ファイナルファンタジー4 IF(仮)外伝

「夢見る少女じゃいられない!」 中編


 

 

 セシルと初めてあった時、彼は孤独だった。
 いや、孤独というのは少しだけ嘘だ。何故なら、すでにカインという親友が居たからだ。
 でもカインだってずっとセシルの側にいたわけじゃない。
 市民学校が終わり、カインと別れてしまえば、セシルはたった一人で旧市街の教会へと帰っていく。そこには誰も居らず、そこでセシルは朝までずっと一人で過ごすのだ。

 セシルはもう慣れたから寂しくないと言った。
 それは強がりなんかじゃない。本当に独りでも寂しくなかったのだろう。

 それが私はイヤだった。

 私は孤独じゃない。
 お父様もお母様も居る。お父様は仕事が忙しくて、なかなか家には帰ってこないけれど、私が貴族学校に通う頃にはキャシーだっていたから寂しくなんかなかった。
 私が寂しくないのは独りじゃないから。それは当たり前のことだった。

 でもセシルは違う。
 セシルは独りなのに、寂しくなくてはならないはずなのに、寂しくないという。

 それはとても悔しいことだと私は思った。
 だってそれは “独りでも当たり前” だと言うことなのだから。

 だから私はセシルに思い知らせて上げることにした。
  “独り” は “寂しい” っていうことを。
 そのためには “独りで当たり前” なんて前提を崩さなければならない。セシルは独りじゃないって思わせなければならない。

 でもそう思わせるにはどうすれば良いか解らなかった。
 解らなかったからお母様に聞いてみた。独りぼっちの人を、独りじゃなくするにはどうしたらいいかって。

「簡単な話よ。その人を愛して上げればいいの」

 幼い頃は “愛する” という言葉の意味を良く解っていなかった。
 お母様が言うには、 “愛する” ということは “とても大好きな人と一緒に居たいと思うこと” だという。

 だから私はセシルを “愛する” ことにした。
 セシルが独りは “寂しい” って思うように。
 セシルが独りじゃないから “寂しくない” って思うように。

 そのために私はセシルを追い続けた。
 ずっとずっと、ずっと。

 そしてセシルの側にいるために、セシルの力になるために、私は―――

 

 

******

 

 

 セシルは一人、謁見の間の玉座に腰掛けていた。
 周囲に兵の姿はない。一人にさせてくれと命じ、人払いしていた。

「・・・・・・」

 玉座の肘掛けに肘を立てて頬杖をついている。
 その表情は、感情を押し殺したような強ばった無表情だった。

 その状態のまま微動だにしない。
 ただじっと、無言で時が過ぎるのを待っているようだった。

 ―――と、不意に謁見の間の扉が開いた。
 そこからベイガンが姿を現わす。その姿を見て、セシルの眉がぴくりと動いた。

「陛下、ただいま戻りました」

 玉座の前まで歩み、ベイガンは膝をついて恭しく礼をする。

「・・・人払いをしていたはずだけど?」
「命令無視の罰は甘んじて受けましょう。ですが、陛下に一言だけ申し上げたく参上致しました」

 そのベイガンの言葉に、セシルの表情が動く。
 いつもとは微妙に違う、どこか自嘲めいた苦笑を浮かべた。

「ローザの事、かな?」
「は。何があったかは、クノッサス導師から伺いました」
「怒っていただろう」
「随分とご立腹でした」

 素直にベイガンは頷く。
 セシルはますます苦笑を深め、

「それで、君も僕に文句を言いにきたという訳か」
「いえ」

 意外にもベイガンは首を横に振った。

「陛下のお気持ちを解りますれば」
「僕の気持ち・・・? 君に解るというのかい?」
「はい」

 頷き、ベイガンはすっと立ち上がる。
 そして、自分の腰の剣に手を添えた。

「陛下は、私と同じ想いをさせぬために、あえてローザ様に強要したのでしょう」
「・・・・・・」

 ベイガンの言葉に、セシルはしばらく答えなかった。
 だが、やがて頬杖から顔を上げて苦笑―――いつもの苦笑を浮かべる。

「そうか、君はそうだったね」
「はい」

 頷いて、それからベイガンはセシルに問いかけた。

「陛下は、ローザ様のことを信じておられるのでしょうか?」

 問われ、セシルは少しだけ悩む素振りをみせてから口を開いた。

「信じたい、とは思っているよ。でも―――」
「カイン殿やバッツ殿のように信じ切ることはできませんか」
「まあ、ね」

 セシルは苦笑したまま答える。

「やっぱり、怖いよ。なにが怖いって、僕は彼女を失ってしまうことが一番怖い」

 それはセシルの弱音であり、本音であった。
 ローザに嫌われ、失ってしまうことが怖い。嫌だと思う。だからこそ、信じ切れない。

 相手がカインやバッツならば、簡単に信じることができる。
 彼らはセシル自身が心から認めた ”最強” であり “友人” だ。
 信じ抜いて―――それでも裏切られたら、それは “仕方ない” と割り切れる。

 でもローザは違う。
 ローザ=ファレルはセシルが心から愛した女性だ。なによりも失いたくない存在だ。
 もしも彼女がセシルの前から失われたとしたら “仕方ない” だなんて思えない。未練がましく彼女を想い続けるのだろう―――先王オーディンのように。

 だからこそ信じることが出来ずに間違いを侵す。
 万が一にも “仕方ない” なんて結末を迎えたくないために日和見してしまう。
 先刻、ローザに向かって不用意に謝罪したのも間違いの一つだ。

 そして今も、今すぐ城を飛び出してローザの元に駆けつけたいと想う。
 自分の想いを吐露して、許しを乞いたいという衝動が心の奥底から沸き上がっている。
 けれど―――

(もしも僕の想っていることを彼女が知れば、きっと彼女は後悔する)

 それだけは確信してした。
 ローザ=ファレルは誰よりも何よりも、セシル=ハーヴィを愛している。それだけは信じているからだ。

「僕は彼女を信じることは出来ない。だから、僕は彼女のことを “望む” 」
「では私が信じましょう。ローザ様は、陛下の望みに応えられる女性であると」

 ベイガンの言葉に、セシルは一瞬きょとんとした表情を浮かべ、やがて柔らかく微笑んだ。

「ありがとう―――っと、礼を言うついでに、一つ頼み事をしても良いかな?」
「なんなりと」

 即答を返すベイガンに、セシルはもう一度「ありがとう」と礼を言って、頼みを口にした―――

 

 

******

 

 

「・・・あら?」

 ぼんやりと目を開ける。
 うたた寝をしていたらしい、頭が少々ぼやけている。

 身体にかかっていた毛布ごと身を起こす。
 辺りは暗く、窓から月明かりが差し込んでいた。
 その僅かな灯りで、ここが自室だと言うことに気がついた。

「・・・私は・・・ええと・・・そう!」

 ようやく頭がハッキリして、ローザは寝る前の事を思い出す。

「セシルに・・・酷いことを言われて、それで家に帰って―――」

 ファレル邸に泣きながら戻ったローザは、キャシーに宥められ、ディアナに促されて事情を説明した。
 居間のテーブルに腰掛け、キャシーが入れてくれた紅茶を飲みながら話をした。
 話を聞いたキャシーは、明らかに怒っていた。普段は感情を表わさないキャシーが、あれだけ怒りを表わすのは珍しい。

 ディアナはキャシーとは正反対に、特に怒りはしなかった。ローザの話に軽く相づちを打つだけで、殆どなにも言わなかった。
 だから思わず、話し終わった後に「セシルって酷いわよね!?」と同意を求めると、ディアナはキャシーの入れてくれた紅茶を飲みながら、あまり興味なさそうに答えた。

「ローザが酷いというのならそうでしょうね」
「なに、その言い方」
「どっちが酷いかなんて私には解らないということよ。これは貴女とセシルの問題でしょう?」

 心の底から無関心そうにディアナは言う。

「お母様が話してみなさいって言ったんじゃない!」
「そうよ。嫌な事なんて、話してしまえば割とすっきりしちゃうものだし」
「すっきりなんかしないわ!」
「あらそう。残念ね」

 そう言って、ディアナはまた紅茶をひとすすり。
 その余裕ぶった仕草がなんとなくイライラして、ローザはさらに怒鳴る。

「お母様は、セシルが正しいと思っているの!?」
「だからそんなこと解らないと言っているでしょうに」

 言ってから、ディアナは「ただ」と付け加える。

「セシルは、無意味に貴女を傷つけるようなことはしないと思ってはいるけれどね」
「それは・・・・・・」

 ディアナに言われ、ローザは口ごもる。
 だが、すぐに言い返した。

「お母様には何も解らないわ! セシルの事も、私の事も!」
「さっきからそう言ってるわよ?」

 澄ました顔で紅茶を飲むディアナに、ローザは苛立ちを抑えきれずに席を立った。
 椅子を戻しもせずに、そのまま居間を出る。

「お嬢様!」
「放っておきなさいな」

 こちらを追いかけようとしてきたキャシーを、ディアナが制止する声だけ聞きながら、ローザは自室に閉じ篭もった。

(―――イライラして・・・頭の中がかーっとなって、なにかもうイヤになって・・・・・・)

 ベッドの上に座り込みながら、ローザはぼんやりと想う。

(それで・・・いつの間にか寝てしまったのね・・・)

 肩にかかったままの毛布に手を添える。
 あまり憶えていないが、わざわざ毛布をかぶって寝たとは思えない。キャシーがかけてくれたのかもしれない。

 ローザはベッドを降りる。肩に毛布をマントのように掛けたまま。特に寒かったわけではないが、なんとなく。

 部屋の窓から外を見る。
 空には二つの月が明るく昇っていた。

「・・・夜、か」

 城を飛び出したのは、まだ昼にもなっていないはずだった。
 軽いうたた寝程度だと思っていたが、随分と深く眠っていたらしい。

 と、お腹がきゅぅぅ・・・と小さく鳴る。そう言えば、キャシーの入れてくれた紅茶を少し口に含んだくらいで、昼から何も食べていない。

「おなかすいた・・・」

 ぽつりと呟いて、ローザは毛布をベッドに戻して部屋を出た―――

 

 

******

 

 

「お嬢様、お目覚めになられましたか」

 食堂に入ると、掃除をしていたらしいキャシーが即座に声をかけてきた。
 元忍者のキャシーの事だ、ローザが階段を降りた時から―――ひょっとすると、部屋を出た時からすでに気づいていたのかもしれない。

 ローザは少し照れたようにはにかんで、お腹をおさえながら頷いた。

「うん・・・それで、ちょっとお腹がすいちゃった。なにか食べるものあるかしら・・・?」
「はい―――寝起きでしたら胃に優しいものがよろしいですね。よく煮込んだ野菜のシチューを用意してあります。今、温めますので少しお待ち下さい」

 そう言ってキャシーは厨房へと姿を消す。

 余談ではあるが、科学技術の発達していないバロンでは、当然電気やガスと言ったものはない。
 だから火を使う時には、基本的には石炭や木炭などの炭を使う。

 だが貴族や商人など、それなりに上流の人間は魔法の道具―――マジックアイテムを使う。
 その殆どは、ライターやコンロなど、科学で生み出された道具と変わらないようなものだが、科学技術と決定的に違うのは “燃料” が要らないということだ。
 戦闘に使うようなマジックアイテムならば、強い魔力源が必要となってくるが、日用品として使う程度のものならば、人間誰しも持っている魔力だけで事足りる―――それも、使っている本人が気づかないほどに微量な魔力で十分だ。

「お待たせしました、お嬢様」

 数分後、食堂の席に腰掛けたローザの前に温められたシチューの入った皿が置かれた。
 かすかに昇る湯気と共に香るシチューのニオイによだれが出そうになる。

「ありがとう、いただくわね」

 キャシーに礼を言って、スプーンを手に取る。
 熱くなく、しかし温くもない、絶妙な温度のシチューを食べる。野菜の味が溶け込んでいて、なんともほっとする味だった。

 程なくして食べ終わる。
 ナプキンで口元を拭い、キャシーに微笑みかける。

「ごちそうさま、美味しかったわ」
「ありがとうございます、お嬢様」

 嬉しそうに僅かに微笑み、キャシーは空いた食器をかたづける。
 ふと、ローザは気になって尋ねた。

「そういえば、お母様は?」

 ディアナの姿は食堂にはない。
 ローザの問いに、キャシーは「もうお休みになられております」と答えた。

「あら、もうそんなに遅い時間?」
「そうですね。けれど、奥様がお休みになられたのは夕刻頃でした。夕食もとられてません」
「え、どうして・・・?」

 まさか体調でも崩したのかと思ったが、ある意味その通りだった。
 キャシーが言うには、

「旦那様が旅立たれてしまったでしょう?」
「・・・ああ、そういうことね」

 その言葉で理解する。
 ローザの両親、ウィルとディアナは貴族にしては珍しい熱烈すぎる相思相愛な夫婦だ。
 それなのに、ただでさえウィルは忙しくて家に帰ってこれないのに、今度は遠方の国まで長期出張である。長い間逢えないことも勿論だが、なによりも道中で魔物に襲われたりと危険もある。

 ローザの前では澄ました様子を見せていたが、内心では泣きたいほど心配していたのだろう。

「・・・お母様、私の話を聞いてくれたのは、気を紛らわしたかったからなのかしらね」
「そうかもしれません」

 頷いて、キャシーは食器を片付けに食堂へと向かう。
 あとには、広い食堂にローザが一人だけ残される。

 ―――と、不意に襲ってきた孤独感に、ローザはテーブルの上に顔を突っ伏した。

「セシルの、バカ・・・・・・」

 呟く。

 ―――セシルは、無意味に貴女を傷つけるようなことはしないと思ってはいるけれどね。

 ふと、ディアナの台詞が耳の奥に蘇る。

「そんなこと・・・言われなくても解ってるもの・・・」 

 セシルはいつもそうだ。
 時に厳しく、人を傷つけるような態度を見せても、それは常に誰かのためを想ってのことだ。そして、そうやって人を傷つける時ほど、セシルは悪役を演じる。

 そんなことは解っている。
 だけど、解っていても―――解っているからこそイライラする。

 ローザがあの双子を救わなければならないとセシルが言うのなら、そこには確かに意味があるのだろう。
 けれど、それならそうとはっきり説明してくれればいい。

「いつもいつも、そうやって自分一人だけ解ったような顔をして・・・」

 そう。結局、セシルは意地悪なのだとローザは思う。
 セシルだけにしか解らない理由で、その理由が解らないローザをからかって楽しんでいるのだ。
 絶対に、そうに違いない。

 だから、ローザがこうやって怒っているのは当然のことなのだ。

「―――お嬢様?」
「うぇっ・・・!?」

 いきなり声をかけられて、ローザは慌てて顔を上げた。
 見れば、すぐ側でキャシーが心配そうにこちらを伺っている。

「まだご気分がすぐれないのでしょうか?」
「ん・・・」

 すぐれる訳がない。
 心の中でずっと二つの想いが渦を巻いている。

 自分は悪くないという想いともう一つ―――

(セシルは・・・私のこと嫌いになってしまったのかしら・・・)

 あんな風に意地悪を言ったことなど今までなかった。
 紙吹雪を掃除した時、ちょっとした言い合いになったのを根に持っている―――とは思わないが、あんな風に言ったローザのことを面倒な女だとでも思ったのかも知れない。

「・・・・・・キャシー」
「は、はい、なんでしょうか?」
「・・・? 何か変ね。どうかした?」

 キャシーの返事が、どこか戸惑ったような素振りになったのを見て、ローザが首を傾げる。

「いえその・・・何故、私は睨まれているのでしょうか?」
「えっ・・・?」

 思わずきょとんとする。

「睨んでた?」
「え、ええ、かなり・・・」
「あ・・・ごめんなさい―――その、ちょっと聞きたいことがあって」
「私に答えられることならなんなりと」

 ローザが視線を反らすと、キャシーはほっとした様子で気を取り直す。

「えっと、セシルは・・・なんで私にあんな意地悪を言ったのかしら」
「え?」
「キャシーなら解るんじゃないかと思って」
「・・・どうしてそういう結論に達したのか、理解に苦しむのですが」

 つとめて無感情に―――どうやら不機嫌な感情を抑え込んでいるらしい―――キャシーは答える。

「だって、セシルと仲が良いじゃない」
「・・・どうしてそういう結論に達したのか、非常に理解に苦しむのですが」

 セシル同様に、キャシーはセシルと仲が良いつもりなどカケラもない。
 あのへたれキングと仲良くするくらいなら、そこらのゴブリンと愛を語るほうが遙かにマシだ。

「なにやら究極的な誤解をされているようですが、あれは私にとって “敵” です」
「敵・・・? どうして?」
「それは勿論―――」

 お嬢様を泣かせたり、お嬢様を困らせたり、お嬢様を心配させたり、とにかくお嬢様にとって有害だから―――と、言おうとして言葉を止めた。
 もしもそんなことをハッキリキッパリ言ってしまえば、ローザはそれこそ悲しむだろう。それはキャシーの望むところではない。

「その・・・なんとなく」
「セシルと同じ。私には理由言えないのね」

 呟きながら、またキャシーを睨んでいる自分に気がついて、ローザは顔を背けた。

 イライラする。
 心の中がざわついて、なんでも良いから怒鳴り散らしたくなってくる。
 その原因はわかっていた。

(・・・私、嫉妬しているのね)

 キャシーに対して。ローザは嫉妬していた。
 少し前から気がついていた。いつも澄ました様子のキャシーが、セシルと話す時だけ普段とは違う表情を見せる。セシルもセシルで、ローザや他の者たちには見せないような反応をする。
 それは仲が良いと言うよりも、むしろ険悪な様子だったから、今まであまり気にしてはいなかった。

 けれど、最近になって気になり始めた。

 ローザの知らないセシルを知っているキャシー。
 ローザの知らないキャシーを知っているセシル。

 そんなことを考えるだけでイヤだった。
 だから、後かたづけの時、些細なことに過剰に反応してしまったのだろう。

(こんなんじゃ無かったのに・・・)

 昔はこんなことはなかった。
 セシルがローザとは別の女の子と話していても、こんなに苛ついた気分にならなかった。

 いつから変わってしまったのか―――そんなことは解ってる。
 あのゾットの塔で、セシルがローザの望んだ選択をした時から、すべては変わってしまった。
 それが原因で、一ヶ月前にはセシルを拒絶してしまった。

 だがそれも、セシルの愛を受け入れることで解決したはずだった―――そう、思っていた。
 しかし・・・。

(おかしいわ・・・セシルが私を愛してくれていることは絶対に信じられる。心の底から嬉しいと思ってる。なのに・・・どうしてこんなにイライラしたりするのかしら・・・)

 誰よりも愛している人に誰よりも愛されている。
 その幸せをローザは疑ってはいない。一ヶ月前のあの時とは違う―――なのに、何故かイライラして、心がざわめく。
 苛ついている原因がわからないからこそ不安を感じる。

「昔に戻りたいなあ・・・」
「お嬢様・・・」
「知ってる、キャシー? 昔の私ってね、とーっても頭が悪かったのよ」

 自嘲気味にローザは笑う。
 己を嗤う表情さえローザ=ファレルの微笑みは美しかった。
 だが、そんな顔をキャシーは見たくなかったと思う。

「そんなことはないかと・・・」
「疑うの? 本当よ。私は四六時中ずーっとセシルのことしか考えていなかった。何かにつけてセシルならどうするとか、セシルと一緒なら嬉しいな、とか。もう何をするにもセシルセシルセシルセシルセシル――――――・・・って」

 いつの間にか。
 いつの間にかローザは涙を流していた。

「お嬢様・・・!」

 自嘲したまま泣くローザを見て、しかしキャシーは見ていることしかできなかった。
 どうすればいいのか、なんと声をかければいいのか解らない。
 自分の使えるお嬢様の気持ちを救うことが出来ずに、キャシーは唇を噛む。

「昔は良かった・・・・・・今よりもずっと幸せだったもの・・・・・・」

 嘘だ。

 今より昔が幸せだったハズがない。
 こちらを振り向こうともしないセシルをただひたすらに追い続けて。
 一方的に “愛する” だけで自己満足していただけ。

 セシルがこちらを向いてくれて、愛してくれている今より幸せであるはずがない。

(昔の私は知らなかっただけ。それが “不幸” であることに気がつかなかっただけ)

 ああ、そうか。
 ローザは気がついて―――思い出す。

 かすかに憶えている。眠っていた時に見た過去の夢。
 ローザはセシルに “孤独” は “寂しい” と教えたくて彼を “愛した” 。
 けれどローザだって、 “一方的な愛” は “不幸” だということを知らなかった。

( “愛し合う事” がこんなにも “幸せ” だって私は知ってしまった。だから、私はそれが失うことが怖いのよ―――)

 セシルの愛を失うことが怖いからこそ、些細なことに過敏に反応する。
 キャシーに嫉妬してしまったのもそう。
 それに双子の一件だって、昔の自分ならセシルに言われれば何も考えずに行動したはずだ。
 けれど、もしも失敗してしまって、セシルに失望されたらと思うと、身動き取れなくなってしまった。

 いつの間にか止まっていた涙を拭い、ローザはキャシーに向かって微笑む。
 それは先程のような自嘲ではないが、なんとも儚げで弱々しい笑みだった。、

「キャシー、どうしたら良いのかしらね? 幸せになったはずなのに、その幸せを知ったからこそ、その幸せを失う不幸も知ってしまった・・・どうすれば良いのかしらね?」
「僭越ながら」

 ローザの様子を気遣いながら、キャシーは口を開く。

「それならば不幸にならないように努力すればよろしいかと」
「・・・うん、そうね―――うん」

 数度頷く。が、ローザはそれを素直に受け入れることはできなかった。
 幸せになるために努力することは誰だってやっている。けれど、不幸にならないために努力するというのは無意味なような気がしてならない。何故ならば、幸せを維持するために努力しなければならない時点で、すでに不幸は始まっていると言えるのだから。

(不思議ね。幸せになるためならいくらでも頑張れるのに)

 ローザは今まで頑張ってきたと自分でも思う。
 セシルのために、セシルのためにと思い続けて、ずっとセシルのことを考えてきた。

 昔のセシルは勉強が得意で、末は博士か大臣にでもなるかと思ったから、ローザも一生懸命勉強して飛び級で大学に合格した。
 けれど、セシルは勉学の道をあっさり捨てて、兵学校へ入ってしまった。

 それからあっと言う間にセシルはカインと共に学校を卒業し、バロン軍に入団。
 陸兵団で戦果を上げ、若くして部隊長にもなった。
 その間、ローザは大学で、どうにかしてバロン軍に入る方法はないかと模索していたが、バロンの軍には女人禁制の規則があった。

 その後、セシルが暗黒騎士になると聞いて、さっそくローザも暗黒騎士になるための方法を調べはじめた。
 そして、暗黒騎士は肉体を傷つけて力を振るうという事を知ったローザは、それならばその怪我を治す医者になろうと考えた。軍医でなくとも、医療知識があればもしもの時にセシルを救うことが出来るかもしれない―――そう考えたころだ。

  “白魔法” というものを知ったのは。

 名前だけなら昔から聞いたことはあった。
 ただ、昔のバロンは今よりもずっと魔法というモノに疎かった。今でもミシディアの魔道技術に比べれば、バロンで使われているものは子供の遊戯みたいなものだ。が、当時はそんなことすらも解らないほど魔法に関して無知だった。

 そんなバロンの魔法技術を高めるために、時の国王オーディンがミシディアから数人の魔道士を招聘した。
 それと同時に、白魔道士団、黒魔道士団という新たな二つの部隊を創設した。
 しかもその部隊は、魔道の心得がある者ならば男女国籍問わないという。

 だからローザは必死で白魔法の修行をした。
 彼女の両親は魔道士ではない。だから、ローザには魔道の素養はないはずで、どんなに修行してもそう簡単に魔道士になれるはずもない。それが独学ならば尚更だ。
 だというのに、たった一年ほどで、ローザは初歩的な魔法を扱えるようになってしまった。もしかしたら祖先に誰か魔道士が居たのかも知れない。

 ローザの使う魔法は不完全で、まともに効果は発揮しなかったが、それでも魔道士の数が少ないバロンでは重宝された。
 なんとバロン出身の魔道士で入団したのは、ローザが初めてだったのだ。

(それもこれも全部セシルのため・・・セシルのことだけを考えて、白魔法まで使えるように―――)

「・・・あら?」

 不意に、ローザはなにかに引っかかりを感じて声を上げる。

「どうかなされましたか?」

 キャシーが尋ねる。
 が、それに応えもせず、ローザは今感じた引っかかりの正体を探ろうとする。

「そう・・・私はセシルのために白魔法を習得した・・・・・・でも・・・・・・」

 じっと、自分の掌を見つめる。
 セシルを助けるために手に入れた力―――しかし。

 どくん、どくん、と鼓動が身体の中から響く。
 嫌な汗が流れている。ようやく、なにかが解ったような気がして―――

 がたん、とローザは席を立ち上がった。
 そして強ばった表情のまま、キャシーに告げる。

「キャシー」
「はい、お嬢様」
「お城に―――セシルに会いに行くわ!」

 


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