第24章「幻界」
N.「裏切っていたモノ」
main character:リディア
location:幻界
「リディアは誰も裏切らない―――だからリディアはずっと裏切り続けてきた」
それはリディア自身、意識していなかった事だろう。
ずっと―――それこそ幼い頃からずっと側に居たブリットだから気付けたことだ。(・・・いや、セリスもか)
眠ったまま意識を取り戻さない女戦士を見やり、ブリットは心の中で呟く。
アスラの作り出した “かりそめの世界” で、彼女はリディアが裏切り者ではないと断言した。そのことをありがたいとも思う反面、少しばかり嫉妬もする。セリスにしてみれば、リディアと出会って数ヶ月しか経っていないのに、そのことに気がついた事に嫉妬しながら。「あたしが・・・裏切り続けてきた・・・? 何の話?」
ブリットの言葉にリディア自身、きょとんとした表情を見せる。
やはり気づいていなかったのか、とブリットは嘆息して。「・・・リディア、俺と初めて会った時の事を覚えているか?」
「そんな昔の事忘れちゃったよ」即答しながらも、リディアは少し悩んで。
「確か・・・村の近くの森で出会った・・・ような・・・?」
「そう―――あの時俺は、人間の仕掛けた罠に引っかかり、怪我をしていた。それをリディアは覚えたばかりの回復魔法で癒してくれた」
「・・・そんなベタな出会い方だったっけ?」うーん、とリディアは首を傾げる。
確かに罠に掛った動物を助けて友達となるのは、物語なんかで良くあるパターンだ。「・・・その後、俺がリディアに襲いかかったら、同じく覚えたての攻撃魔法で撃退されたが」
「あ、ベタじゃなくなった―――ていうかそれがどうかしたの?」
「お前は人や魔物を区別しないということだ」普通、人間は魔物を見れば逃げるか攻撃するだろう。怪我をしていたとしても、これ幸いにととどめを刺すに違いない。
それは当たり前の事である。常識と言っても良い。
人間も、 “魔物” というカテゴリーに属する存在を、問答無用で滅ぼそうとする。チョコボなど、人間にとって便利な魔物達は利用する事もあるが、魔物達と対等に友好関係を築こうという人間は皆無に近い。特に “ゴブリン” は、人間にとっては特に身近な “天敵” だった。
ゴブリンは人の姿に形が似ていて、生活形態も似ているところがある。そのせいで生活圏が重なり、多くの魔物達の中でも、一番人間との接点が多く、敵対することのある種族だからだ。そのせいで、古くから人間は村をゴブリン達に襲われ、報復として村に依頼された騎士団や傭兵が討伐し、また別のゴブリンが村を襲う―――などということを繰り返して来た。
そう言った因縁があり、人間もゴブリンも、遭遇すれば無条件で互いを敵だと認識する。個人的な恨みがあろうとなかろうと関係ない。それが世間一般の “常識” だったからだ。けれどリディアは、怪我をしているブリットを回復魔法で癒した。
それはただ “優しい” という意味ではない。人間同士なら当然そうするように、助けて上げただけだ―――その直後、襲いかかってきたブリットを迎撃したのも、いきなり襲われたら当然そうする、というだけのことだった。リディアは種族で区別を付けない。
相手が人間でも敵ならば戦うし、魔物であっても困っているなら手を差し伸べる。
だからこそブリットを初めとする、魔物や幻獣達がリディアに懐いたのだ。それなのに―――
「この幻界に来て、リディアは人間を “憎まなければならない” と思うようになった」
「あ・・・・・・」
「幻界を襲い、幻獣達を傷つけ、奪った人間達を憎まなければならないと―――そう思い込んで苦しんでいた!」人間達の国、ガストラ帝国に傷つけられた幻獣達は、人間という “種族” そのものを恨みに思っていた。
幻獣達は人間達は敵だ、忌むべき存在だと事あるごとにリディアに吹き込んだ。その上で、リディアは “他の人間” とは違うと特別視していた。リディアの事も “人間” として憎んだり嫌ったりしてくれれば、リディアも「人間は悪い人ばかりじゃない」と反論出来たかも知れない。
けれど幻獣達は “人間” と “リディア” は別のものだとして、リディアに対して限りなく優しく接してくれた。
だからリディアは幻獣達の言葉を否定する事は出来なかった。怖かったからだ。
“人間” の味方をして、幻獣達に敵だと思われてしまうのが。
仲間だと認めてくれた幻獣達が、リディアを他の “人間” と同じに見て、敵意を向けられるのが怖かった。幻獣達の言葉を否定出来ないうちに、いつしかリディアは、幻獣達の言葉を受け入れ、 “人間” は憎むべき存在だと思い込むようになっていた。
そうでもしなければ、リディアの精神は壊れていたかも知れない。「そっか・・・」
リディアは苦笑する。
「あたしは “あたし” を裏切っていたんだね」
かつてのリディアは人間も魔物も無い、種族に関係なく他者と接していた。
けれど今は人間を―――幻獣の敵を嫌おうとしている。リディアが “裏切っていた” のは “かつての自分” だ。
「・・・ありがとブリット、教えてくれて」
「いや・・・・・・」本当なら、もっと早くに伝えたかった。
リディアがこの幻界に来た時、泣きながらブリットに訴えた時に伝えていればと思う。けれど、当時のブリットは今よりも愚かであり、何を伝えるべきなのか解らなかった。
それが解った時にはすでにリディアは “人間” を嫌いになっていた。「話は終わりか?」
威厳ある老人―――幻獣王リヴァイアサンが、リディアに向かって問いかける。
対し、リディアはにやり、と笑って頷いた。「ええ。待って頂き、有り難う御座います」
「やはり我らを裏切るというのか」
「いいえ」リディアは幻獣王の言葉をきっぱりと否定する。
「あたしは誰も裏切らない―――人間も、幻獣も」
「しかし現に、我らの敵を守ろうとしている。これが裏切りでなくてなんなのだ!」
「なんと言われようとも」さっきまでとは違っていた。
幻獣達から “裏切り者” と言われ怯えていたのとも、半ば自棄になって “裏切り” を認めようとした時とも違う。なんの気負いも迷いもなく―――おそらくは “本来” のリディアの姿がそこにあった。
「あたしは “仲間” を守る! そのために、あたしは強くなったんだから!」
「―――そいつは聞き捨てならねえなあ」別の声が口を挟んだ。
誰か、と思って振り返れば、赤銅色の肌を持つ巨漢―――エンオウが、幻獣達の輪から前に出てきていた。
歪な一角を頭から生やした馬―――シオンに横乗りした、エルディアも一緒だ。「それじゃ俺達は仲間じゃないっていうのか?」
「仲間よ」即答。
あまりにも迷いなく、はっきりとした返答に、エンオウじゃ一瞬だけ言葉に詰まる―――がすぐに、倒れてたまま眠っているセリス見やる。「でもお前は俺達の “敵” を守ろうとしている。それでも俺達の事を “仲間” だと言えるのか?」
「仲間だからって意見が食い違えば対立することもあるよ」まだ幼かった頃のことを、リディアは思い出す。
ファブールで、セシルは “親友” のカインと敵同士として再会し、刃を合わせた。
しかしセシルは、カインに対して何も気に病むことなく真っ向から戦った―――そしてリディアの知る限り、セシルは敵となったカインに対して、文句の一つも口にしたことはなかった。「仲間だからって、自分の心を殺して全て譲るのが正しいとは思わない。仲間であろうとも、譲れない何かがあるなら遠慮無くぶつかり合ってこそ仲間でしょっ! ―――少なくとも、あたしが知っている人はそうした!」
「だから俺達と戦うのか? 俺達を倒してでも、そいつは守らなきゃ行けない存在なのかよ!」
「 “守らなきゃいけない” んじゃない! あたしはただ “守りたい” だけ!」
「―――1つ、聞かせて」リディアとエンオウの言い合いに、別の声が割り込む。
エルディアだ。普段無口な彼女の声に、リディアもエンオウも、思わず驚いて言い合いを止める。
「リディア。もしもそいつを守って―――後でそいつがこの幻界に攻め込んできたら、どうする?」
「戦う」エンオウの問いに答えた時と変わらず、何も悩むことなく即答する。
今のリディアには “迷い” は無い。「こいつがあたしの “仲間” を傷つけるって言うなら全力で止める―――何度でも言うよ? あたしはただ仲間を “守りたい” だけ! あたしはそのために力を手に入れた!」
「・・・・・・」リディアの言葉を聞いて、エルディアはじっとエンオウを見つめる。
その視線に気がついたエンオウは、「わーってるよ」と笑うと、リディアの元へと歩き出す。その後にエルディアを乗せたシオンも続く。「来るか―――」
向かってくるエンオウ達に、ブリットは油断無く剣を構えた。
緊迫する。エンオウ達の力は良く知っている。アスラほどではないが、彼らも幻界の実力者だ。 “誓約” を交すために一人ずつと戦い勝利はしたが、どの戦いも最後はリディア一人だけが辛うじて生き残っていたという状態だった。その三人が同時に襲いかかってくるとなれば、ブリット一人では防ぎきれないだろう。
(それでもリディアだけは守りぬく!)
気合いを発し、エンオウを睨付ける―――と、ブリットの剣の射程内に入る直前、不意にエンオウが両手を上に上げた。
「・・・?」
「そう殺気立つなよブリット。俺らは別にリディアと戦うつもりはねえ」そう言うエンオウの後ろでは、エルディアもこくりと頷く。
「お前達―――」
「イフリート、シヴァ、イクシオン!」幻獣王が厳しい声でエンオウ達を呼ぶ。
「貴様らまで裏切るというのか!?」
「うっせーよ! 俺の “名前” は “エンオウ” だ! 他の “イフリート” と同じように呼ぶんじゃねえ!」
「名前などどうでも良い! 解っているのか!? リディアの味方をすると言うことは、我らの敵となると言うことだぞ!」
「当然だ。リディアの敵は俺にとっても敵―――そして、リディアの仲間は俺にとっても仲間だってことだ!」
「エンオウ・・・」感極まったように瞳を大きくしてエンオウを見つめるリディア。
だが、すぐに我に返ると表情を険しくして叫ぶ。「駄目だよエンオウ! アンタ達まで巻き込むわけには―――」
「おいおい何言ってるんだよマイマスター。俺達と “誓約” を交したのを忘れたわけじゃないだろうな? 同じ誓約を交したブリット達は良くて、俺達が駄目ってのは筋が通らねえぜ」
「それは・・・でも・・・!」
「いーからいーから。それともなにか? お前は俺達のことを “仲間” とは認めないってか?」
「仲間だよ! だからこそ―――」
「私達も、同じ」リディアの言葉を遮って、エルディアが呟く。
その声は静かだったが、妙に通りの良い響きで、リディアは思わず言葉を止めた。「私達も “仲間” を “守りたい” ―――駄目?」
「エルディア・・・・・・」ブルルルッ、とシオンも同意するように鼻息を立てる。
「シオンも・・・・・・ありがとう」
泣きそうな顔で表情を歪め、けれど泣くのだけは必死で堪えてリディアは頷く。
「馬鹿な!」
幻獣王の怒声が響き渡る。
彼は、倒れているセリスを指さして、エンオウ達に向かって叫んだ。「その人間がどういう存在なのか、お前達が解らぬはずはないだろう!」
「解ってるさ」幻獣王の言葉に、エンオウは少しだけ神妙に声を落とす。
「こいつに “誰” の力が秘められているかなんて―――最初から気がついている」
「え・・・? どういう、意味?」エンオウ達のやりとりの意味が解らず、リディアは困惑する。
「それが解っていながら、何故裏切ろうとする!」
「話聞いてたのかクソジジイ! 俺たちゃ別に裏切る気はサラサラねーよ! 単に仲間を守りたいだけだ!」
「それが裏切りだというのだ!」
「だったら勝手にそう思ってろボケ! こっちも勝手にやらせてもらうからよ!」
「うぬぬぬぬぬぬ・・・・・・」エンオウの啖呵に、幻獣王は顔を真っ赤にして怒りを顕わにして―――
「アスラァッ!」
「・・・え? はい?」それまで黙って成り行きを見守っていたアスラは、不意に名前を呼ばれてきょとんと幻獣王を振り向く。
「なんでしょうか?」
「そいつらを叩きのめすのだ。裏切り者を―――」
「残念ですが、それはできません」
「なんだと?」
「もうすでに、リディアとは誓約を交してしまったので」
「な・・・なんだと!?」“誓約” にはなにも大仰な儀式などは必要としない。
ただ、幻獣が召喚士の力を認めれば、それで誓約は完了する。「そういうわけで、私も裏切り者ですね」
「って、ちょっと! 流石にアスラ様はまずいでしょうが!?」
「そうだぜ。アンタは仮にも幻獣王の―――」慌てたようにリディアとエンオウの2人が言うが、当の本人は「おほほ」と軽やかに笑ったまま。
「そう言われても、誓約は交してしまいましたし―――それとも誓約を無効にしますか? そうなれば、リディアのお仲間は救えませんが」
「う・・・それは困るけど・・・でも」
「諦めろリディア。この女の言うとおりだ―――それに多分、最初からそのつもりだったんだろう」
「ブリット?」何故か不機嫌そうに口を挟むブリットに、リディアは小首を傾げた。
「・・・昔から気になってたんだけどさ。なんか、ブリットってアスラ様の事嫌ってるような気がするんだけど・・・・・・気のせい?」
「・・・・・・」リディアの問いにブリットは黙ったまま答えなかった。
「おのれ・・・ならば皆の者! 裏切り者どもを倒すのだ!」
幻獣王が周囲の幻獣達に呼びかける。
しかし、幻獣達は戸惑ったまま動こうとしない。皆、リディアの事が好きなのだ。
リディアが幻獣王を救い出したことを差し引いても、リディアには幻獣達を引き付ける魅力があった。しかもその大好きなリディアが、自分たちのせいで苦しんでいたと、ブリットに言われて気がつかされたばかりだ。
例えリディアが “敵” を守ろうとしても、牙をむける気にはならない。だがそれを、幻獣王たるリヴァイアサンが認めるわけにはいかない。
「――― “王” の権限において命ずる」
幻獣王の言葉に、幻獣達がざわめく。
そんな幻獣達に向けて、リヴァイアサンは厳かな声で告げた。「裏切り者共を捕らえよ! 抵抗するならば滅しても構わぬ!」
その命を受け。
周囲の幻獣達は、一斉にリディア達へと襲いかかった―――