第21章「最強たる者」
F.「キス」
main character:ファリス=シュルヴィッツ
location:バロン軍港・海賊船

 

 

「頭ぁ、客ですぜ」

 と、手下の一人がノックもせずに船長室に入ってきたのは、ファリスがバロンに出す書類を作成した直後の事だった。

 書類、というのはぶっちゃけ請求書の事である。
 エブラーナまでの航海にかかった、消耗品の補充や修繕。それから食費などの必要経費を計算し、さらにその上で報酬を上乗せした額を書面にしたものだ。
 それを二枚作成する。

 一枚は、必要経費と報酬を相場の二割り増しで計算した書類。
 もう一枚は、必要経費のみを二割り増し、報酬は妥当な額で計算された書類。

 最初は高い方の書類でギリギリまで粘って交渉し、最後の最後でもう一枚の書類を提示する。そうすると、実際は相場よりも割高のハズだが、最初提示された額よりも安いので、お買い得だと相手は錯覚してしまうのだ。
 セコい手だが、割と効果は高いペテンである。

 ちなみに、エブラーナに出航する前、予め報酬額は提示されていたが、素直にそれで納得する気はなかった。
 辛うじて事なきを得たが、一歩間違えればルビカンテに船ごと燃やされていたかも知れない。危険手当として割増料金を貰うのは当然だろう―――と、ファリスは勝手に決めつけていた。

 それはともかく。

「客・・・?」

 ノックぐらいしろよ、とか思いつつ、書き上げたばかりの書類から顔を上げて見れば、見慣れた顔の手下の後ろから、一人の青年が現れた。
 それを見て、ファリスは渋い顔をする。

「せっかく尋ねてきたんだ。もう少し歓迎してくれないか?」

 ファリスの反応を見て青年は苦笑する。

「栄えある軍事国家の竜騎士サマが、海賊船に何の御用ですかね」

 ファリスは嫌味をこめて訊く。
 尋ねてきた客というのは、バロンの竜騎士団長―――言わずと知れたカイン=ハイウィンドだ。
 彼にしては珍しく、いつも普段着のように身に着けている竜騎士の鎧を脱いでいた。普通に街に住んでいる青年のような軽装で、竜騎士の鎧を見慣れた者が見れば、一目見てカインだとは解らないかも知れない。

(厄介のが来たな・・・)

 歓迎などする気にはなれず、心の中で舌打ちする。

 カイン=ハイウィンドは、ファリス=シュルヴィッツの過去を知る、数少ない人間だ。
 自然と警戒感が強まり、気持ち身構える。
 そんなファリスに、カインは緊張をほぐそうとするかのように微笑んだ―――他の人間の前では絶対に見せないような柔らかな微笑みだ。

「なに、ちょっと世間話をしにきただけだ。なんだかんだで、落ち着いて話することができなかったからな」

 カインとファリスが “再会” して一ヶ月以上経つが、その間は巡り合わせが悪く、話をする機会がなかった。
 具体的に言えば、ファリスはセシルからの依頼で、フォールス各地に船を回していた(デビルロード建造のための資材運びや、人員の運搬など)。カインもカインで、 “赤い翼” をゴルベーザに奪われ、弱体化したバロン軍の戦力増強のために、竜騎士団を初めとする各軍団の訓練でバロンに留まっていた(単に部下達を叩きのめしていただけ、とも言う)。

「俺には話をしたいことなんかないんですがね」

 ファリスは慇懃無礼に言い捨てながらも、まだ部屋の中に残っていた手下に “下がって良い” と手を振る。
 「ウス」と頷いて、手下が船長室から退室する。
 ドアが閉まるのを待って、カインは再び口を開いた。

「・・・もう十年以上になるんだな―――お前が “行方不明” になってから」

 カインはファリスが座っている机に歩み寄り、ファリスのすぐ隣りに立つ。

「再会した時はまさか、とも思ったが―――だが、不思議なものだな」

 カインはファリスの顔―――いや、その姿を懐かしく思いながら見つめる。

「かつてのお前とは姿が変わっているはずなのに、どうしてか確信できた―――お前が “サリサ” だとな」

 その名前を出され、ファリスは諦めたように溜息をついた。

「あまりその名前で呼ばれたくはないな。俺の名前は―――」
「今のお前がどんな名前だろうと、俺にとってお前はサリサ=シュヴィール=タイクーンだ」

 きっぱりと言われ、ファリスは苦笑する。

「・・・そうやって、自分勝手なところはなにも変わらないな。ならせめて、人前でその名前を出すのはやめてくれよ」
「それは構わんが、交換条件がある」
「え?」
「俺と二人きりの時は、昔通りに呼べ」
「む、昔通り・・・?」

 言わんとしていることが何かは解ったが、それをファリスはとぼけようとした。
 が、もちろんカインはそれを許そうとはしない。

「この前は呼んでくれただろう?  “カイン兄様” と」
「だああああっ! だから俺は海賊のファリス=シュルヴィッツ様だってーの! アンタみたいな兄貴を持った覚えはねえっ!」
「ほほう」

 喚くファリスに、カインは冷笑を浮かべる。

「そういう態度ならば仕方がないな」
「な、なんだよ・・・」

 その笑みにイヤな予感を感じ―――そしてそれは現実となる。

「ならばお前の正体をあちこちにふれ回る!」
「なっ!?」
「あまつさえ、俺の知る限りのお前の懐かしくも恥ずかしく微笑ましい想い出を添えて!」
「なっ、なんだと!?」
「やはり外せないのはアレだな。おねしょを隠そうとして―――」
「やめろやめろやめろやめろーーーーー! それ以上言うなああああああっ!」
「んんんんんー? 誰にモノを言っているのか解らんなあ」
「てめえに決まってるだろ?」
「 “てめえ” ? って誰のことだか。俺はそんな名前ではないしなー」
「ぐうううううううううう・・・・・・っ!」

 ファリスはぎりぎりと歯ぎしりをして、顔を真っ赤にしてカインを睨付ける。
 視線だけで人を殺せそうな迫力だったが、カインは全く動じない。

 しばし睨付けた後―――ファリスは観念したように呟いた。

「お、おねがいですからやめてくださいカインにいさま」

 怒りのあまりに、逆に感情のこもっていない棒読みで呟く。
 だが、カインはにやりと笑って首を横に振る。

「いや駄目だな」
「なんだとお!?」
「俺は “昔通り” にと言ったんだ。昔のお前はもっと可憐であどけなく、さらに俺を呼ぶ時は語尾にハートマークがついていたな」
「・・・・・・い、いつかブッ殺してやる・・・・・・!」

 血を吐くような思いでカインへの殺意を高める。
 感情が高ぶりすぎて、ファリスの目には涙がにじんでいた。

「さて、そろそろ俺の知っているサリサの声が聞きたいんだがな」
「くっ・・・・・・」

 カインに言われ、ファリスは覚悟を決めて、絞り出すように言葉を吐いた。

「か、かいんにいさまっ」
「全然駄目だな」
「カ・・・カイン・・・にいさま」
「ちょっと良くなったか?」
「カインにいさま」
「まだまだだ」
「カイン兄さま」
「お、良い感じだぞ。もう少しだ」
「カイン兄様」
「よし! あともう一声!」

 カインの声援に、ファリスは昔の自分はどうだったかだろうと思い返しながら、記憶の中の鏡に映る自分の笑顔を頭に浮かべながらぎこちない笑みを作り、ついでに合わせた掌を頬に添えて、 “サリサ” になりきって “兄様” の名前を呼んだ。

「カイン兄様っ♪」
「頭ー、また客ですぜー・・・・・・って、なにやってるんで?」

 ファリスがとてつもなく可愛くぶりっ子してみせた瞬間、また手下の一人がノックもせずに入ってくる。

「だからノックくらいしやがれええええええええええええええええええええええええっ!」
「のわああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 とりあえず手近にあった机を持ち上げて、手下に向かって全力で投げつけた。
 机は狙い違わずに手下へクリーンヒットし、そのまま手下は部屋の外、通路まで机ごと吹っ飛ばされた。

「ぜえ・・・ぜえ・・・ぜえ・・・」

 机の上に乗っていたインクが床にぶちまけられ、その上に書き上げたばかりの書類が落ちる中(当然、書類はインクにひたされて書き直しである)、ファリスは獣のように荒く息をする。

「おいおい乱暴だな」
「て、てめえがっ、言うなっ・・・ぜえ・・・」
「まあ落ち着け」

 苦しそうに息をするファリスに、カインは優しく語りかける。

「とりあえず息を整えろ。深呼吸だ―――ほら、目を閉じて吸って―――吐いて―――吸って―――」
「すーーー・・・・・・はーーー・・・・・・すー・・・・・・」

 カインに言われるままに、ファリスは瞳を閉じて息を整えるために深呼吸を繰り返す。
 何度か繰り返し、呼吸が整ってきたその時だ。

「・・・はーーー・・・・・・すーーー・・・んぐっ!?」

 いきなり、生暖かいモノに口を塞がれた。
 驚いて目を見開くと、目の前に誰かの顔らしきもの―――近すぎてよく解らないが、間違いなくカインだろう―――があって、その唇で口を塞がれていた。
 早い話、キスされていた。

「んんんんんん・・・・・・っ!?」

 突然の事に、ファリスは目を白黒させて混乱する。
 が、相手の舌がこちらの唇をこじ開けて侵入しようとしたところで我に返り、カインの身体を全力で突き飛ばす!
 かなり強い力で突き飛ばされたにも拘わらず、カインは危なげなく部屋の隅に着地した。

「うあうあうあうあうあうあああああああっ! いきなり何しやがるーーーーーーーーーっ!」

 自分の唇を、火が点きそうなほど腕でごしごしとこする。
 ついでに、その顔も火が出そうなほど真っ赤だった。

「ははははは、そう照れるな」
「照れてねえ! ブチギレてんだッ!」
「待て、落ち着けファリス。考えても見ろ。目を閉じて唇を突き出されたら、誘っているように思われても仕方がないだろう?」
「誘ってねええええッ! 単なる深呼吸だって事は、てめえが一番良く知ってんだろがああああああああああああっ!」
「そう怒るな。客が驚いてるぞ」
「へ? 客・・・?」

 そう言えば、さっき手下が―――などと思いつつ、入り口の方を見やると。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 船長室の入り口で、バッツとロックの二人がこちらを覗き込んでいた―――部屋の中に入ってこないのは、入り口を机に潰された手下が塞いでいるからだろう。
 二人の表情は、驚くと言うよりは茫然自失としていた。

「や、野郎と野郎が・・・・・・うげ、ヤなモン見た・・・・・・」

 ロックが青ざめた顔で、その場にがくりと膝をつく。
 バッツは事態が上手く飲み込めないのか、ファリスとカイン、それから机に潰された手下Aを代わる代わる視線を移す。

「お、お前ら、いつから・・・」
「ファリスが深呼吸した時からだが」

 答えたのはカインだった。
 ファリス自身、どこか虚ろな気分でカインに目を向けると、彼は親指を立ててみせる。

「フッ・・・安心しろ。約束は守ってやる」

 そう言えば、先程からカインはファリスのことを “サリサ” とは呼んでいない。

「こ、この状況で何を安心しろっていうんだよッ! ていうか殺ーーーーーす! ブチ殺すーーーーーーっ!」
「はっはっは、お前に出来るわけがないだろう」

 あっさりと笑い飛ばされて、ファリスは何も言えなくなる。
 ファリスも自分が弱いとは思わないが、流石に相手が “最強の竜騎士” となれば役者不足だ。

「だったら俺がブチのめしてやらあっ!」

 そう叫んだのは、ようやく我に返ったバッツだった。
 彼は、入り口を塞ぐ机を器用に乗り越え、部屋の中に入るとカインを睨付ける。

「よく解らんが、お前のせいでファリスがキレてるってのはよく解った。というわけでお前をブッ倒す!」
「は! 旅人風情が、この俺に適うと思っているのか!?」
「てめえこそ、竜騎士如きが旅人サンに勝てると思ってるのかよ!」

 挑発を逆に切り替えされ、カインの額に青スジが浮かぶ。

「ほほお・・・言ってくれるじゃないか、ゴミの分際で!」
「俺がゴミならてめえはカスだ! 性懲りもなくファリスにちょっかい出しやがって!」
「それはこっちの台詞だ! 生ゴミはちゃんと刻んで地面に埋めてやらんとな!」
「上等だ! 今日の俺はいつもより優しくねえぞ!」

 売り言葉に買い言葉。
 バチバチと火花を散らす二人をファリスは呆然と眺めていたが、ハッとして叫ぶ。

「って、なにマジになってんだお前ら! とりあえず落ち着け―――」
「何を言っているんだファリス。俺はとても落ち着いている―――知っているか? 本気で人を殺す気になった時というものは、意外に穏やかな気持ちになれるものなのだ」

 クククク、と不気味に笑いながらカインが言えば、バッツも頷いて。

「穏やか・・・そうだな、俺の心もとても穏やかだ。こいつがブチのめされて地面に這いつくばって泣きながら『ごめんなさい、ごめんなさい』って謝っているのを想像するだけで、スカッとするというか、とても晴れ晴れとした気分になれるんだ―――」

 ふふふふ、とやっぱり不気味に笑いながらバッツが言う。

「クックック・・・・・・」
「ふっふっふ・・・・・・」

 ついさっきまでにらみ合っていた二人は、一転して不気味に笑いあう。
 ただし、その瞳は笑ってないし、二人の間から感じ取れる緊迫感は先程よりも一層増しているが。

「だめだ、こりゃ・・・」

 そんな二人の様子を見て、ファリスは二人を止めることを諦めた―――

 


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