルが連れ去られたのはロックが殺された後だ。だからセシルはロックが一度死んだ事を知っている。
それを知りながら、しかしセシルにはどうしようも出来ず、何も出来なかった―――だからそれを悔しさとして、今、休む事もせずに、止まらずに動き続けている。それはティナが連れ去られた時に何も出来ず、だから力を求めたリディアと変わらぬ想いだ。
「私はセシルの気持ちが解ってる。だから邪魔したくないと思っていた―――いいえ、邪魔したくないと思っているって、思い込もうとしていた」
かつての自分を思い返す。
セシルの事が好きで、セシルに厭われても傍に居ることが出来れば満足だと―――そう、思い込もうとしていたかつての自分。
それが “嘘” だったと悟り、愛するだけではなく愛されることを望んだはずなのに。「また、私は “嘘つき” になるところだったわ」
「よく解らないけど・・・」一ヶ月前の事をリディアは知らない。だからローザが “嘘つき” だった事など、もちろん知るはずもない。
けれど彼女は、まだ涙に濡れた顔を笑みに変えて、ローザに尋ねる。「それで―――どうするつもり?」
リディアが部屋を飛び出そうとした時に、ローザが問いかけた言葉だ。
それに気づいて、ローザも笑って答える。「当然、無茶しているセシルを―――無理矢理にでも止めてあげるの」
先程、リディアが答えた言葉。
「セシルも “悔しさ” で止まらないというのなら、それをただ黙って見守るのも “悔しい” ことだもの」
どちらも “大切な誰かが傷つき、苦しんでいるのを見ていることしかできない悔しさ” だ。
だから、とローザはリディアに手を差し出す。「でも私一人じゃセシルを止められない―――だから、手伝ってくれるかしら、リディア?」
言葉が終えると同時にリディアは差し出された手を取る。
「もちろんよ!」
******
「「セシルっ!」」
声を揃え、部屋の主の名を呼びながら、ローザとリディアは王の寝室へと踏み込んだ。
まだ民との謁見の時間ではなく、セシルは机に向かって忙しそうに書き物をしていた。二人が突然踏み込んできた事にも驚く様子はない。
座っていた椅子を後ろに下げると半身をローザ達に向ける。「二人とも揃って、どうかしたのかな?」
いつもどおりの微笑みを浮かべ、尋ねてくる。
それはリディアが良く知っているセシルに見えた。けれど。
(・・・なんだろ。見た目は確かに普段のセシルなんだけど・・・微妙に威圧感があるというか・・・)
とても些細な違和感―――だが、それをローザは敏感に感じ取っている。
いや、ローザだけではない。ベイガンの様な側近は勿論、城内に居る騎士達もどこかよそよそしく、不穏な空気が漂っている。そんな風にリディアが考えていると、ローザが一歩前に出た。
「あ、あのね、セシル」
「なにかな?」
「その・・・・・・」にこにこと微笑むセシルに対し、ローザは気後れしたように後ずさる。
「え、ええっと・・・が―――がんばってね?」
「ちょっと!」無理矢理でも止める―――そう言った言葉はなんだったのかと、リディアがローザを睨めば、彼女は “ごめんなさい、やっぱり無理” とでも言いたげに、泣きそうな顔をしていた。
「ありがとう、頑張るよ―――用件はそれだけかな?」
仕事に戻っても良いかい? というセシルに、今度はリディアが前に出る。
「セシル!」
「なんだい、リディア」
「この馬鹿ッ!」
「・・・いきなりご挨拶だな」苦笑する。
それはいつも通りのセシルの反応―――だが、そこに言いようのない違和感と苛立ち―――嫌悪感すら感じる。「なんで馬鹿って言われたか、解らないわけじゃないでしょうね!」
「解らないな」
「惚けないでよ! ローザが苦しんで、哀しんでるって解らないわけじゃないでしょ!」もしもこれで「解らない」と抜かしたら、手加減抜きで攻撃魔法をブチ込もうと思いながら叫ぶ。
対し、幸いにもセシルは「解ってるよ」と返答した―――ただし、笑みは崩さぬまま。「僕のためにローザが心を痛めてくれているのは解ってる。けれど、それでもローザは僕のことを解ってくれている―――そう信じているから・・・」
「だからローザが傷ついても構わないって言うの?」
「ああ」躊躇いのない頷きが帰ってくる。
自分の後ろでローザはどんな表情をしているだろうか―――傷ついても構わないと言われ哀しんでいるのだろうか、それとも信じていると言われて喜んでいるのだろうか。そんな事を考えながら、リディアはにっこりと笑ってもう一度名前を呼んだ。
「セシル」
「なんだい?」
「この馬鹿ッ!」
「・・・なんで繰り返されたのかな?」「二重馬鹿だからに決まってるでしょ」と、リディアは笑みを消して再びセシルを睨付ける。
「信じてるとかいないとか、そんなの関係ないでしょうが! ローザはあんたの恋人でしょ! それが苦しんでるのに、なんとも思わないってどういうことよ!」
「別に、なんとも思ってないわけじゃ―――」
「 “構わない” ってのは何も思わないのと一緒じゃない!」
「リディア、私は・・・もう、いいから・・・」吐き捨てるように言い捨てるリディアに、後ろからローザが制止するように腕を取ろうとする。
リディアはそんなローザの腕を振り払い、さらにセシルに向かって数歩前に出た。「エニシェルが連れ去られて、ロックが死んだりして、それなのに何も出来なくて・・・悔しいのは、解る―――けどね、辛いのが自分だけだなんて思わないでっ!」
―――その言葉は、どういうわけかリディア自身の胸に響いた。
「別に、自分だけが苦しいだなんて思ってないよ」
「思ってるのよ! そうやって自分だけが、がむしゃらやってりゃ気は晴れるでしょうけど、そのために周囲を無視して一人で突っ走って・・・・・・それがどれだけ心配して、気を使ってくれてるか考えなさいよッ!」(・・・ああ、そうか)
叫びながら、リディアは気がついていた。
(あたしも “同じ” だったんだ)
「無視してるわけでも、独り善がりってわけでもないよ。ただ、これは僕がやるべき事で、他の者に任せる事ではないってだけ」
リディアがどれだけ苛立ちをぶつけても、セシルは全く動じない。
変わらない苦笑を浮かべたまま、穏やかに答える。「それが自分勝手って言うの!」
(そう―――あたしもそうだった。ティナを助けるのはあたしがやらなきゃいけないことだからって、お兄ちゃん達を拒絶しようとして)
理解する。
今のセシルは、かつての自分自身と同じだと。けれど、ただ一つ。決定的に違うことがある。
(セシルは、強い)
ファブールで、バロンの大軍が攻めてきても、親友が敵に回っても、恋人が奪われても。
逃げることも立ち竦むこともせずに、立ち向かって前に進み続けた。リディアは結局、大好きなお兄ちゃんから手を差し出され、それを完全に振り払うことは出来なかった。
ティナを取り戻すために、その他全てを拒絶することは出来なかった。(きっとセシルは、あたしがどれだけ叫んでも、何を言ったとしても立ち止まらない)
今なら、ローザが幽霊みたいな状態だったのもよく解る。
幼馴染の彼女なら、リディアよりもずっと昔から、よく理解していたのだろう。
それこそ幾千幾万も言葉を重ね、セシルを制止しようとしたに違いない―――そして止めることが出来なかった。ローザが止められなかったのなら、リディアが止められれるわけもない。
「・・・話は終わりかな?」
リディアが黙ったのを見て、セシルが問いかける。
結局、セシルの表情を変えることすらできなかった。「なら、もう仕事に―――」
「バッツが死んだわ」セシルの動きが止まった。
息が止まり、微笑みを顔に張り付かせ、リディアを見返す。しばらくの間、時間が止まったように寝室内から動きや音が途絶えた。
「・・・笑えない冗談だね」
「あたしがそんな冗談を言うと思う?」そう、これは冗談ではない。紛れもない真実だ。
「―――嘘だね」
セシルの表情は変わらない―――が、セシルがこちらを向いてから初めて、顔を背けた。
解っているのだろう。リディアが “お兄ちゃん” のことでそんな嘘を言うはずはないと。それでもセシルはそれを “嘘” として反論する。
「ロックから報告は聞いてるよ。今、バッツはカインやセリスと共に地底にいるはずだ」
「そのロックを生き返らせるために自分で命を断ったの。何時までも戻ろうとしないロックの “生命” を直接連れ戻すために」淡々と呟きながら、リディアは自分が今どんな表情をしているのだろうと興味を持った。
さっき、ローザの前で泣いていて良かったと思う。そうでなければ、あの時のことなど口にすることも出来ず、泣き崩れてしまっただろうから。「バッツは死んだの。あたしの目の前で。自分の胸にナイフを突き立てて」
「いい加減にしろ」セシルは椅子を蹴り、立ち上がる。
その表情からは笑みが消え、感情というものが消え失せていた。「リディア、なんでそんな嘘を言うんだ!」
「嘘じゃない」
「じゃあ、なにか! ロックが偽ったとでも?」
「それも違う。ただ、ロックと一緒にバッツも生き返ったっていうだけで」
「・・・え?」リディアの言葉に、セシルはきょとんとする。
どうやら、ロックとバッツが一度死んで生き返ったということは聞かなかったらしい―――それは当たり前かも知れない。セシルに事の成り行きを報告したのはロックだ。自分が死んでまた生き返ったなどと、言いにくかったに違いない。「私がアスラ様―――白魔法が得意な幻獣を召喚して、その蘇生魔法で」
「・・・・・・な、なんだ」リディアの説明を聞いて、セシルは安堵の吐息をする。
また苦笑を浮かべ、リディアに笑いかける。「驚かさないでくれよ。冗談にも程が―――」
「冗談?」セシルの声を遮って、リディアは冷たい言葉を発する。
「冗談なんかじゃない。バッツは死んだのよ」
「けれど生き返って―――」
「生き返ろうが死んだままだろうが関係ない! バッツは―――お兄ちゃんは死んだの! あたしの目の前で!」
「・・・・・・」リディアの剣幕に、初めてセシルが気圧されたように押し黙る。
そんなセシルの服を掴み、その身にすがりつくようにして顔を見上げながらリディアは尋ねた。「アンタに解る? 大切な人が、あたしの目の前で自分で胸にナイフを刺したのよ? その時のあたしの気持ちが、セシルに解る!?」
あの時、バッツは死ぬつもりなどなかった。
後でアスラに生き返らせて貰うつもりだった―――し、それはその通りになった。けれども。
「後で生き返ったからって、それが何だって言うの!? あの時の光景、あの時受けたショックは一生忘れない!」
いつの間にか、リディアの瞳には涙が溜まっていた。
見上げた顔から耳のすぐ下を通って涙が流れ落ちる。「あたしはあの大馬鹿を一生許さない―――セシル! アンタもあの馬鹿と同じ。自分勝手に突き進んで、それであたし達が苦しむ事なんてまるで気にしようともしない!」
「リディア・・・」セシルはもはや笑みなど浮かべていなかった。
沈痛な表情を浮かべ―――胸元のリディアの肩を抱く。「・・・ごめん、それでも僕は―――」
―――止まることは出来ない。と、言おうとした時。
「 “―――譲れぬ王を、一時の眠りへと誘わん” 」
なにやらリディアがぶつぶつと呟いているのが聞こえた。
「へ?」とセシルが疑問を呟いた瞬間。「『スリプル』!」
リディアの魔法が完成し、セシルに抗い難き睡魔が訪れる。
「なっ・・・魔法・・・!? くっ・・・リディア・・・!?」
ふらつく身体を、リディアの身体を抱きしめるようにして支え、セシルは歯を食いしばって眠りの魔法を耐えようとする。
「・・・うわ、まだ耐えるの? しょうがないなあ・・・」
さっきまでの悲痛な様子は何処へやら。
リディアはもう一度口早に詠唱し、セシルに同じ魔法を重ねて仕掛ける。「―――『スリプル』!」
「ぐっ・・・!? リディア・・・はかっ・・・た・・・な・・・」などという言葉を最後に、セシルは完全に眠りに落ちた。
同時、セシルの体重がリディアの華奢な身体にのしかかる。「・・・って、重いっ! ローザ、手伝って!」
「え・・・? ええっ!?」それまで静観していたローザが困惑しながらもリディアと一緒にセシルを支える。
「・・・というか、リディア? さっきまでのは演技だったの?」
まだ少し困惑しているローザに、しかしリディアは涙で潤んだ瞳を彼女へ向けて。
「演技なんかじゃないよ。全部、あたしのホントの気持ち」
リディアはどんな理由であれ、目の前で自ら命を断ったバッツのことを絶対に許さない。
そしてきっと、バッツも許されることを望んでいない。だから彼はリディアに謝ろうとしなかった。「本気の言葉じゃなきゃ、セシルには通用しないでしょ」
「そうね・・・」結局リディアの言葉だけでは、揺らいだものの、それでも止まろうとはしなかった。
しかし多少なりとも動揺したからこそ、リディアの睡眠魔法が通じたのだ。でなければ、おそらくセシルには魔法すらも効果がなかっただろう。「さて、と。とりあえずベッドに運んじゃおうよ」
「ええ」頷いて、ローザはリディアと一緒にセシルの身体を支えたまま、ベッドの方へと移動する。
ややあって、ベッドのすぐ傍まで移動すると、リディアはセシルに抱きつかれたままの状態で、ベッドの上に倒れ込む。倒れ込んだ衝撃で目覚めやしないかとセシルの顔を見るが、寝こけたまま目覚めそうにない。
十日ちかく殆ど寝てない上に、睡眠魔法を二度も重ねてかけたのだ。付け加えると、セシルは寝起きが悪い。一度眠ったら、そうそう目を覚ますことは無いだろう。(大丈夫そう・・・っていうか、顔近っ)
互いの息が掛るほど近くにあるセシルの顔に顔が火照るのを意識して、リディアは慌てて離れようとする―――が。
「んっ・・・と、あ、あれ・・・? 身体、動かない・・・」
セシルがしっかりとリディアの身体を抱きしめている。
眠る時、よっぽど抵抗しようとしたためか、眠りに落ちてもその腕から力は失われていない―――どころか。「うー・・・・・・ん・・・ぅ・・・・・・」
「きゃあっ!?」寝惚けているのか、セシルはさらに強くリディアを抱き寄せた。
セシルの顔を見上げる事も出来ないようなゼロ距離。「ちょ、ちょっとセシル―――っていうか、ローザ! 助けて!」
叫ぶ。だが、ローザから返事はない。
どうしたのかと思って耳を澄ませば、なにやら衣擦れの音が聞こえる。「ローザ・・・? なにしてるの?」
セシルに抱きしめられているせいで、周囲が全く見えない。
なんとなく不吉な予感を感じつつ、リディアが問いかければ。「え? 寝間着に着替えているんだけど?」
「なんで!?」
「だって、さっきリディアに泣き疲れて湿っちゃってるし、寝るんだったら着替えないと」
「ね、寝るってどういうこと!?」ていうかローザの寝間着がセシルの寝室にあるって事は、つまりはローザもここで寝起きしていたりすると言うことでしかも部屋にベッドはこの一つしかないしこのベッド4、5人寝たっていいくらいに大きいしということはつまりセシルとローザはこのベッドの上で毎晩―――
などと、色々と妄想を連想して、リディアは顔だけではなく全身が火照っていく。
そんな妄想を振り払うようにリディアは叫んだ。「ちょ、ちょっと待ってローザ! セシルはあんたの恋人って言うか婚約者でしょ! それが別の女とこんな風に添い寝とかしてていいわけ!?」
「え、なにか問題かしら?」
「問題ばっかりに決まってるでしょおおおおおおおおっ!」絶叫する。
と、ローザは少しばかり強い口調で、「駄目よ、リディア。セシルが目を覚ましちゃう」
いっそのこと雷撃魔法の一つでも使って叩き起こしてやろうかと思ったが。
「・・・・・・」
静かなセシルの寝息が聞こえて、リディアはその気持ちを押しとどめる。
これで目覚めたりしたら元の木阿弥だ。(・・・とゆーか、寝息が髪の毛を撫でてくすぐったいうというか気持ちいいというか・・・!)
頭の中がぐっちゃんぐっちゃんになるほどオーバーヒートする。
目の前が熱くなって、息が苦しくなって、だんだんと意識が朦朧として―――「・・・あら?」
寝間着に着替えたローザが、リディアの様子を覗き込むと、顔を真っ赤にしたリディアが目を閉じていた。
「リディアったら、喚き疲れて眠ってしまったようね」
単にあまりの事態に脳のキャパが許容しきれずに落ちただけである。
だが、そんなことには気がつかず、ローザはリディアの頬を優しく撫でる。「ありがとう、リディア」
それからリディアを抱きかかえて眠るセシルの頬に軽くキスをして、ローザはセシルの背中側に回り込むと、寄り添うようにして目を閉じた―――
******
「―――ふむ」
ぱたん、とベイガンは王の寝室の扉をそっと静かに閉めた。
「どうなされたのですか・・・?」
不安そうなポロムの声が、ベイガンに問いかける。
―――いつもの民との謁見の時間になってもセシルが部屋から出てこないので、もしや過労で倒れているのではないかと心配になったベイガンが、ポロムを連れたって寝室へとやってきたのだ。
寝室の中の様子を覗き込み、すぐさま扉を閉めたベイガンに、何があったのか―――それとも無かったのか、心配そうにポロムがベイガンを見上げる。
彼女を安心させるように、彼は笑って。「いえ、どうやら陛下はお休みのご様子で」
「眠っているのですか? 最近、夜も寝ずに働いていると聞きましたが」
「ええ。どうやらようやく休む気になっていただけたようです」その声には安堵が込められていた。
「そうですか。それは良かったですわ」
ポロムもまた、嬉しそうに微笑む。
そんな彼女を見て、ベイガンはふと寝室の扉を振り返り。「お顔だけでも見ていきますか?」
尋ねる。
最近、セシルは忙しくてポロムと会っていない。
ポロムも陛下の邪魔をしてはならないと、無理に会おうとはしていなかった。
或る意味、ローザやベイガン以上に不安を感じている一人かも知れない。それを考えてベイガンは言ったのだが、ポロムは少し名残惜しそうに扉を見つめた後、首を横に振った。
「―――いえ。遠慮しておきますわ。万が一、起こしでもしたら申し訳ないですし」
「そうですか」
「お気遣い、ありがとうございます。それでは私はこれで」そう言って一礼すると、小さな白魔道士は小走りに走り去っていった。
その背中を「幼いのにしっかりしていますな」と見送り、ベイガンも謁見の間へと向けて歩いていく。(さて、まずは本日の謁見は全て中止であると伝えなければ―――)