ファイナルファンタジー4 IF(仮)外伝
「夢見る少女じゃいられない!」 前編
彼女は泣いていた。
ポロポロと大粒の涙を流し、悲しみに表情をゆがませて、この世でもっとも愛しい人を見つめていた。「ウィル・・・行ってしまうのね・・・」
美しい女性だった。
もうすぐ二十歳になる娘がいるのだから、四十近くのはずなのだが、まだ三十代前半―――下手をすれば二十代と言っても通用する。
光に煌めくようなブロンドの髪を振り乱し、彼女はすがりつくように自分の夫の手を両手で握った。「私を・・・連れて行ってはもらえないの・・・?」
懇願するようなディアナに、夫―――ウィル=ファレルは寂しげな笑みを浮かべた。
こちらは彼女ほどに美形ではないが、やや童顔で、背も低めであるためかそれなりに若く見える。背の高さはディアナとほぼ同じくらいで、端から見ていると、まるで夫婦というよりは姉弟のように見える。「僕も君と別れるのは辛いよ。君をこのまま連れて行きたいと思う。だけど・・・駄目なんだ」
妻の涙に耐えられず、逃げるようにウィルは後ろへ一歩下がる。
「どうしてっ!?」
ディアナは涙を宙に零しながら、逃げるウィルにさらに追いすがった。
ウィルはさらに後ろに下がろうとして―――しかし、どん、と何かが背中にぶつかる。飛空艇の船体だ。
これ以上下がれず、逃げられないと気づいたウィルは、観念して妻の瞳を見返す。「・・・解ってくれないか? 国王の命令なんだ」
「そう・・・」ウィルの言葉に、ディアナはなにか諦めたようにウィルの手を離し、彼から一歩下がると背を向けた。
「貴男はいつもそうね。国のため、国王の命だと言っては城に行って、そうして何日も帰らない。私と貴男が一緒になってから、貴男が家にいる時間と、城にこもっている時間、果たしてどちらの方が多いのかしら!」
「解ってくれディアナ。これは君のためでもあるんだよ・・・」
「私の、ため・・・?」夫の言葉にディアナはおそるおそるといった様子で振り返る。
するとそこには、優しく微笑むウィルが居た。「僕は君やローザが暮らしているこの国を守りたい! そのために僕は行くんだよ」
「私と・・・ローザのために・・・?」
「そのために君に寂しい想いをさせてしまうのは僕だって辛いんだ! でも・・・信じてくれ。僕はきっと帰ってくる。君の元へ―――」
「ああ、ウィル―――!」夫婦は互いの愛を確かめ合うかのように抱きしめ合う。
そこへ明るい光が二人を照らし出して演出し、さらには紙吹雪まで辺りに舞う。まるで演劇のクライマックスシーンのような光景。
と、そこへ別の登場人物が声をかける。
「あの、すいません・・・そろそろ気は済みましたか?」
先程、会話に出ていた “国王” がなぜか敬語でお伺いを立てる。
ウィルの腕に抱かれたまま、ディアナは首だけセシルの方を振り向くと、「次、第二幕があるのだけれど」
「お願いですからいい加減にしてください」疲れ果てた心境で、セシルは懇願した。
******
バロン城内にある飛空艇のドッグである。
エイトスへ、キスティスとウィルを乗せた飛空艇を見送って、セシルは疲れたように吐息した。「なんで君の一家はああいう寸劇が好きなんだ・・・?」
キャシーと一緒になって、床に散らばった紙吹雪を箒で掃き集めていたローザに向かって言う。
ちなみに今、辺りにいるのは名前が出た三人だけだ。ウィルがエイトスへ旅立ってしまったので、もう用はないとディアナはさっさと帰ってしまった。
普段、セシルと一緒に行動しているはずのベイガンは、ディアナを送るついでに、先程シーンを演出していたレフ板をファレル邸へと運んでいた。なんでそんなものがファレル邸の倉庫に転がっていたのかは不明だが。ちなみに先程の演出。
レフ板を掲げ持っていたのはキャシーで、紙吹雪をまき散らしたのはローザだった。「だって、楽しいじゃない」
箒の手を止めてローザは言う。
掃き掃除など、城勤めの使用人にでも任せておけばよいのだが、しかしローザは「別の人に任せたら、捨てられちゃうじゃない」と自ら掃き掃除を始めた。恐ろしいことにどこかで再利用するつもりらしい。「お嬢様、おおむね掃き集め終わりましたが」
「ん。それじゃああとはゴミ袋に詰めて・・・あら、持ってきた袋はどこかしら?」紙吹雪が入っていた袋は、なぜかセシルの足下にあった。
それを見つけたキャシーは、びしっとセシルを指さして。「そこのゴミ―――けほんけほん、おっとむせてしまいました。そこのゴミ袋を取っていただけないでしょうか、陛下」
「随分と不自然なむせ方だったけど、変な病気じゃないよね? もしそうなら移してもらいたくないから、さっさとどこかに消え失せてくれないかな?」
「ご安心下さい陛下。どんな病原体も御身を冒すことはないでしょう―――時に話は変わりますが、 ”馬鹿は風邪をひかない” という格言をご存じでしょうか? ええ、今の話とは全く関連性はございませんが」セシルもキャシーもにこやかに笑いながら毒を吐き合う。
そんな二人の様子を見て、ローザは不機嫌そうに口を尖らせた。「二人とも、随分と仲がよいのね」
「「どこが!?」」
「だって二人とも、私とお話しているときよりも饒舌になってるじゃない」
「「う」」思わず言葉に詰まりかけ、しかしセシルはすぐに反論する。
「というかそれは君がお喋りだからだよ。君と話していると、君ばかり喋っていて、僕はただ相づち打つだけだから・・・」
セシルにしてみれば、別にキャシーなんかと仲良くなんかない、ということを強調したかったのだろうが、ローザはそう受け取らなかったようだ。さらに不機嫌そうにほほを膨らまして、文句をいう。
「私が悪いって言いたいの?」
「いや、そーいう意味じゃなくて・・・」
「ならどういう意味かしら?」
「えーと・・・」再び言葉に詰まる。
「僕はキャシーなんか嫌いだって言いたいんだよ」というのは、何となく言いにくかった。
確かにキャシーとは仲が良いとは言えないが、その原因がローザの事を想ってのことだと解っている。自分が愛している女性のことを大切に想ってくれているというのはありがたいと思うし、その気持ちもよくわかる。だから険悪にはなっても、面と向かっては拒絶しにくい。そしてそれはキャシーも同じなのだろう。「やっぱり私が悪いのかしら」
「それは絶対に違うから。ええと、うまく言えないけど・・・ごめん、僕が悪かった。謝るよ」何も言えなくなって、セシルは頭を下げた。
―――それが最悪の失敗だと気づかずに。「・・・・・・」
「・・・ロ、ローザ?」頭を上げたセシルが見たものは、さっきまでの不機嫌そうなローザではなかった。
すでに口を尖らせてもいなければ、ほほを膨らませてもいない。
ただ目を細め、冷ややかにセシルを見つめていた。「今の、本当に悪いと思って謝ったの? だとしたら、何を悪いと思って謝ったのかしら?」
「そ、それは・・・君を不快な気分にさせて悪かったなあって」
「つまり、私が不愉快にならなかったら、悪いと思わなかった―――謝らなかったってことよね?」
「そ、そうなのかな・・・?」いつの間にか泥沼にはまっているような気分になりながらセシルはしどろもどろに答える。
「セシルは謝らなくてもいいことでも、私の機嫌が悪くなったら、 “とりあえず” 謝るのね」
「あ・・・!」ようやくローザの言わんとしていることが解った。
だが遅すぎる。「ローザ、違うんだ。僕は―――」
「 “ごめんなさい” セシル。こういう言い方は無いわよね」
「う・・・」謝られて、セシルは二の句が告げられなかった。
相手を不快にしたからといって、それをうやむやにするために “とりあえず” 謝っておく、というのは解り合おうとすることを放棄する行為である。
それはある意味、相手を拒絶するのにも等しい。普段のセシルならば、今のように “とりあえず” 謝るなどということはしなかっただろう。
相手がローザだからこそ、早く機嫌を直してもらいたくて、思わず謝ってしまったのだ。しばらく気まずい空気が流れる。
ローザは不機嫌のまま口を固く閉じて、セシルから視線を外している。
セシルはそんなローザになにか弁解しようと口を開きかけるが、どんな言葉を紡いでも逆効果になるような気がして結局何も言うことができない。やれやれ、とキャシーは仕方なくといった様子で口を開いた。
「陛下、申し訳ありませんが、チリトリを持ってきていただけないでしょうか?」
さっきから、集めた紙吹雪を手ですくってゴミ袋の中に入れていたのだが、それではどうにも効率が悪い。
―――というのは建前で、一旦、この場を離れて、頭を冷やしてこいという意味である。キャシーにしては珍しく、セシルに助け船を出した形になるが、彼女的にはセシルを助けたと言うよりも、ローザの機嫌が悪いことが嫌なだけだ。「あ、うん、解った」
キャシーの意図がどうであれ、セシルにとっては助けに他ならない。
ローザに気取られないように、内心で安堵すると、ドッグの出入り口に回れ右し―――かけたその時。「これで良いかね?」
「!?」突然、キャシーの目の前にチリトリが差し出された。
キャシーはそれを受け取ろうとせず、反射的にゴミ袋と紙吹雪を投げ出して鋼線を構え、唐突に出現してチリトリを差し出した男を見る。壮年の男だ。
とはいえ顔つきは精悍さがにじみ出ていて、髪の毛に白いものが混じってなければ、青年と形容してしまうかもしれない。
ちょっと街に出れば見かけるような軽装姿で、城の騎士や兵士のようには見えない。「何者ですか!?」
油断無く鋼線を構えつつ、キャシーは誰何の声を上げる。
男から殺気や敵意は感じない。むしろ穏和に微笑んでいる。
だが、一瞬前までこの場にはセシル、ローザ、キャシーの三人しか居なかった。元忍者でもあるキャシーに、露とも気配を感じさせずに唐突に現れた男に、キャシーは警戒を崩さない。「・・・って、陛下!?」
不意に声があがった。
それはセシルの声だ―――が、その内容にキャシーは疑問を持つ。現在、このバロンの王はセシルだ。そのセシルがこの国で “陛下” と呼ぶ人間は居ないはず―――「あらほんと。オーディン様じゃない」
セシルに続いて、のんきに呟いたローザの声に、キャシーは思わずローザを振り返った。
「え・・・? あの、お嬢様? オーディン様とは・・・」
「やだキャシーったら。もうセシルの前の王様のこと忘れちゃったの?」
「いえ、それは覚えていますが・・・」キャシーは困惑して混乱する。
オーディンの事はもちろん覚えている。その姿も、何度も拝見したこともある。
しかし、オーディンはすでに死んだはずで、しかも目の前に居る男は、キャシーが最後に見たオーディンの姿よりも幾分若い。「いかにも私はオーディンだ。襲いかかったりしないから、とりあえず物騒なものは仕舞ってくれんかね?」
「・・・・・・」混乱しながら、キャシーはオーディンの言葉に従う。
とりあえず敵意がないことは最初から感じていたし、なによりもセシルもローザも全く警戒した様子が見えない。オーディン、というよりはセシルとローザの二人を信用することにして、キャシーは武器を仕舞う。「陛下、何故こんなところに・・・」
「セシルよ、私はもう陛下ではないぞ?」
「いやその・・・つい・・・」オーディンのことはずっと “陛下” と呼んできた。
いまさら “オーディン様” とは呼びにくい。「呼びにくいのならば、 “パパ” とか “お父上” でも構わんが」
「なんでそうなるんですか!?」
「一応、私は “拾いの親” ではないか」
「そういう言葉は初めて聞きましたよ」
「半月くらいは世話したのだがな。覚えていないか?」
「それは赤ん坊の頃の話ですよね? 覚えているはずないじゃないですか!」セシルのつっこみに、オーディンは「むう」と唸って、
「正直に言うとだな。 “お父さん” とか呼ばれて見たいのだが」
「いやそんな事言われても」
「私の事を父と呼ぶのは嫌かね?」
「嫌というわけではないんですか」なんかさっきのローザとのやりとりに似てるなあ、などと思いつつ、セシルは苦笑して答える。
「オーディン様のことは父のように思っています。ですが、私にとって “父親” と呼べるのは一人しか居りません」
もっともセシルは彼のことを父と呼んだことはない。
だが、やはりセシルにとって父親は誰かと問われれば彼をもって他にはない。「む。ならば仕方あるまい」
セシルが誰のことを言ったのか悟って、オーディンは素直に納得する。
「申し訳ありません」
「謝る必要はない。お前の気持ちも察せずに、無理を言った私が悪いのだ」そう言いながら、オーディンはどこか嬉しそうだった。
セシルが “神父” のことを、今でも気にかけているのが喜ばしかったのかもしれない。「・・・そろそろ質問してもよろしいでしょうか?」
困惑したままのキャシーがおずおずと手を挙げる。
「オーディン様はお亡くなりになったと聞きましたが・・・」
「うむ。ちゃんと死んだぞ」
「・・・・・・」きっぱりと肯定され、キャシーは困ったようにセシルを振り返る。
「・・・私は馬鹿にされているのでしょうか?」
「いや、そんなことは全然ないから」オーディンという男は、全く冗談のない男だった。
生真面目というわけではない。単に異常なほど素直なだけである。どんなことでもまともに受け止め、どんな時でも常に本気だ。
嘘を吐かないというわけではない。ただ、嘘を吐くときも本気で嘘を吐く。「・・・まあ、僕も良く解ってないんだけど」
と、昨晩、城の地下で起きた出来事をかいつまんで説明する。
「つまり、オーディン様は人ではないものとして甦ったということですか?」
「その表現は少し違うな。甦った、のではなく、本来の私に戻ったのだ」オーディンが補足するが、キャシーにとってはどちらも変わらない。
「どちらにしろ、信じがたい事には違いありませんが―――そう言えば、お嬢様は驚き」
ませんでしたね、とキャシーはローザを振り返った瞬間動きを止めた。
「・・・・・・」
ローザはじーっと半眼でセシルを見つめていた。
キャシーですら初めて見るような不機嫌な表情。すでに不機嫌、を通り越して怒りさえ滲ませているように感じる。「あ、あの、ローザ? どうかしたのかい・・・?」
キャシーが言葉を失ったことで、セシルもようやくローザの視線に気がつく。
いや、もしかしたら気づきながら気づいていないふりをしていたのかもしれない。セシルが問うと、ローザはぷいっとそっぽを向く。
「別に。ただ、オーディン様相手なら “とりあえず” 謝ったりはしないって思っただけ」
「あー・・・・・・」セシルは頭を抱えた。
どうやらローザはまだ機嫌を直していなかったらしい。(・・・逃げるか)
この場に居続けても泥沼だ。
なら、なにか急用をでっちあげてでもこの場は逃げた方が良いと判断して、セシルは口を開き駆けたまさにそのとき、空気読めない人が先に問いかけた。「なんだ。お前たち、ケンカでもしているのか?」
きょとんとした様子でオーディンが言う。
一瞬、セシルはかつて陛下と呼んだ相手に対しての畏敬の念も忘れ、アホかぁっ、とか叫びそうになったがギリギリでこらえる。「・・・・・・別にそんなことはありません」
感情を抑えた声でローザが答える。
「ならば良いのだ。ケンカするなとまでは言わぬが、仲良き事は美しき事、ともいうしな」
ローザの言葉をそのまま信じて、オーディンはうんうん、と肯く。
本気で空気の読めない元国王である。「ところでセシル、今日私がここに来たのは別にチリトリを渡しに来たわけではないのだ」
「はあ・・・・・・」何事も無かったかのように話を切り替えてくるオーディンに、セシルは疲れ切った気分で相づちをうつ。
逃げるタイミングは完全に逃してしまった。もう何も考えずに、ローザたちに背を向けてこの場を走り去りたい衝動に駆られたが、何も言わずに逃げ出してしまえば、それこそローザを拒絶する行為である。「お前にこれを渡そうと思ってな」
と、どこからともなく取り出したのは、小汚く、古ぼけた小瓶だった。
中には液体が入っているようで、オーディンがセシルに差し出すと、わずかな水音が聞こえた。「なんですか、これは?」
受け取りながらも、セシルはどこかでその瓶によく似た瓶を見たことがあるような気がしていた。
セシルの問いに、オーディンは「うむ」と肯いてから答える。「エリクサーだ」
「はあ、エリクサー・・・・・・ええええええええええええええっ!?」驚きのあまり、思わず瓶を取り落としそうになる。
エリクサー。
遙か昔、古代と呼べるほどの昔に作られた超万能魔法薬だ。
すでにその製法は失われているため、現存するのは古い遺跡などから発掘される分だけである。数千年という気の遠くなるような年月を経ているというのに、その効力は全く失われていない。
かつてセシルは、ミシディアでその薬を飲まされ、ダークフォースのせいで芯からボロボロになっていた身体を全快させている。
「ずっと昔からバロンに伝わっている秘薬だ」
「バロンに伝わって・・・? そんなもの、どこに在ったっていうんですか!?」セシルは王となってから、バロンにある宝物庫を再確認した。
そこにエリクサー――― “あの二人” も助けられるモノがないかと期待して。
だが、結局、なにも有用なものは見つからなかった。「昨晩の “謁見の間” の玉座の後ろだ。 “もしものとき” のため、隠されていたのだよ」
「・・・なるほど」確かにエリクサーを使わなければならないような時―――それは死ぬような怪我を負った時だろう。そして国王がそんな怪我を負うときと言えば、敵に攻め込まれ、逃げなければならないような状況の時だ。
「だからあんなところに・・・」
「そういうわけだ。・・・もっとも残りは少ないがな」
「え?」言われ、確認してみれば、瓶の中に液体は半分も入っていなかった。
何故? という疑問がセシルの中にわき上がる。知っている限りの歴史では、今までにバロンが城まで敵に―――つまりはエブラーナに―――攻め込まれたことはたった一回しかない。つい一ヶ月とちょっと前、ゴルベーザがファブールへ攻め込んだ直後の話だ。早い話、オーディンが潜んでいた地下の謁見の間を使う機会も、そこに隠してあるエリクサーを使うことも今までは無かったはずだった。
そんなセシルの疑問を見てとったのか、オーディンが問いかける。
「野心ある王が最後に求めるのはなんだと思うかね?」
「・・・そういうことですか」オーディンの一言でセシルは理解した。
野心ある王が最終的に求めるもの。それは自らの命だ。
欲深き故に、死ぬことを認めず、怖れ、回避しようとする。永遠の命を望む者にとって、エリクサーは一度は試してみたい霊薬だろう。それを考えれば、むしろこれだけ残っていたことが奇跡にすら思える。
「ありがとうございます、陛下!」
思わず自分の立場も忘れ、セシルはオーディンに向かって敬礼する。
「礼を言う必要はない。今の王はお前なのだから、この城にあるものは全てお前のものだ」
それよりも、とオーディンはキャシーが手放したゴミ袋を拾い上げ、
「ここは私が片付ける。早く行くがいい」
「・・・。申し訳ありません、お願いします!」かつての主君に掃除を押しつけることに一瞬躊躇したが、それよりも早く彼らの石化を解きたいという想いが強かった。
この場をオーディンに任せることにして、セシルはローザを振り返る。「ローザ、行こう!」
「え? ええ・・・」さっきまでプチケンカ状態だったのがしこりとなっていたのか、セシルに声をかけられて、彼女は一瞬戸惑う。
だがすぐに肯くと、キャシーを振り返った。「キャシー、後のことは任せても良いかしら?」
「もちろんですお嬢様」
「片付けたら、先に帰っていて」
「解りました」使用人が承諾するのを確認して、ローザはセシルとともにその場を後にする。
それを見送ってから、キャシーはオーディンを振り返る。
死んだはずのオーディンの存在を、まだ彼女は許容できていない。だが、そんなことよりも主の命は絶対だった。
ひとまずそのことは置いておいて、ファレル家のメイドは佇むオーディンへ優雅に一礼した。「それではオーディン様。恐れ多いとは感じますが、後片付けを手伝ってもらってもよろしいでしょうか」
******
セシルは全速力で駆け出したい衝動を抑えて、足早に城内を進む。
その後ろをローザが小走りになって追いかける。「セシル、行くって何処に・・・?」
問いかけるローザに、セシルはそこでようやくローザの事を思い出したかのように歩調をゆるめ、彼女を振り返った。
「ああ、すまないねローザ」
謝りながら、セシルは手にしたエリクサーの瓶をローザに見せる。
「これを必要としている二人の元へだよ」
「二人・・・・・・? ―――あ」ようやくセシルが何処へ行こうとしているのか理解して、ローザは声を上げる。
そして、セシルから視線をそらしつつ、少し口を尖らせて言い返した。「・・・別に、私が行く必要なんてなかったのではないかしら?」
「そんなことないよ。これで石化が解けたとしても、彼らは衰弱してしまっているかもしれない。君の白魔法が必要になるかもしれない―――それに、あの二人を君に会わせてみたいんだ」
「どうして?」
「それは―――」と、セシルがその理由を言おうとした時だ。
「セシル王!」
聞き覚えのある老人の声が聞こえた。
セシルがそちらの方を振り返ると、別の通路から三人の老人が歩み寄ってくるところだった。「テラにクノッサス導師・・・それにミシディアの長老」
娘の仇を討つためにゴルベーザ打倒を誓い、セシルに力を貸してくれている賢者テラ。
先代の王であるオーディンが王座に就いたとき、バロンでの魔法技術を高めるためにミシディアより招聘されたクノッサス。
そして、現在ミシディアの魔道士たちを束ねているミシディアの長老。いずれも魔道に長けた老人だ。
そんな三人が揃っているのを、セシルは初めて見た。「珍しい取り合わせですね」
「そうか? 一応、昔なじみではあるのだが」テラが首をひねりながら答える。
三人とも年齢は若干違うものの、近しい世代で名を馳せた者たちだ。
テラとミシディアの長老は元から知り合いであったようだし、ならばミシディア出身のクノッサスが顔見知りでもおかしくはない。と、長老が前に出る。
「セシル王、探しましたぞ。実は大事なお話が・・・」
「長老! 丁度良いところに!」長老の言葉を遮って、セシルは嬉しそうに手にした小瓶を見せつける。
普段のセシルならば、まず長老の話に耳を傾けただろうが、そのときのセシルはそれだけ興奮していたということだろう。
長老も、セシルに見せられた小瓶を目にして目を見開く。「そ、それはまさか、エリクサーでは・・・」
「そう! なんでも代々の王がいざというときのために隠し持っていたものらしい」
「ふむ。話には聞いたことがありましたが・・・」城勤めの長いクノッサスも、噂くらいは耳にしていたらしい。
「これがあれば、彼らの石化も・・・」
「むう。しかし随分と量は少ないようだな」難しい顔でテラが呟く。その言葉に、それまでいてもたっても居られないほどはしゃいでいたセシルのテンションが一気に下がる。
「これでは足りないと?」
「・・・・・・いや、足りずとも石化の力を弱めることはできるはず。さらに “エスナ” をかければ或いは・・・」
「ならクノッサス導師。お願いできますか?」セシルがクノッサスに下手で頼み込むと、フォールス最高位の白魔道士は苦笑する。
「お願いもなにも、貴方は王で私は臣下です。遠慮無くご命令下さい」
「いやまあ、そうなんだけど・・・」セシルも苦笑を返す。
未だに王という立場に慣れない。さらに付け加えるなら、クノッサスは暗黒騎士団長であるウィーダスと並ぶ古株だ。あのベイガンよりもさらに長くバロンに仕えている。
言うなればセシルの大先輩に当たるのだ。さらに加えてローザの上司にして師匠でもあるし、セシル自身も陸兵団や赤い翼時代に、何度もその白魔法に命を救われたことがある。クノッサス=アーリエという導師は、ウィルとは別の意味で頭の上がらない相手だった。
と、そのクノッサスが、ふとローザへと視線を向けた。
ローザは珍しく静かに押し黙り―――いや、クノッサスの前ではいつも借りてきた猫のように大人しかったりするが―――さりげなくセシルの背中に隠れるようにしていた。「おや? そう言えばローザ。どうしてここに? 私が与えた課題は終わったのですか?」
「ぎく」
「 “ぎく” ではありません。まさか、課題を放りだしたわけではないでしょうね?」クノッサスは無表情にローザを見つめる。
ローザは視線をそらしつつ、顔にだらだらと冷や汗をかきながらしどろもどろに言い訳をする。「そ、そのっ、違うんですっ。お、お父様がエイトスに旅立つって言うから、だから、その、お、お見送りに・・・」
「見送り、ですか」
「そ、そう! ちゃんとセシルの許可も取ってあるし。―――ねえセシル!」
「・・・そうだね。言われてみると許可した覚えがあるかな」ローザに話を振られ、セシルは苦笑しながら肯定した。
実際のところ、許可どころかローザが課題なんて出されていたことすら知らなかったりする。「ふむ・・・陛下が許可されたなら仕方ありません」
言いつつも、クノッサスはローザの言い訳など信じていない様子だった。
信じていない、というよりも “見抜いている” と言った方が正しいだろうか。「ですがローザ。代わりに別の課題をこなしてもらいますよ」
「はっ、はいっ、解りましたっ!」ローザはびしっと敬礼する。
「では善は急げと言います。早速、あのバカタレ共を救いに行こうではありませんか」
ローザとクノッサスのやりとりに区切りがついて、長老がせかすように言う。
ミシディアの長老が “彼ら” の居る謁見の間の廊下の方へと足を向ける。
誰よりも “彼ら” の復活を願っているのはこの長老に違いない。「そうだね。―――では導師、頼みますよ」
「・・・・・・」セシルが声をかけると、クノッサスはなにやら考え事をしているようだった。
怪訝に思ってもう一度声をかける。「導師?」
「む。申し訳ありません陛下。なんでしょうか?」
「いや、頼むって言っただけだよ」
「・・・・・・心得ました」しばし間をおいてクノッサスは首肯する。
その様子にセシルは奇妙なものを感じたが、特になにも追求せずに、 “彼ら” の元へと足を向けた―――
******
謁見の間へと続く廊下―――
その廊下には二つの石像が置かれている。否、 “置かれている” というのは正しくはない。
その石像は、それぞれ左右の壁に手をつけて、壁を力一杯押すような姿勢をした、双子の石像だ。
セシルはこの廊下を通るたび、双子の石像を目にする度、悔しさと怒り、悲しみなどが入り交じった感情がわき起こる。「パロム・・・ポロム・・・・・・」
手の中の小瓶をぎゅっと握りしめる。
「陛下、では・・・」
「ああ・・・」セシルは肯いて、小瓶の栓を抜いた。
そして、双子の頭へと均等にその中身を振りかけていく。元々が少なく、さらに二人に分け与えたために、一人あたりの分量はさらに少なくなっていた。
エリクサーは雫としてこぼれるほどの量もなく、二人の頭に全て染みこんでしまった。駄目か―――と、セシルが不安に思った瞬間。
石化した双子の頭頂部―――エリクサーの染みこんだ部分が薄ぼんやりと光り始めた。
その光は、頭から全身へと徐々に広がっていき、瞬く間に全身を包み込んだ。「石化が解ける・・・?」
「いや。やはり足りん―――クノッサス!」テラがクノッサスを振り返り叫ぶ―――だが、クノッサスは詠唱を開始しようとしない。
「導師・・・?」
セシルも困惑してクノッサスを振り返る。
先程なにやら思案していたことと関係あるのかと思い浮かんだが、その理由まではわからない。「何をしておる! 早くせんと、エリクサーの効力が切れてしまう。手遅れになるぞ!」
長老が焦ったように叫ぶ―――が、クノッサスは詠唱を始めずに、ローザへと視線を向けた。
「ローザ、貴女がやりなさい」
「・・・え?」
「貴女が彼らを救うのです」
「私が・・・? でも・・・!」ローザはぼんやりと輝く双子の石像を見る。
まだ幼すぎる子供たち。けれど、まさに命がけで、誰にも解けないほどの石化魔法を行使した。テラやクノッサスにすら解けなかった魔法だ。
エリクサーの力があるからとはいえ、ローザの力で解けるとは思えない。「無理よ!」
「やりなさい。これが貴女に与える “課題” です」
「・・・・・・っ」冷たく、厳しく言われ、ローザは息をのむ。
そして再度双子の石像を見る―――二人を包む光は、先程よりも弱くなっているような気がした。エリクサーの力が弱まっている。このままでは長老の言うように手遅れになってしまう。ローザは震える両手をそれぞれ双子へと向ける。
早く魔法を使わなければならない。
しかし、下手に失敗して、取り返しの付かないことが起きてしまったら、という想いがローザから言葉を奪う。
回復魔法を失敗して、激痛を与えるくらいならまだ良い。もしも魔法が変に作用して、石像にヒビが入るようなことでも起きてしまえば―――そう思うと、ローザは魔法を唱えることはできなかった。
「・・・できないっ!」
双子に伸ばした手を引いて、自分の胸を抱く。
その身体は、傍から見て解るほどに震えていた。
ローザにしては珍しい、怯えた様子でクノッサスを振り返る。「私にはできない・・・怖くて・・・できない・・・!」
今にも泣き出しそうなほど震えているローザに、クノッサスはにっこりと優しく微笑んだ。
「―――それで良いのですよ」
「え・・・?」
「ローザ、貴女は今まで魔法というものを軽々しく使いすぎていた。しかし魔法というのは未だ人智の及ばぬ部分があり、まだまだ人の手には余る力でもあります。そんな力を怖れもせず、無闇に使っていれば、いずれ取り返しのつかないことを起こしかねません。わかりますね?」
「・・・はい」ローザは神妙に頷くと、クノッサスは満足そうに頷き返す。
「おいクノッサス、説教は解ったが早く魔法を!」
ミシディアの長老が急かす。
長老やテラも石化を解く魔法を使えるが、こと白魔法に関しては、賢者と呼ばれたテラよりもクノッサスの方がレベルが高い。「解っておる。では―――」
と、クノッサスが双子に向かって魔法を唱えようとしたその時だ。
「待て」
不意に、制止の声が飛んできた。
何事か、と見ればセシルが半眼でクノッサスを見つめていた。「陛下・・・? 待てとはどういう意味ですか?」
その問いかけに、しかしセシルは答えずに視線をローザへと向ける。
「ローザ、君がやるんだ」
「え・・・?」言われた意味が理解出来ない、とでもいうかのようにローザはきょとんとする。
「お待ち下さい陛下!」
慌ててクノッサスが口を挟む。
「先程、私が言ったのはあくまでローザに魔法を使う ”恐怖” というものを教えるため。今のローザでは、万が一と言うこともあります。ここは私が―――」
「そんなことはどうでもいい」
「へ、陛下・・・?」困惑し、愕然とするクノッサスを無視して、セシルは再度ローザに要請・・・いや、強制する。
「ローザ、君がパロムとポロムを救うんだ」
「わ、私には無理よ!」
「無理でもやるんだ」
「どうして・・・?」いつになく厳しいセシルに、ローザはショックを受けて呆然としていたが、やがて段々と怒りがこみ上げてくる。
「どうしてそんな意地の悪いことを言うの!?」
「君がやらなければならないからだ」
「解らないわよっ!」ローザは泣いていた。
怒鳴りながら涙を零し、セシルを睨付ける。
対し、セシルは無感動に半眼でローザを見返すだけだ。「いかん! エリクサーの効力が・・・!」
「くっ・・・!」テラの叫んだとおり、双子を覆う淡い光が、今にも消えようとしていた。
それを見て、クノッサスは口早に魔法を詠唱開始する!「 “天駆ける風―――」
「待てと言ったッ!」クノッサスが詠唱するのを聞いて、セシルは腰の剣を抜き放つ。
エブラーナに向かったはずのエニシェル―――デスブリンガーではない。バロン王の正装である “王の鎧” の付属品である、王の剣―――キングスソードだ。
“王の鎧” と同じく、儀礼用の装飾品という意味合いが強いが、切れ味は割と良く、一般の騎士達が使っている剣よりも高品質だったりする。「陛下・・・!」
目の前に切っ先を突き付けられ、クノッサスは詠唱を中断する。
「何を考えておられるのですかっ!」
激しく怒気の籠もった声でクノッサスが真っ向からセシルに怒鳴りつける。
しかしセシルは平然と、全く変わらぬ調子で答えた。「さっきから言っているだろう。これはローザがやらなければならない事であると」
「光が・・・」呆然と長老が呟く。
双子を覆っていた光は、完全に消えてしまった。「・・・・・・っ!」
「! ローザ!」エリクサーの効力が消失してしまったのを見て、ローザが身を翻して廊下を飛び出す。
それを見送り、セシルも剣を腰に納め、ローザが出て行ったのとは反対方向―――謁見の間へと足を踏み出した。「陛下!」
クノッサスに呼び止められ、セシルは足を止めた。
振り向かないまま、返事をする。「なにかな?」
「一体どういうことなのか―――説明して頂けるのでしょうな!?」
「説明する必要はない」そう言ってセシルは再び歩き始める。
クノッサスがもう一度「陛下!」 と呼び止めるが、二度とは立ち止まらずに、セシルはその場を後にした―――