その場は重苦しい雰囲気に包まれていた。
 まるで空気が重くなったような重圧を受け、バロン国の一部を治める領主は冷や汗を掻きながら、頭を下げたまま微動だにすることができなかった。

「顔を上げていいよ」

 頭の上から振ってくるその言葉に、呪縛が解かれた―――というよりも、むしろ操られているかのように弾かれたように顔を上げる。
 顔を上げれば、段上の王座に座った国王が見下ろしてきていた。

 セシル=ハーヴィ。

 知る人ぞ知る、かつては飛空艇団 “赤い翼” の初代軍団長である。
 若くしてバロン最強と謳われたカイン=ハイウィンドの戦友にして、並び立つ英雄。
 騎士達の中ではそれなりに人望もあるようだが、その実、貴族や一般の人間からの評価は低い。特に貴族達は反感すら抱いている。

 一つは親友であるカインの方が何かと派手で、セシルはその影となることが多かったこと。
 そしてもう一つ―――こちらの方が理由としては大きいのだが、セシルが捨て子だったからだ。

 近年までバロンは完全な階級社会であった。
 庶民に生まれた者は一生庶民のまま、庶民が成り上がって貴族となる事はあり得なかった(勿論、例外はあるにはあったが)。

 それが崩されたのは、エブラーナの侵攻でバロンが壊滅的な打撃を受け、オーディンが王となってからだ。

 消耗した騎士団を補強するために、一般兵の軍団であった陸兵団から能力の高い者を騎士として成り立て、さらには素質のあるものを集めて “暗黒騎士団” を作り上げた。
 さらには貴族の権威が地に墜ち、騎士達が離反したために、騎士と貴族が対等の立場となってしまった(形の上では貴族の方が身分は上)。

 そのため、今までは殆どなかった騎士と貴族の婚姻が度々起こるようになり―――それまでは同じ身分の者同士が結婚するのが普通だった―――庶民と生まれたとしても、騎士と成り上がれば貴族と縁を結ぶこともできるようになったのだ。

 そして、或る意味その階級社会にトドメを刺したのがセシルだったりする。
 親の顔すら知らないセシルが王となったことで、家柄のない一般庶民でも一国の王となれる前例を作ってしまったのだ。

 ―――話はズレたが、ともあれ今まで階級社会の恩恵を受けていた貴族達は、オーディン、セシルと続いた二人のバロン王に対して快く思っていない者が多い。
 どちらも出生があやふやで―――オーディンが王族だという事ははっきりしているが―――さらに貴族達が失墜する原因(それは半ば貴族達の言いがかりだが)でもあるからだ。

 その反感が爆発した結果が、つい先日に起こった “カルバッハ公爵の反乱” であり、セシルに呼ばれた領主も反乱に参加していた一人だった。

「さて―――君を呼んだ理由なんだけど・・・ああ、そんな風に固くならなくても良い。大した話ではないから」
「は―――ハッ!」

 そう言って領主はセシルに対して直立不動。
 その様子にセシルは「困ったね」と苦笑を浮かべる。

 領主はこの場に呼ばれた理由を聞いていなかった―――が、おそらくこの前の “反乱” についてなのだろうと推測していた。
 戦いに貴族当人は参加していない―――が、カルバッハに呼応して、自分の領民を急造の民兵として参加させていた。金銭、物資の援助も惜しみなく行った。

 反乱は失敗に終わったが、どういうわけか張本人であるカルバッハのみが処罰を受けた形となり、他の貴族達は特に処分は受けなかった。
 これは本来では有り得ないことだった―――だが、反乱に参加した貴族達は、バロンの領地の殆どを治めている者たちだ。全員処断すれば、領主が不在となり国内の管理が行き届かなくなる―――だから、セシルは貴族達を罰するよりも恩を売ることを選んだのだろうと、貴族達は考えた。

 つまり、その程度の王なのだ。カルバッハの反乱が失敗したのも、セシル王が有能だったのではなく、単にカルバッハが間抜けだっただけだ―――

 この領主もそんな風にセシルのことを侮り、呼び出しを受けた時も特に慌てることもなかった。
 セシルなどという若造など恐るるに足らないと。

 今まで階級社会の恩恵を受けてきたとはいえ、それはそれで苦労はある。
 貴族社会など早い話がタヌキの化かし合いだ。他の貴族と顔を合わせれば、顔では笑顔を繕いながらも、心の中では相手が有用かどうか品定めして、利用出来るようならばおべっかを使い、相手が弱みを見せれば、そこを突いて旨味を吸う算段をする。

 そう言った修羅場をくぐりぬけた海千山千の自分なら、若い王の一人や二人、言いくるめて手玉にとることなど容易いと考えていた―――セシル王の御前に出るまでは。

 謁見の間に入った瞬間、空気が硬化したような錯覚を覚えた。
 かすかに息苦しさを覚え―――その原因が、玉座に座るセシルだとすぐに理解出来た。
 謁見の間に詰めている兵士や、王のすぐ側を守る近衛兵長のベイガン、それに王の隣で同じような玉座に座るローザ達が、無表情に近い固い表情を浮かべる中、セシルだけは柔らかく微笑んでいた。

 だというのに、そのセシルから恐ろしいまでの威圧感を感じたのだ。

 或る意味でこの領主は有能だった。
 何が自分にとって “危険” であるかを一瞬で察知したのだから。そこは彼が自負するとおり、したたかに貴族社会をくぐり抜けてきた猛者といえるだろう。

 ともあれその領主は、身の危険―――物理的な、という意味ではなく、己の人生的な意味での危険だ―――を感じた瞬間から、まるで操り人形のようにセシルの一言一言に過敏に反応し、それ以外の時は身動き一つしなかった。

(なんだこのプレッシャーは・・・! これが我々の侮っていた “若造” だというのか!)

 実のところ、領主がセシルに会うのはこれが初めてだった。
 セシルが王座についた後、何度か機会はあったのだが、セシルは貴族達を避けていた上、領主も積極的にセシルに会おうとは思わなかった。そのこともあって見くびっていたのだが。

 先王であるオーディンからもこれほどの威圧感は感じなかった。
 息をするにも苦しさを感じる中、領主はただひたすらに時間が早く過ぎ去ることを祈ることしかできなかった―――と、その心の内を読んだかのように、セシルが苦笑したまま告げる。

「どうやらさっさと終わらせた方が良さそうだね―――ベイガン」
「はっ」

 セシルの言葉に、ベイガンは一枚の紙をセシルに渡した。
 「ありがとう」とセシルは紙を受け取り、それを見ながら続ける。

「以前、提出して貰ったデータなんだけど」

 セシルの言葉に貴族は困惑した。

(データ? 何のことだ? 反乱に関する事ではないのか―――?)

 半ば混乱しかけている貴族に構わず、セシルはさらに告げた。

「君の領地の収穫量が―――」
「!!」

 その言葉で領主はなんの事か察する。
 セシルが口にした “データ” というのは、セシルが王になったばかりの頃に求められた、領地内に関するデータのことだ。
 領地の規模はどれくらいなのか、領民の数は何人だとか―――領地に関する事を細かに教えろと言ってきたのだ。

 その中に、農地の収穫量に関する項目もあった。
 領主は、収穫量をかなり低めに伝えてしまった。低めに伝えれば、余剰分を自分の取り分として得ることができるからだ。そんなことはどこの領主も当たり前にやっているようなことで、普段の領主ならばすっとぼけることができただろう。

 だが、今のセシルの目の前でそんなことは出来なかった。

「もっ、申し訳ありません! 以前お送りした書類には不備があったようで」
「それではこのデータは間違っていると?」
「は、はい! すぐさま領地に戻り、厳密に改めたデータを遅らせて頂きたいと―――」
「うん、解った。それでは頼むよ」

 セシルが頷くと、領主は前に倒れ込みそうなほど大きく頭を下げると「それでは直ちに!」と、挨拶もそこそこに身を翻して謁見の前を出て行ってしまった。

「やれやれ、あんな風に逃げることはないのにねえ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

 くすくすと笑うセシルに、しかしローザもベイガンも何も答えようとしない―――応えることができなかった。

「それじゃベイガン、次―――」
「セシル!」

 突然ローザが声を上げた。
 その表情は苦く、必死さが滲み出ている。

「その、少し休憩したらどうかしら?」
「休憩するほど疲れていないよ」
「でも、朝からずっと・・・ご飯だって食べてないじゃない」
「そうだったかな?」

 首を傾げるセシルに、ベイガンも頷く。

「ですな。ここはローザ様の言うとおりに休憩された方が宜しいかと」
「おや、ベイガンがそう言うことを言うのは珍しいね」

 冗談めかしてセシルが言うが、ベイガン―――そしてローザも、表情が固いままだ。
 そんな二人の様子に、セシルは困ったように苦笑する。

「解ったよ。ここはローザの言うとおりにするとしよう―――」

 そう言って、セシルは玉座を立ち上がった―――

 


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