―――目を覚ました瞬間、目の前で音が鳴った。
自分の頬が叩かれた音だと気づくことも出来ず、バッツは目の前の女性を驚きの目で見る。
「馬鹿」
涙を瞳にたたえ、彼女は絞り出すような声で短く言い捨てる。
バッツが何か言おうとするよりも早く、そのまま立ち上がると、背を向けて走り去ってしまった。「後で謝っておけよ」
バッツが身を起こすと、エッジが苦笑いしながら言う。
「お前が “死んで” る間、あいつも死人みたいに生気のない顔で、ずっとお前の側にいたんだからさ」
何となく自分の胸に手をやる―――と、冷たい。
服が濡れていた。血で。自分で自分を刺したナイフはそこにはなかった。見れば、すぐ隣では未だにセリスが眠っていて、その手の中にナイフが握りなおされていた。
それを確認してから、バッツは首を横に振る。「謝るつもりなら、最初からこんなことしてねえよ」
リディアが泣いて、怒っている理由を、バッツはよく理解している。
例えばもしも、自分以外の誰かがバッツと同じ事をやれば、やはりバッツも同じように怒っただろうから。「身勝手な話ですね」
そう言ったのは、リディアが連れてきた女性だった。
ロックに蘇生魔法を使い、おそらくはバッツを生き返らせてくれた女性。「まったくだ」
心の底から思う。
けれど、リディアが―――他の誰が嘆き悲しみ、怒りに身を震わせたとしても、バッツにはただ黙って待っていることはできなかった。死に逝く者に対して、黙って見送るしかできないなんて、絶対に嫌だった。
「お前が謝らないんだったら、俺も謝る必要はないよな?」
別の声が聞こえた。
その声の主を、バッツは振り返ると同時に不機嫌そうに目を細める。「てめえは謝れ!」
「死んだのは俺の責任じゃねーだろ?」
「だったら、なんでさっさと還ってこなかった!?」
「レイチェルが居たんだ。仕方ないだろ」
「だったら、なんで還ってきたんだよ!?」バッツの問いに、彼は肩を竦めて答える。
「 “人は死ぬと言うことを知らなければならない” ―――あいつの言葉を出されたら、還ってこないわけにはいかないだろ?」
そう言って、彼―――ロック=コールは平然と嘘を吐いた。
******
光に満ちた空間。
星の生命の巡る場所―――ライフストリームの中心で、彼女は独り佇んでいた。ロックの幼馴染にして “後悔” である、レイチェル=コーラス―――その形を写し取った存在。
彼女は微動だにせず居たが、ふと口を開く。
「―――アレクサンダーか」
彼女がその名を呼ぶと、それまで彼女しか居なかった空間に、唐突に別の存在が現れる。
一瞬前までは確かに居なかったはずなのだが、ずっとそこに居たように前触れのカケラもなく、重装甲の鎧があった。鉄を何重にも重ねてあるような鎧で、人が身に着けているかどうか、外からは解らない。「・・・・・・」
沈黙したままの鎧に向けて、 “レイチェル” は続ける。
「あの娘を連れてきたのはお前か―――大方、リヴァイアサンかラムウ辺りにでも頼まれたのだろうが」
その声は、先程までロックに向けられていたものとは大分違っていた。
声音は同じだが、何年も年を重ねたような老獪な口調のせいで、まるで別人の言葉に聞こえる。「それがなければ “クリスタルの戦士” も間に合わず、あの男は己の死を素直に受け入れただろうに」
「・・・・・・」彼女の呟きに対して、アレクサンダーと呼ばれた “鎧” は何も答えない。
が、 “レイチェル” はふとアレクサンダーの方へ顔を向けると「なに?」と、まるで言葉をかけられたように反応する。「・・・ふむ。お前の言うとおりかもしれん。誰も引き留める事が無くとも、最後の最後で死ぬことを拒んだかもしれんな―――先刻のように」
呟いて “彼女” は先程、現世へ還っていったロック=コールという青年の事を思い返した―――
******
「私はこれ以上貴方に苦しんで欲しくないもの」
「そうか・・・レイチェルがそう言うなら、俺はそれに従うよ」バッツとセリスが去った後。
“レイチェル” はロックの腕を引いて、 “光” へと向かおうとした。だが、ロックは動こうとしない。
「・・・ロック?」
不安げな表情を浮かべて彼女はロックを振り返る。
「・・・レイチェルが俺の死を望むなら、俺はそれに従うしかない―――が」
「どうしたの?」
「悪いが、俺はこれ以上は行けねえ」
「・・・どうして?」セリスやバッツの言葉でも、ロックの心は動かなかった―――ように思えた。
なのに、ここに来て、いきなり心が変わったような態度に、 “レイチェル” は困惑する。「私に従ってくれるって言ったでしょう? どうして今更・・・」
「レイチェルはさ」苦笑して彼は呟く。
「きっと、生き返ることなんて望んでないんだろうな」
「ええそうよ。それはさっき私が言ったでしょう?」
「ああ。それに関しては “アンタ” の言うとおりだ。レイチェルは俺が苦しんでまで生き返ることを望んでない」
「え・・・?」ロックの言葉のニュアンスに、彼女はさらに困惑を深める。
やや混乱しかけている彼女へ、ロックはさらに続けた。「けれど違う」
「・・・なにが、違うの?」
「俺がレイチェルを生き返らせたいのは、俺がそう望んだからだ。苦しむのも、傷つくのも、全部俺自身が望んだからだ! レイチェルの望みは関係ない・・・!」すっ―――と、ロックは “レイチェル” から腕を引き抜くと、身を離した。
「正直、このまま死ぬのも良いかと思った。楽になりたいとも思った―――だけどな」
ロックは “レイチェル” からゆっくりと離れていく。
“光” とは反対の方向―――バッツ達が消え去った方へと。ゆっくりと。「やっぱり俺は、こんな簡単に楽になるわけにはいかねーよ。生きられるなら、死ぬわけにはいかない―――それがレイチェルの望みだからな」
「・・・いつから気づいていた?」ロックの幼馴染の姿をした何者かは、落ちていくロックへと問いかける。
問いに対し、ロックは悩みもせずに即答する。「最初からだ―――アンタが言ったとおり、レイチェルは自分が生き返ることを望んでいない。けれど、俺が死ぬことも望んじゃいない―――俺を “連れて逝く” なんて絶対にありえない!」
「それはお前の思いこみではないのか?」
「だとしたら怒るぜ俺は。死んで欲しいなら、最初っから助けるなってな!」笑いながら叫んで、それからロックは彼女に問いかけた。
「一つ聞かせてくれ。アンタは何者だ?」
不思議なことに、ロックは自分の大切な人を偽った何者かを、憎む気にはなれなかった。
それは、死を誘いながら、悪意は感じなかったせいなのかもしれない。むしろ慈愛のような者すら感じる。だから、ロックは偽物だと気づきつつも、掴まれた腕を振り払うことができなかったのだ。
「―――我は “ハーデス” 。迷える魂を、星の御許へいざなうが我が使命」
その名乗りに、ロックは少し驚いた表情を見せる。
「ハーデス・・・聞いたことがあるぜ。確か、死者を統べる冥界の王だとか」
「この世界に “冥界” など存在しないがな」そう呟いたハーデスの言葉を、ロックは上手く聞き取れなかった。
会話している間にも、ロックは落ち続け、ハーデスとの距離は開いている。最後に、とロックは全力で叫んだ。
「あの “光” にレイチェルが居るんだろ!? だったら伝えてくれ! 俺は俺のためにお前を生き返らせてみせるからって―――」
その言葉を最後に。
ロックの姿はその場から消える。「・・・・・・残念だが、それを伝えることはできぬ」
溜息と共に呟かれた言葉は、相手には届く事は無かった―――
第24章「幻界」 END