第22章「バブイルの塔、再び」
R.「春雷」
main
character:エドワード=ジェラルダイン
location:バブイルの塔
“鬼” の動きは明らかに変化していた。
先程までの何も考えていないような、単調な動きで殴りに来るだけの攻撃ではない。緩急をつけ、フェイントを織り交ぜ、正面からだけではなく横や背後に回り込んで攻撃を仕掛けてくる。
「くそっ・・・」
エッジは砕けた左肩を抱え、その激痛に耐えながら、汗と脂汗と冷や汗を流しつつ、必死でそれらの攻撃を回避する。
さっきまでも、最短距離を最速の動きで迫る攻撃を回避するのはギリギリだった。だが、向かってくるものを避けることに集中すれば良かった分、気は楽だった。だが、今は変幻自在に変化する攻撃に一瞬たりとも気は抜けない。
一手読み違えれば、それだけで終わりだ。(なんとか致命傷を受けてないのは、フェイントが混ざっている分、さっきよりも “遅い” からだ・・・このままじゃやられちまう!)
今のエッジは逃げ続けることしかできない。
それでも鬼の一撃はエッジの身体をかすめ、打ち、着実にエッジの身体にダメージを重ねていく。一瞬、バッツ達の姿が脳裏に浮かぶ。
仲間の手を借りれば、この鬼にも勝てるはず―――(―――できるか! そんなことッ!)
心の中で絶叫しながら、エッジは眼前に迫る拳を回避―――しようとした瞬間、その拳がピタリと止まった。
釣られるようにエッジも動きを止めた―――が、すぐに失策だと気がつく。慌てて逃げようとした時には、すでに鬼の回し蹴りがエッジの脇腹に迫っていた。「ぐふあああああああああっ!」
悲鳴をあげて吹っ飛ぶエッジ。
蹴られる直前、エッジはなんとか床を蹴っていた。
蹴りは当たったが、跳躍することでその威力を逃がし、ダメージを軽減する。それでもエッジの胴以上はあるような脚から放たれる蹴りだ、肋骨にヒビくらいは入っているな、と、エッジは激痛に表情を歪ませて、それでもなんとかまだ立ち続ける。(くそ・・・さすがにヤベエ―――うん?)
てっきり追撃が来るのかと思ってエッジは鬼に向かって身構える。
だが、鬼はすぐに動く気配はなかった。
それに、その異形の口元には笑みが浮かんでいる―――ような気がした。それは嘲るような笑みではない―――いや、近いかも知れないが、それはまるで、単純なフェイントに引っかかったエッジを小馬鹿にするような、エッジが良く知っている男の苦笑だった。
(オヤジ・・・・・・?)
不意に、さっきから感じていた違和感が、一気に疑問として膨れあがる。
最初は単調だった攻撃が、エッジの一撃を受けてから変わったのは何故か?
未だにエッジが立って、生きていられるのは何故か? 完全な直撃は避けているとはいえ、鬼の力で放たれた一撃を、数度身に受けている。左肩は砕け、肋骨にはヒビが入り、全身あちこちダメージを負ってはいるが、まだ立っていられるのは、まるで鬼が手加減でもしているかのようだった。それに、さっきよりも回避しにくい、フェイント混じりの攻撃を、未だに直撃されずにいる。
単にフェイントの分だけ、単発の速度が下がったせいだと思っていたが―――(そうだ・・・この動き・・・俺が良く知っている動き・・・)
エブラーナ王エドワード。
最初のような “鬼” の動きではなく、エッジの良く知る父の動きだ。だからこそ、エッジは辛うじてその動きを見切ることができた。なによりも―――
「何をやっているの!?」
不意に、セリスが叫ぶ声が聞こえた。
気がつけば、目の前に “鬼” ―――いやエドワードがいつの間にか接近していた。
しかしエッジは、ただ呆然とエドワードを―――その瞳を見つめる。そこで、ようやくエッジは最初の違和感の正体に気がつく。
(目が・・・赤くない・・・)
爛々と赤く輝いていたはずの目が普通の色へと戻っている。
異常に釣り上がっていて、人間とは思えない異形の目ではあるが、少なくともそこに狂気は見えない。「やっぱりオヤジ、正気に―――」
言いかけた瞬間。
エドワードの瞳に、視界の光景が吸い込まれるような幻視がエッジを襲う。
視界内の全てが瞳に吸い込まれ、最終的にはその瞳自体も瞳の中に消えるという奇妙な矛盾を最後に、エッジの周囲が闇に包まれた―――
******
乱れ雪月花―――
今はもう、エドワードしか使う者が居ない、エブラーナ秘伝の幻術である。
名の通り、月下の闇の中に、舞い散る桜の幻影を見せる幻術だ。足下に舞い落ちた花びらは雪へと転じ、幻想的な情景を見せつける。本来、幻術というものは強い痛みを肉体に受ければ解けるものだが、この幻術は舞い散る桜の花びらの幻影が対象をさらに幻惑させ、間断なく幻術をかけ続けることにより、延々と術の虜にする。
そのため、一度かかれば、死ぬか術者が解くまで決して解けない幻術だ。「・・・相変わらず間抜けなヤツだな。コレがあるって解ってただろうによ」
闇の中、舞い散る花びらの向こうから、エドワードの声だけが響いてくる。
その声を聞いて、エッジは確信して怒鳴る。「やっぱりクソオヤジ、正気に戻っていやがったな!」
「正確に言うと最初っから正気だったんだがな。ただ、身体が自由に動かなかっただけで」闇の向こうから聞こえてくる声は、間違いなく父の声だった。
「しっかし、お前は本当に駄目だなあ」
「いきなり駄目出し!?」
「そらそうだ。最初の一撃、ちゃんと心臓狙ってたら、俺は死んでたはずだぜ?」
「あれは・・・っ」
「今だってそうだ。ちょーっとフェイント混ぜただけで、ポカスカ殴られやがって。俺が手加減しなかったら、今頃お前は死んでたよな」
「手加減だとお・・・?」ぎりぎりと歯を食いしばり、エッジは怒りを顕わにする。
それとは対照的に、エドワードは朗らかに笑い声を上げた。「まー、そんなわけで最後に名誉挽回の機会をくれてやる。俺の “雪月花” を破って見せろ」
「言われなくても―――って、最後!? どういう意味だそりゃあ!」エドワードの漏らした “最後” という言葉に、エッジは不吉なものを感じた。
「なに、俺の方がそろそろ限界でな? お前の攻撃で、身体の自由を取り返せたんだが、それももうすぐタイムリミットだ。また俺は身体を乗っ取られて、お前達をブチ殺そうとするハメになる」
実はエドワードの身体に仕込まれた魔物の因子。それがエドワードの身体を操っていた。
本人が言ったとおり、最初からエドワードの意識は残っていた。しかし、身体は魔物の因子が支配している。ダメージを負ったことで魔物の力が弱まり、エドワードが自身のコントロールを取り戻すことができたが、魔物の因子は徐々に再生して力を取り戻している。後少しもしないうちに、再びエドワードの身体の自由は魔物に奪われるだろう。「待てよオヤジ! 正気があるって言うなら、オヤジを元に戻す方法だって・・・あのベイガンだって、普通に生きてるんだ! オヤジだって・・・!」
「無理だっての。ベイガンと違って、俺は魔物の力を支配出来ていない。俺の身体をいじくったのはルゲイエって野郎だが、なんでも俺の身体にはベイガンの数倍の魔物の因子が組み込まれて―――・・・グッ!?」
「オヤジ!?」苦しそうに呻くエドワード王。
「・・・本気でそろそろ限界みてえだな。頼むぜエッジ、お前の手で俺を―――」
「オヤジ・・・オヤジィィィィィッ!」エッジが叫ぶが返事はない。
代わりに。「グ、オオオオオオオオオオオオオオオッ!」
地獄の底から聞こえてきたような、魔物の雄叫びが耳をつんざいた。
もう完全に魔物に乗っ取られてしまったのかもしれない。「畜生ッ!」
エッジは叫んで破れかぶれに術を発動させた―――
風遁・風舞い
エッジの周囲に風が巻き起こる。
だが、エッジが今見ている桜吹雪は幻影だ。風を起こしても吹き散らして術を破れるわけではない。
そしてそんなことは、エッジも重々承知だった。
火遁・微塵隠れ
続けてエッジは術で炎を巻き起こす。
自分を中心に爆発を巻き起こし、自爆したと見せかけて逃げ出す術だが、エッジは爆発の中心に留まった。爆発は、事前の風術で生まれた風を糧にして、その勢いを増大させる。
エッジを中心として大爆発が巻き起こる。
幻術に惑わされていようと、全方位に攻撃すれば敵に攻撃出来る。「グアアアアアアアアアアアッ!」
鬼の悲鳴が上がる。
爆発に巻き込まれたようだが、それでもまだ幻影は解けない。(爆発は時間稼ぎ。本命は―――)
エッジは爆発で全身に軽い火傷とダメージを負いながら、右手の中の折れた刀を握りしめる。
(まだ1回も成功したことがねえ術だ―――だけど、やるしかねえッ!)
右手を振り上げ、折れた刀を高々と掲げ挙げた。
「集え雷気! 奔れ閃光ッ!」
バヂヂッ、と折れた刀身に火花が起こる。
青白い電光が生まれ、それは次第に増大し、やがて眩いばかりの雷光となる。「神鳴る刃よ灼き貫けッ!」
雷迅の術
エッジの掲げた刃から稲妻が迸った―――
******
エッジの刀から放たれた雷光は、狙い違わずに “鬼” の胸元を貫く。
まだ幻術は続いている―――標的の姿が見えないはずのエッジが、何故正確に術を狙い打ち出来たかと言えば、理由は鬼の胸に突き刺さったままの折れた刀の切っ先だった。雷は金属に引き寄せられる。
それを見越してエッジは雷の術を使ったのだ。エッジの放った雷撃は、鬼の胸に突き刺さった刀に直撃し、その刀を通じて鬼の全身を雷が荒れ狂い、内部から灼き尽くす。
如何に魔物の因子によって強化された肉体といえど、内部からの攻撃は想定されていない。
鬼の身体が崩れ落ち、そのまま仰向けになって巨体が倒れる。「オヤジ!」
幻術が解け、エッジは倒れた鬼―――エドワードの姿を見つけると、即座に駆け寄った。
「エッジ・・・か・・・」
呟きながら、しかしエドワードの瞳は開かなかった。
目を閉じたまま、口元に微笑みを浮かべて呟く。「強くなった・・・な・・・」
「なってねえよ! 俺はまだアンタの足下にだって及ばない。今だって・・・!」術を放とうとしていた時は気がつかなかったが、決着が着いた今、エッジは気がついていた。
今、エドワードが魔物に乗っ取られたように見せていたのは演技であったと。
最初、魔物が身体を操っていた時、一言も声を発しなかった。なのにさっきは雄叫びや悲鳴をあげる―――それは、エッジに覚悟を決めさせるための演技だ。「オヤジ! 死ぬんじゃねえよッ、絶対に元に戻して・・・」
「残念だがそいつは無理だぜ」エッジの悲痛な叫びに、しかしエドワードはきっぱりと答える。
「ちょっとどきなさい!」
エドワードが倒れたのを見て、セリス達が駆け寄ってきていた。
セリスはエッジを押しのけ、エドワードに回復魔法をかけようと手を添える―――と、手を触れた瞬間、なにかに気がついて眉をひそめた。一瞬、逡巡したあと、セリスは魔法を詠唱した。
「『ケアルラ』!」
エドワードの身体を癒しの光が包み込む。
しかし、回復魔法をかけても、その身体にはなんの変化もない。エッジが付けた傷さえも癒されることはなかった。「駄目・・・」
「なんだよ? 何が駄目って言うんだよ!?」エッジがセリスに問いつめる。
問われ、セリスは沈痛に顔を俯かせてぽつりと呟いた。「肉体が・・・もう崩壊しかけてる。回復魔法じゃ癒やせない・・・・・・」
「だから言っただろ、無理だって」死が近づいているというのに、悲嘆に暮れるようすはなく、むしろさばさばした様子でエドワードは言う。
「自分の身体は自分が良く解ってる。さっきお前に手加減したのも、何も息子だから手心を加えたってわけじゃねえ。全力で戦えば限界が早まるって解ってたからだ」
エドワードの身体に仕込まれた魔物の因子は、人間の肉体のキャパシティを遙かに超えていた。
そのため、ベースとなっている肉体が耐えきることが出来なかったのだ。「ジュエルは居るか?」
「居るわよ」エッジの背後に、ジュエルは立ちつくしている。
異形と化し、そしてそのまま終わろうとしているエドワードの姿をじっと見下ろしていた。「後の事は任せたぜ」
「解ってる」短く、極力感情を抑えてジュエルは答える。
エブラーナ王妃として、今この場で泣くわけにはいかなかった。「ごめんな」
「・・・・・・・っ」(謝るな、バカ・・・!)
ジュエルは唇を固く閉じる。
これ以上なにか言おうとすれば、嗚咽になるような気がしたからだ。はあ、とエドワードは少し苦しそうに息を吐く。
「やれやれ・・・・・・最高の死に方だよなあ・・・・・・」
苦しそうな声。
だが、その声の調子は、何とも嬉しそうで楽しげだった。「最愛の女と、愚息に看取られて・・・・・・逝ける・・・なんざ・・・・・・忍者として望外の―――」
それが、現エブラーナ王エドワードの最後の言葉だった。
「オヤジ・・・・・・?」
何も言わなくなった父にエッジは呼びかける。
しかしその直後、ズザァッ、とエドワードの身体が文字通り崩れ、細かな砂と化した。「オヤジ・・・ッ!」
元は父であった砂の固まり。
エッジは跪いて、それを一握り分だけ握りしめる。「オヤジィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!」
エッジの絶叫。
その慟哭を耳にして、リディアは悲痛な表情でバッツを見た。「ねえ・・・こんな終わり方しかなかったの? どうしようも、なかったの・・・?」
「わかんねえよ、そんなことは。でも―――」バッツは顔を上げる。
その視線は、入ってきた入り口とは別の、部屋の奥にある扉へと向けられていた。
そしてその扉の前には、いつの間にかマントに身を包んだ、ルビカンテの姿があった。
ルビカンテは、苦々しい表情でエッジ達を見つめている。「・・・親子、だったか―――ルゲイエ・・・それにカイナッツォの奴め、これを知っていたな・・・・・・」
「てめえはッ!」敵の姿を見つけ、エッジは手の中から砂を零すと、刀を手に立ち上がる。
「オヤジの仇、取らせてもらうッ!」
「って、バカ! 一人で突っ込むな!」ロックが叫ぶが、エッジは無視して傷ついた身体でルビカンテに突撃する。
エドワードとの戦いでかなりのダメージを負っている。目に見えて動きが遅く、当然、エッジよりもルビカンテの攻撃の方が早い。「ハァッ!」
「ぐうっ!?」ルビカンテの炎がエッジの身体を包み込む!
反射的にエッジは炎を防ごうと念気を集中して―――不意に気がつく。「なんだ・・・? 熱くない・・・?」
熱くない、どころか全身の傷が治っていく。
流石に砕けた肩が完治するまでには至らないが、それでも動かせるくらいには癒された。「すまないな。この非道を詫びて済ませられるとは思わないが―――」
「・・・ったりめーだ! てめえらは絶対に許さねえッ!」
「それは良いけどな、一人で突っ走るなよ」ぽん、とエッジの肩をバッツが叩く。
「許せねえのはお前だけじゃねえ―――俺も割と頭に来てんだよッ!」
エッジと並んで、バッツがエクスカリバーを抜く。
「下がってろ! こいつは俺の仇だ!」
「その我儘はさっき聞いてやったろ―――今回は俺の好きにやらせてもらうさ」にっ、と笑うバッツに、エッジは毒気を抜かれたように呆気にとられる。
それから「チッ」と舌打ちひとつして、「邪魔はするんじゃねえぞ!」
「解ってる―――アイツをブッ倒すぞ、エッジ!」そんなエッジとバッツに対して、ルビカンテは全身を包み込むように纏っていたマントの前を開いて、背中側にマントを背負う。
途端、マントによって抑えられていた炎が、噴き出してルビカンテの全身を包み込んだ。「来るがいい! ゴルベーザ四天王最強たる炎のルビカンテがお相手しよう・・・!」