第22章「バブイルの塔、再び」
F.「氷河の女王」
main character:リディア
location:エブラーナの洞窟

 

 

「なかなか耐えるものだ・・・」

 ルビカンテは感心したように呟く。
 その目の前で、炎に焼かれ続けながらもエッジは未だに立っていた。が。

「・・・・・・ハァッ・・・・・・ハァッ・・・・・・ハァッ・・・・・・ハァッ・・・・・・ハァッ・・・・・・」

 エッジはすでに限界だった。
 すでに五回ものルビカンテの炎をその身に受けている。

 身に着けていた忍び装束は殆どが灰となり、露出した肌は赤黒く火傷をしていた。
 立って居るどころか、もう死んでいてもおかしくはない状態。

「こんな・・・もんじゃ・・・・・・ねえ・・・・・・っ」

 息も絶え絶えに、朦朧とした様子でエッジは呟いた。
 その呟きにルビカンテは首を傾げたが―――

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 必死になって詠唱を続けるリディアに、ルビカンテは先にそちらを燃やすことにした。
 聞いたことのない呪文だが、一語一語を唱えるたびに、膨大な魔力が世界へ向かって解き放たれているのが解る。

 だが、その術が完成するのは、まだ少し時間がかかるようだった。

「悪いが―――させるまえに燃やさせてもらう!」

 ルビカンテはエッジと、その後ろで詠唱を続けているリディアに向けて炎を放とうとする。
 対し、しかしエッジは立ちつくすだけで、最早身動き一つできない。

(こんなもんじゃ・・・なかった――― “アイツ” は・・・こんなんじゃなかった・・・)

 目の前でルビカンテが炎を放とうとするのがスローモーションに見えた。
 死に行く瞬間というのは、まるでこの世との別れを惜しむかのように、とても時間の流れが遅く感じるのだという。
 自分を殺すであろう炎を見ながら、エッジの脳裏には一人の青年がフラッシュバックしていた。

(カイン・・・ハイウィンド―――・・・・・・)

 バロンでの夜。仮初めの空間でセシルと共にオーディンと戦った “最強の竜騎士” 。
 自らの炎に身を焦がしながらも、己が持てる全てを出し切って、セシルと共にかつての最強を倒したあの男―――

(え・・・?)

 やけにゆっくりと時間が流れる眼前の光景。
 その中で異変が起きていた。

 ルビカンテの横。洞窟の壁が、ぼこり、と膨れあがる。
 それに気づいたのか、ルビカンテは反射的にそちらを振り返る―――同時。

 

 ドラゴンダイブ

 

 ずがんっ!

 と、洞窟の壁を砕く音と共に、エッジの感じる時間の流れが正常になる。
 洞窟の壁を砕いて現れたその男はまさしく。

「・・・ようやく何処かに出たか―――む?」

 突然現れたカインは、ルビカンテの姿を向いてにぃ・・・と笑う。

「見つけたぞ、ルビカンテ!」
「カイン=ハイウィンド! 貴様が来ていたか!」
「当然だ。お前を倒せるとしたら、この俺くらいなものだろうからな!」

 そう言って、カインは腰を低く、槍を前方―――ルビカンテへと突きだして構える。
 いつもの必殺の突撃の構えだ。

「さて、再会したばかりで悪いが―――さっさと死んでもらおう!」
「おのれっ!」

 

 火燕流

 

 いつになく焦った様子で、ルビカンテはカインに向けて炎を放つ!
 だが、カインは迫る猛炎に対し、まるで気にも留めずに真っ向から飛び込んだ。

(無茶だろ!?)

 青白い “竜気” を身に纏い、炎に逆らいルビカンテに迫るカインを見て、エッジは心の中で絶叫する。
 しかし、その悲鳴を裏切るかのように、カインは苦もなく炎の中を突き進んでいく。
 炎の中でカインは燃え尽きるどころか、逆にその身に纏う “竜気” を増大させて、ルビカンテに突撃する!

 

 ドラゴンダイブ

 

 炎をくぐり抜け、カインの銀の槍がルビカンテに迫る。
 カインの跳躍を真っ向から回避出来る者はそうはいない―――が、炎に逆らったことで、多少は鈍くなっていたのだろう。ルビカンテは身をよじって、ギリギリで回避する。それでも回避しきれずに、槍の先がルビカンテの腕をかすめた。

「くっ・・・」
「ちっ、外したか」

 ルビカンテの腕のかすり傷を見て、カインは舌打ちする。
 しかしカイン以上に、ルビカンテは焦っていた。目に映る全てを燃やし、その身に降りかかる全てを灰と変えてきた炎の魔人が “最強の竜騎士” を目の前にして畏れている。

「カイン=ハイウィンド・・・この洞窟の中でお前が相手では、この私とて分が悪い―――だが、ゴルベーザ四天王最強の名にかけて、私もやられるわけには行かぬ!」

 ルビカンテの身体を覆う炎が、より一層激しく燃え上がる。
 洞窟の中で力が出せないはずだが、通常以上の力を発揮する。

 だが、そんなルビカンテを、カインは冷めた様子で見返し、

「・・・俺が貴様を殺してやりたいところが―――どうも、そういうわけには行かんようだ」
「なに・・・?」

 訝しげに問い返して―――ルビカンテは気がついた。
 カインの背後。
 呪文を唱え続けていたリディアの呪文詠唱が完結する!

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 ゲートオープン

 

 見た目にはなにも変わらない。
 だが、確かにこの場と、異なる世界が “繋がった” 。
 ルビカンテにはそれを知覚することはできなかったが、リディアからとてつもない力―――幻獣の力を感じることはできた。

「来たれ―――」
「させん!」

 慌ててルビカンテはリディアに向かって炎を放つ。
 しかし、それをカインが身を盾にして庇う。

「若干熱いが―――我慢出来ぬほどでもないな」

 ルビカンテの炎を、カインは “竜気” によって己の “熱” に変換する。
 しかし、流石は炎の魔人の放った炎だ。竜気でも熱をコントロールしきれず、このままではオーディン戦の時のように、カインの身体は焼け焦げてしまうだろう―――このまま、ならば。

「―――フン」

 カインは炎に包まれながら、槍の切っ先を、さっき自分が打ち壊した壁の穴へと向ける。

 

 ドラゴンバースト

 

 槍の先から凄まじい炎が噴き出して、壁の穴の向こうへ消えた。

 オーディン戦の時は、カインは熱量の少ない周囲から無理矢理に熱を掻き集め、自分の中でそれを合わせて熱を高めた。
 そのため、必要な熱量を得るまで、自身の中に溜めた熱を保持しなければならず、それでコントロール出来なくなった分が、カインの身体を焼いたのだ。

 今は、わざわざ自分の身体が焼けるのを我慢して熱を溜める必要はない。
 コントロール出来ないほどの熱ならば、さっさと吐き出してしまえば良いだけだった。

「おのれ―――」

 ルビカンテは歯がみして、次撃を放とうとする。
 だが、それよりも早く―――

「風に舞う氷河の女王・・・静寂の時を見つめよ―――」

 リディアの詠唱が、彼方から氷河の女王を召喚する!

 

 シヴァ

 

 次の瞬間、白い光が洞窟内を眩く照らす。
 その光が収まった後、リディアの傍らに、まるで水晶のように青白い肌の女性が出現していた―――

 

 

******

 

 

「エルディア、お願い」
「・・・・・・」

 リディアが隣りに立つ人間の女性と同じ姿をした幻獣―――シヴァに向かって呼びかける。
 エルディア、と呼ばれた氷の幻獣は、無言のまま頷くと、ルビカンテの方へと視線を送る。そして、そっと手を持ち上げ、指先を揃えてルビカンテを指し示した。途端、その掌から白い雪が―――いや、氷のつぶてが巻き起こる!

 

 ダイアモンドダスト

 

 氷のつぶては洞窟内を荒れ狂い、その一粒一粒が、洞窟の壁やら床やら天井やらにぶつかるたびに、そこが瞬時に凍り付いた。
 ルビカンテの背後―――ルビカンテとバルバリシアの攻撃で、赤く燃え上がっていた場所も、瞬時に冷めて、凍り付いていく。

「ぬ、おおおおおおおおおおっ!」

 

 火燕流

 

 その氷の吹雪の中心で、ルビカンテは絶叫しながら、自分の身を炎で包み込み、吹雪を防いでいた。

(こ・・・これがっ。これが幻獣の力か・・・ッ!)

 幻獣の力を目にしたのはこれが初めてではない。
 だが、その身に受けるのは初めてだった。

 世界の分身たる幻獣。
 その振るう力は、即ち世界そのものである。
 如何にルビカンテの力が強力だとしても、大海そのものであった忍者達の秘術を破れなかったように、氷の化身であるシヴァの力に抗することなどできはしない。
 今はまだ防げているが、じわじわと自身の炎が氷に押されているのが解る。このままでは、炎が消えて凍り付くのも時間の問題――――――ルビカンテが諦めかけたその時。

 不意に、吹雪が止む。

「・・・くっ・・・そろそろ限界・・・か・・・!」

 見れば、シヴァを召喚したリディアは尋常ではない量の汗をかいて、息も絶え絶えに苦しそうにして膝をついていた。
 そんなリディアを、シヴァが心配そうな表情で見つめる―――が、突然その身体が淡い光に包まれたと思うと、消え去ってしまった。

 現界と幻界の間にある魔封壁。その封印の力は強く、一時的な解除の呪文を知っているとはいえ、閉ざされた二つの世界を繋げたまま維持するにはかなりの負担がかかる。
 リディアは力の強い魔道士ではあるが、それでもほんの数分が限界なのだろう。

「ぐ・・・・・・っ」

 とりあえず助かったことに安堵して、ルビカンテもまた膝を突いた。
 今の吹雪を防いだために、力の殆どを使い果たしている。その身を纏う炎も弱々しく、今にも消え去ってしまいそうだ。

「だが―――これで・・・・・・」
「形成逆転、ね」

 ルビカンテの言葉を受け継ぐように。
 リディアの背後でバルバリシアが美しく微笑んだ―――

 

 

******

 

 

 バルバリシアを食い止めていたボムボムの姿は、いつの間にか消えていた。
 同じように、トリスの姿もない。

「・・・どうやら、力を使い果たしたせいで、元いた場所に送還されてしまった見たいね」

 バルバリシアが周囲を確認しながら呟く。
 彼女はシヴァの力の影響を受けていなかった。シヴァが力を放ったのは前方―――ルビカンテ側だ。リディアの背後にいたバルバリシアには届いていない。

「カインの登場に、幻獣の召喚・・・少し焦ったけれど、その幻獣の攻撃にカインは巻き込まれて氷漬け、術者が力を使い果たしたせいで、幻獣も元の世界に戻ってしまった―――間抜けな話よね」

 くすくす、とバルバリシアが笑う。
 と、そんな彼女に、からかうような男の声がかけられる。

「ほう? 誰が氷漬けだと?」
「!?」

 声のした方を見る。
 シヴァの攻撃で、洞窟内は凍り付いて、あちらこちらに岩のような氷の固まりができている。
 そんな氷岩の一つの陰から、竜を象った鎧に身を包んだ竜騎士が一人、姿を現わした。

「馬鹿な・・・!? さっきの幻獣の攻撃、 “竜気” などで防げるはずが―――」
「別に俺は何もしちゃいない―――何もな」

 と、カインは跪いたままのリディアを見やる。
 リディアは苦しそうな中、それでもニッ、と笑う。

「勝手に勘違いしないで。誰も味方を巻き込んだ、なんて言ってないし。つーか、幻獣の力を甘く見ないでよね!」

 そう言いながらも、少しは力が回復したのか、リディアは立ち上がる。
 幻獣の力は世界そのものの力を “完全” に操る。
 つまり、狙った相手だけに広範囲攻撃を仕掛ける―――などという事など、造作もないことだ。

 と、カインは立ち上がったリディアに近づくと、その肩を軽く押した。
 「きゃぅ!?」と悲鳴をあげて、その場に尻餅をつき、すぐにカインを睨み上げた。
 だが、彼女が文句を言うよりも早く、カインが言い捨てる。

「座っていろ。どうせもう魔法の一つも使えまい?」
「・・・・・・っ」

 カインの言うことは事実だった。
 魔力はもう殆ど残って居らず、立ち上がるのが精一杯だった。
 今すぐこの場で眠ってしまいたいほど疲れ果て、酷く気怠い気分だ。反論するのも億劫なほどである。

 そんなリディアに背を向け、カインはバルバリシアを振り返った。

「さて―――確かにお前の言うとおり形勢逆転だ。こちらは戦えるのが俺一人に対し、お前達は二人―――数の上では不利だな」

 言いつつも、 “不利” などとは全く感じていない様子で冷笑を浮かべるカイン。
 逆に、バルバリシアの方が追いつめられたように表情を歪める。

(・・・ルビカンテは幻獣の攻撃を防いだせいで力を使い果たしている。あの召喚術士のお嬢ちゃんほどじゃないだろうけど、まともに戦うことなんてできやしない。・・・外ならともかく、こんな洞窟の中じゃ私も力を発揮出来ない。少なくとも、カイン=ハイウィンドに勝てるとは思えない)

 無意識のうちに、バルバリシアは自分の脇腹に手を添えた。
 そこは一ヶ月前、カインとその愛竜であるアベルに引き裂かれた場所だ。
 あの時、ゴルベーザが現れなければ、カインの槍に身体を貫かれ、そのまま死んでいただろう。

 ここにはアベルの姿はない。
 しかし、バルバリシアはあの時の死の恐怖をはっきりと思い出していた。

「そう言うわけで、だ。こちらが不利なので、ここは退いて貰えないか?」
「・・・は?」

 思わずきょとんとする。
 今、カインが言った言葉が―――というより、そんなことを言い出したカインが理解出来なかった。

「・・・なにを、考えているの? まさか本当に自分の方が不利だなんて考えてないでしょうね!?」
「数の上では不利だと言っただろう?」
「ふざけないで!」

 カインはバリバリシア達を “見逃そう” としている。
 付き合いは僅かしかないが、それでもバルバリシアはカインの性格はある程度解っていた。少なくとも、敵に温情を与えて逃がすようなことは絶対にしない男だ。
 しかし、逃げるために背中を見せた瞬間、後ろから斬りかかる卑怯な男でもない。

 カインの考えが読めず、バルバリシアは逡巡する。退くべきか、それとも戦うべきか―――

「それがどうした?」
「え・・・?」
「俺がふざけていようが、それがどうしたのかと聞いている。選ぶのは貴様だ、戦うというのなら仕方がない―――」

 そう言って、カインは槍を構える。
 それを見て、バルバリシアは釈然としない様子で―――しかし頷いた。

「わかったわ―――」

 言った途端、バルバリシアの姿が掻き消える。
 特にカインは驚かず、ゆっくりと背後を振り返る―――力尽きて膝をつくルビカンテの側に、バルバリシアは出現していた。

「―――ここは有り難く退かせて貰う。けど、ここで逃がしたことを後悔しない事ね」
「する必要がないだろう?」
「・・・・・・退くわよ、ルビカンテ」

 そう言って、今度こそバルバリシアの姿は、この洞窟内から消え去った―――

 

 

******

 

 

「・・・行ったか」

 バルバリシアが消えたのを確認し、カインはリディアを振り返る。

「無事か?」
「・・・お陰でね」

 バツが悪そうにリディアは答える。
 カインがバルバリシア達を逃がした理由を、リディアは気がついていた。

「逃がして良かったの?」
「構わん。・・・まあ、バルバリシアのヤツは外で戦えば厄介だが、ルビカンテならば俺一人でもどうにかなる」

 竜騎士の使う “竜気” は熱をコントロールする力だ。
 ルビカンテの炎を完全に防ぐことはできないが、しばらく耐えることはできる。
 並の竜騎士ならば、多少熱を防いだところでどうにもならないが、カインの攻撃力ならば、一撃直撃させればそれで事足りる。竜気で熱を操れば、銀の槍が溶かされることもない―――だからこそ、今まで敵の攻撃を避けようとしなかったルビカンテが、カインの攻撃だけは必死に避けたのだ。

「が、この場で戦えばお前達を巻き込むことになる。俺は他人を庇いながら戦うほど器用ではないし、それほどお人好しでもない」
「だからあたしたちを守るために敵を逃がしたんでしょ? 十分にお人好しじゃない」
「・・・お前達が死ねばセシルが困るだろう?」

 少しふて腐れたようにカインが言う。
 どうやらこの最強の竜騎士は、己の王を困らせることが何よりも嫌うらしい。

「あ・・・そう言えばエッジは?」
「そっちの氷の陰で気絶している。そろそろ死ぬかもな」
「ちょっと!? じゃあ、早く手当てしないと―――」
「誰が? どうやってだ?」
「う・・・・・・」

 カインに突っ込まれ、リディアは言葉に詰まる。
 黒魔法と召喚魔法ばかり修行していたリディアは、白魔法が少々不得手になってしまった。
 自分自身に使うならばともかく、他人を癒すことができるかどうか、かなり不安がある。

 押し黙るリディアに、カインはやれやれと嘆息した。

「仕方ない。あまりやりたくはないが、また “熱” を移すか・・・」

 以前、貴族との戦いの際に、使った方法だ。
 それで瀕死の民を一人回復させたが、生き残ったものの七日七晩高熱にうなされていたという。

 まあそれでも死ぬよりはマシと思い、カインがエッジの倒れている方へと足を向ける―――その時だ。

「リディア!」

 凍り付いた洞窟の奥から、誰かが駆けてきた。
 それはまるで双子のようにリディアとうり二つの女性だ。

「おかあ・・・・・・さん――――――!?」

 駆けてくるミストの姿に、リディアは呆然と呟いていた―――

 


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