第22章「バブイルの塔、再び」
G.「戦争の血脈」
main character:リディア
location:エブラーナの洞窟
「リディア!」
「お母さん!」凍り付いた洞窟の中で、母娘は抱き合った。
二人は再会を喜び、互いの温もりを確かめ合うかのように、強く強く抱きしめあう。幻獣の力で凍り付いた洞窟の中だが、その温もりを冷ますことはなかった。
しばらく二人は抱擁を交していたが、やがてミストが力を緩めて顔を退いて、リディアの顔をじっと見つめる。
「ごめんね、リディア。今まで一人でよく頑張ってきたわね」
「・・・一人じゃないよ。あたしには、友達が居たから・・・」そう言って、あどけなく笑う。
まるで少女の頃に戻ったかのような、無垢な微笑みだ。
娘の言葉に、ミストは「そうだったわね」と微笑みを返す。「あ・・・だけど・・・」
はっ、としてリディアはミストから手を離し、後ろに一歩退いた。
何故か不安そうな表情を浮かべるリディアに、ミストは「?」と首を傾げた。「どうかしたの?」
「その・・・あたしのこと、解るの?」おずおずと、リディアは尋ねる。
今のリディアは、ミストが知っている少女のリディアではない。大人へと成長してしまったリディアなのだ。
けれど、ミストは「ええ」と優しく微笑んだ。そして続ける。「だって、聞いていたから」
「・・・え?」
「おいでなさい」と、ミストが呼びかけると、どこからともなく空間に染み出すように白い霧が出現し―――それは、ミストの肩で竜の頭を形作る。
「お母さんのミストドラゴン・・・!」
「気づかなかったかしら? この子は、リディアの召喚するモノと同じ群体なのよ?」
「へ・・・?」思わず間抜けな声を返す。
リディアが地底で召喚したミストドラゴンは、もちろん幻獣界で “誓約” したものだ。だから、ミストの村のそれとは別物だと思っていたのだが―――「なんで!? 現界と幻獣界の間には魔封壁があるはずなのに・・・?」
その魔封壁という結界に封印され、二つの世界の行き来は困難になっているはずだった。だから、ミストの村のミストドラゴンが、幻獣界に居るはずがない。
しかし、ミストは悪戯っぽく笑うと、白いミストドラゴンの頭部を優しく撫でる。「それはこの子の能力―――ミストドラゴンの正体が “群体” というのは知っているでしょう?」
「う、うん・・・」ミストドラゴンという幻獣の正体は、極々細かい無数の粒子である。
一粒一粒では物理的な力を何も持たず、せいぜいが結界を張る程度の能力しかないが、その粒子達が一つに集まることで “ミストドラゴン” となって力を発揮する。実はミストの村を覆っていた白い霧、その大半がミストドラゴンの正体であった。
「ドラゴンの状態では魔封壁は越えられない。けれど、霧の状態になれば “すり抜けられる” 。それがこの子の能力―――というか特徴なの」
「あ、あたし知らなかったよ!?」思わずリディアは、ミストの肩の上のミストドラゴンを睨付ける。
睨まれて怯えて竦むドラゴンをまだ撫でながら、ミストが代わりに弁解した。「私がこの子に黙っててね♪ ってお願いしたの」
「どうしてっ!?」
「再会した時に驚いてくれるかなって、思ったからー」
「・・・・・・」がっくり、とリディアはその場に膝をつく。
ミストの行った理由に気が抜けて、ついでに忘れかけていた疲労とも相まって、そのまま立ち上がれそうになかった。
そんな娘に声をかけようと、ミストが身をかがめる。「でもね、リディア。知らなくっても、私はきっと貴女のことは解ったと思う」
フォローするように彼女は言う。
「だって、母親だもの」
ね? と微笑みかけてくる母親に、リディアは苦笑した。
リディアがどんなに成長して、その外見が変わろうとも解ってしまうものなのかもしれない。
少なくともリディアがリディアとして在り続ける限りは。(考えてみれば、知らないはずのセシルやお兄ちゃんだってあたしのこと解ってくれたし)
ならば、実の母親が解らないはずがないとも思う。
と、リディアが思ったその時だ。「エッジ!? ちょっと生きているの!?」
ジュエルの悲鳴。
と、近くにいたカインがぽつりと呟く。「・・・そう言えば全身火傷で死にかけが一人居たな」
それを聞いて、「あら」とミストがのんびりと声を上げた。
「駄目じゃないですか、そういうことは早く言ってもらいませんとー」
そう言いつつ、ミストは身を翻して、ジュエルの悲鳴が聞こえた方へと小走りで向かっていく。
珍しく難しい表情で、カインはミストの背中を見送りながらぽつりと呟いた。「・・・ローザとは逆の意味でマイペースな女だ」
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「う・・・・・・うう・・・・・・っ?」
全身に苦痛を感じながら、エッジは目を覚ました。
全身を走る痛みに、最悪な目覚だと思いながら目を開ける。ぼやけた視界に緑の色がぼんやりと見える―――(リディア・・・?)
その色に、惚れた女の事を思い浮かべる。
「あら、気がついたようですねー」
「!?」その声はリディアに似ていたが、その口調は別の女性のものだった。
思わず目を見開いて、彼女の姿を認める。ミストは、エッジの胸に手を添えていた。どうやら回復魔法をかけていてくれたらしい。
そのことに気がついたエッジは、全く思考せずに反射的にその手を両手で優しく包み込み、開口一番。「結婚しよう」
「無理です」
「またフラレター!?」
「あほかああああああああっ!」スコーン! と、エッジの額にチョップが振り下ろされる。
それは勿論ミストの仕業ではない。「おふくろっ!? てめえ、生きてやがったか!?」
「どういう意味よそれはっ! つーか、なんでもっと早く帰ってこなかったのよ!? 全滅するところだったじゃない!」本当なら、エッジ達はもっと早くに戻ってくるはずだった。
だが、エブラーナからバロンへ行く途中で嵐に遭い、ファリスの船の動力源であるシルドラの手綱が切れてしまったため、立ち往生するハメになり、そのせいで時間がかかってしまったのである。「しかも母親の安否を確認する前に、いきなりプロポーズとはいい性格じゃないの馬鹿息子!」
「てめえは殺したって死なねえだろがクソババア!」
「なんだとこのフラレ男!」再びジュエルがエッジに向かってチョップをする。
しかしエッジは手が振り下ろされるよりも早く、素早く身を起こすと立ち上がった。
回復魔法を受けたとはいえ、ついさっきまで全身火傷で死にかけていたのだ。すぐにそこまで動けるのは、忍者としての訓練の賜物だろう。「言いやがったなクソババア! てめえとは親父と同様、一度決着を付けなきゃいけねえと思ってたんだ! 今ここで俺様の実力ってのをみせてやんぜ!」
「ほー。言いやがったわね馬鹿息子! そこまで言ったからには覚悟はできてるんでしょーね!」などと言いつつ激突する母子。
リディアとミストの再会同じ、 “親子の再会” とは思えないシーンだ。「・・・・・・馬鹿?」
忍術こそ使わないモノの、本気で拳を振り上げて殴り合う二人を見て、リディアがストレートな感想を漏らした。
とは言っても、互いの動きは読めているらしく、どちらもクリーンヒットはない。
ジュエルはエッジの拳撃を全て回避し、エッジはジュエルの蹴撃を全て完全にガードしている。在る意味、とても息のあった親子とも呼べるかもしれない。「・・・お強いですねー」
にこにこと呟いたのは、殴り合いが始まる前にさっさと非難していたミストだ。
何をのんびりと観戦しているんだろうと、リディアがミストを振り返る。
すると、娘の考えていることが解ったのか、ミストはにっこりと微笑んで―――しかし普段よりはどこか力無く、寂しげに―――言った。「解らない? リディア。貴女達のお陰で、私やジュエル様は助かった。洞窟の奥には他にも助かった人達がいる。でも―――」
と、ミストは洞窟の奥を振り返る。
凍り付いた洞窟の中。
戦いの興奮や再会の温もりも次第に冷めてきて、かなり寒くなってきた。そんな中で、ミストの視線の先をリディアが追えば、そこには人の形をした氷があり、その氷の中には黒い炭が―――
「あ・・・」
感じる寒気が数段増したような気がした。
ミストはそちらを振り向いたまま続ける。「あの炎の魔人の襲撃で、犠牲になった人達は少ない数じゃないの―――それをジュエル様達は解っている」
この洞窟で戦った忍者達だけではない。
他の砦に潜んでいた忍者や、それ以前にもルビカンテの炎に焼かれた者たちは居る。「解っていて―――だけど、仲間を失った哀しみに囚われていては、前に進めないから」
「・・・だからああして巫山戯ているというの?」洞窟の奥を向いているミストが、今どんな表情をしているのかリディアには見えない。
忍者達の死を悼み、悲しんでいるのかも知れない。或いは忍者達を焼き殺したルビカンテを憎しみ、怒っているのかも知れない。―――けれど、再びリディアの方を振り向いたミストは、いつものようにマイペースに微笑んでいた。
「そうよ。だから “強い” と私は思うの」
「・・・そんな大層な話でもないがな」フン、と唐突にカインが口を開いた。
「要は慣れだ。味方の屍を乗り越えて敵を殺す―――そんな事を、俺達バロンとエブラーナはずっと長い間続けてきた。だからこういうことに “慣れて” しまったというだけのこと」
カインはエブラーナとの戦争を体験したわけではない。
生まれたのは戦時中だが、物心つく前にすでに戦争は終わっていた。つい数ヶ月前のファブールでの攻城戦まで、カインは国家レベルでの “戦争” というものを体験したことはなかった。
その反面で、カインは “戦争” というものを知っていた。
長らく続いたエブラーナの戦争の話は、一回りほど年上の人間に話を振れば、何日も夜を明かせるほどの話が聞けたし、戦争に関する書物は幾らでもあった。
なによりも、先祖の代から脈々と受け継がれてきた、この身に流れている “血” が憶えているのだろう。人の生死に無頓着なわけではない。人が死ぬことに忌避感が無いわけではない。
ただ、ずっと戦いを続けてきたバロンやエブラーナの人間は、本能的に理解している。例え仲間が死んでも、泣くべきではない時には泣かず、その屍を踏み越えなければならない時があるということを。
「へっ、今日はこのくらいにしてやるぜ、クソババア」
「それはこっちの台詞よ、馬鹿息子!」と、ようやく親子ゲンカは終わったようだった。
二人は動きを止め、いーっ、と互いに歯を剥き出し合ってにらみ合った後、エッジとジュエルは「「ふんっ」」とそっぽを向きながらミストたちの方へとやってくる。「さて、と」
ジュエルは不意に真顔になって、カインを見やる。
「話を聞かせて貰いましょうか? バロンの新しい国王サマは、どうお考えなのか―――」